【第十六話】
さて。どうしたものかな。凛はあんなこと言ってるけども、本当は舞台に出たいんじゃないのかな。谷口さえいなければ。と言っても僕を誘ってるのは谷口だからそれを排除するなんて僕には出来ないけれども。そう言えば今回の舞台には溝口さんは出るのだろうか。なんだか知り合いが一人もいないのはやっぱり不安だ。といっても溝口さんとも知り合いと呼べるような関係でもないけれど。
「返事、聞かせて貰っても良いかな?」
なんだかんだ考えてるウチに一週間があっと言う間に過ぎ去って回答の期限になってしまった。いつもの珈琲店で待ち合わせて一緒に入って行ったら、三木谷ちゃんが誰?と言った顔をしながらも席に案内してくれた。確かに誰?だよな。
「結論から申し上げてもよろしいでしょうか?」
「その方が助かるかな」
「お受けいたします。でもどこまで出来るかは保証出来ませんので、ダメだと思ったらいつでも降板致します」
「ふふ。私の目に狂いはなかったかな。今のような感じで話せれば問題ないよ。それじゃ、週明けから練習が始まるから、ここに十三時に来て欲しい。良いかな?予定は大丈夫かな?」
「大丈夫です」
そう返事をしたら谷口は満足そうに珈琲を飲み、適当な世間話をして用事があるので、と言ってお代を置いて店を先に出てしまった。
「洋介先輩、あれ、誰です?」
僕が追加でスイーツの注文をした時に三木谷ちゃんに聞かれた。気になるよね。あんなオジサンの知り合いなんて今まで登場してこなかったからね。
「舞台演出家の人。なんか次の舞台に僕を出演させたがってて。面白そうだから承諾したところ」
「え⁉洋介先輩役者になるんですか⁉」
「そうなるな。と言っても素人を演じるらしいから、普段の自分のままでいいらしい。それは演じると言うのか……」
「なんかそれってものすごく難しい役柄じゃないですか?」
「凛にも同じ事を言われたよ。でも、こんな機会なかなかないだろうから。ダメだと思ったらいつでも降板オーケーらしいし。とりあえず練習に行ってみるよ」
週明け。今日の午後から舞台の練習が始まる。全体の練習も今日が初日らしいので役者全体で挨拶があるそうだ。僕は楽屋に一人ちょこんと座っていた。他の出演者は共演したことがあるのか、はたまた養成所の知り合いなのか和気藹々としている。
「あの……新田さん、ですよね?」
「ん?あ、溝口さん。お久しぶりです」
「新田さんって役者さんだったんですね。あの時も演技されてたんですか?あのバイト、演技の練習に持ってこいですものね」
「そうですね。演技はしていませんでしたが、相手の空気に合わせるのは演技の練習には良いかも知れませんね」
「まぁ、なんにしても、今回はよろしくお願いします。私はずぶの素人なので、ご迷惑をお掛けしたら申し訳ありませんが」
「谷口さんの仕業ですね?」
「よく分かりましたね。そういう人なんですか?」
「ええ。私の父ですから」
ん?え?なんて言った。私の父って言ったよな。凛の父親なんじゃないのか??
「ええっと。こんなことを聞いても良いのか分からないけど、谷口さんって結婚されてますよね?」
「ええ。そうですね。でも私が役者として独立した後なので、結婚相手の連れ子さんには私の存在は混乱の元なので伏せてありますけども」
「その連れ子って誰か知ってるの?」
「ええ。知ってます。樋口さんですよね。まさか樋口さんまで同じ舞台に出ることになるなんて思ってもみなかったです」
同じ舞台?凛が突然降板した舞台には溝口さんは出演してなかったような……。
「うっす。洋介。一人、じゃなさそうだな。こちらは……ってこの前の依頼者さん。じゃないの」
「うっす、じゃなくて凛がなんでここにいるの」
「なんでって出演者だから?」
よく分からない。出ないんじゃなかったのか。
「なんかねー。谷口が必死に頼んでくるもんだから承諾しちゃったのよ。暇だったし」
「暇で舞台の役者なんて受けるなよ……」
オーディションを勝ち抜いた出演者からの目線が気になる。僕もオーディション会場にはいなかったし異質な存在なのかも知れない。
「よし!みんな集まってくれたね!まずは自己紹介からかな。っと、その前に。今回の舞台には招待者が二人いる。こちらの樋口凛さんと新田洋介くんの二名だ」
楽屋がザワついた。無理もない。この前の舞台で突然降板した凛が再びノーオーディションでやって来たのだ。それを知っている役者もいたらしく、ヒソヒソと話しをしている。こんな中本当に大丈夫なのだろうか。他の役者との確執とか出来ないのだろうか。などと心配していたら凛が突然大きな声で宣言した。
「先日はすみませんでした!知ってる方もいると思うので、ここで謝罪させて下さい!」
先手を打ったのだろうけど、ますますざわつきが広がる。どこまで図太い神経をしているのだろうと思われたのだろうか。でもおかげで、僕の存在は薄れたのが分かった。
初日の稽古は台本を見ながら他の役者さんとの読み合わせで終わった。演技とかそういうのは無しで良いよと言われているものの、他の役者さんとの差を感じてしまって本当に自分で良いのかと思ってしまった。自分の役柄は結構物語のキーになる人物のようだったし。
「お疲れ様」
「ああ、溝口さん。本当に私は大丈夫なんでしょうか。周りの役者さんに迷惑をお掛けしてないでしょうか」
「大丈夫よ。みんな、この舞台は初心者なんだから。だから初演の時と千秋楽の時で演技が全然違ったりするものだし」
そんなものなのだろうか。僕は台本を家に持ち帰って内容を読み返した。僕の役柄はずぶの素人なのに学園祭の演劇に急遽の代役で出演するという設定。千秋楽に向けて上手くなってしまったら舞台上での素人感が薄れてしまうのではないか。などと上達することを前提に考えてしまった。そんなことはないと思うのに。
「凛はどんな役なの?」
「台本見てるんでしょ?生徒会長の役。だから結構台詞が多いかな。洋介もそれなりに多いけども本当に大丈夫なの?」
「なんだよ、今さっき大丈夫っていってただろ……」
そんなことを言われて、更に不安が高まる。でもまぁ、なるようになるしかないでしょ。それに、僕にはもう一つ気になっていることがある。谷口の娘という溝口さん。谷口の結婚相手の連れ子だった凛。溝口さんは谷口の連れ子なのかな。凛がその事を知らないところを見るとそんな感じなんだろう。
「洋介先輩、練習どうなんですか?」
いつもの珈琲店で台本を読んでいたら、バイト上がりの三木谷ちゃんが向かいの席に座ってきた。
「ん?まぁ、大丈夫かどうかよく分からないけど、台詞を覚えるので必死なくらいかな。明日台本を見ながらの通し稽古があるんだけど、どこまで演技ができるのか不安になってきてるところだ」
「なるほどー。私は絶対に見に行きますので。チケット下さいね」
「売りつけてやる」
「えー。下さいよぉ」
「とまぁ、そんな感じの会話もある」
「わ。わ。いまの演技だったんですか?全然分からなかったです。洋介先輩才能があるんじゃないですか?」
「だと良いけどね。今の僕は他の役者さんの迷惑にならないように、ってので必死だよ」
「あ」
急に三木谷ちゃんが声を上げたので、その目線の方向を見ると小野寺さんと神谷君の姿があった。どっちの小野寺さんだ……。相変わらず見分けがつかない。制服だから余計に分からん。
「小野寺さん。こっちこっち」
「二人の時間を邪魔するなよ……」
なんて言いながらも、今の状況がどんな感じなのか僕も気になったのは内緒だ。
「ねぇ、今の二人ってどんな感じになったの?」
「そうですね。私は双葉なのでよく分からない感じです。今日もその相談に乗る為にお店に」
あ、双葉ちゃんなんだ。
「神谷君は若葉ちゃんと双葉ちゃんの違いが分かるようになったの?」
「ええ。なんとなくですが。今のところ話しかけるので間違えた事はありません」
それは凄いな。と言うよりも小野寺姉妹が騙して様子を伺ってる可能性も捨てきれないけども。
「それで、神谷君の今日のお悩み相談はなんなの?」
「それが……お恥ずかしい内容なんですが、手を繋ぐタイミングってどんな感じが良いのか、という内容でして」
それは確かにお恥ずかしい内容だな。そんなの自然にやれば良いのに。僕と凛も手を繋ぐのは自然にいつの間にかって感じだったぞ。意識をしてって感じじゃなかったし。その事を言うと樋口先輩は積極的だと思いますので、と言われてなんとなく納得してしまった。よくよく考えたら自分から凛の手を握ることが出来たかと言われると、確かにきっかけに困るかも知れない。
「新田先輩は三木谷先輩と何の話しをしていたんですか?密会ですか?」
神谷君も言うようになったじゃないか。イタズラそうにそう言ってきたので、僕は「そうだよ」と返したら、三木谷ちゃんもそれに乗っかってきたものだから後に引けなくなってしまった。
「もしも私がまた洋介先輩のことが好きって言ったらどうする?って話しです」
あ。そういう設定なんだ。これはちょっと困るけども、演技の練習には丁度良いかも知れない。小野寺さんと神谷君を無事に騙せれば成功かな。
「あれ。そうなんですか?」
「神谷君、やけに素っ気ないね。もっと反応があると思ったのに」
三木谷ちゃんの事をあんなに好き好き言ってたのに。男子はやっぱり目の前に自分の事を好きと言ってくれる存在があったらそっちに気持ちが奪われるものなのかな。と僕に凛という存在がいなかったら三木谷ちゃんと付き合ってたのかも知れないと考えてしまった。
「で?手を繋ぐタイミングだっけ?」
「あ。はい。三木谷先輩と新田先輩はどんな風に手を繋いだんですか?」
高校生時代の話だからなぁ。確か、あの時は……。
「新田先輩は女の子と手を繋いだ事ってあるんですか?」
「何だやぶから棒に。必要がなかったからな。無いぞ」
「じゃあ、私がその始めてを奪ってあげます。手。出して下さい」
「ん?じゃあ。はい」
「素直でよろしい。それではお手を拝借しまして……」
小野寺ちゃんは僕の手を両手で包み込んだ後に片手に持ち替えて歩き出したのを思い出した。女の子の手はこんなにも小さくて柔らかいものなのか、と思ったのが第一印象だ。結構鮮明に覚えてるものだな。その事を神谷君に話したら、若葉ちゃんからそんなことを言われる事なんてなさそうで参考にならないと言われてしまった。逆のことをすれば良いと思うけども。
「それじゃあ、神谷君、手を出して」
「え?ああ」
双葉ちゃんに言われて机の上に両手を差し出した神谷君、その右手を両手で包み込む双葉ちゃん。
「え?なになに?」
「ほら。結構簡単ですよ。手を出して。って言うだけですから。それにこれでミッションはコンプリートですよ」
ん?ミッションコンプリート?
「あれ。もしかして双葉ちゃんじゃなくて若葉ちゃんだったりする?」
「んー。どっちでしょう?」
僕が神谷君の方を見たら、少々の困り顔。これは判断しかねてるって感じだ。自分は双葉ちゃんのつもりで相談に乗って貰ってた相手が実際は当の本人、若葉ちゃんの可能性もあるわけだ。何にしても女の子と手を繋ぐというミッションは達成できた訳で。しかし、これは若葉ちゃんなのか双葉ちゃんなのか。僕が考えていたら、三木谷ちゃんが双葉ちゃんと名乗る小野寺さんの両脇に手を突っ込んだ。
「ひゃう!」
「あーこれは双葉ちゃんですね。この前同じ事を若葉ちゃんにやったらそんな反応じゃ無かったですし」
それは……。男子には出来ない確認方法じゃないの……。女の子の脇にいきなり手を突っ込むとかスケベ以外の何物でも無い。なんにしても目の前にいるのが双葉ちゃんってのが確定したのでそれで。
「でもそれって、神谷君の初めてを双葉ちゃんが貰っちゃったってことになる?」
僕はちょっと心配。このことで小野寺姉妹が喧嘩でもしないかと。
「そうですね。ちょっとズルいかも知れませんね」
ズルい?これはまさか……。いやいやそんなねぇ。姉妹で取り合いなんてことは……。
「でさ。僕は今まで演技してたつもりなんだけども、どうだった?」
「え?そうなんですか?台本にこんな感じの事が書かれてるんですか?」
「いや。自分の中でこれは演技って考えながら喋ってた」
「完璧じゃ無いですか。いつもの新田先輩かと思ってました。本当に素人なんですか?」
これはなかなか。イケるのかも知れないな。などとこのときは思っていたんだけども。
「すみません!」
「いいよいいよ。初めてなんでしょ?そう堅くならないで。僕たちと普通に会話してくれればそれでオーケーだから」
とさっきから共演者の役者さん達に同じような事を言われている。舞台に立っていない、スタジオでの読み合わせなのに、台詞を噛みまくりで迷惑ばかりかけている。でも三回程度話していたら幾ばくか自然に話せるようになってきた。台詞って考えるから緊張するんだ。会話だと思えば……と思って同じ趣旨の内容を自分で言いやすいように言い換えて話したら結構すんなりと行けた。
「お。新田君はアドリブとかイケちゃう方なのかな?」
谷口さんに言われて、アドリブと言うよりも台本通りの方が難しいと答えると、台詞の趣旨が合わなくならなければそれで良いよ、と言ってくれた。話し相手の役者さんも同じような事を言ってくれたので、少し気が楽になったかな。
その日の稽古が終わってスタジオを凜と溝口さんで出て来たんだけれど、この二人、姉妹になるんだよなって思ったら、こっちが妙に心配になってきた。このことを知っているのは自分と谷口さんだけのような気がしたからだ。あ、凛の母親も知ってるか。
「洋介、今日の稽古良い感じだったじゃない」
「そうなのか?周りが僕に合わせてくれてる感じだったけども」
「どうしようもない役者の場合、合わせる事すら困難なものだよ」
などと凛に言われて少し自信が湧いたけれど、初心者であることには変わりない。溝口さんに今日の僕はどうだったのか聞いてみたけども、凜と同じような反応でなんか気を使わせてしまってるなぁ、と思うのであった。




