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喋らない女の子

 その高校には、喋らない女の子がいた。無口というレベルではない。本当に、一切、何も喋らないのだ。名は猪俣さんという。断っておくけど、別に何かの病気という訳ではないらしい。トラウマがあるのか、それとも単にそういう性質なのか、その子は何も喋らない。

 ただ、それでも学校生活にはほとんど支障はなかった。多少は困った子だな、と思われている程度で、仕方ないと生徒からも先生からもその問題点はスルーされている。その子の性格はとても良かったし、容姿もそれなりに整っているし、成績だって問題ない。運動は少し苦手だけれど、それが彼女の欠点に見える事はなかった。確かに、仲の良い友達は少なかったけど、彼女は学校で上手くやれていたのだ。

 ところが、その猪俣さんが高校の三年生に進級すると、少しばかりの問題が発生した。彼女が喋らない事に、どうしても我慢できない女生徒がいたのである。その名を松下さんという。

 松下さん。彼女はいわゆる世話焼きタイプで、このままじゃ猪俣さんの人生に支障が出ると、つい口を出してしまったのだ。周囲の人達は、それが敵意でないと分かっているし、松下さんの言う事にも一理あるし、何より彼女の性格が面倒くさかったので、それを止めようとはしなかった。

 松下さんは言った。

 「猪俣さん! あなた、これから先、一生喋らないでいる気?」

 それを聞くと猪俣さんは、不思議そうな顔をして首を傾げた。

 「そんな顔をしても駄目! いい? 喋らなかったら、何にもコミュニケーションできないのよ? 学生時代はまだそれで何とかなっても、これから卒業して社会に出たら、あなたどうやっていくき? どうやって、コミュニケーションを取るの?」

 松下さんが言い終えると、猪俣さんは何を思ったのか、それから彼女の事を抱きしめた。ギュッと。ハグである。松下さんはそれに驚いて固まる。顔が赤くなっていく。少しの間の後、

 「つまり、スキンシップってこと?」

 と、松下さんはそう言った。猪俣さんは抱きしめる腕を緩めると空間を作り、松下さんの顔の前でこくりと頷いた。

 「ちょ! 段階が違うでしょう! コミュニケーションにスキンシップなんて! そういうのは最終段階でしょう! 早すぎるのよ!」

 松下さんは猪俣さんの腕を解くと、半ば怒鳴るようにしてそう言った。

 「そういう問題でもない気がするけど…」

 と、他の女生徒がそれにツッコミを入れる。

 その松下さんの言葉を受けると、猪俣さんは少しだけ困惑した表情を浮かべ、次に松下さんの肩に手を乗せる。それから、ゆっくりと手を背中に回し、またギュッとハグをした。

 「ゆっくり抱きしめろって事でもないの~!」

 と、松下さんはそれにツッコミを。それから一呼吸の間の後で、松下さんはこう言った。

 「猪俣さん。あなたね、飽くまでコミュニケーションはスキンシップで取るっていうの? なら、そこにいる男生徒にも同じ事ができるのでしょうね?」

 それを聞くと、猪俣さんはまた不思議そうな顔を見せ、ゆっくりと隣にいる佐々木君を抱きしめた。

 「なっ!」

 と、松下さん。慌てて猪俣さんを佐々木君から引き剥がす。

 ――因みに、佐々木君は、これ以後半年間ほど、猪俣さんが自分を好きだと勘違いし続けた。

 そしてその一連の流れを受けて、

 「並ぶな男ども!」

 男生徒が並び、

 「女もだ!」

 女生徒も並んだ。因みに、このツッコミの声は松下さんである。

 「松下だけ、猪俣さんにハグしてもらってずるい~」

 と、それに女生徒がそう言うと、松下さんは「わたしのは故意じゃないのよ」と、そう返した。それから彼女は、猪俣さんに向き直るとこう言う。

 「いい? 猪俣さん。スキンシップじゃ、言葉の代わりにはならないの。そんなものに頼っちゃ駄目」

 後から松下さんは知ったのだが、実は猪俣さんは、それ以前から、度々、誰かを抱きしめていたらしい。生徒とか、先生とか、用務員のおじさんとかを…

 猪俣さんはそれに首を傾げた。松下さんはそのジェスチャーにこう返す。

 「“どうしって?”って、そんなの当たり前でしょう? 言葉にしなくちゃ、本当に一言も意思は伝わらないからよ」

 その返答に、猪俣さんは今度は逆方向に首を傾げる。

 「“そんな事ないんじゃない?”って、そんなはずないでしょう? 言葉にしなくちゃ、何にもまったくこれっぽっちも伝わらないの! 0%よ! 0!」

 そのやり取りに、「どーでもいいけど、松下、あんたさっきから、猪俣さんの言いたい事を100%理解しているわよ」と、他の女生徒がぼやくようにツッコミを。

 まだ激しく文句を言う松下さんに、猪俣さんは困った表情を浮かべる。それを見て、「“怒らないで”って別に怒ってないわよ」と、松下さん。それから猪俣さんは、ゆっくりと松下さんを抱きしめた。本日、三度目の彼女に対するハグである。

 そして。

 それで松下さんに入っていた“一言、言ってやらなくちゃならない”スイッチの接続が変わった。恐らくは、“この子は、わたしが護ってやらなくちゃならない”ゾーンに接続されてしまった。

 「分かったわ」

 と、松下さんは言う。

 「このままじゃ、あなたは男からも女からも狙われてしまう。わたしが、誰かを抱きしめなくてもいいように、つまりは喋れるように、あなたを教育してみせる!」


 それ以降、松下さんは常に猪俣さんと一緒にいるようになったのだった。ご飯も一緒だし、テスト勉強も一緒にやる。そして、発音練習のような事も、休み時間にやるようになった。

 「あ、え、い、お、う」

 と、松下さんが言うと、声は出さないのだけど、同じ様に口の形を作る猪俣さん。嫌がりそうにも思えたが、何故か、猪俣さんのその様子は楽しそうだった。

 「だから、声を出さなくちゃ駄目だって」

 と、それを受けて松下さん。うんうん、とそれに頷く猪俣さん。

 「全然、分かってないじゃない~」

 松下さんがそう言うと、猪俣さんはにっこりと笑ってそれに返す。

 「なんで、そんなに嬉しそうなの?」

 と、それを受けて松下さん。すると、また猪俣さんは笑った。

 「“だって、楽しいのだもん”って、わたしは楽しくないわよ~」

 崩れるように、松下さんは笑い返した。その様子を見て猪俣さんは、松下さんのことをハグしたりする。

 ……なんだかんだでこの二人、上手くいっているようだった。


 そのまま時は流れて、卒業式。

 二人は卒業後、別の学校に進む事になった。教室で、松下さんは泣いていた。それを見て、猪俣さんは肩に手を置く。

 「“泣かないで”って、誰の所為で泣いていると思っているのよ!」

 それに松下さんはそう返した。

 「だってあなた、結局、喋れるようにならなかったじゃない! どうするの? これから先… わたし、心配で心配で…」

 それを聞くと、猪俣さんは少しだけ首を傾げる。

 「“大丈夫よ”って、大丈夫なはずないじゃない! コンビニとかでバイトしたら、声を出せっておばさんとかに怒られちゃうのよ? ちゃんと喋れるようにならないと、接客だってできないんだから…」

 喋り続ける松下さんを、猪俣さんはゆっくりと抱きしめた。

 後から分かった話だが、猪俣さんが誰かを抱きしめると、いつもその誰かは少しばかり元気になるのだそうだ。だからなのか、彼女は誰か落ち込んだ人を見つけた時、大体はその誰かを抱きしめる。

 ……もっとも、この時は、松下さんが元気になったかどうかは不明だけど。


 余談だ。

 卒業後、松下さんの言葉をどう受け取ったのか、或いはそれとはまったく関係ないのかはしらないが、猪俣さんはコンビニでアルバイトをし始めた。「声を出しなさい」と、案の定、おばさんから怒られて、そして、ハグでそれに返している猪俣さんの姿を誰かが見かけたそうだ。数日後、そのコンビニは、“美人の店員が時々抱きしめてくれるコンビニ”として、少し有名になっていた。

 更に余談だ。

 そのコンビニが有名になってから、数日後、そのコンビニで働き始めた松下さんの姿を誰かが見かけたのだとか…

 そして、もちろん(?)、猪俣さんはまだ喋るようになっていない。

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