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 何年前だったかな?

 あいつを初めて見たのは、学生食堂だったから三年以上前だ。まだ僕は学生だったって事だからね。

 その日、前日にちょっと夜更かしをしちゃった所為で、僕は朦朧とした状態で昼飯を食べていたんだ。多分、一番安い日替わり定食だったのじゃないかと思う。

 眠かった所為か、あまり食欲がなくってさ、豚かなんかの肉の切れ端を箸でつまみ上げて僕はなんとなくそれを眺めていたんだ。そしてその時、肘の下辺りに何かの気配がある事に気が付いた。

 目をやってみたら、なんと机の上に口が見えているじゃないか。

 え? ああ、その口だよ。歯があって舌があって顔についてて食べ物を食べたり飲み物を飲んだりする口。それが机にくっついていたんだ。

 へぇ、面白い事もあるもんだな……

 って、僕はそれを見て思ったよ。ほら、さっきも言った通り眠かったからさ、夢を見ているような気分でいた所為かあまり驚かなかったんだ。

 で、あまり食欲がなかった事もあって、僕はその時箸でつまみ上げていたその肉を、その口の中に放り込んでみたんだ。

 すると、その口はとても美味しそうにそれを食べるじゃないか。よく口だけであんなに表情が表現できるものだって僕は感心したね。それでつい楽しくなって、野菜とかご飯とかも食わせてみたんだ。最後にはお茶までその口に流し込んでやった。見事にその口は全て平らげたね。一体、どこに通じているのかってそこでようやく不思議に感じたけれども、まぁ、それほど興味はなかったから、どうでもいいかって特に気にしなかった。

 それから僕は「じゃあな」とその口に言って席を立った。

 それでもう会う事もないだろうと思っていたんだが、違った。その口はそれからも色々な場所で僕の前に現れるようになったんだよ。

 ほら、犬とか猫とかに餌をやると離れなくなるって言うけど、多分、それと同じじゃないかと思う。僕がまた食べ物をくれると思って付いてくるようになっちゃったんだよ。しかもだ、まぁ、面白がって少しずつ食べ物を食わせてやっていた僕も悪いっちゃ悪いのだけど、どんどんと現れる頻度が増えていったんだ。つまり、すっかり付き纏われちゃっていたんだな、僕は。

 で、流石に危機感を覚えたわけだ。

 “こりゃいけない。突き放さないと、永遠に食い物をねだられ続けるぞ!”ってね。

 で、そろそろ手を切りたいと思ってある時から一切何も食わせなかった。すると口は色々とアピールをしてくるようになった。僕の視界に入るように現れたり、パクパクと口を閉じたり開いたりしたり、酷い時には僕の腕を噛んだりさ。これがけっこう痛いんだ。どうやら声が出せないらしいのが救いだったけれど、それでもかなりうざかった。

 それでさ、堪え切れなくなった僕は、その口を追い払おうと思って、タバスコとかラー油とか辛い調味料を口の中に思い切り放り込んでやったんだ。すると、口のヤツは大いに悶え苦しんでいた。僕はそれを見ながら大笑いしてやったよ。

 まぁ、笑い終えた後で少しやり過ぎたかと後悔したけれど、自業自得だろう? いつまでも僕にたかり続けようとするのが悪いんだ。

 その時口は、憎々し気に口を歪ませてから、僕の前から消えていった。

 そして、それ以来、その口は僕の前に現れなくなったんだ。つまり、目論見通り追っ払えたのだね……

 今にして思えば、かなり不思議な体験だったなと感じるよ。

 

 ……僕がそう体験談を語り終えると、彼女は少し笑ってから「へぇ、面白いわね」とそう言った。

 きっと、作り話だと思われている。

 僕はそう考えたけれど、敢えてそれを口にはしなかった。どうせ暇潰しに話しただけだし、それでも構わないと思ったんだ。

 「ねぇ、なんでそんな話を今あなたはしようと思ったの?」

 それから彼女はそう尋ねて来た。

 「別に、なんとなくふと思い出したんだよ。それに何か話をしてくれって言ったのは君の方じゃないか」

 それはあるホテルの一室で、その彼女とは初めて二人きりになる。彼女はとても魅力的な女性で、どうして僕なんかに付き合ってくれているのかはよく分からない。

 「ふふ。そうね。とても面白かったわよ」

 それから、そう言って彼女は口を僕に近づけて来た。あと少しで僕に触れようかというところで、こう続ける。

 「ねぇ、その口ってどんな口だったの? 例えば私みたいな口?」

 僕は首を横に振った。

 「いいや、似ても似つかないね。君の口はとても小さくてキュートだけど、あの口は大きくてとても下品だった」

 「へぇ」

 と、彼女は言う。僕の唇にその口を寄せて来る。

 しかしその瞬間だった。彼女の口が突然変化したのだ。そして今でも鮮明に覚えている大きくてとても下品なあの口へと変わていったのだった。

 え?

 そう思った瞬間にはもう遅かった。口は僕の唇の前で大きくその顎を広げる。

 

 ――え?

 

 それから物凄く強い力で、口は僕の閉じた唇に噛みついて来た。唇がまるでビニールか何かみたいに弾けて、真っ赤な血しぶきが僕の視界に舞った。

 あまりの痛さに転げまわる僕を、彼女の顔の上で、口はさも楽しそうに笑っていた。

 よく口だけであんなに表情が表現できるものだなって、僕は何故かそれを見ながらそんな事を考えていた。

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