害虫であるはずのヤシゾウムシは
僕には子供の頃から変なモノが見える。
薄い青色のような灰色のような、おぼろげに人の形に思えるようなそうでないような、そんなモノ。
それは森の中にたくさんいて、別に何をするでもなくそこにいる。喋りかけても何も応えてくれないけれど、それでもそれは何かしらメッセージを発しているような気がしないでもない。
こんな説明じゃ、一体何なのか分からないかもしれないけれども、それはどうか許してほしい。なにしろ、僕にだってよく分かっていないのだから。
とっても幼い頃は、僕がそれを見えると言うと、周りの人達は優しく頷いてくれた。けれど、少しずつ大きくなるにつれ、そんな反応はしてくれなくなって、いつしか変な目で見られるようになった。
だから僕は、それのことを次第に言わなくなっていった。多分、それが見えるのは変な事なんだ。
ただ、
おばあちゃんだけは違っていて、おばあちゃんは僕がそれが見えると言うと、「それは大切なものだから大事にしなさい」とそう教えてくれる。何度言っても、いつも決まってそう言うんだ。
ある時、僕のいる村にプランテーションができた。ナツメヤシ、ココヤシ、アブラヤシ。そこでたくさんそれらを育てれば、僕らは大金持ちになれるんだって。どっかの都会の偉い人がやって来て、僕らに親切にそう教えてくれて、それを始める為のお金まで出してくれたんだ。“しほんきん”とか言うらしいよ。よく分からないけれど。
たくさんのヤシの実を植え始めると、その都会の偉い人達は、僕らに農薬とかいう薬を持って来てくれた。
それを使うと、ヤシに悪い事をする害虫をやっつけれくれるんだって。僕らにとっては平気だけれど、それらは虫にとっては猛毒で、だから虫だけを殺してくれるんだって。
「虫はやっつけないといけないんだ」
村の大人達は口々にそう言って、それを使い始めた。
特にヤシゾウムシは、ヤシの木を枯らすとても悪い害虫で、だから、絶対にやっつけないといけないのだって。
そう言われて僕は、そんなものなのかとそう思った。それまでは、皆は少しもそんな事は言っていなかったから、少し変だと思いはしたけれど、それでも皆がそう言うのなら正しいのだろう。きっと。
その農薬の力によって、プランテーションや近くの森のヤシゾウムシは、どんどんとやっつけられていった。お陰でヤシの木は問題なく育っている。たくさんヤシの実が取れて、たくさんお金が入って、皆は笑顔で大喜び。本当に良かったと思う。
けれど、何かがなんだかおかしかった。
森が少し変なんだ。静かと言うか、寂しいと言うか、冷たいと言うか。音が聞こえない。湿度が悪い。何かが圧倒的に足らないような。それに、村に植えてある果物が生らなくなってしまったんだ。自分達で花粉をつければ大丈夫だというけれど、前まではそんな事をしなくても果物は生ったんだ。
そして、しばらく“変だ”と迷い続けて、僕はある時気が付いたのだった。
そうだ。
アレがいない。
薄い青色のような灰色のような、おぼろげに人の形に思えるようなそうでないような、そんなモノ。
子供の頃から僕には見えていたアレが、今は少ししか見えない。森の中にたくさんいたはずなのに。そして、少しだけ残ったのもなんだかとっても弱っていた。
僕はどうしてなのかと思って、しばらく森の中を歩いてみた。そこでまた違和感。あれ? 森の中って、こんなにスイスイ進めるものだったっけ?
それで分かったんだ。
森の中の小さな木が少なくなっている。倒れて腐ったヤシの木もない。ああ、そうか。とそれで僕は気が付く。
ヤシゾウムシが、ヤシの木を枯らして倒してくれなくなったから、小さな木が成長できなくなってしまったんだ。それじゃ光があまり入らないし、土もあまり肥えないから。だからなのか、キノコとか、虫とかも随分と減ってしまっていた。
森が寂しくなるわけだ。
しばらく歩くと、あの変なモノがいた。とても小さく弱々しくて、僕が見ると何かを訴えかけて来るように手を伸ばす。
僕はなんだか可哀想になって、それにそっと手を伸ばしてみた。その時だ。生まれて初めてそれの言葉が分かった気がした。
「逃げろ」
それはそう言っているように思えた。
逃げる? 何から?
そう不思議には思いはしたけれど、僕には何の事なのか分からなかった。何の事かは分からなかったけれど、なにかとても不気味で不吉な気がした。とてもとても不気味で不吉な気がした。
空はどんよりと曇っていて、そろそろ激しい雨が降る季節になる頃だと僕は思い出した。
それから数日後、
濁流が村を襲っていた。いつもはこんなところまで流れて来ないのに、まるで滝の中みたいに荒れ狂っている。
僕らは押し流されていく、家や車やヤシの木々を、ただただ黙って丘の上から見つめていた。
変なモノが「逃げろ」と言ったとおばあちゃんに話したら、「今すぐに逃げろ」とおばあちゃんが言うので、皆で丘に逃げたんだ。そうしたら雨が降って来て、あっと言う間に村は押し流されてしまったのだ。
「どうして、こんな事に?」
村の大人達は口々にそんな事を言っていた。
それからしばらくが経って、なんだか偉い学者さんだとかいう人がやって来た。
「ヤシゾウムシは、ヤシの木を枯らして、土地を肥沃にする重要な役割を果たしてくれているのです」
その学者さんはそう僕らに教えてくれた。
「土地がそうして肥沃になれば、低木層が生い茂ります。その茂った低木層は、虫などの貴重な住処となるばかりでなく、土を支えくれてもいます。
ところがあなた達は、そのヤシゾウムシを駆除してしまった。結果として、土が細り、貧弱になった土は雨に勝てずに、濁流となって村を襲ったのですよ」
害虫であるはずのヤシゾウムシは、森の生態系にとってはとても大切なものであったらしい。
それからしばらくが経って、村の皆は農薬を控えるようになった。それでもまだヤシの木のプランテーションは元気に育っている。多少はヤシゾウムシの所為で枯れるようになってしまったけれどね。それに、村の果物も花粉なんかつけなくても生るようにもなった。虫がたくさん増えたからだって。
そして、あの変なモノは、再び森の中にたくさん現れるようになっていた。肥沃になった森の中で、小さな木や大きな木に囲まれて、何も言わないけれど、それでも何かを訴えかけてくるようなそんな感じで。




