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【第十七話】

「洋介先輩。お芝居の稽古はどんな感じなんです?」

 いつもの珈琲店で台本のチェックをしていたらカフェオレを持って来た三木谷ちゃんに聞かれた。

「ぼちぼちかなぁ。一応台詞も覚えたぞ。でも覚えたが故に素人感が抜けてしまってその辺の練習をしてる感じかな」

「やっぱり難しい役柄じゃないですか。本当に大丈夫なんですか?開演まであと二週間くらいでしたっけ?」

 そう。もう開演まで時間が無いのだ。自宅では練習に凛が付き合ってくれてるけども、全く自信が無い。そんな中、溝口さんから連絡が入った。

「父が……谷口が倒れました……今、病院からなんですが……」

「ん?誰から?」

 キッチンで夕飯のお皿を洗っていた凛が聞いてくる。これは伝えるべきなのか。いや、同じ舞台に出てるんだ。否が応でも知ることになる。

「演出家の先生が倒れたって」

「え?」

 凛がお皿を洗う手を止めた。そして手を拭くのも省略して僕のスマホを奪った。

「もしもし。谷口が倒れたって本当なの?」

「あ、樋口さんですか?はい。今病院から電話をしています。過労だろうって言われてますけども……」

「はぁ……なんだ過労か……」

 正直、なんだはないろうと思ったけども、あの凛の慌て具合からすると他に何か持病でも抱えてるのかと思ってしまう。

「兎に角、そっちに行くから待ってて」

 電話を切った凛は僕の方を見て「聞いてた?」と軽く聞いてきて僕が頷くと出掛ける準備を始めたので、僕も準備をしていたら凛にため息交じりでこう言われた。

「洋介は来なくても良いわよ。私だけで行ってくるから。ちょっと溝口さんとも話したいことがあるから」

 そう言われて僕はコートを脱いだけども、溝口さんとも話しがあるってところが少し引っかかった。凛は溝口さんと谷口さんの関係を知っているのだろうか。話しはその件なのだろうか。僕が心配するような事じゃないけども、一悶着ありそうで心配になったので、悪いと思ったが後をつけることにした。

 大通りに出て流しのタクシーを拾う凛。僕も続いて拾って「前のタクシーを追って下さい」なんてドラマのような台詞を運転手に伝えると怪訝な顔をされたけども追ってくれた。運転手はミラーで僕の表情をチラチラ見てるのが分かったけども今はそんなことを気にしている場合ではない。

 病院に到着して夜間受付を済ませたのか中に入っていった凛を見つけて僕も病院の前で降りたのは良いけども、中にどうやって入るのか。谷口さんの知り合いです、って言って入るのか?時間外面接なんて親族くらいしか許されないのでは?と思ってしまって受け付け付近を彷徨っていたら、中から凜と溝口さんが出て来るのが見えたので、慌てて柱の陰に隠れた。

「本当に過労だったみたいね」

 凛がそう言うと溝口さんが心配そうに凛に話しかけた。

「三ヶ月前にも倒れたんです。今回は過労って言ってましたけども……」

「他に何かあるの?」

「樋口さんはご存じないのですか?」

「いや、なにも」

「私の口から申し上げるのはアレなんですけどもお伝えした方が良いと思いますので」

 そう言ってしばらく時間が流れたところで凛が聞きたいと反応したので溝口さんは静かに口を開いた。

「あと半年持てばいいそうです」

「はぁ……やっぱりそんな感じなのね。あの痩せ方は普通じゃないものね。って事は今度の舞台が最後の仕事になる可能性があるって事なのね?」

「はい。今もかなり無理をしてるんだと思います」

「そうなんだ。溝口さんはお父さんがそんな状況になったらどうする?」

「父がですか?」

「そう」

「そうですね……。仕事は控えて貰うように言うかも知れません」

「それは谷口は望まないと思うけどね。でもやっぱり親子だとそう思うのが普通かなぁ。でも、あの人は仕事一筋だから命続く限り自分の仕事を全うする様な気がする」

「まるで谷口さんが私の父のような話ぶりですね」

 僕は柱の影からそんな会話を聞き耳を立てて聞いているけども、この話は聞いていても良いのだろうか。凛の話ぶりだと、例の谷口の娘は溝口さんとでも言いたげな感じだ。溝口さんは以前にそう言ってたから事実なんだろうけども、そのことを凛も知っているのだろうか。それともカマをかけているのだろうか。

「違うの?」

「谷口さんは私の父ではありません。ですが、この業界に足を踏み入れさせてくれた人ではあります。ですので、そう言う意味では父のような人かも知れません」

「そう。上手く言うのね。なんにしても谷口が倒れたままだと、今の舞台は先に進まない事になるわね」

「そうですね。ところで、樋口さんはなぜ谷口さんを谷口、と呼ぶのですか?」

 核心をつく質問だな。凛が谷口のことを呼び捨てする理由は以前に聞いたことがある。それに答えるには凛は谷口の娘のじ時期があったと言わなければならない。

「単純に気に入らないからよ。さん付けで呼びたくないだけ」

「そうですか。変なことを聞いてすみません」

「ま、谷口のことだから明日の稽古には這いつくばっても来ると思うから、私たちはそれに応える必要がありそうね」

「そうですね」

 凛と溝口さんの会話はそこで終わって、先に溝口さんがタクシーで帰って行った。凛もタクシーを呼ぶためにスマホを取り出したかと思ったら、僕のスマホの着信音が鳴った。発信者は凛。

「もしもし」

「洋介、今どこ?」

 どうする。これは話を盗み聞いていたのがバレているということなのか。サイレントモードにしていなかったのが仇になったか。僕は観念して柱の影から凛の元に歩いて行った。

「すまん」

「なんで謝るのよ。気になったんでしょ?それとも、それ以上のことがあるの?」

 ここで凛が求めているのは溝口さんが谷口の娘なのか、僕が知っているかどうか、だろう。答えるのは簡単だが、それで話が拗れるのは避けたい。ぼくがそんなことを逡巡しているのを見て凛は確信したようで、こう言ってきた。

「これは私の仮説なんだけども。溝口さんは谷口の真の娘。それで私は谷口の再婚相手の娘。そんなのをなんで隠すのか分からないけど」

「なにか事情でもあるんじゃないのか?」

「否定しないのね」

「どうせバレることだと思うし。あ、僕は溝口さんから聞いてる。多分だけど、凛のことを気にしないで、溝口さん自身を溺愛してるのを凛は許さないとか思ってるんじゃないかな」

「まー、考えられるのはそんなところよね。確かに私の母はそれが原因で谷口とは離婚したのだけれど。だから私が谷口のことが嫌いなのは本当だしね。あ、でも今回の舞台をぶち壊すような事は考えてないから安心してね。私が急に抜けたら洋介の役が無茶苦茶になるもんね」

「そう願いたいよ」

 

 翌日の稽古には凛の言うように本当に谷口はやって来た。事情を知っている溝口さんは心配そうな顔をしているけれども、凛はいつもと変わらない。事情を知っている僕は微妙な立場だ。なんにしても、そこまでして成功せせたい舞台なのだと思ってしっかり役柄を全うするしかない。

「みんな。ちょっと聞いて欲しい」

 稽古が始まる前に谷口が声を上げた。いつもは監督が声を上げるから、みんな何事かと少しざわついたけども、すぐに収まった。

「今日は大事な話がある」

 まぁ、普通に考えて自身の体調の件だろうな。と思ったらそれだけではなかった。と言うよりも驚きしかなかった。

「私はこの先もこの舞台の演出に関わるつもりだが、体調に不安がある。そこでだ。私の代役を予め紹介しておきたい」

 谷口がそこまで言うと舞台袖から一人の女性が歩いてきた。

「樋口葉さんだ」

 樋口?まさか?と思って凛を見たら、呆気に取られた顔をしていたので間違いないのであろう。凛の母親だ。凛の母親は谷口のことを嫌っていたのではないのか。それとも、娘の凛が出ている舞台だからだろうか。

「凛、おい」

「あ。うん。大丈夫だから」

 何が大丈夫なのか分からないけども、事態は一応理解した、と言うことだろう。

 今回の発表に合わせて、主人公の男優が交代になることも説明があった。後の話だとギャラが合わないとかなんとかで揉めたらしい。

「主人公に演出家の変更か。なんか別物の舞台になる可能性があるな」

 僕が凛に話しかけたけども、凛は上の空といった感じが抜けていなかった。そんなに母親が出てきたことに動揺しているのだろうか。僕がそのことを聞くと凛はそうじゃない、と言ってきた。

「そうじゃないの。あの主人公の男優、谷口とお母さんの息子なの」

「え?」

 僕がびっくりする番だった。この舞台は一体なんなんだ。谷口の実の娘に再婚相手の連れ子、更には再婚相手の息子まで出て来るとは。家族演出なのか?と言われてもしかがたない構成だ。幸にして、出演者はそんなことは知らないのか、特段の混乱は無かったが。

「樋口さん、初めまして、ですね」

「え、ええ。初めまして」

 ん?初めまして?どう言うことだ?

「そちらは?」

 主人公に新たに抜擢された谷口健吾という青年が凛に挨拶をした後に僕について聞いてきた。

「あ、や。初めまして。僕は新田洋介と言います。凛とお付き合いをさせて頂いております」

「そうなんですか。樋口さんも隅に置けませんね」

 なぜか馴れ馴れしい。初めまして、という挨拶といい、凛とこの谷口健吾という男の関係はなんなんだ。

 

「新田君。ちょっと良いかしら」

 そんな凛と谷口健吾の会話に混ざっていたら、舞台上に立つ凛の母親に呼ばれた。

「初めまして。凛の母親の樋口葉と申します」

「は、初めまして」

 僕は緊張していた。凛の母親は娘の凛を芸能人にするのが夢だったと言っていた。その足がかりのお天気キャスターを降板になったのは僕の責任だ。あの日、僕が飲酒しなければ凛も飲酒しなかったはずだからだ。

「そんなに緊張しなくても良いわよ。凛がお天気キャスターを降板になった時に一緒に居た方よね?でもあれは凛自体が引き起こした事なんだから」

 僕の考えていることは全てお見通しと言うような口調でそう言われてさらに恐縮してしまった。

「あの時の事は本当に申し訳ないと思ってます。僕がお酒を飲まなければ……」

「だからその件はもう怒ってないから。実はちょっと手伝って欲しいことがあるの。私の息子、谷口健吾を降板させて欲しいのよ」

「え?」

 実の息子が男優になることを母親は望んでないのか?凛にはそうさせたがっていたのに。僕が驚きを隠せないでいると、それもお見通しといった感じで理由を教えてくれた。

「あの子、健吾には芸能界に入って欲しくないのよ。凛の時は必死で芸能界にって思ったけども、その反面、芸能界の汚い部分も沢山見てきた。だから健吾にはその世界に身を置いて欲しくないの」

 それを聞いた僕は思った。凛は良いんですか?その薄汚い世界に娘が居ても良いのか?と。思わず口に出しそうになったけども、稽古の合図がかかったので、僕は軽く会釈をして凛の元に向かった。

「なんだって?」

「ちょっとな。凛には話しても良いのか分からんからちょっと待ってくれ」

 凛は察したように承知してくれた。しかし、仮に僕と樋口葉さんだけの秘密にした場合、僕はどうやって主役を降板させることが出来るのか。薄汚いスキャンダルでも作れば良いのか?でもそれを嫌って降板を望んだ凛の母親の望むものじゃないだろう。

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