浮遊
私が彼女に興味を覚えたのは、彼女のその不可思議な感覚に惹かれたからだった。
奇妙な事を多く言う女性なのだ。
彼女は、研究所の職員をしている。そして、彼女はほとんどその研究所から出る事をしない。毎日、その中で暮らしている。
私には、そんな彼女の生活の理由が理解できなかった。
彼女は何故、そんな暮らしをしているのだろう?
彼女は私に、こんなような話をした事があった。
我々の体を構成している器官達は、極論を言えば、それぞれを別の生物とみなす事ができる。
心臓、肝臓、肺、などなど、そして脳も、もちろん。
彼女はそれを宇宙服を着てるようなモノだと表現した。
宇宙の真空の中で、人が、生存できる空間を維持する為に、宇宙服を着ているのと同じ様に、この私達が潜んでいる、脳も、周りにそれら別の生命達を張り巡らせて、自分が生存できる空間を維持しているのだ、と。
脳が存在できる空間。
それは、原始の海。生命のスープ。我々は、その体の内に、原始の海を閉じ込めているのだ。
そして、彼女はこんな事も言った。
『あたしはね、趣味なんてモノはほとんど持っていないけれど、一つだけ楽しみにしている事があるの。それはね、浮かぶ事。何もかもを脱ぎ捨てて、裸になって、エディアカラ動物群の動物達にでもなった気になって、生命力にあふれた場所を、プカプカと浮かぶ事……、
とても、素敵な気分になれるのよ』
原生代末のベンド紀(7〜6億年前)に、栄えていたらしい、エディアカラ動物群。この動物群には、肉食動物が存在せず、身を守る必要のなかった彼らには、固い皮膚が存在しなかったのだという。
海の中を、外敵から身を守る必要もないまま、柔らかな体で、彼らは、漂っていたのだ。
………。
私は、その話を聴いて、妙な点がある事に気が付いた。
彼女は、ほとんど、この研究所から出る事をしないのだ。では、一体、どうやって、彼女は、楽しみにしているという、その浮遊を行っているのだろうか?
バスタブでは、狭過ぎる。
私は、好奇心を刺激された。
………。
私は、その日、すべての作業行程が終った後で、研究所の一室に潜んでみた。
その研究室には、培養液を浸した大きな水槽があったのだ。
それだけの大きな水槽は、研究所内でも、この研究室にしかなかった。
どれくらい待っただろうか。何時頃なのかは分からない。深夜になって、ドアが開いた。
観ると、彼女が入って来ていた。
私はゴクリと息を飲み込んだ。
彼女は水槽に向かって歩きながら、衣服をするりと脱いでいった。
裸身を曝す。
そして、そのまま水槽の前まで来ると、彼女は、今度は、パカリ、と、自らのその頭蓋を割った。その動作は、まるで何でもない当たり前の行為であるかのように、自然な流れで行われていた。
衣服を脱ぐという行為の延長線上に、その行為はあるかのようだった。
割れ目からは、ピンク色の皺が見えていた。脳が覗いていた。
彼女は、それから、ゆっくりとした動作で、水槽の中に向けて、頭を垂れた。
ズルリッ
そして、
彼女の、その中身が、水槽の中に流れ落ちるのが見えた。
彼女の体の方は、それからは少しも動かなかった。
そして。水槽の中には、プカプカと、プカプカと、彼女の脳が、彼女が潜んでいる、その柔らかな生き物が、浮遊していた。




