表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

90/100

優しく残酷な拷問

 私の名前はライアン・オーガという。軍人だ。私の肉体には長年の軍人生活によってできた傷が至る所にある。指は三本ない。顔の半分は火傷で覆われていて、背中から腹にかけて長く伸びた斬られた傷痕がある。当然、その数々の傷に相応しい武勲を上げいるが、それ以上に私を有名にしたのはどんな拷問を受けても決して屈しないその姿勢だった。私の肉体の傷のうちの半分以上は、敵軍に捕まった折に拷問によって受けたものだ。私は一度も拷問に負けて口を割った事がない。私はそれを誇りにしている。だから、私にとって肉体に残る傷痕の数々は勲章のようなものなのだ。

 私がその作戦に志願したのは、安寧として老後を生きるに甘んじたくはなかったからだった。私は根っからの軍人であり、戦場にこそ生きる意味を見出している。例え衰えたとしても少しでも祖国の為に尽くしたい。我が民族こそ世界で最も優秀であり、世界を支配するに相応しいのだ。その為には我が命、少しも惜しくはない。

 恐らくは、上層部がその私の志願を認めてくれたのは、私なら仮に失敗して敵国に捕まったとしても口を割らないと信頼してくれているからだろう。上層部は、私の能力を知っているのだ。実は私は痛覚をコントロールできるのである。どれだけ肉体を傷つけられても意識的に痛覚を麻痺させる事ができる。それが私がどんな拷問にも屈しなかった理由だ。だから私は、作戦が失敗し、深手を負って身動きもままならない状態で敵兵に捕らえられても少しも慌てはしなかった。もちろん、痛みを感じないだけで拷問によって肉体は損傷を受ける。重傷を負った私は場合によっては死ぬかもしれない。だが、それでも良いと私は思っていた。決して口を割らずに死んでいく、それこそが、私の最後の勲章となるだろう……

 だが、拷問は行われなかったのだ。

 

 私は地下の小部屋に幽閉された。しかし、それだけだった。敵は何を考えているのか、尋問すらしようとしない。私は拍子抜けしてしまった。舌を噛み切って死んでやろうかとも思ったが、それも何だか間抜けな気がする。ここは敵の出方を窺っておくべきかと判断し、しばらくが経つと、軍隊の拷問部屋にはまったく不釣り合いな人間が現れた。それは一人の大人しそうな女性だった。

 彼女はスープを持って来ていた。恐らくは私の食事係、いや、世話係なのだろう。彼女はどうやら口が利けないらしく、一言も喋らないで手振りだけで私にスープを飲むようにと示して来た。私はそれを拒絶し、払い除けた。別に餓死してやろうと思った訳でも、毒が入っているのを疑った訳でもない。ただ単に馬鹿にでもされたような気分になったから反発しただけだ。皿はひっくり返り、スープの中身が床に散らばった。それを見て、スープを持って来た女性は酷く恨めしそうな表情で私を見た。

 それから数時間が経って、再び彼女は現れた。今度はスープとパンを持って来ていた。私は再びそれを払い除けようとしたのだが、そこで彼女は数枚の写真を私に突き出すようにして見せて来たのだ。そのどれにも痩せこけた子供が写っていた。どんな意味があるのかと訝しく思ったが、抗議するような彼女の視線を見て気が付いた。

 戦時下の今は貧困が蔓延し、食糧が不足しているのだろう。その所為で飢えた子供がたくさんいるのだ。その貴重な食糧を、私はさっき無駄にしてしまったのである。それが彼女には許せないのだ。

 なんだかそれを見て、私は力が抜けたような気がした。この女は、軍人である私が、敵国の子供を慮ると思っているのだ。別にそれにほだされた訳ではないのだが、私は彼女の持ってきた食糧を食べる事にした。私が食糧を食べる事で、この国の負担が増すのなら、それもまたある意味での攻撃ではないかと考えたのだ。

 私の心中など理解しようもない彼女は、それを見てとても嬉しそうな表情を見せた。

 彼女はそれからも私を世話しにやって来た。食事だけでなく、包帯を取り替えたり、身体を拭いてくれたり、部屋の掃除をしてくれたりもした。名前はどうやらイノマタというらしい。敵国の名前に興味はないが、あまり彼女のイメージとは合わない気がした。ただ、そこが却って彼女らしいとも思った。

 彼女はとても優しく柔和で包容力があったが、それでも何処かに強い芯を持っていると感じさせた。やはり彼女は声を発する事はできないようだったが、そのハンデを補って余りあるものを持っている。本当の人間のコミュニケーションに言葉など不要なのだ。私は強くそう思うようになった。

 時に彼女は私が退屈をしていると思ったのか、私の国の本を差し入れたりもしてくれた。陳腐な娯楽小説だったが、それでも大いに楽しめた。ある時は外を散歩する許可まで取って来てくれたようだ。大怪我を負っている私には逃げる事などできないが、それでも許可を得るのは大変だったろう。彼女は私を支えながら一緒に森の中を散歩をしてくれた。久しぶりに歩く外は楽しかった。例え、それが敵国の中であったとしても。

 どんな指示を彼女が受けているのかは知らない。しかし、そういった私を慮った行動は彼女の独断だろうと私は判断した。彼女はそういった性質の女性なのだ。

 

 そんなある日だった。目を覚ますと、軍服を着た男達に私は囲まれていた。その軍服は黒く、酷く禍々しく感じた。

 彼女との静かな生活の中で忘れかけていたが、今は戦時下で私は捕虜なのだ。その光景は私にその事を思い出させた。そして、夢から醒めたような気にもなった。

 恐らくは、これから私は拷問を受けるのだろう。何の事はない。彼らは私の肉体が拷問に耐えられないだろうと判断して、私の回復を待っていただけなのだ。

 構わない。

 彼女が折角癒してくれた身体を再び傷つける事になるのには少し抵抗があったが、それが軍人である私の運命だ。仕方がないだろう。

 ところがそう私が覚悟を決めたところで、部屋のドアが開いたのだ。

 そこにはイノマタがいた。彼女はその光景を見るなり、信じられないといった表情を浮かべた。そして、これから何が行われるのかを察したのだろう彼女は必死に何事かを身振り手振りで軍人達に訴え始めたのだ。私を護ろうとしているのだろう。私はそれを見ると静かに告げた。

 「彼女を部屋から出してくれ。私が傷つくところを見せるのは忍びない」

 ところが、それを聞くとリーダー格だろう男がこう言ったのだ。

 「その心配には及びませんよ、気高き軍人、ライアン・オーガ。私どもにはあなたを傷つけるつもりなどない」

 それは、とても不快な喋り方だった。

 「何?」と私が答えるのと同時だった。それからその不快な男は、彼女を、イノマタを、平手で殴ったのだ。殴られた彼女は、悲壮な目つきで男を見、それから他の軍人達にまるで助けを求めるような視線を送った。軍人達はその視線を無視した。

 私はその行動に驚愕した。

 「貴様! 何をしている? 一体、彼女が何をしたというのだ?!」

 蜥蜴のような表情で男は言った。

 「何もしていませんよ?」

 そして、その後で再び彼女を殴る。今度は拳で殴っていた。しかも数度。血が飛び散った。

 私は叫んだ。

 「やめろぉぉぉ! 殴るなら私を殴れ!」

 すると、不快な男は肩を竦めてからこう言った。

 「あなたを? そんな無駄な事はしたくないな、気高き軍人、ライアン・オーガよ。あなたは痛みを遮断できるのでしょう? だから、拷問にも耐えられる」

 そして、彼女をまた平手で殴った。彼女はその衝撃で床を転がった。彼女の顔が見える。全体が腫れ、鼻血が出ていた。

 「卑怯者! 悪魔め! 恥を知れ! 始めからこれが目的だったのだな? 痛みを感じない私をこんな方法で拷問する為に、彼女を私の世話係にしたんだ」

 「その通りですよ、ライアン・オーガ。私は卑怯者で、これは恥知らずで卑劣な私の策略だ。でも、どうします? あなたにはどうする事もできないでしょう。あなたが機密を喋らなければ、彼女は拷問を受け続けるんだ。あなたの代わりにね」

 そう言うと、男は今度は彼女を蹴った。

 「止めろ! 彼女もお前の自国民だろう? 傷つけて良いはずがない!」

 「それがそうでもないのですよ」と、不快な男は、不快な表情から、不快な声を出して言う。

 「彼女は喋らない。どうしてなのか、理由は分かりませんがね。そして、そういったハンデを抱えた人間を、我が国では差別しているのです。劣った人間だとしてね。だから虐待してもお咎めはなしだ」

 男はアハハハと笑う。やはり不快な笑い声だった。私は思わずそれにこう怒鳴っていた。

 「彼女が口を利けないから何だというのだ? そんなハンデがあったところで、彼女の素晴らしさは変わらない! お前らよりも彼女の方がよっぽど優れた人間だ!」

 ところが、それを受けると男は妙に嬉し気な表情を浮かべるのだった。そして、口の端を歪めて喋り始める。

 「おお、まったく同意見です。気高き軍人、ライアン・オーガよ。口が聞こえない、耳が聞こえない、目が見えない。そんなハンデが何だと言うのでしょう? そんな理由で彼女のような素晴らしい人間を差別するのは間違っている。つまり、我が国はとても愚かだと言えるでしょう」

 私はそれを聞いて訳が分からなくなった。この男の意図は何だ? そして、次に男はこう続けるのだった。

 「……だが、それは貴君の国も同じだ。ライアン・オーガ」

 囁くように。

 「貴君の国でも彼女のようなハンデを抱えた人間は差別されているはずだ。どうも、自国こそが一番だなどと主張している人間は似たような発想を持つものらしいですな。異なった存在を否定したがるんだ。よっぽど怖がりなのかもしれない」

 それから男は傷つき血を流している彼女を指さした。なんと残忍な!

 「お前らの国と一緒にするな! 我が国は……」

 「違うとでも仰られるか? ならば、こんな話をしましょう。半年ほど前、貴君の国は我が国の障碍者施設を爆撃した。そこには彼女のようにハンデを背負った人間達がたくさん暮らしており、多数の死傷者を出した。もちろん、誤爆でしょうが、その事を我が国から責められると貴君の国がどう弁明したか、ご存知か?」

 私はそれを聞いて黙った。知っている。我が国の上層部の人間は……。男はにやりと笑うと一呼吸の間の後で言った。

 「彼らは、ハンデを持った人間達は生きていても苦しむばかりだから、死ねてむしろ良かったとそう言ったのです。劣等種だから、と」

 私は目を瞑ると、顔を下に向けた。男を避けた訳ではない。彼女に、イノマタにはこんな話は知られたくなかったのだ。

 不快な男は私のそんな行動の意味を見抜いたらしくこう言った。

 「目を背けても無駄ですよ、ライアン・オーガ。彼女はとうにそんな事は知っている。あなたは気が付かなかったかもしれないが、実は彼女は右目の視力を失っている。何故だか分かりますか? その時の爆撃で右目をやられてしまったからだ。彼女もその施設の住人だったのです」

 私はそれを聞くと驚愕して男を見た。

 「嘘だ!」

 「残念ながら、本当です。いえ、仮に嘘だったとしてもそれが何だと言うのです? 彼女自身ではなくとも、実際に彼女のように苦しんだ人間がいたんだ。変わりません。

 貴君の国と我が国は同類ですよ。同じ様に醜く、同じ様に愚かだ」

 それを聞くと、私は自分の肉体の至る所にある傷痕を思った。

 これは本当に勲章なのか?

 男はまだ語った。

 「この世界は広い。戦争をせず、協力し合う事で我々よりもよっぽど発展している国々もあります。まぁ、当然でしょう。こっちは戦争によってお互いの足を引っ張り合っているのに、向こうはお互いの足りない部分を補い合っているのだから。勝負にもなりません。自国が最も優秀だなどと主張する輩は、根本から勘違いをしているのですよ。そもそも優劣など簡単に決められるものではない事すらをも知らないのだから」

 それから男はそれまでの悪魔的な口調を一変させて静かに私を諭し始めた。

 「気高き軍人、ライアン・オーガよ。どうかよく聞いて欲しい。

 私の国も貴方も国も全く素晴らしくなんかない。貴方が命を懸ける価値なんてない。知っていますか? 戦争の為に浪費した資源を使えば国民の暮らしはもっとずっと良くなるのですよ? イノマタは、たくさんの子供が飢えている事に心を痛めていました。この国では餓死者まで出ているのです。もし戦争を終わらせられたなら、彼女はきっと仕合せに笑う事ができる。子供達が救われますから。認めましょう。こんなバカげた戦争なんて終わらせなくてはならないんだ。

 どうか貴方の知っている機密情報を教えてください。私はこの通りの卑怯者だ。それを使って、必ず停戦に持ち込んでみせる」

 私はそれを項垂れたままで聞いていた。こう言う。

 「我が国の国民を傷つけないと約束できるか?」

 「はい。できる限り平等な条件で戦争を停止させましょう」

 「彼女……、イノマタの願いを叶えてやってくれ。お前の言う通り、彼女は飢えた子供達を救いたいと願っている」

 「もちろん。停戦に成功したなら、まず最初にやるべき事は食糧不足の解消です」

 それを聞いて私はしばし黙った。それから息を吐きだすように言う。

 「分かった。機密を教えよう」

 

 まさか、自分の肉体の至る所にある傷痕の数々を恥ずかしく感じる時が来るとは思わなかった。

 これは、なんと、優しく残酷な拷問だろう。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ