野ねずみを飼うのはおよしなさい
野生動物のくせに反則的可愛さしやがって
最後に野ねずみの写真があります
筆者は小学生の頃、どこの学校にも一人はいる生き物博士的なアレだった。
その幼い知識的研鑽に一役買っていた愛読書が、「小動物の飼い方」というシンプル極まる標題の書籍である。
筆者の子供の頃といえばもう大昔であるが、その大昔、その本は既にボロボロの状態で図書室の片隅にあった。表紙カバーはなく、ページは日に焼けた褐色で、製本はいつ破綻してもおかしくないほどほころんでいた。
子供向けに書かれたと思われるが、挿絵はほとんど無く、みっちりと活字が並んでおり、また内容が大変説教臭かった。
「なぜその生き物を飼うと不幸せにしてしまうか・いかに飼育が難しいか」がほとんどの動物の項の冒頭につらつらつらつらと書いてあり、飼育欲を著しく減退させてくるが、その後に「しょうがねえなあ。飼い方はこうやで」風になげやりに書いてある飼育方法は大変適切である。ドラえもんがもったいぶってからポケットの中の道具を出してくるアレに近い。
特に関心したのがアマガエルの項である。「お前らクソガキがアマガエルが食べられるほど小さい生きた虫を毎日集められるとは思えんから、隙間があるケージで飼育して中に電球入れて夜外に出せば虫の方から寄ってきて勝手に餌やり終わるで(意訳)」というのはまさに目から鱗だった。
徹底して、読み手のクソガキよりもクソガキに飼われる哀れな生き物(だいたい苦しんで死ぬ)の方に肩入れした本であり、説教臭さの中に確かな動物への愛が感じられ、昨今の無責任な飼育方法を書き散らしたクソ飼育本とは一線を画していた。
その中で、一番「飼うな!!絶対飼うな!!」と言われていたのがヘビである。ここまで引っ張って野ねずみじゃないんかい、というツッコミは置いておくが、その冒頭が「一言断っておきます。ヘビを飼うのはおよしなさい」である。このフレーズを拝借して、本エッセイの掲題とした。
長々と「小動物の飼い方」という本の紹介を書いたがこれはひとえにかの本への筆者のリスペクトの感情である。ここまで書いてなんだが、最後に読んだのは小学生の頃で、実は「小動物の飼い方」という標題すらうろ覚えで不確かであり、かつ手元にないためもう一度読みたいのに探すことが出来ない。
おそらく昭和中期~後期の出版で、このような内容の書籍を知っている方がいればぜひ詳細を教えて欲しい。
◯
そしてようやく野ねずみの話である。
筆者の会社はクソ田舎にあるので普通に野ねずみとか出る。
ここで「げえっ」という反応をする方。これは三種類いると思う。まず、都会にお住いでねずみといえばドブネズミやクマネズミを想像する方。騙されたと思ってちょっと「野ねずみ」と検索してみて欲しい。「ヒメネズミ」とか「カヤネズミ」でもいい。こいつらはドブネズミやクマネズミ、いわゆる「家ねずみ」とは見た目や生態、大きさからしてかなり違う。そもそも英語が「マウス」と「ラット」で分かれているあたり、推して知るべしというヤツである。野ねずみで画像検索してみると、その愛くるしさに魅了されるはずだ。多分。
次に、農家をやってらっしゃる方。クソ田舎の弊社にも兼業農家の方が多くいるが、農家の方々のねずみへの憎しみはいかんともしがたいと思うので、野ねずみカワイイ教の布教は諦める。しゃーない。
最後に、衛生的な問題をあげる方。家ねずみはともかく野ねずみは屋外暮らしなので比較的清潔……というのは置いといて、ぐうの音も出ない正論である。まあ、野ねずみに限らず野生動物は全面的にばっちい。しゃーない。
ともかく、筆者が会社の廊下をプラプラ歩いていると、キーホルダーだか髪留めだか、直径3センチほどの茶色いボンボンが落ちていた。
なんじゃこれ、落し物か?とつまみ上げると、野ねずみの一種、ヒメネズミだったのである。つまみ上げられた毛玉はプルプルしていた。
先述の通り、筆者の会社にはねずみという生き物全てに憎悪の限りを燃やす兼業農家のオジサマ方が多数在籍する。彼らに捕まれば、多分トイレに流されるか窓から全力で投擲されるか、とにかく確実な死が待っているだろう。
こっそり逃してもいいのだが、筆者につまみ上げられるほどに衰弱している様子で、なんだか後味が悪い。ということで、ダンボールの小箱に詰めて持ち帰って介抱することにした。
ちなみに、ねずみに殺意を持っていなそうな数人に見せたがかわいいかわいいときゃいきゃいしていた。やはり、野ねずみはかわいいのである。
ホームセンターで適当に買ったハムスター飼育ケージに入れ、パネルヒーターを敷き、飼っている雑食トカゲ用に備蓄してあるモンキーフード(ややこしいが、我が家ではたまに猿用の餌をトカゲにあげるのである。栄養バランスが近いのと、お通じが良くなる)を放り込んで様子を見た。最初の数日はちょろっと餌を齧ってシェルターに引きこもっていたが、体調が良くなったのか慣れてきたのか、しばらくすると旺盛な食欲を見せた。
なにせ、一晩で自分の体くらいの大きさの餌を平らげるのである。一体その小さな体のどこに仕舞いこんでいるのか?筆者は戦慄した。
そして、大量に食うということは、大量に排出するのである。
◯
「オエ~~~~ッ」
筆者はえずきとともに起床した。部屋中に漂うなんとも言えない香り。デブのTシャツの汗じみをちょっと太陽の香りでやさしくしたような……
その正体は毛玉の尿である。
食うもん食って出す。それだけが毛玉の今の暮らしであった。筆者はゴム手装備で感染症に注意しながら、半泣きでケージを洗った。
飼育者によるとハムスターはトイレを決まった場所でするそうだが、野ねずみはところかまわずションベンする。糞はだいたい同じ場所にするのだが……
その黄色い水たまりを、毎朝無心でこする。さっさと処理しないと部屋がデブの汗じみ臭に包まれてしまうので。早くもこの毛玉を持ち帰ったことを後悔しはじめた。
そして、毛玉は回し車の使い方を学習した。ところで、この回し車はハムスター用である。ハムスターの移動速度はたかが知れているが、野ねずみはゴキブリダッシュ(初速=最高速)の使い手であり、その最高速は人間が目で追うのに苦労するレベルだ。そいつが回し車を回すと、シャーーーーッという鋭い音がする。静音性の回し車も、野生パワーには勝てないらしい。それを一晩中やるのである。筆者はいともたやすく寝不足になった。
回し車に飽きると、毛玉はひとりSASUKE大会をはじめる。
どうやっているのか知らないが、天井に張り付く。そこから回し車の上に登って、外側から回す。文字通り跳ねまわる。ケージの側面をロッククライムのように登る。筆者はその一人運動会を微笑ましく見ていたのだが、これは遊んでいたのではなかった。
毛玉の奇行は、下見であった。そしてあくる朝、毛玉は脱走した。
◯
壁面取り付けタイプの回し車、その取付の遊び、直径一センチほどの隙間を鋭利な前歯でごりごりと削って広げ、脱獄を果たしたようである。
筆者は狼狽した。いくらペット用の消毒と駆虫を済ませた上、ちっちゃい風呂を作って丸洗いしたとは言え、ねずみである。野生動物である。衛生的にヤバイ。なにより、あの大量の糞尿をまき散らす生き物が解き放たれたら部屋が大変なことになる。
とりあえず、会社にはいかないといけないので毛玉が餓死しないように餌を床に置いておいた。朝シャワーを終えてから見ると、その数十分の間に餌はなくなっていた。これは、まだ部屋におるな……
ということで、会社の帰りにホームセンターコメリでカゴタイプのネズミ捕りを買ってきた。これなら傷つけずに捕獲することができる。そしてその日の夜、筆者がグースカ寝ていると「バチーン!!」と罠が閉まる音がした。慌てて見に行くと、罠の中で毛玉が丸くなっていた。
「バカめ、毛玉ふぜいが人間様の叡智に勝てると思うなよ。ケッケッケ」
そんなようなことを言いながら、部屋の隅に置いてあったねずみケージを取って戻った時には、毛玉は檻の中から忽然と姿を消していた。トムとジェリーでよく見るやつ。ということは俺はトムか。
ネズミ捕りの格子は約1センチ幅であるが、一瞬の間にそこからすり抜けて脱走したらしい。前述のとおり、毛玉は直径3センチほどの球体である。猫は液体などという人がいるが、ねずみも液体だったのだ。なんということだ……
筆者は泣いた。
会社で兼業農家おじさんの一人に、飼ってたねずみが脱走したから罠の作り方を教えてくれと言ったら、散々にねずみという生き物のクソさと、それを飼っている筆者の愚かしさを力説しつつも、罠について教えてくれた。
必要なのはバケツと凹凸がないなめらかなペットボトルと適当な針金。バケツの口側の端に中心を通るように2箇所穴を開けて針金を通す。その針金に、同じくキャップと底に穴を開けたペットボトルを通し、真ん中辺りにセロテープで餌を貼り付ける。
あとはねずみが登れるように雑誌などで階段を作り、その階段に少量の餌を置いて誘導する。
するとねずみは雑誌の階段を登り、バケツのフチからペットボトルの餌を取ろうと足をかけるとペットボトルがくるりと回り、ねずみはそのままバケツに落ちる、という。単純だが効果的なトラップだ。
罠を設置してわずか数時間、毛玉は確保された。
毛玉を確保し、今度こそ正しくケージ(脱走経路修繕済)に放り込んだ筆者は、やれやれこれでようやく眠れると、畳んでいたせんべい布団を広げた。
すると布団一面にびっしりと黒い粒と黄色いシミ。ねずみの糞尿である。筆者が会社にいる間、たたんだ布団を勝手にねぐらにして元気にブリブリ排泄していたようだ……
筆者は悲鳴を上げた。
◯
途中からすっかり忘れていたが、そもそもこの毛玉を飼おうとしたのは保護目的であり、脱走するほど元気になったのだからもう外に放してもいいのである。翌朝げっそりした筆者は毛玉をつれて出社し、会社屋外の、よくねずみどもを見かける場所で解放してやった。
こちらを一瞥もせず、爆速のゴキブリダッシュで去る毛玉。本当に酷い目にあった。読者諸賢よ、野ねずみを飼うのはおよしなさい。これは防疫観点から言うのでも、倫理的観点から言うのでもない。ひとえに、野ねずみに振り回された男の、魂の叫びである。糞尿は臭いし撒き散らす。運動性能が高すぎて手に負えない。脱走の達人。奴らは徹頭徹尾、飼育に向いていない。
野ねずみを、飼うのは、およしなさい。
可愛いけどな……でも、およしなさい。
およし。
でもまた飼いてえなあ。
↓在りし日の毛玉
完
「ヘビを飼うのはおよしなさい」であるが、当時は餌の確保が難しかったというのが一番だと思う。
冷凍のマウスやラットが簡単に手に入る今はそこまで飼育難度は高くないが、ヘビもウンコが臭いぞ。そこはお覚悟を。