人間は、ゴリラじゃない
――こんな事を期待した人はいないでしょうか?
『インターネット上で様々な人が意見を言い合えば、やがてはより適切な意見が醸成され、生き残り、それが社会に反映される事で、社会はどんどんと良くなっていく……』
もちろん、現実を観れば、これが非常に甘い想定である事は明らかです。極限れた範囲ではそのような現象が起こっているようですが、一般的な状況は程遠いものです。意見どうこうの前に、“くだらない嘘”や“誤魔化し”や“軽はずみな発言”が氾濫し、取るに足らない口喧嘩のような議論がどれだけ多いことか。その一方で、真っ当で建設的な意見が埋没してしまっている事だって大いに考えられるでしょう。
あまり注目されていないだけで、合理的で素晴らしいアイデアというのはあるはずなのです。例えば、社会全体がより豊かになるような。何しろ、何十億って規模の人がこの世界にはいて、その中にはとんでもなく頭の良い人だってたくさんいるのですから。
もちろん、建設的な議論が交わされ相互作用し合えば、個人のアイデアを超えた発想力をネット全体が発揮する可能性だって大いにあり得ます。そして、優れたアイデアを発信している人がいる以上、今はそうなっていなくても、ネット上をそういった“優れたアイデアが醸成される場”にできる潜在力を人間社会は秘めているはずなのです。
――では、一体、その為にはどうすれば良いのでしょうか?
ツィッターにしろ、BBSにしろ、そこに氾濫する主張をざっと眺めてみると、ある特徴がある事に気が付きます。反論があまり意味を為していないのです。
例えば、あるAという人の主張に対して、誰かが適確な反論をしたとします。普通の議論ならその反論に応えられなければ、それは論破された事を意味します。Aという人は意見を変えるか、または誰も彼の意見を認めなくなるというのが、正常な議論のあり方でしょう。
しかし、ネット上ではこれはあまり起こりません。
仮に完全に論破されたとしても、Aという人が同じ主張を繰り返し投稿する、というケースが多く観られるのです。そしてだからこそ、そのAという人の主張は非常に目立ってしまいます。更に残念ながら、ネット上においては“目立つこと”が非常に重要であったりもするのです。だから、悪くすれば間違った意見を多くの人が信用してしまったり、そうでなくても、その議論自体をほとんどの人が重要視しなくなるという現象が起きてしまうのです。
この問題を解決する為に、直ぐに思い付くのは『意見を集約してしまえばいい』ということでしょうか。
同じ意見だったなら、その人が何回意見を発しようが一つと見做すのです。たくさんの人が主張しているからといって正しいとは限らないのは今更語るまでもない事実ですし、そもそも“新しい優れたアイデア”というものは少人数しか意見を発していないはずですから、ここでは人数や投稿回数は無視します。
そして、もちろん、その意見に対する反論は直ぐに分かるようにします。反論に何も返せていない内容は、信用するに値しないと多くの人がそれで判断するでしょう。多くの反論に耐え、生き残った意見は“正しいと認める価値がある”可能性が大きいはずです。更に、それだけではなく、互いに意見を補い合えるようにすれば、もっと素晴らしいアイデアがそこで醸成されるようになる事も期待できるでしょう。それで、社会はより良くなっていくはずです。
どうです? こう考えてみると、是非とも実現させるべきシステムのように思えてきませんか?
――ただ。
これを実現するにあたって、一つ大きな問題があるのです。
何処にも、こんな事を実現してくれそうなツールは存在しないのですね。……まぁ、もっとも、今のところは、ですが。
それは、人工知能を用いた新たなシステムでした。人工知能がネット上に投稿された様々な意見を集め、集約し、しかも出鱈目に氾濫してあるように見えるそれを、(やや、おかしな部分もあるにせよ)一応文脈として成立した文章で出力してくれるのです。
ビッグデータ自動解析テキスト出力ツールと名付けられたそれは、『ビッグ・テキスト』という愛称で呼ばれ、ここ最近、大いに注目を集めていたのでした。
――そしてその時、『ビッグ・テキスト』は、“差別問題”に関する様々な意見を集約し、その結果をネット上に誰でも閲覧できるように出力していたのです。
『人種差別問題や、民族差別問題。その他にも障害者差別問題や、血液型差別問題と色々あるが、はっきり言って、この問題は相当に根が深いね。
恐らく、それは人間の遺伝子に組み込まれているんだよ。遺伝子は繁栄する為に、自分とは“異なった遺伝子”を排除しようとする。そして“異なった遺伝子”を見分ける手段として恐らくは“見た目”を重要視するような仕組みになっているんだ。
だから、人間は差別を行うのさ。これはもうどうしようもない。何度だって永遠に悲劇は繰り返されるね』
それは“差別問題遺伝子原因説”の代表的な主張でした。もちろん、他にも多数の同様な意見がある訳ですが、比較的早い時期に投稿された内容で、かつ評価も高かった為に、『ビッグ・テキスト』によってこれが選ばれたのです。
それに対して、進化に論拠を求めるのはもっと慎重にあるべきだという反論が上がりました。進化には無意味進化も効率の悪い進化も悪方向の進化も有り得るからです。それは飽くまで参考意見にしかなりません。しかし、そこでこんな意見を『ビッグ・テキスト』は拾って来たのでした。
『粗暴な印象を受けるが、ゴリラは実は温和で繊細な動物だ。が、その温和で繊細なゴリラは“子殺し”を行う。オスがメスが育てている別のオス・ゴリラの子を殺してしまうのだな。
何故か?
子供がいなくなると、メスの出産準備が始まるからだ。つまり、オスは自分の子を産ませる為に“子殺し”をするってワケさ。しかも、メスはもちろんその“子殺し”に抵抗するんだが、殺されてしまうとしっかり発情する。まぁ、子供を殺されてしまった以上、メスだってそのオスの子を産んだ方が、自分の遺伝子を残せる可能性が大きくなるからな。
もう一度断っておくが、ゴリラは温和で繊細な動物だ。なのに、そんな野蛮な事を行う。つまり、遺伝子はそれだけ生物の行動を支配しているって事だよ。
これは人間だって例外じゃない』
それは非常に説得力のある意見でした。これが投稿された当初は、誰もそれに反論しようとはしなかった程です。ですが、そのうちに一つの反論が上がりました。
『人間は、ゴリラじゃない』
それはただそれだけのものでした。その投稿者がどんなつもりでそれを投稿したのかは分かりませんが、或いはふざけただけだったのかもしれません。『ビッグ・テキスト』には悪ふざけかどうかは判断付きませんから、時折、そのような意味もない投稿も拾って来てしまうのです。
取るに足らない内容のように思えますが、放置しておくと『ビッグ・テキスト』上では論破された事にされかねないからか、誰かがそれに反論しました。
『確かに人間はゴリラじゃない。だが、遺伝子の影響を強く受けるという意味では同じだ。ゴリラの事例は、人間を考える場合にだって使える』
ほとんどの人がそれでその『人間は、ゴリラじゃない』という投稿に対する議論は終わるだろうとそう思っていました。ところが、それを切っ掛けとして、更に反論が上がってしまったのです。
『いや、人間とゴリラはあまりにも違い過ぎるよ。ゴリラの話を人間にも当て嵌めるっていうのは少し乱暴じゃないか?』
ブレインストーミングという議論の手法があります。これはどんな滅茶苦茶な意見でも良いので、取り敢えず発言してみて、そこから様々な発想を引き出そうというものです。この『人間は、ゴリラじゃない』からの議論の派生は、或いは、図らずもそれと同じ事を『ビッグ・テキスト』を通してやったという事にになるのかもしれません。
兎にも角にも、それから“差別問題遺伝子原因説”への反論が始まりました。
『そうだ。ゴリラはハーレム制だが、人間は一夫一妻制だ。ハーレム制の動物は、雄の方が大きくなる傾向にある事から、人間もかつてはハーレム制を執っていた可能性が言われているらしいし実際に多くの社会でハーレム制が認められてもいる訳だが、それでも実質的にはほとんどが一夫一妻制だ』
『問題はハーレム制どうこうではなく、遺伝子の影響の大きさだろう? 論点がずれているよ』
『いいえ、ずれていないわ。何故なら、人間は“自分以外の遺伝子を持つ者”に対して非常に寛容な性質を持っているから。そもそも“子殺し”を行うゴリラは繁栄に成功していないじゃない。絶滅しかけてすらいるわ。なら、その“子殺し”という行動は、遺伝子の執る方略として、それほど優秀じゃないのかもしれない。
……それが、本当に遺伝子の影響だったとして、だけどね。
“子殺し”を行うという事は、それはそのままその動物の生体数を減らす事を意味する。確かに、オス一体に注目をするのなら、他のオスの血を引き継ぐ子供は邪魔でしかないかもしれないわ。
――でも、種全体を捉えるのならどう?
子供は共同体全体の資源で、だからこそ共同体全体で保護すべきもの。そうした方が、種全体は繁栄すると思わない? 当たり前だけど、皆で子供を守り育てた方が、種全体の数は増えるもの。
昔は人間の基本スタイルは核家族だと思われていたらしいけど、ここ最近はむしろ共同で生活を支え合っていたケースの方が多かったのじゃないかって言われるようになって来ているわ』
その意見を『ビッグ・テキスト』が拾って来る段になると、“差別問題遺伝子原因説”賛成派の意見は随分と減っていました。いえ、本当は投稿されていたのかもしれないのですが『ビッグ・テキスト』は“同じ意見”だと判断するとそれを拾わないのです。
しかし、それから一つだけ“差別問題遺伝子原因説”賛成派の意見が載りました。
『親が子を殺す割合が多いのは、養子だって言うぞ? これは養子は遺伝子を引き継いでいないからじゃないのか? なら、人間にだって似たよう性質があるのかもしれないじゃないか』
すると、先と同じだろう女の人が再び投稿をしました。
『私は何も遺伝子の影響を根本から否定している訳じゃないわ。確かにその影響を人間は受けているのでしょう。その所為で、差別を行ってしまうって要因はあると思う。
――でも、それは運命決定因子なんかじゃない。充分に人間社会の行動によって、乗り越えられる範疇の支配力でしかない。少なくとも、私達はそう信じて行動すべきだと思う』
それからしばらくの間がありました。“差別問題遺伝子原因説”賛成派も反対派も何も新しい意見が出ないのか、『ビッグ・テキスト』が記事を拾って来ないのです。
ところが、本当は記事は投稿されていたのでした。『ビッグ・テキスト』が、同一の議論のものだと判断していなかっただけで。投稿者はやはり先と同じ女性の方のようでした。
『白人と黄色人種には、ネアンデルタール人の遺伝子が混ざっているそうよ。どんな経緯でそんな事が起こったのかは、想像に頼るしかない訳だけど、少なくとも、我々の先祖はネアンデルタール人との間に生まれた混血児を全て殺す事はなかった。
確かに差別問題は人間の遺伝子に原因の一つがあるのかもしれない。だけど、こういう事を考えると、少なくとも希望はあると思うの。
――人間は、ゴリラじゃない。
だから、他人の子供だって、他種族の子供だって殺したりしない。完全ではなくても、ある程度は、私達は差別問題を克服できるはず……』
因みに、この記事を拾って来たのは、『ビッグ・テキスト』ではなく、人間でした。『ビッグ・テキスト』はこの記事の有意性を見抜けなかったのです。人工知能といっても、決して万能ではないようですね。
……こういう事に、少しばかり安心感を覚えてしまうのは、やはり僕が人間だからなんでしょうか?
僕は人工知能を“差別”しているのかもしれません。




