小刀/白鞘 三
「ここからは徒歩だ。無線インカムを付けておけ」
高尾山の山腹に車を停めた諸川は、誠一たちを連れて木々の中へと入っていく。
レンジャー課程を修了している竜崎にとって、このような山中は慣れたものである。
しかし、他の者にしてみれば、普段の仕事場とは勝手が違う。
ただ幸いにも、諸川が車を停めたのは山小屋の近くで、3分ほど木々の間を歩けば到着する場所だった。
「あれが強襲対象……か」
正木が呟いた。暗い夜の山でも、月明かりで山小屋が見えるのだ。
木造の山小屋は、広さが30帖ほどで高さは5mほどである。
2階建ての建物としては、微妙に低い印象だ。天井が高いのであろう。
「あれは何だ? 窓ガラスがガムテープで補強されてんのか?」
「外からの侵入を防ぐためですね。怪しさ満載だなぁ」
竜崎と正木の会話の通り、山小屋の窓には内側からガムテープが貼られていた。
「私は後ろで守備役を務め、車を守る。上野君も直接の戦闘は専門じゃないから、同行してもらう」
「なら、前衛は俺たちで、後衛はガキどもにやってもらうぜ。それが効果的だ」
殿を申し出た諸川に続いて、竜崎が編成を提案した。
正木と三谷は、竜崎の案に異論がないようである。
「お前らも、それでいいな?」
「分かりました。従います」
誠一の言葉に納得したのか、竜崎は何度か頷く。
高圧的な人間に屈したかのようにも見える誠一の行動は、むしろ理央を惹きつけていた。
反骨心から命を危険に晒さない、冷静な対処である。というのが、理央の評価だった。
「よし、行くぞ」
自衛隊でも配備されているSFP9という拳銃を持った竜崎が、正木と三谷に目配せする。
目の前の山小屋のよう建物内では、小銃よりも拳銃の方が取り回しのいい事を竜崎は知っていた。
それは正木も同じである。彼は、グロック17という拳銃を構えていた。
他方の三谷だが、H&K・MP5というサブマシンガンを装備していた。彼は拳銃よりも、使い慣れた銃を選択したのだ。
彼らの銃はいずれも、減音器――発砲時の音を抑える装置――付きである。
「俺たちはゆっくり進もう」
誠一が栄治に語りかけた。
竜崎らが前衛を張るため、誠一たちは後方で様子を見る事ができるのだ。
(妙だ……)
誠一は、山が静かすぎると感じていた。気配を感じないのだ。
そんな誠一の心配をよそに、竜崎たちが山小屋に突入した。
盾を持つ三谷を一番前にして、竜崎と正木が後ろからついてく陣形である。
「花村さん」
「何かな? 朝田君」
「あなたは――」
『突入する』
会話は、無線によって遮られた。
(戦闘が始まった)
栄治が、すぐに臨戦態勢を整える。
刀を抜かないままに構える、居合術である。
(……っ! )
冷静に動いていた栄治を驚かせたのは、誠一の姿が見えなくなった事だった。
(まさか、逃げた?)
栄治はそう思いつつ、放っておく事にした。
(今は、仲間の援護が優先)
と、考えたのである。
あれ以降、無線は聞こえない。まだ決着は付いていないようだ。
パリンッ。
栄治が鞘の先で窓ガラスを突くが、ガムテープによる補強で完全には割れず、ヒビが入ったのみである。
しかし、それで十分だった。
栄治は、窓ガラス全体にヒビが行き渡るまで、鞘の先で突きまくった。
やがて、ヒビがガラスの端という端まで到達すると、栄治は刀を抜き、窓枠に沿ってガムテープを斬り抜いたのである。
ガラスを粉々にし、その先のガムテープにはが届くようにする。それこそが、栄治の狙いであった。
栄治が一足飛びに窓から侵入する。
「うあぁ!」
と同時に、竜崎の呻き声が発された。
(劣勢……)
床には竜崎たちが落とした懐中電灯が転がっており、部分的に山小屋の中を照らしている。
栄治が見た光景は、黒衣のような恰好をした5人の敵に囲まれる竜崎たちだった。
三谷が盾を構えて竜崎と正木を庇っているが、盾の下半分は切断されている。
竜崎たちを囲む敵は、それぞれ違う武器を持ち、ジリジリと距離を詰め始めていた。
月明かりも届かない山小屋の中で、栄治に見えたのはそれだけである。
現実はよりひどい。
三谷は盾ごと腹を斬られ、竜崎は右腕を折られ、正木は頭をかち割られて虫の息になっていた。
(まだ気付かれてない……)
5人の敵は、いずれも栄治に見向きもしていない。
窓から侵入した時の音を、竜崎の声が掻き消していたからである。
バッ、バンッ!
竜崎が片手で発砲した。声もなく、黒衣が1人倒れる。
当たったのだ。竜崎が放った弾丸が。
これもまた栄治には見えていないが、既に床には5つの体が転がっていた。
竜崎たちが斃した敵の死体である。彼らも、最初から窮地に追い込まれていたわけではなかったのだ。
そうであるなら、何が彼らをここまで追い込んだのだろうか。
「ハッ!」
栄治が短く気合いの声を出し、抜刀。刀を抜きざまに、最も近くにいた敵の背中を斬りつけた。
栄治の刀は、スッ、と敵の背骨を両断した。即死級の一撃である。
(殺すのも致し方なし)
心の中で呟いた栄治が、竜崎たちと敵との間に割って入る。
瞬間、敵の1人が鎌で栄治に襲いかかった。
栄治は左手に持つ鞘でそれを受け止めると、すぐに弾き返し、突きを打った。
突き出された切っ先は、見事に敵の心臓を貫いていた。
残る敵は2人である。
「退くぞッ」
三谷と竜崎が、正木の腕を1本ずつ抱えて、引きずりながら山小屋を出る。栄治も山小屋を出た。
当然、敵が追ってくる。
「早く諸川さんの所まで――」
「待てよ、俺はまだやれる。お前は三谷の手当と、諸川の連絡でもしてろ」
竜崎が立ち上がり、左手だけで拳銃を構える。
腕が折れているというのに、竜崎という男も侮れたものではない。
「まだ……いる……」
栄治が三谷に近付いた時、床に寝かされた正木がかすれ声で言った。
「正木……っ」
三谷と栄治は、正木が事切れた事を確認した。自身も手当を急がねば、助からない事も悟っていた。
「車に戻れば、止血剤があります。急ぎましょう」
竜崎の奮闘で、既に敵が1人討ち取られていた。
月が雲に隠れ、最後の1人はそれを利用して銃弾を回避しているようである。
「ウラァ!」
全弾撃ち尽くす勢いで竜崎が引き金を引き、立て続けに銃弾が放たれ、最後の敵も――ついに斃れた。
「へっ、どんなもんよ。あと――」
竜崎の言葉が途切れた。
一際風が強く吹き、雲が空を流れる。再び月が顔を出し――竜崎の胸から生える刃をギラリと光らせていた。