小刀/白鞘 六
残り2人の敵を始末した誠一は、その足で栄治の下へ駆けつけた。それが、事の顛末であった。
しかしながら、誠一と栄治は緊張感を保っていた。
まだ、戦いは終わっていないのである。
「朝田君、敵の中に防弾装備をした者はいたか?」
「いえ、自分は銃を撃ってないので……すみません」
「そうか、分かった」
誠一が、山小屋のドアを蹴破る。
そして、中に入った時――
(やはりな)
――天井から、ペグのようなものを握った敵が降ってきたのだ。
上からの攻撃を避けつつ、誠一が発砲する。
銃弾は、敵の左鎖骨の辺りに命中した。
ところが、敵は何事もなかったかのように構え直した。まるで、カマキリのような構えである。
「効いてない?」
「防弾服だ。俺たち以外の3人が敗けた理由の1つも、ソレだろうさ」
「ですが、全員が着ているワケではなかった」
「そういう事は、捕まえた後に吐かせよう」
誠一が言い終えたと同時に、栄治が居合で仕掛ける。
左斜め下からの斬り上げを、敵はバックステップで躱した。栄治からも、誠一からも、距離を取った形である。
「朝田君、後は俺がやる」
誠一はグロックをジャケットの内側にしまうと、左足を前、右足を後ろにして半身になった。
さらに、指を伸ばした左手を前、拳を握った右手を後ろにし、どちらも小指が前に向くようにして心臓の高さに揃えた。
構えを取ったのである。
(大虎の構え)
龍と戦ったとされる誠一の祖先が、編み出した構えだ。攻防にバランスよく、蹴り技を主体とする。
「仲間が殺される間も、天井に張りついてたのか?」
誠一が、敵に問いかけた。
「銃を使わないようだが、ESPの男の指示か? それとも、そういう主義や思想なのか?」
敵は答えない。
「ダンマリかよ。まあいいや」
誠一が右足を振り上げた。ハイキック、上段の回し蹴りである。
敵は両手でガードを固め、頭をカバーした。
「……っ」
それでも、ダメージはあったようだ。敵がフラついた。
反撃する隙も与えず、誠一が前蹴りを放つ。
ドゴッ、と誠一の右足が敵の鳩尾に当たった。
「トドメ……とは、ちょっと違うな」
構えを解いた誠一が、ゆっくりと片膝をついた敵に近づいていく。
「しばらく寝てなよ」
優しげに言った誠一のローキックが、敵の顎を的確に打ち抜いた。
敵が眠るように倒れ込む。脳が揺れて、ノックアウトである。
「ソイツを持って、帰ろうか。朝田君」
「待って下さい。花村さん。奥にもう1部屋、おそらく洗面所があります」
栄治が指差した場所には、ドアが1つあった。
「よし、見てきてくれ」
気絶した敵を縛る誠一が、栄治にそう指示を出した。
そういう次第で、栄治が奥のドアを開ける。
栄治は左手に白鞘に収めた刀を持ち、右手には拳銃を握っていた。
拳銃は、H&K・HK45。45口径という、大口径の銃弾を使用するオートマチック拳銃である。
「……は?」
そんな拳銃を握る栄治の口から、素っ頓狂な声が漏れた。
「何かあったか?」
「花村さん、これ……」
完璧に黒衣の敵を縛り上げた誠一が、栄治の太い腕越しにドアの向こうを覗く。
「女の子……」
これには誠一も瞠目した。
両手両足を縄で結ばれて自由を奪われた少女が、洗面台の下に転がっていたのだ。
背中の真ん中くらいまで伸ばした黒髪が美しい、素朴な雰囲気のある少女である。
黒衣のような服ではなく、大衆向けの洋服を着ていた。体つきも理央と比べると、普通だ。
「胸と腹が動いている。自律呼吸に問題はありません」
栄治が、少女の口に付けられたガムテープを剥がす。
「気絶してるだけだな。ヤツらの関係者か、もしくは――」
「連れ去られてきた」
誠一と栄治の視線が交差する。
「まあ、どっちにしろ、この娘も連れていくしかないな。担げるか?」
「はい」
「なら、さっさと行こう」
お姫様抱っこで少女を抱えた栄治と、肩に黒衣の敵を乗せた誠一が山小屋を出る。
「諸川さんには連絡しておいた。車はすぐに戻ってくるよ」
「戻ってくる?」
「ああ、そうか。君は知らなかったな。歩きながら話そう」
晴れた夜空には、一筋の薄雲が流れているだけである。
もう、月が雲に隠れる事はない。
月光が枝葉の隙間から、誠一と栄治をちらちらと照らしていた。
「重いな」
「こっちは軽いですよ」
2人の失笑は、山のざわめきに紛れて消えた。
薄眼を開けた少女の身じろぎもまた、それにごまかされたのだった。
「彼女たちは警察病院に送られた。事情聴取は目覚めてからだ」
カフェバー『Kanzashi』に戻ってきた誠一たちは、その店内で一服していた。
ただし、漂う空気は重く、暗いものである。
「死んじゃったんですね。竜崎さんに正木さん、三谷さんも」
理央がぼそりと言った。
「不運だった。そうとしか言えない」
一瞬、誠一が鋭い目つきで諸川を見た。
「これから、俺たちはどうなるんです?」
栄治が訊いた。
「チームは存続させる。君たちは据え置いて、新たに人員を補充する事になるだろう」
諸川が、一息にコーヒを飲み干した。
「今日のところは解散にしよう。次に集まる時は、また私から連絡する」
腕時計を確認して、諸川がKanzashiを出た。
「俺も帰りますけど、上野さんと朝田君は?」
「ご一緒させていただきます」
「待って、待ってー。私も一緒に行くよ」
誠一たちが席を立つ。
「山本さん、ごちそうさまでした」
「気にしないでよ、誠一さん」
互いに会釈すると、誠一は玄関へ、由美は裏口の方へ行った。
カランコロン、と誠一たちがKanzashiのドアを潜る。
「誠一くんの自宅は、どの辺りなの?」
「実は家がないんですよ。日本に帰ってきたばかりで」
「だったら、私の家に泊まる?」
「いえ、それには及びません。ホテルを取ってあるので」
「なーんだ、ざんねーん」
理央は有楽町駅が見えてきた所で、
「私、タクシー呼んであるから。じゃあね、バイバイ」
手を振りながら、駅へ向かって走っていった。
「はい、さようならー」
誠一は応じて手を振るが、栄治は黙ったまま理央の背中を見送っていた。
「花村さん」
理央の姿が見えなくなった頃合いを見て、栄治が誠一に話しかける。
2人は、駅から方向を変えて歩き始めていた。
「あなたに、弟はいませんか?」
「なぜ、そんな事を?」
栄治には、誠一の顔に見覚えがあった。花村という名字にも聞き覚えがある。
というのも、栄治の通う高校に、花村という名字で誠一にソックリの後輩がいるのだ。
「なるほど。君は研宮学園の生徒か」
研宮学園は、東京の目黒と新木場に校舎を持つ私立の中高一貫校である。
そうなると、栄治は意外と金持ちの子供という事になるのだろうか。
それは違う。研宮学園は少々、いや、かなり変わった学校なのである。
プロの特武を育成するカリキュラムを組んだコースがあり、栄治はそこに在籍しているのだが、そのコースは学費が高くない。
特武などという危険な職につこうとする少年少女は希少であり、学費を高くしてしまうと人が集まらないのである。
「という事は、やはり……」
「景介は俺の弟だ。実の、な」
花村景介。誠一の弟である。
その景介も、栄治と同じく特武養成のコースに在籍していた。
「弟さんの活躍は知っていましたから、花村さんも強いと分かっていましたよ」
「どうかな。途中、疑ったんじゃないか?」
「ははっ、お見通しですか」
栄治が仏頂面を崩した。
この顔を見れば、惚れる女もいそうである。
「さっき……弟が活躍してると言ってたが、本当か?」
「ええ、まあ。評判いいですよ。俺の同級生も、助けられたらしいですし」
「そう……か」
誠一が、ふっと口の端を上げた。
少年の頃に両親を亡くした誠一にとって、4歳下の弟はかけがえのない存在である。
そんな弟が褒められるのは、誠一にしてみても、
(嬉しい)
のである。
しかし誠一は、その事を感じさせないよう顔を真顔に戻した。
「君と会えて、弟の話を聞けただけでも、今日の価値はあったようだ。ありがとう、朝田君」
栄治が、
「どういたしまして」
と言うや否や、誠一が姿を消した。
栄治がマバタキする直前から動き始め、瞼を閉じている間に近くの電柱の裏に周り、そのまま路地裏へと入っていったのだ。
誠一は歩きながら、電柱がそばに来る場所を探していたのである。
(さすが、だな)
栄治は流れる冷や汗を拭い、雲のない夜空を見上げた。