科学の弓/透明の矢 二
一方、その頃……
夜道を行く誠一は、護衛対象の女を観察していた。
その女の名前は、荻野モエと言う。専門学校に通う学生だ。
モエは、一般的な家庭で育った。虐待や貧困に苦しめられもしなかったが、贅沢三昧というわけでもない、そんな家庭である。父親の計らいで学校に通えている事が、唯一の贅沢と言えなくもない。
なぜなら、彼女が生粋の勉強嫌いであるからだ。大学の講義には出席もせず、サークルやバイトに明け暮れる日々を過ごしていた。
そんな彼女の恋人――既に別れている――は、とある地方議員の息子だった。名を杉田某といい、大学に通うために上京していた。その杉田が、どうやら誠一たちに依頼が回ってきた原因のようなのだが……
(髪が黒い。染め直したのか?)
尾行に勘付かれないよう、自動販売機で飲み物を買うフリ《・・》をする誠一は、心の中で首を傾げた。
諸川が見せた写真では、明るい茶色の髪をしていたはずである。
「そのまま動くな。花村のお兄さん」
モエを盗み見ていた誠一に声を掛けたのは、カフェで理央に絡んでいた冴木クレハだった。
今も、カフェで持っていた横長のトランクを肩に提げてある。
「どうして君がここにいる?」
「仕事。アンタは?」
「俺も仕事だよ」
「黒い車に乗ってたのは、お仲間さん?」
「さあ?」
とぼけてみせた誠一の背中に、クレハは透明な棒状のモノを突き合わせた。
「あの子の元カレ、地方議員のドラ息子なんだ」
「それぐらいの情報は知っている」
「アンタも特武だったら分かるよね? クライアントの事情で、特武同士が争う事も珍しくないって」
「安心しろ。俺は、ドラ息子とやらに雇われたワケじゃない」
「なら味方かもね。アタシとアンタは」
「そうかもしれないな」
「協力しない?」
「イヤだと言ったら?」
「……正直に言うけど、アタシは情報が欲しい。あの人を護るためのね」
「だから、力尽くで聞き出すと?」
クレハは不敵に笑ってみせたが、内心では焦っていた。
彼女は、誠一の弟である『花村景介』を知っている。それは、景介もまた腕の立つ武装人であるからだ。
ただし、誠一に言わせれば、
(まだまだ未熟)
なのだそうだが。
しかし、クレハからすれば、
(アイツはアタシと同レベル)
と、実力を認めているのだ。
つまり、その景介の兄ともなれば、警戒せずにはいられないという事である。
「俺の一存では決められない。日を改めよう。この場は君に任せるよ」
誠一はクレハに名刺を渡して、その場を去った。
残されたクレハは、去っていく誠一の背中を睨みつけながら、白い息を吐いた。
「おかえりなさい。誠一くん」
誠一がアルファードの車内に戻ると、手錠を掛けられた金髪の男が座らされていた。
「詳しい事は、私が聞き出す事にした」
「そうですか」
「だから、俺はバイトの子を見張れって言われただけなんだよ! ストーカーでもねェし、襲ったりするつもりないっての!」
「まあ、まあ。署の方で話してくれないと。正直に言ってくれれば、起訴されたりしないから」
諸川が、誠一に向かって首を振った。
この男は、百足の会とは関係が無いらしい。少なくとも現時点では。
そこを明らかにするためにも、諸川は引き続き取り調べを行うつもりのようだ。
「そちらはどうだった?」
「収穫……というよりは、厄介な事と出会いましたよ」
誠一が冴木クレハの事を面々に話すと、
「冴木さんなら、面識があります。確かに俺と同じ学校で、1つ下の後輩です」
と、栄治が言った。
そして、
「だったら、引き込んでみよう」
続けて諸川がそう言った。
「本気ですか?」
「そうだとも、花村君。有能なら、そのまま仲間にしてしまえばいい」
「もし、敵であれば?」
「簡単だ。始末するのみ」
誠一が、訝しげに諸川を見つめる。
一方の諸川は、飄々《ひょうひょう》と車のエンジンを掛けた。
ここに用は無くなったのだから、さっさと立ち去ろう。とでも言うかのようである。
ちなみに、金髪の男には理央がヘッドホンを被せており、今の話は聞こえていない。ただ不安げに震えているだけであった。
そうして発進した車の中で、誠一は思考を巡らせていた。
(諸川さんの狙いが読めない)
誠一の一番の疑問は、
(女子高生を仲間に引き入れて、何がしたいのだろうか?)
という事であった。
やがて誠一は、
(まだ、情報が足りない)
と、答えを出す事に見切りを付けた。
明朝にクレハから電話があり、諸川と誠一が彼女と会う事になった。言ってしまえば、面談である。
時間は、夜の8時。場所は、新木場のとある場所にある駐車場、そこに停められたアルファードの車内である。諸川が運転席に座り、後部座席に誠一とクレハが座っている。
「なーんだ。あのお姉さんが来てくれるかもって、期待してたのに」
「悪かったね。こんなおじさんと地味な男で」
「その言い方、ヒドくないですかね? 諸川さん」
「アンタらのコント見に来たんじゃないんだけど?」
「それもそうだ。本題に入ろうか」
クレハによると、モエの父親から護衛の依頼を受けたという。
「モエさんは杉田と別れてから、身辺にガラの悪い男たちがうろつくようになったらしいのよ。それで、ソイツらを調べてみたら、どうも杉田に指示されてるみたいだったわ」
杉田はただのボンボンというわけでもなく、地元では不良たちと連むほどには喧嘩にも覚えがあった。
そういった事もあり、上京してからも、不良たちと繋がりを持っているようである。
荻野モエはそんな杉田の暴力性に嫌気が差して、1ヶ月も持たずして破局となったらしい。
「なるほど。我々に伝えられている情報と合致するな」
モエの父親は、警察にもストーカー被害を通報していた。しかし、取り合ってもらえず、クレハに依頼を出したのだ。
受理されなかったものの、警察にストーカーの被害届が出されていた事は、諸川も把握していた。というよりも、杉田の周りで起こった事件性のあるものがそれだけであった。
「冴木君。この写真の男に、見覚えはあるかい?」
懐から写真を取り出した諸川が、クレハにその写真を手渡す。
写真に写っているのは、栄治が捕らえた金髪の男であった。
「……うん。知ってるよ。コイツも、モエさんの周りをウロついてた1人だ」
写真を確認したクレハは、
「諸川のおじさん、次はそっちの番だよ」
諸川の方を見ながらそう言った。
「杉田の父親には、脱税と賄賂の疑いがあるんだ。それで、国税局が動いた」
「へえ……それがモエさんと関わりあると?」
「荻野モエは、杉田との交際期間に何らかの情報を得ている可能性がある」
「つまり、杉田はその口を封じたくて、ヤンキーたちを使っているワケね」
「いや、少し違う」
諸川が金髪の男から聞き出した事は、杉田が不良たちにモエの監視だけを頼んでいたという事であった。
「杉田は、荻野モエの動きを見張っているだけのようだよ」
「何のために?」
「さあ? 我々にも分かりかねる」
それから10分後。クレハを返した諸川と誠一は、車内でクレハについて話していた。
「良かったんですか? 彼女を仲間にして」
諸川は、正式にクレハを仲間にする事を決めたようである。
クレハが車を出る前、諸川は彼女と契約を結んでいた。その内容は書面で遣り取りされており、誠一は知らない。
「彼女は、何を引き換えに要求しました?」
「そこは、プライベートというものだよ。君が親の仇を探しているのと同様に、冴木君にもどうしても成し遂げたい事があるんだろう」
誠一が肩を竦ませてみせた。最初から、答えが聞けるとは考えていなかった様子である。
諸川が言った誠一の親の仇とは、いったい何の事であろうか。それは、今ここで語るべきではない。