コメントが流れてくる
アクセス数が多い投稿サイトの動画。自分を映した映像なんかにたくさんの人がコメントをしてくれて、崇拝されたり荒らされたり擁護されたりで忙しない。
ああいうのって、映っている本人はどんな気分なんだろう? 大してイケメンでもないのにイケメンって言われたり、大して可愛くもないのに可愛いって言われたり。ネガティブなコメントもある訳だが、それらすらも心地よい嫉妬として受け止め、盲目になっている連中の野放図な褒めっぷりを疑いもせずに享受できるのなら、それはかなり良い気分なのじゃないかと僕は想像する。
羨ましくないと言えば嘘になる。
もっとも、僕が投稿できる動画なんて何にもないのだけど。もしやるなら、この日常生活をそのまま投稿するくらいしか考え付かない。
……まぁ、それじゃ、高アクセスにはならないだろうけど。
そんな事を考えていたある日だった。買い物を終えて家に帰る途中の僕の目の前に、不意にコメントが流れて来たのだ。“飛ぶ”ではなくそれは当に“流れる”という表現がピッタリで、見えないレールでも敷かれているのじゃないかと、僕は疑ってしまいそうになった。
それは、こんなコメントだった。
『買い物、おつ』
なんだこりゃ?
手で触れようとしても何の感触もなく、それは音もなく何処かへと流れていった。
もちろん幻覚だろう。それで終わってくれていれば、疲れているだけだと僕はそれを気にしないでいられたかもしれない。ところが、それを切っ掛けにしてそれから僕の目の前には、たくさんのコメントが流れてくるようになってしまったのだった。
夕食を食べていたら、『野菜をもっと食べた方がいいよ』とか、『美味しそう』とか、『どこが? まずそうだろw』とか。流れていくコメントを追いかけてみたのだけど、ある程度進むとそれは自然と消えてしまった。
まるで画面外に文字が去ってしまったかのように。
僕は自分の頭がおかしくなってしまったのじゃないかと思って不安になった。ネットで「幻覚を見る症状」を検索してみる。すると、それに反応して『おい、怖がっているじゃないか、やめてやれよ』とか『怯えているの可愛い』とか『ドSな奴がいるぞw』とか、そんなコメントが流れて来る。
検索してみても僕と同じ様な症状は一つも発見できなかったけど、最も疑わしいのはどうも統合失調症のようだった。統合失調症で見る幻覚には、例えば天地が逆転するような、常人の想像をはるかに超えるようなものまであるそうだ。なら、文字が流れてくる幻覚を僕が見るくらい不思議でも何でもない。
『自分が病気だってのは不安になるよな』
『意外に対応が冷静だw』
『この人、けっこうイケメンじゃない?』
その間にもそんなコメントの数々が流れてくる。
僕はそれから頭を抱えた。僕は一応は正社員だ。ただ、下っ端で大して重要な役割も果たしていないから、いつクビを切られても不思議じゃない。もし僕が統合失調症になったなんて知られたら、恐らくはもう会社にはいられないだろう。
どうにかこっそりこの事態に対応しなくてはならない。
それで僕は、ネットで相談を受け付けてくれている精神科医の先生にメールを送ってみたのだ。通院するだけの勇気はない事も正直に告白して。
するとその先生は「医者としては、通院する事を強くお勧めしますが」と断った上でこんなアドバイスを僕にしてくれた。
「実は認知療法が統合失調症にも有効である事が知られています。それを幻覚だと充分に理解自覚する事で、パニックに陥らず、対応する事が可能なのですね。あなたの場合、幻覚だという自覚は既にあるようなので、最も肝心なのは、必要以上に不安にならない事です」
僕はそのアドバイスを読んで大いに安心をした。
統合失調症になったとしてもそれで普通の日常生活が送れなくなると決まった訳ではないのだ。冷静に症状に対応さえできれば、それで問題は大幅に改善するらしい。
そう安心をすると、不思議な事に流れてくるコメントも随分と少なくなっていった。もしかしたら、ストレスが幻覚の原因だったのかもしれない。そしてやがてはコメントは一つも流れて来なくなったのだった。
もしかしたら、一時的な症状だったのかもしれない。それで僕はそう思い、胸を撫でおろした。おろしたのだけど……。
ある日、僕の所に奇妙なメールが届いた。そのメールの件名は“親切”となっていて、送り主は誰だか知らない奴。内容はただ一言、「クリックしてみ」とあって、その下にはURLが記載されてあった。
よくあるスパムっぽいから無視をしても良かったのだけど、そのURLが僕がよく見る動画サイトのものである点が気になったものだから、僕は思わずそれをクリックしてみてしまったのだ。するとそこには何処かの部屋の様子が流れる動画があった。パソコン画面を見つめる男の背中が映っている。クソつまらない動画だが、何故かけっこうなアクセス数とコメント数だった。
“なんだかなぁ?”
僕はその画面を直ぐに閉じようと思ったのだけど、どうにも奇妙な違和感が抜けなかった。この部屋には見覚えがある。
そして気が付いた。
「あれ? ここ、僕の部屋だよな?」
少なくとも僕の部屋にそこはとてもよく似ていた。
不気味な予感を覚える。僕は試しにその動画にコメントをしてみた。『あああああ』。すると、その瞬間に僕の目の前に『あああああ』というコメントが流れて来たのだ。しかもカメラのアングルが直ぐに変わってそのコメントに驚いている僕の顔が映し出された。
その瞬間だった。
『誰だよチクった奴?』
『驚いているw 驚いているw』
『こりゃ草生えるわ』
などといったコメントが大量に流れて来たのだった。僕は恐くなって、布団の中に飛び込むと目を瞑った。
“うそだ? これ、どうなっているんだ? どうして、こんなことが? 絶対に悪夢だ。こんなの現実に起こりっこない。夢オチだ。早く目が覚めてくれ!”
しかし、僕の悪夢は終わらなかった。閉じた僕の瞼の裏側にすら何者か達のコメントが流れてくる。
『これ、精神もたないのじゃないか?』
『ああ、多分、壊れるな』
『いや、もう壊れているってw』
『ついに病院に行くかな?』
『はい。こいつの人生はこれでお終い~! 草!草!草!草!草!』
『がんばれ~』
匿名性の高い狂気的な暴力の数々が僕の頭を蹂躙していった。 もう嫌だ! もしも、こんなのが高アクセスを叩き出している動画投稿者達の味わっている気分なのだとしたら、僕は絶対に味わいたくはない……
誰か助けてくれ。
お願いだ……
誰か!
『8888888888888888』




