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Blue Dream

作者: 瀧田新根

 フランク・J・ブラウンについて、詳しい事を聞こうとしたら、酒場の店主にやめておけと一言小さく言われたことを覚えている。その鋭さはカミソリの様で、私の言葉をすべて言い切る前にすっぱりと割いていった。

 あいつは頭がおかしいから、まったくもって調べるに値しないという事だった。あんまりな言い草に、私の興味は一旦消え失せたが、店主が、いかにフランクの頭がおかしいかを見せるためにこれ見よがしに見せてくれた彼の写真を見て、再び調べてみたいという気が起きたのは店主の思い違いによる物なのだろう。彼の写真を撮ったのは最近との事だったから、昨今噂になっている彼の死亡という推測を覆す事ができるのかもしれないという単純な好奇心に近い衝動だった。

 店主の言が私の興味本位の行動を窘めた物なのか、首を突っ込むほどではないという事か、何か隠された物があるのかは、一切語ってはくれなかったが、ただその態度は明らかに呆れている、というのが正しかった。

 彼について正しい記録は、この一年間のうちに急速に失われていく事になるだろう。彼の事などこの世界に於いては取るに足らない物の一つでしかない。だからこそ興味の失われた事象など、この世の中の氾濫する情報の海に飲まれる運命にあるといって過言ではない。

 フランク氏はありたいていの表現で、一般人的過ぎる所があった人生で、特別視する必要が無いほど周囲と問題があった人間でもなかった。

 しかし、私がフランク氏について調べるきっかけになったのは、彼の《入水》という人生の結末をゴシップ誌が面白おかしく記載していたからに他ならない。端的に言って、彼の人生をどうしてそう滑稽記載できたのだろうか、と記事を書いたダニー・エドワード・ジュニアに聞いたのがつい一日前の事だった。

 ダニー氏の話を聞けば、なるほど、どうして、と思うところはあったため、より詳しく調べる事で、フランク氏の思考が理解できるのではないかと思った。

 ダニー氏は白髪交じりの長い髪を、後ろで束ねた初老で、なんでも見透かした様な、冷めた青い瞳が特徴的だった。その視線はこちらをぎょろっと見つめて離さない。そういった視線を向けられた事など今までに一度もない物なだから、初めはとても面食らって、その視線から逃れる様に視線をあちらこちらに飛ばしていた。

 痩せた体によれよれのスーツをひっかけ、ネクタイを緩めた姿をみると、あまりにも乱雑な――あるいはだらしない印象を受けた。だからといって、最低限の身だしなみは整えているのだから、私よりも社会に適合しているのだという事は理解できた。

 少しタバコの煙たい臭いが漂っており、先ほどまで一本吸っていたのだろうという事が窺えた。かなりのヘビースモカーのようで、ジャケットの上からそれと分かるタバコの箱を二つほど左右のポケットに押し込んでいる様だった。仮にタバコが個人的に購入した物でないにしろ、出会ってすぐに一服するあたり、過度のニコチン中毒者なのだということは窺えた。

 しゃがれた声が、黄色い歯の隙間から絞り出す様に私に投げかけられた。

 「君、ダンといったか。……君がなぜ、その探偵まがいの事を始めたのか、正直理解に苦しむところだよ。フランクの出来事はこの町においても取るに足らない出来事でしかないじゃないか。たった一人の出来事に、記事を読んで義憤を感じえたという事でもないだろうし、ましてや同情を感じたとも言えない。興味本位であるならば忠告させてもらうがね、俺が言う事ではないが、故人の事を漁るなど不遜なことだ。確かに秘密になっているものを暴きたい、覗き見したいという行動は理解できる。だからこその俺たちの商売がある訳だ。君だってそれを読んだからこその興味――という甘い蜜に触れたのだろう?

 だからこその忠告だ。やめておきたまえ。君が望んでいる様な結末も、事実もそこにはありはしない。記事を読んで――そうだな、仮にそれが作り話だったとしても、それは一つの出来事で完結しているものだ。いや、事実を述べていると、俺は思っているよ。それこそ他の同僚たちはどうか知らないが、俺は俺の足で稼いだ情報を元に記事にしているからな。あれはあれで一つの物語で、『ジ・エンド』なんだ。それをほじくり返して一体だれが得をする?

 君自身だった情報を集め、そのスクラップノートにまとめる事ができれば満足し、後は何にするという事もあるまい。本当の探偵の様に情報を依頼者に返す義理も義務もないじゃないか。たった一つ自分の興味のためだけに、この町に起きた悲しい出来事を漁るのは、墓暴きと同じだとおもうがね。それこそ、正義の鉄槌を食らってしまう可能性もあると思うのだが?

 そうか、――それでも君は見たいというのか。それは何という暇人なのだろうか。

 仕方ない。金の分は、きっちり話はしてやろう。

 そうだな、――フランクについて、一言でいえばただの一般人。ただし、人付き合いの好きでない中年の男性だったと言っていい。両親もとうの昔に居ないようで、寂しい広い家を一人で悠々自適に使っていたよ。特に趣味らしい趣味もなく、ペットも飼っていない。この町の清掃員で長く勤めている事くらいしか、近隣の人に聞いても知っていないだろう。例えば彼が隠れて薬に逃げているとか、夜な夜なクラブに入り浸っていたとか、女性とトラブルがあったとか、一切、本当に一切もなかった。だからこそ、俺は気になったのだがね。

 幼少期から青年期にかけて、彼は晩年と違い活発な時期を過ごしていたらしい。しかも町では有名な悪ガキだったから、近隣住民もよく見かけていたといっていたよ。特にハイスクール時代の素行は悪く、卒業ができなかったという事も分かっている。だからこそ清掃局に勤めたのだろうけどね。

 一度傷害事件を起こして補導されているんだが、どうも彼も悪いのだが、彼の付き合っていた仲間も相当悪かったようだ。夜間の商店に襲撃をして、そこにいる女性店員を狙う様な卑劣な行為をする予定だったらしいんだがね、フランクはその店のなじみだったこともあり、最後まで反対していたんだ。だからその襲撃をやめさせるために決闘をおこなって、リーダー格の男にぼこぼこにされたようだね。当然フランクもただ殴られるだけじゃなく、応戦はした様だ。運の悪い事に応戦にナイフを使ってね。相手は致命傷を負ってしまった。過剰防衛ではないかと言われたがね、事も事だったために、警察は不起訴処分にしていたよ。その時の怪我で左肩を悪くしていたようだね。

 そんな彼だったが、年齢が二十にもなると急におとなしくなった。出歩くことも稀になり、人付き合いもめっきり減っていたよ。どうやら、先の件で懲りたのだろうね、悪い付き合いも無くなり、酒に浸るようになっていたらしい。よく近くのバーに出入りしていてね。そこの店主曰く、寡黙に酒を楽しむタイプになっていた様だよ。その辺りから、周囲の人との付き合い方も変わっていてね。穏便な、丁寧な男というイメージがついていたよ。昔を知っていた老年代の人も目を丸くしたほどの変りようだったらしい。百八十度変わるというのはそういう事を言うのだろう。彼の様子を知る者は、『別人の様だ』と口をそろえていたさ。

 そんな彼は、ある日一つの道具を手にする事になった訳だ。……君だって知っているだろう。《機械》を手に入れたんだ。――なに、《機械》を《機械》といって何もおかしなこと無いだろう。あれに何がある? 決まり切った行動をするだけの《機械》で、それ以上もそれ以下もないだろう。まさか君もあれらに人権が必要だという事ではないだろうな。それだったら話は――そう急くなよ。確認は必要だ。俺も記者の端くれだからな。今後の事を考えれば慎重に事を運ぶのは当然だろう。

 そこまでむきになるなら問題ないだろうが。こと《機械》においては神経質になっておくべきなんだよ。そもそも君はどう思う。あの《機械》について。一般的視点を述べるのであれば、機械ではあるが、人を模した物体である上に、特殊合金によって作られた骨組みは人の強度を遥かにしのぎ、人知を超えるほどの計算能力を持ち、人の皮をかぶった化け物と評価するのが正しい、と俺は思っているが、多くの輩は口をそろえてその『華美』な面だけを見ようとしている。概ね九割近い人間はあれを機械であると同時に、自分たちの就労機会を奪った憎き存在であると認知している。《機械》は機械であり、機械の域から出る必要はなかったのに、人の皮をかぶった途端、世界は機械を人の域に浸食させた。働く機会を失った者たちは日々かすかな配給切符で生活を余儀なくされている。OLMの馬鹿が作り上げた偶像は世界を一瞬にして破壊した、大量殺人兵器といっても過言ではないだろう。

 彼は、その《機械》を手に入れて、かなりの肩入れをしていくようだ。確かに家事はこなすし、メンテナンスも自動であるしな。必要なのは電力と定期的な点検をメーカーに依頼する程度か。値段もそこそこで、車と同等程度の値段だからな。それこそ彼の様な独り身にとっては情が移るというものもあるだろう。お笑いなのはその《機械》を抱く馬鹿どももいるらしいがな。彼もその手合いだったらしいから相当頭がいかれているというのは間違いない。――君もそう思うだろう? たかが人形と同じ人の概形をしたその《機械》を抱くなど!

 人付き合いの少ないその男が、たった一つの、『機械』のために一生懸命になろうと思っても就労機会はなく、あるのは親の財産を食いつぶすだけの怠惰な日々の継続。そんな日常を打破しようと思っても人付き合いの苦手からコミュニティに出入りも難しく、ただ鬱屈した日々を過ごしていた様だよ。その年月は長くは続かずに終焉するがね。

 俺がそのあたりの話を記事にしたのは警察に言って――まぁ、上手くやったんだが……、フランクの日記を手に入れたからだ。でなければ、そんな詳細に彼の精神状態を投影する様な記事を書けるものかね。自慢じゃないが、自己投影的な文章を構築するほど俺は文才がある訳でもないからな。それこそエッダの散文的な詩の方が性に合うというものだ。

 彼の精神状態は《機械》を手にしてから一度頂上に向かい、《機械》との楽しい世界を綴っていたよ。それも恥ずかしい内容がいくらでも書いていたから、相当頭のねじが緩んでいるというのはある。あぁ、《機械》を手にすると人が機械になるのか。そういう考えはなかったが――ともかく、一年は少なくとも楽しんでいた。十分に、蕩ける様に甘い甘美な生活だったのだろう。日々の生活に活力がでたとも記載していたな。《機械》には名前がつけられていて、その名前がなんと日記全体には五百以上はでてくるんだ。あまりの多さに俺はうんざりしたがね。ただ、日常的に《機械》に――ロージーという名前を囁いて、髪を梳いて、シャワーを浴びせ、一緒に床に着く。あまりにも歯の浮く内容で俺は何度コーヒーを淹れ直したか覚えていない。できる事ならヒースの激辛スープで一口啜るべきだと思えて仕方ない。

 さて、偏愛の状況にあったフランクを何がどん底に落としたのか。これは記事には書かなかったが。一つの出来事があったと日記には書かれていたよ。

 それは、《機械》が夢を見たという。

 ロマンスがいっぱいな話じゃないか! 非科学的で、しかも超常現象だ。読者受けする事は間違いない! と思ったんだがな。さすがにそのまま記事に突っ込む訳にもいかず、――なんでって、他にもその様な不具合が起きてみろ、OLMから目を付けられた俺は、どうする? ただ訴えられて野垂れ死ぬか? そんなのは御免だね。

 当然、OLMは完全にそれを否定しているし、自己開発が行われないAIを売りにしている以上、業務の学習をし最適化はさせるが、それ以上は倫理規範に則り行動することができないように組まれている。例えば誰かを殺すとか、誰かをストーキングするとか。そういった直接的な事であっても《機械》にはさせないように組まれている。仮に、フランクの話が本当であれば、それはOLMの馬鹿は本当に馬鹿だという事を露呈しかねない。俺も気にはなったからその筋にあたっては見たんだが、一蹴されたよ。――そりゃそうだろう。だれも問題があっても肯定する様な馬鹿がそこにいたんなら、会社は社会的制裁をさっさと食らっている事だろうよ。当然、論理的にあり得ないってな。その論理が破綻しているという話なんだが……。あいつらはいつも計算式しか追っていないから、凝り固まってるんだよ。俺もそんな不確かな内容を書いて、大量殺戮でも起きた日には恐ろしくて隠れながら生活する様になってしまうからな。

 《機械》が夢を見たといっても、それだけが全てではない。夢の内容も重要だった様だ。彼はその夢を毎日の様にロージーに語らせていた。《機械》も機械でよく制御されている物だと思うよ。主人の要求には拒否せずそれをすべて事細かに口述しているのだから。

 夢には法則があるらしく、どこかの民族が、宗教的儀式を行っている様であるとか、どこかの遠くの山の木々が触腕のごとく蠢く様とか、幾何学的な形状をした石造りの町の様子であるとかを克明に語っている。これがどこの土地の事なのか、俺にもわかりはしないがな。このあたりの土地で――ニューヨークでも行けば別だろうが、そんな幾何学的な形状をした建物なんてあるか? しかも石造りとくれば歴史的価値が高いものだ。石文化といえばエジプトあたりだろうか、あるいはイギリスだろうか。学が無い俺にとってはその辺りの知識が不足しているがね。記載のある内容では巨石文明の跡が見られるから、もしかしたら太平洋に浮かぶ島々が大陸だった時代の物だろうか。ともかく、多くの文明が到達しえない都市の形成をしていると書かれていたよ。

 機械の見る夢について彼なりの推測としては、次の様に変遷していた。はじめは誰かが――おそらく《機械》を作った会社の誰かという意味だが、《機械》の記憶領域に突飛な画像を残していたことによる、個々の機器のストレージ整理に伴う閲覧があった、と考えていた。《機械》の記憶装置には優先度の低い情報を削除する機能が備わっているから、一日に一度、人が睡眠するのと同じ様に情報の整理をしているのは知っているだろう。その際に、大方保護のかかった情報を閲覧して削除するかどうかを判定した事を夢と表現した、と考えている記載はあった。

 中期になると、断続的に出てくる情報が、統一性がなくかつ関連性もない事から、ひどい妄想をする様になっていた。情景の中で時折、動物とも人とも形容できない容姿をした物体、生命体と思われるものを偶像化した物に一心不乱に祈りをささげる者たちの姿がでてくるのだが、崇拝をする原住民的な者たちに自己を投影し始めていて、自身もその祈りを捧げる様になっていったようだ。HPLにでも挨拶をするのが妥当だろう。俺でも分かる。そんなのこの世の中の未開発の地域には『未だに』根付いているという事くらいはな。

 後期になると、《機械》に対して自己の思想を押し付け、それらの夢をみる《機械》が預言者的存在に成りえるとして、《機械》への崇拝へと変わっていく。それを独り占めしている事に対する優越感と、彼の住む周辺の人々との関係も、この頃まったくなかったから、ひどく閉鎖的思考に拍車がかかっていたらしい。記載に多いのが《機械》に対する神聖性を説く内容があり、人の姿を模している《機械》は、人の様に余分なものが無いため、神が人に与えるべき本来の機能を、《機械》にもたらした結果であり、遠い遠方の者と同調することで会話の代わりとなる技術なのだと、本気で信じている節があったよ。

 毎晩、《機械》にありもしない情景を話させている事による、自己の精神的摩耗があったのではないかと記事に書いたように推論するがね。君だって想像してみれば分かるだろう。毎日、毎日、不気味な内容を聞くわけだ。しかもどこか宗教染みた内容になっており、敬虔な教徒でなくとも、それを真実に捉える様な事があったって不思議じゃないだろう? 実際にフランクにおいてはそういう傾向だった訳だし、特に《機械》の言葉に傾倒する状況になっていったわけだよ。始めは、ただその言葉をつぶやく程度だったらしいが、徐々に自傷行為も目立つようになった。精神的に参っている者の典型だと思うが、自己の内にある行動原理を理解せず、対処的に行動の抑制をしようとした様子はあった。おかげで、おかしな行動は助長されたといって過言ではない。反発的にという言葉が正しいとは思うがね。

 愛する《機械》の言葉に踊らされた哀れな男という俺の付けたタイトルだって悪くはないと思っているが、それ以上に昨今の機械依存的な生活は、多くの人間の生活空間においても《機械》の侵食は多い。君だって分かっているだろう。この店にしたって何人が人間だ。店主はそうだとしても、ウェイター、ウェイトレスに収まらず、コックだって《機械》じゃないか。人と違い、安定した物を提供するために必要な措置といえばそうかもしれないが、どこに人の手が入っているといえるかね。

 俺は、それを危惧している。このフランクの件から世界に投げかけたいのさ」


◆◇◆◇◆◇


 ジム・マイケル・ライトと出会った時には、辺りはすっかり日が暮れた時間だった。

 彼の行きつけのレストランで落ち合う事になっていた私は、店名を聞いて、やはり、とほくそ笑んだ。自分の行きつけでもあるそこは、町の中でも一番の盛り上がりを見せていた。オレンジ色の光が外にも漏れ、開け放たれた窓から、時折、笑い声が響いていた。オリーブグリーンに飾られた店構えに合わせた様な、硬い葉を持つ観葉植物が扉の左右に鎮座して、かさかさというこそばゆい音を立てて出迎える。黄色と赤のLEDネオンサインが点滅し、程よく赤く照らしていていた。店内に顔を突っ込めば、厳つい店主が外見に似合わず高い声で、愛想よく挨拶をしてくれた。

 当然小さな町だ。港町である事から多くの水夫などもやってくる。未だに人の手が介する仕事の主たるものの筆頭に水夫はあった。機械的なものを舩の上で運用することがリスクも兼ね備えている事と同時に、運航に際する各種装置の発達は、かつての星見による運航と比べて画期的に、スムーズに、安全に行えるものになっていた。船の停泊に係る事故もここ最近はゼロを迎え、岩礁に乗り上げるということも十年の間には聞いていない。それには多くのセンサーが開発され、あらゆる場所を網羅した地図が作成され、自動運行がシステム的に安全の印を担保したからに他ならない。

 オーク材の丸いテーブルにはすでに結構な数が埋まっており、何人もの体の大きな者たちが、騒ぎ立てているのが見えた。久々の陸の上を満喫する様に、豪勢な食事に酒を用意させ、片手に女性を――又は男性を――侍らしていた。楽しみな夜を充実した時間にするために、疲労を顧みずアルコールとタバコを始めとする快楽を一通り体験する。その行動は非常に遊びに対して真摯であり、娯楽に飢えた生活を余儀なくされている水夫たちには非日常を体験できる数少ない時間の享受に他ならない。今すぐにでも船に戻る事になった場合に、楽しみを後にとっておくという行動は微塵も感じさせず、出された料理を皿ごと飲み込む勢いで平らげる屈強な者たちを見ながら私はジム氏の登場を待った。

 全身黒の几帳面なスーツに身を包んだ、真っ黒な男が店の中にやって来た。きょろきょろとあたりを見回し、誰かを探している様だった。私はすぐに手を上げて男性を呼んだ。彼がジムだと分かったのは、丁寧な手紙のやり取りから、神経質に近い印象を持っていたから分かったに他ならない。彼の店内を物色する様な視線は、カメレオンに近く、遠くを、近くをくまなく物色していた。それなのに、一切の体軸の動きは乱さず、ぎゅっと手を前で結んで、それこそ、憲兵の様にパリッとした印象を与えた。

 身長は高く、くっきりとした印象を受けたが、実際に横まで来ると瘦せっぽちだと分かり、どこか安心した。男性が、ジムだと名乗った。その声は想像したよりも一段高く、肩透かしを食らったような感じを受けた。

 黒い髪に黒い瞳、黒い肌。どれをとっても黒という彼は、真っ白な歯をみせて笑った。

 「貴方が、フランクについて知りたいというのを聞いたとき、自分は何を考えているのかと思ったものです。手紙のやり取りを三度させていただき、その真意を分かる事になれば、なるほどどうして、というのもうなずける。興味本位ではあろう事柄も、突き詰めれば一つの研究になるという事ですね。貴方が大学で教鞭を御取りになっているのはウェブで確認させていただきましたし、学校法人もかなりの大規模なものですよね。自分のような者でよければお話をさせていただきましょう。

 その前に、この店のチリソースはこのあたりでは特別で、メキシコ人の店主がやっているだけあって良くできていますよ。自分は元々、隣の国の生まれなんで、懇意にさせてもらっているんです。東海岸だというのに、この味は素晴らしい。地元で使っているチリを集めるのも苦労されるでしょうが。さらに、今時珍しく最後まで人の手で行う。その心意気には感服します。その苦労を労うために自分は仲間と共によく来るんですよ。あぁ、後ろで騒いでいる方々ではないですよ。彼らは現在寄港している舩の船員ですよね。よく見かけます。なんでも年中船の上だとか。人の手が入る最後の秘境でたくましく仕事をしているのは、さすがという言葉しかありません。巨大な船を何人もの人で運営し、多くの国々をめぐるわけです。物流の基本であると同時に、決して法に縛られない最後の砦。であるからこそ多くの人々は魅力に感じ、その門戸をたたくわけですね。自分はそういったところはなく、慎ましく配給を受けている国家の奴隷である事は間違いないです。

 それもこれも《人形》が生活の中にあふれている事からも分かるでしょう。自分は『彼ら』の事は有用だと思っていますよ。自分よりもよく働きますし、日毎に感情の起伏もないからパフォーマンスは一定。難しい事も登録すれば瞬時にでき、必要なのは電力と人を雇うよりも安い経費だけときています。実際企業側から考えればいい事づくめでしょうね。何もそれだけじゃなくて考えてもみてください。人に好かれる様に作られた外見、所作も人の好む清潔感を有して、言語はいくらでも対応しているときたものです。普通の人だったらできない事でも、その特異的な身体能力を使ってさらりと解消してしまう。重い荷物に言うに及ばず複雑な図表の作成、精密機器の制作、危険物の取扱、時間通りの車の運行……なんでもかんでも《人形》に行わせればそれで片がつくことばかりです。自分は昔にタクシーの運転手でしたがね、もう五年も前に廃業となってしまいましたよ。安全な運転を行うために人の手を使わないほうがいいというのが証明された結果でしょうね。自動運転の技術が入り、《人形》が管理する様になり、タクシーも全く別物に変わりましたね。タクシーだけではないでしょう。バスも同じ事です。自分の知り合いでもバスの運転手が――それは片手で余るだけ居ましたが、一人を除いて皆、自分と同じようにクビですよ。それに不満を出せるほどの者はいませんでした。なんていっても乗り心地、安全性、安定性、サービス面……全てにおいて、勝っているのですから、『どうだ』と言われたら、全く対抗できないのは承知でしょう。下唇を噛んで、会社を後にした者がほとんでしょう。実際自分もその気持ちは痛い程分かります。

 フランクの事になれば彼も昔一時期同僚として働いていた、そういう仲なんですよ。短い期間だったんですがね。彼が清掃局を廃業されて、タクシー業界がまだ労働組合によって守られていた時ですよ。自分がクビを切られるまでの半年間、彼とは仕事をしましたがね、とても誠実な方という風には思いましたよ。両親の死別を契機に心を入れ替えたんだと周囲には話していたんですが、それ以前の彼の話――とても粗野な者だったという本人の言葉からは、その印象は皆無でしたね。周囲との関わり合い方が少し希薄な気はしましたが、今時そんな人なんてごまんといるでしょう。端末ですべてが完結するから現実なんてどうとも思わない、そういう若者は昔よりも割合は多い。自分の時にはまだ三割程度といったところでしょうが、昨今の子供は七割は超えるでしょう。フランクもそういった時代の中で、揉まれていた一人なんだとは思いますよ。それでも最低限の付き合いはありましたし、酒を飲みに行く事もありましたね。彼はバーボンが好きでしてね。自分はそういった酒精の強い物より麦酒の方がいいわけなんですが、彼は自分のペースに合わせて飲んでくるんですよ。とてつもない酒豪という印象でしたね。その上、酒が入ると饒舌になるんです。といっても、当たり障りない事が多かったですが。

 あれはいつだったでしょうか、残暑が厳しい中だったので……おそらく出会ってから二か月後くらいでしたか。今から……彼がなくなって一年だから、三年ほど前になるでしょうか。彼と仕事の終わりに軽く食事に行ったんです。彼は小食の類ですから、軽くといっても思っているよりも少量でしたが。自分も大食ではないので、丁度よかったわけですが。少しづつ酒も入り、彼も口がなめらかになっていきましてね。で話がでたんです。《人形》と一緒に住んでいるんだと、恥ずかしそうに――隠す様に小声で言ったんです。自分の家にも家事を行うために一台いますし、家族もそれを喜んでいますから、何も恥ずかしがる事はないと言ったんです。しかし、彼は一人暮らしになっていたし、犬、猫の類もいない。そういった中に美しい外見をした《人形》を得た事で少々今までと違う感情が出たんでしょうね。それを自分が嘲笑するとでも思ったんでしょう。今や家庭の六割には《人形》はいますから、一般的なものではありますが、ただ一人でもないとそうそう買えるものではないですよ。配給切符の売買だけではうまくいかず、自分も家族には内緒ですが賭博めいた事は行っていましたから、彼もそうだったんじゃないかなと思いますよ。そういった背徳感も彼は合せての恥ずかしいという所があったんじゃないでしょうか。それは彼も男ですからね、女性型の導入には外聞がついて回るでしょう。それらを否定的な方もいらっしゃるようですが、たかが人形にそうまで躍起になるというのも可笑しい話ですよ。

 人形のタイプはOLM.CO.の最新型だったらしく、軽く車の値段を超える物ですね。初期型はネットワーク障害によって大規模な停止が幾度となくありましたが、ネットワーク依存度合いが減ったため、安定した運用が可能になっているものです。彼の導入した人形のフォトを見せてもらいましたが、なんとまあかわいらしい物でしたよ。美人型が多い中でそういった、幼い外形を好むのはと苦言を呈したところ、彼もそれを気にはしていた様子でしたね。彼の娘程度の――居ないので何とも言えませんが、そういった外形を注文した時に、メーカーからはもっと若い外形もできる事が告げられらたそうです。倫理的に問題があるだろうと思い、彼はそれを断ったらしいですがね。OLMの倫理観は軒並み底辺にあるんだというのを自分は感じましたよ。ただ、それを欲望のままに利用するのは人間の薄汚い部分なのでしょうけども。そう思うと《人形》というのは何とも悲しい物だと思えなくもなかったですがね。フランクの手に入れた《人形》の性能はそれは確かに今までと違っていた様でした。自分の家の《人形》では料理は二十もできないですが、なんと五十種類はくだらない料理が可能で、掃除、洗濯はいうに及ばず、動物の躾けまでできるんだそうです。鳥などの羽切りなんて事もできるんだそうで、販売店ではそのあたりを自慢されたんだとか。そこまでの精密な作業ができる様になったのも、カメラ――目の精度が上がった事と、初期型で多くの情報を収集したことで、ソフトウェアがより複雑な作業に対応できる様になったからなんだとか。自分にとってもそういう事までできるのであれば、買い替えるのもありかもしれないと思うところですよね。貴方も、そういった面で考えれば、《人形》の一体を保有してみるのも彼に近づく一歩なのかもしれませんよ。

 フランクの寂しい生活の中に、そういった色が添えられたのはあまりにも素晴らしい事だとは思いますよ。彼がもう少し他者との付き合いを考えるのであれば、《人形》は不要だったかもしれませんが、彼は人間関係に一定の絶望を感じていたようでしたから、それはそれでよかったのだと思います。彼もその生活を楽しもうという前向きな感情があったようでしたから。その生活に自分が口出しをする事はできません。必要な手続きを取れば《人形》であっても婚姻は可能なのですから。

 最後に彼と話しをしたのは、自分の退職が決定し、彼がまだ一、二か月は残るというときでした。自分に対してそれほど大きな貸し借りもあった訳ではなかったですが、色々と話しをする仲だったものですから、お礼がしたいという事で、ちょうどこの店に訪れたわけです。愛想よくなった彼の話を聞く限り、彼の生活はいい方向に向かっているんだと感じました。《人形》との生活を誇示する訳でも、自分にそれを勧めるわけでも、逆に何かを悲観したようなそういった表情もありませんでしたよ。

 ただ、ある人と出会ったというんです。それをどうするか悩んでいるという悩みはありましたね。それは雨の日に出会ったそうで、雨具に身をすっぽり包んだまま、顔も出さないでバーに入ってきたらしいんですよ。ひどい土砂降りという訳でもなかったから不思議に思ったそうなんですが、バーの店員はそれが当たり前の様に接して板とのことで、少し不気味に感じていた様でした。彼の隣にその雨合羽を着込んだ男――男だと思うと言っていました――は座ったらしいんですが、バーの店主とフランクの会話に乗る形で、その男は話に加わってきたそうなんです。なんでも、《人形》の行動をより人間らしいものに変えるそういったプログラムを用意できたんだそうで、それを会社に掛け合っていたそうなんです。しかし、費用を吹っ掛けすぎたのかそれが金にならなかったそうで、せっかくの物を眠らせる事になった、と嘆いたそうなんです。

 フランクは過去の経験からそう言った物が、ただ路傍の石よろしく忘れ去られる物だというのを理解していました。彼は、その男に聞いたそうなんです、ロールバックは可能なのかと。男は可能だと答えたそうで、その答えを聞いたフランクは、そういったものを眠らせておくのは忍びないと、自身の《人形》人形にそれをインストールさせることを提案しました。男はその提案を快く受け、値段はタダでいいと申し出たらしいのです。

 男にとっても、実験をする場を設けるというのはとてもいい事だったのでしょう。気をよくして、フランクに酒を奢ったらしいのです。その上、信頼関係構築のためにという事で、普段はあまり人に見せない自身の姿を見せたそうです。その姿についてフランクは多く語りませんでしたが、皮膚に病があるのか、できものが多くある顔だったと述べるにとどめましたね。今時、皮膚病なんて多くが治療できそうなものですが、それもできないというのは本当に貧困――失礼、国家に帰属して献身的な者であるからなのでしょうね。自分の叔母も癌を患っていましたがあまりにも治療費が高額になるために一般的な投薬治療のみですしね。貧富の差はあるとは言え、極端すぎるものだとは思いますよ。一般的な生活は日々、国家の財の再分配に寄る配給のみで、自身の財を築き上げる者は本当に少ないですよね。財があっても日々の生活を少しでも楽にするために《人形》を購入して、手元に残るのはかすかな物ですよ。

 フランクは男に《人形》を預けてから三日後、本来その保障があるとは限らないのに、律儀に男が調整を終えて《人形》が戻ってきたということです。普通考えてもみてください。家財としては高級品にあたる《人形》を、見ず知らずの人に預けるというのがどれだけのリスクを持っているか。それを彼は考えた上で、それが魅力を上回ったのでしょう。人間らしく振舞うというのが、どういった結果につながったのか、自分には理解が及びませんが、しかし、彼がその時点で抱いていた夢というのは、きっと明るいものだったのだとは思います。何が、変わるのかという点もありますが、何を、させたいのか、という点の方が自分は気になりましたね。人らしい物にさせたいことというのは、自分のうがった見方かもしれませんが、フランクの人柄――表向きは温和な人ではあるんですが、そういう人ほど、嗜虐的志向があるのではないかと感じてしまいますね。それが誤りかもしれませんが、そう考えるとすっと入るもんなんですよ。特にそういう者が好みそうな、幼い形状の《人形》を手に入れていましたからね。あまりにも突飛とは言い切れない物でしょう。

 フランクの手元に戻ってきたそれが、彼の思う以上の性能があったのだというのは、よくわかりました。というのも彼が饒舌に《人形》との会話を楽しんでいるというのを同業者に語っているのを自分が辞めた後に、『うんざりするくらいだ』と嘆いた者から聞いています。四、五十年も一人で生きてきていた人間が、自身の事を肯定的にとらえてくれる家族を得たわけですから、それがどういった心境だったのか、自分には理解ができる気がします。自身も運が悪ければそうなっていたと思うのは当然の事ながら、今の人口比を見ればひとりで生きる者などごまんといるでしょう。資産的に裕福にならない以上、家族を持つというエネルギーはかなり高い物に思えます。生活の保障という社会主義的思想は多くの面で人を生かしては居るにもかかわらず、人との繋がりは徐々に希薄化している気がしています。この人形の件にしてもそうです、多くの作業をさせる代わりに、人の生きる空間は狭まっている。彼はそれを好意的に見ているのでしょうが、自分には寂しく思えて仕方ないですよ。

 雨合羽の男がどうしたプログラムを組んだかは知りませんが、人らしくあるべき物を作り、それを彼に与えたということは、フランクにとってとても不幸な事だったと自分は思います。少しでも彼が心の癒しをもらっていたとしても、結果として、一人の男が入水した事実は変わらないのですから」


◆◇◆◇◆◇


 フローレンス・P・モリスはこの町に出入りする福祉局の人間だった。少しダボついた年季が入った飾り気のない灰色のカーデガンに、最低限の身だしなみを整える程度のワイシャツに黒いスーツパンツに身を包み、地味な印象を与えた。しかし、大きな眼鏡と赤い髪が彼女の衣服とのギャップを浮き彫りにし、一見するとちぐはぐな感じを受けたが、どことなく自信なさげな視線の所為で一つのまとまりをもって彼女を形づくっていた。彼女が面会の場所に夕方のカフェを指定したのは、業務から切り離された時間を提示したかったからに他ならないだろう。頭の固い行政の中では、情報を外部に漏らす事、特に特定の個人の事に繋がる物は、禁忌として忌避される行為だったからだろう。当然、すべて筒抜けがいいとは言わないが。フローレンス氏がそれでも故人の情報を口外する事に同意してくれたのは、細やかな金銭を私が授受する事になっていたという点もさることながら、フランクがあまりにも目立った行動をとっていた事から、誰かに話したいという衝動を抑えられなかったのだろうと考えられた。それは饒舌に語る彼女の弁からも窺い知る事もできた。

 カフェという所は特別な場所であり、多くの人にとって贅沢な場所になっていた。だから、ひっきりなしに人が来るのが通例であり、平日であっても自分に対する『褒美』として少ない配給切符を切り売りしながら、得たわずかな『非合法』な金で非日常を享受する。そういった事を楽しむ場所になっていた。その点で言えばバーと変わらないのだろうが。

 町に二か所あるカフェの内一つのこの場所は、アメリカ開拓時代を想合わせる様な味のある外見をしていた。今時高級な木材一辺倒で作られた建物には、アンティークな調度品が並んでいる。特に目を引くのが明りだ。千九百年代の前半に使われていた、オイル式のランプがいくつも釣り下がっていて、全体的に『暗い』と感じる光量で、薄暗く、それでいて柔らかく明かりをともしていた。この明りに木材の茶色がなんとも柔和な色合いになるのだから、とても居心地がいい。椅子も木材だけで作られているはずなのに、長時間座っていても痛みなどでない。微かにバケットに近い形状に整えられているのが、触ってみると分かる事だろう。

 夕刻のカフェには仕事帰りの者たちの姿がちらほら見てとれた。大方、どこかのプログラマか保守員であろうことは、外見をあまり気にしない統一性のない作業着に身を包んでいる事から見て取れたが、彼らこそがこの世界におけるエリートである事は周知の事実だった。彼ら無くしてロボットの運用はできないし、修理も、生産もできない。彼らこそが最も知識を有し、最も多くの富を得られる者たちだった。すんっとした気取った表情は疲れも相まって少し陰りを持ってはいたものの、多くの者が自身の職に対する自負があるのだろう、プライドの高そうな固い表情をしていた。その中において、フローレンスと私という組み合わせはあまりに浮いた存在であろうが、だれも気にする気配はない。他者との繋がりが希薄である現代社会においては、外で見る現実社会よりも、端末越しに見る仮想社会の方が、多くの者にとっては現実であったから、よほど奇抜な事でなければ気にを止められない。仮想空間であれば、高層ビルから飛び降りたり、原色の衣服を身に着けたり、空を飛んだりといったスリリングで強烈な印象を与える映像が溢れていたし、社会を穿って見る事や、他人を攻撃する論調などが好き勝手に闊歩していた。そういった過激な情報が常時である中においては、たかが、福祉局の職員がいたところで何とも思いはしない事は経験上分かっていた。

 フローレンス氏のきょろきょろとした視線も最初だけで、次第に目の前に並べられた贅沢な甘味にくぎ付けとなっていた。当然、経費のうちであるからと、私がそれを勧めると嬉しそうに目を弧にして口にしていた。

 「つまりフランクさんの死亡原因を知りたいという事なんでしょうけど、実際の所、こちらとしても死亡と断定するべきなのか議論がされている最中ではあるんですよ。なんでって、遺体が上がっていないからなんです。確かに夏の暖かな海での事ですから、ゆっくりと外洋に出たとかっていう事も考えられなくはないですが、彼の乗っていた小型のボートは見つかっていますし、自宅からも自殺を仄めかす便箋も見つかっています。警察の方もそれ以上多くの調査は意味が無いとして、行方不明のまま捜査を打ち切り、一か月たっても戻ってきている気配はない訳ですから死亡と断定したというのが事のあらすじですよ。本課でも多くの職員が似た様な出来事――行方不明という意味ですが――には遭遇していますから、目新しいという物はありません。ただ、家財の一部がなくなっているのが確認されたので、警察がそれを調べていたというのは知っていますね。――何って家政婦用ロボットの整備スペースというか、調整用の外部端末と充電用のシート……かなり大きいもので、ベッドの様な形状をしていますが、それが紛失していたらしいです。彼の場合、それ以外の家財が残っていたので、物取りという線も有るのではないかと考えられました。確かにロボットは高価で人気はありますが、それ以上にこれ見よがしに置かれた配給券には一切の手も付けず、宝石の類も置かれたままだったようで、労力の割にはそのリターンはあまり見込めない気がしてなりませんでしたが。そういった経緯で、警察の方でも、偶発的な物取りという可能性を否定している様ですね。ただ、故意的に発生した失踪の教唆やそれに準ずる、宗教的な思想による物……具体的には人民寺院の事件などが挙げられるでしょうか。あそこまで大規模では無くてという事になりますが。どうも、フランクさんの周辺を調べると、宗教的な意味合いが強い……という様な話も出ておりまして。それがどういう意味を持つのか、本課の中でも色々検証が成されました、が、これといって大きな組織が関係しているというのが見えてこないのですよね。ですので、警察でも、本課でもそれ以上の詮索は《不可能》と考えています。

 福祉局においての評価は、《優秀》という言い方が正しいかは分かりませんけど、きちんとした町民であったことは間違いないでしょう。大きなクレームもなく、周囲とのトラブルもない。配給についての業者からの苦情もなければ、彼の住まいにおける生活環境全般に――例えばゴミ溜めになるような――歴然とした問題を有していたというのもありませんでしたから、記録らしい記録が無いんです。ただ、一度だけクレームというか要望を受けた事ありましてね、あまりにその風貌が異常……というか風変りだったために、記憶には残っていました。

 彼がやってきたのは失踪する半年ほど前になりますね。冬から春に変わろうかという気候が比較的穏やかな日だったと思います。フランクさんがやってきたとき、最初は総合案内所に行ってから福祉局に回ってきたところで、少しお疲れの様子ではありました。一番気になったのは天気が良かったのに雨合羽を着込んでいたというのがありましたね。服装も襟を立てて、首元を隠し、長く伸びた髪が彼の印象をぼんやりとしたものに感じさせました。ただ時折隙間から見れる顔にはいくつもの腫物が見えて、皮膚病か何かを患っているのではないかという印象を受けましたが、――さすがにそれを聞けるほど図太くはありません。そういったこともあり、陰鬱なイメージを受けたのを覚えています。

 わたしが彼の応対をすると、言葉遣いは丁寧ではあったのですが、どこかひゅーっと空気が抜ける様な呼気の音と共に、苦しそうに絞り出す声だったかと思います。調子が悪いのだろうとわたしは思っておりましたが、そういった病気なんてあるんでしょうか?

 彼の要望は配給される食事についての要望でした。中にはヴィーガンなどの人もいますからそういった要望を受け付ける事もありましたが、彼のそれは独特でした。宗教上の理由からという前置きをされて、食事を魚中心にして、肉の配給をやめてほしいとの要望でした。わたしはそういった宗教があることを知りませんが、彼の母国ではそういった密教に近い現地宗教があるようなんですね。なんでも海にいる神を奉り、神からの施しとして魚を得る。それ以外の食物は母なる海からの恵みではないので口をつけない。その宗教の名前までは言われませんでしたが、海洋民族なんかはそういう価値観を有しているのだろうというのは、社会派の映像などで見た事がありましたから、そういう物もあるんだろうなという感じはありました。ですから、彼の申し出を受けて、わたしは申請書に記載をしてほしい旨を申し出ました。

 ところが、彼は文字が書けないという事でした。彼の生活記録などは台帳に収められていますから、中等教育レベルを受けているのは画面から一目瞭然でしたから、その行動について怪しく思いました。しかし、彼がペンを持てない状況にあるのだというのは、包帯がまかれた手を見て理解をしました。両腕骨折でもしたときの様にぐるぐる巻きに包帯がまかれていたんですよ。所々血なまぐさい感じで黒ずんでいて。わたしの視線を感じたんでしょう、皮膚病だという事を申し出てくれました。どうも全身の皮膚に腫瘍ができているらしく、腫れたところが膿んで組織が崩れると出血するんだそうです。病院にも行ったらしいんですが之といった治療が無いとのことでした。首筋を見せてもらいましたが結構ひどい腫物が左右に一対のウロコみたいな感じにはれ上がっていて呼吸をするたびにそれに呼応する様に膨らむんです。とても見ていて痛々しい感じでしたが、彼もその原因は分からないとのことでした。彼の申し出を申請書にまとめて、どうしてもサインが必要なので、震える手で書いてもらったもので、申請をした記憶があります。

 彼の付き添いにロボットがいたのは知っていましたが、個人の筆跡でなければ公文書では認められないんですよ。ロボットが彼の後ろに控えていて、身長が彼の胸くらいの高さでしたから、結構小さい物を持っているんだなぁと思ったのを覚えています。よく手入れされているのは見てわかり、特殊な使い方をされている方特有の――乱雑な、あるいは粗暴な感じは受けませんでしたね。頭部の手入れ具合などを見れば相当苦労をした中で手入れをしているのは見て取れました。本当にさらさらなんですよ。笑っちゃいけませんけど、今時あんな綺麗に使うのは珍しいなぁと思いました。服装だって彼の好みだったんでしょうが落ちつた装飾のワンピースを身に着けていましたが、特に純白さが目立っていましたよ。普通ロボットには汚れてもいい服装をさせるのが一般的ですから、あまり好まれない色だというのは御存じでしょうけど。

 でも問題なのは、彼を支援する体制ですよ。うちの課長にも話をして医療の提供のグレードを上げられないか、とも掛け合ってみたのですが、生命の危機に瀕する様な重大な疾患と認められないって突っぱねられてしまって。あまりにも浮かばれないじゃないですか、生活の扶助は最低限受けられても、生活もままならないほどに病気が進行しているのに、内臓系疾患を中心とすると法律で明言されているから、それ以外は見ることはできないって。本当に可哀そうにおもいました。ロボットの介助がなければ歩行も怪しい程ではあるんですよ。当然全身の皮膚が同様の状態らしくて、歩くたびにズボンに足があたって、擦れてすぐに血がにじむそうなんです。だからだぼだぼの服に、雨合羽を着込んでいるんだって。とても痛々しい状況を、結局、わたしの部署でも見て見ぬふりしかできなかったんです。

 そういえば、帰り際に一人の男性と話しをされていたのを覚えていますよ。その人も同じように雨合羽を着込んだ方で――性別も分からないですが、ロボットの事で少しの間話しているようでした。少しの間側にいたので話に聞き耳を立てさせていただきましたが、その方――便宜上、声の質から男性とさせていただきますが、にフランクさんは感謝の言葉を述べられていました。なんでもロボットの性能向上に多いに寄与していたとのことで、少し涙ぐまれていた様で、声が震えているのを感じました。男性もフランクさんに自身の研究の成果が出せた事、それによってフランクさんの生活のサポートが思いのほか上手くいったことに、自信をつけたという事でした。その上で、研究体としてフランクさんの持っているロボットを一時的に借受し、研究発表に使えないかと申し出をされていました。しかし、フランクさんの体に大分無理が来ているのはわかっていましたから、それに難色を示されていました。そして重ねて謝罪をしているのを覚えています。男性もそれで気を悪くしたとかはなかったようで、最後はフランクさんをねぎらって建物の外に一緒に出ていきましたが。

 それから半年ほどは配給記録を見ても普通の生活を営まれていた様には映ります。八月二十四日を最後にその記録が消えていますから、おそらくはその日に……。

 彼の足取りはわかりませんし、どこに行くというあても知りません。ですからわたしが警察に話をさせていただいたのは、だいたいこの様なお話になります。あまり参考にはならなかったと思いますが。

 そういえば、彼の小舟が見つかった辺りには無人島がいくつもありましたよね」


◆◇◆◇◆◇


 夜も明け方に変わる中、客のほとんどが返ったバーで私は一人、フランク氏について考えをまとめながら酒を楽しんでいた。他人のことを肴にするなど、普段は決してやりはしないが、結局三人に話を聞いたところで、死の真相に迫れるものは何一つなかった。奇妙なロボットとの生活が浮き彫りになったくらいなものだった。不明といえば彼が患っていた病についても不明だし、彼の信仰していた宗教というのも不明だった。結局真相に迫れるものではないのだろうかという諦めた感情が胸の中には広がっていた。その苦みを流し込む様に酒を一口含んだ。強い酒精の酒を飲むことは自身の生を実感できるという錯覚を与えた。特に口いっぱいに広がる香が支配し、その後、喉を焼く感触を楽しむと、血液が沸騰するのではないかという程の勢いで流れている感覚を、顔から感じられた。全身が瞬く間に熱くなり、少し肌寒いエアコンの風がひんやりと現実感を与えてきた。

 そういった客であっても店主は嫌な顔せずに付き合って酒を提供していた。とうの昔に店が閉まる時間は過ぎているはずだが、私の他にもう一人いるらしく、どちらが最後になるかと、対抗心を燃やしながら居座っていた。相手の様子は見て取ることはできないが、私と同じくカウンターに座り、私とは逆側の一番奥に座っていた。観葉植物が途中にあり、その姿を見る事ができない。普段であれば、そんな植物の事など気にはしないが、今日はやたらと視界の端でちらつき苛立ちに似た感情が沸き上がった。それもこれも、対抗心からくるものだろうというのは分かっていたが、冷静に諫める事などできない程だった。だから、相手のグラスが空になれば、私も合わせて空にして追加の注文をしていた。

 すっと店主から一つの差し入れがあった。それは一枚のメモで、書きなぐられたように文字は汚いが、可読することは可能だった。『一番端の席に来い』と書かれていたものだった。始めは、とうとう帰れという文言かと思ったがそうではなく安心感でほっと胸をなでおろした。

 私が奥の席にいくと、男が頭を下げた。人の良さがにじみ出る程、にこにことした男性だった。半袖のワイシャツにブルーのズボンは作業着だろうか、少し油汚れらしいものが見て取れた。キース・O・デイリー。そう名乗った男は、真っ白な頭に、皺の刻まれた目元、顎髭を蓄え、白い歯を見せて笑っていた。

 「夢に落ちたフランク・J・ブラウンを探しているのかい? それとも、哀れなフランク・J・ブラウンの物語を欲しているのかい?」

 キース氏の言はどこか楽しむように、詩的に語った。私が欲している物は何か。確かに、フランク氏の死の真相を知りたいという欲求と、それを元に現代社会の暗部を論文にしたためたいという限りない自己中心的欲望によって彩られた物だったが、それが途中から、フランク氏のことを知ろうと努力していた節はあった。現在の目的は当初からぶれないはずであったが、今、仮にフランク氏に会えるのであれば、それは本人の口から何があったのか聞けるという大変興味深いものであったが、探す事というのがおそらく死という状態の彼との面会――おそらくは墓場の事か――にあたるだろうという事は推測するに難くなかった。彼の言う夢に落ちたというのがどうも頭の中に引っかかって仕方名が無かったが。私は現実的に考え、物語を聞けるのであれば、それでこの話を終わらせられると思っていたし、実際、結末は変わらず、彼の死を決定付けるだけの物だろうという事は推論から分かる話だった。私はどう答えるべきか迷った。キース氏が何かを知っているのだろう事は得意そうな笑みに切り替わった彼の表情が物語っている様の思えて仕方ない。

 私は個人的興味を解消するために、物語を聞くよりは事実に直面した方が、気が変わると思った。彼が哀れな現代社会のドロップアウトであるというよりは、彼の死を知り、私の好奇心に諦めがつくのではないかという期待もあったからに他ならない。キース氏は私の答えを聞くとにんまりと笑った。

 「君は自身が見聞きした物に最大の信頼を置いているのだと見える。例えそれがこれだけ酩酊した状態であっても、聞く話よりも事実を探りたいという好奇心が強いのか。秘密を暴きたいというその欲求は実に良く分かるし、それ無しには人は人足りえないとも思う。しかし、個人的感想を述べるのであれば、君は後一杯、酒の肴に故人の物語を聞き、さっさとベッドにもぐりこむ方が有意義に思えて仕方がない。きっと明日になればすべて忘れ、新しい物への好奇心に心躍らせる事になるはずだ。こんなある種くだらない物語など、君との交点を持つほどの物はないとさえ思う。それでも君は、事実を見ることを望むという訳だ。真実という物に一切の脚色なく己の五感で体験しようというのか。

 ――なるほど。よく分かった。

 であればまず君には語る必要性がある。その後に彼の夢の跡に向かうが良いだろう。

 これはフランク君が求めた世界の一つであるというのは間違いない。その結末としてはある種帰結しており、これを覆す術を俺は知らないし、神でもそれを覆す事は叶わないだろう。彼は死んだのか。おそらく誰もがそう思う。船にのりどこかへ行ったと数少ない者は考えるだろう。しかし、その船は沖合で見つかり本人は不明。家は物家の空だし、帰ってくる気配もない。どこか別の町に行ったにしてはあまりにも不自然だし、生きるために現地で職に就くのであれば、行政のデータベースがすぐさまエラーを吐いて個人特定される。その兆しもない以上、まったくの別人に成り代わったか、まったくこの世界の監視網から外れた場所にいるか。それがある種――死と同義だと思うが。大方、その二択になるのではないか。なに、答えは君が見てから考えるべきだ。俺が提示する物ではなかったな。俺は、《俺の答え》をもう見出しているから、これにかかわるのはストーリーテラーとしている位で、実際にその場に行ってみたいとかそういう、俗的な考えは一切ないんだ。

 さて、フランク君の事を語るにあたって、一つ必要なキーワードがある。それはリンゼイ・レデットだ。これは本当この物語について回る悪夢みたいな奴でね。

 彼とリンゼイ君が出会ったのは、雨の降らない日に一人飲んでいたリンゼイ君にも問題があった。俺と同じくOLMの末端にいたはずのリンゼイ君は何を思ったか、自身の才能に無限の可能性を感じていた節があるのは間違いない。確かに、能力は高く、基本的なプログラム構成位は片手間で出来ただろうし、独自のアルゴリズムを駆使したコードは無駄が少なかった。が、それもそこまでだ。特筆するべき物は、彼女の自尊心が高すぎるという点だろうな。能力以上にそれは厄介な物だと俺は思う。女の癖に男の様な恰好をして、声は低く、それを隠すために雨合羽を着込み、自身の姿を絶対に晒さない。なぜかって、才能を性別で潰されるのを嫌ったからに他ならない。いくら平等の原則があったとしても、未だに根底にある男尊女卑の傾向を完全に払しょくできている訳ではなかったからだ。人事部などは性別を知っていたし、長年の同僚は良く分かっていたが、決して自分からそれを明かす事はなく、逆にそれを明かそうとする者を糾弾する節もあったから、誰も彼女のことについて触れる事はなくなっていったのが現状だ。極度の人間不信だったといっていい彼女が、一人で、このバーでフランクに会った事が全てのきっかけだ。

 彼女は自身の能力を『正当に』買ってくれると思っていたがOLMにはそういった『感情』を持つ機械など不要だと切って捨てたという事がずっと、恨んでいた様だね。当たり前だ。人の管理の内最も面倒なことは何か。当然君にもあるだろう、しこたま飲んだ翌日に仕事に行きたく無くなる事や、些細な人間関係のほつれがプロジェクト全体に影響を及ぼすなんてことなんてざらだ。《感情》があるからこそ、それは発生し、だからこそ忌避され、管理が面倒になり、人々の生産性は失われる時もある。逆もまた然りだから、想定以上のパフォーマンスが出る事もあるだろうが、その波があればあるほど生産の見込みは余分を必要とする結果になる。OLMにはそんな不確かな物に多額の金額をかけて機械を機械として使うべきところを曲げなければならないのか、絶対に理解はできないし取り入れる事はないだろう。俺もその意見には同意するよ。ロボット三原則なんてものはいらないが、感情を持たせる事の意味が全くもって分からない。それこそ機械に人権を求める人権家が喜ぶっていう物だ。それ以外に利益がない以上、不要だとは思うがね。リンゼイ君の一番気に入らないところは、それが世界の常識だと思っている所で、機械はより人に寄りそうべきだと信じ切っている事だ。論理的に考えなんのために機械を導入するのかを考えなければならない。効率性を上げるために機械を入れるんだろう? 安定性を得るために機械を入れるんだろう? なのに、感情という不確かな物で機械にバイオリズムと同等の不安定さを付加するというのが、あまりにも理論破綻してやしないか? それは機械である必要がなく、子供をつくってくれればいいだけだろう。人類が人類足りえるのはそれがあってこそだと思うが――。君にこう言っても意味がない事はわかっている。これは、OLMや俺の考えと、リンゼイ君の考えが全く相いれないという事に他ならない。

 ま、リンゼイ君はその実証実験をする場所をいくらでも欲しているんだ。だからこそ悪魔のささやきをした。孤独な男に、家族の喜びを与えるというなんとも卑劣な事じゃないか。君にもそういう感情はあるんじゃないか? 下劣な行為だと俺は思っているが、それによってフランク君に多少なりとも幸があったというのであれば、細やかながら救いがあったと、思えなくもないがな。だが、実際、彼は海に入り、姿を消した――ことになっている。その幸が飛沫である様に感じられたんだと俺は思うが、それは個人的な感覚だ。

 彼に仮に幸があったというのであれば、不幸もまた同時に存在した。彼女は《人形》に夢を見せる事に成功した。それがどういった夢であったか、詳細は知らないが、リンゼイ君の言う事には数多くの世界の遺跡の写真をストレージに保存したとは言っていた。彼女がそうしたのは、彼に世界旅行を疑似体験させるような甘美な言葉を機械がする様に仕向けたものだったとのことだが、その中に入れてはならない物も入れてしまったという点で不幸だったと言わざるおえない。

 入れてはならない物とは何か。

 それは誰かの創作した物を入れたということが問題なのだ。

 例えばピカソの絵画を入れたとき、詳細としてきっちりそれを言語化できるようにタグ付け、分類分け、詳細説明がされているのであればまだ別だろうが、そうでなければ、それが人を模していると機械には判断ができない。幾何学的な世界を作り上げていると機械は認知し、彼に抽象的でかつ不安を煽る言語を多量に吐き出す事になるだろう。それが幾日も続く事により妄想は膨らみ、彼の中で人知を超えた何かによって形成された意思が機械に宿ったという天啓を得たはずだ。出なければ、そのちぐはぐな妄想に、H・P・Lやポーの様な世界観を自身に内包する事には至らない。彼の妄想は現実に侵食し、自身を変革させる程に迫った。それは迫真の演技といっても過言ではない。自身がその夢に囚われその場に行きたいと願ってしまう程に。自らの皮膚に毒を塗り爛れさせたり、自己が異形であろうとするためにわざと関節を痛めつけたり。なぜ彼は自身をそうまで変革せしめたのだろうか。明らかに精神的に不安定な状態になっていたとしか考えられない。そこの不安定な精神に、不安を煽る怪しい絵画の数々から切り出された不協和音に近い文言は、言語という体裁を取りながらも彼に世界の深淵をのぞき見させたと思わせるには十分だったのだろう。彼の謎の信仰心もそうして作られた――俺はこういう言い方をするが、リンゼイ君の人為的に作りだした洗脳の末の化け物だ。

 これは何を示すか。

 俺は機械を使った殺人だと考えている。

 リンゼイ君は殺人鬼に成り下がった。最悪の結末だ。

 機械に肩入れする余り、それに情が移る余り、それなしには生きえないと思い、それに『依存』し、それに『恋慕』し、それに『博愛』し、それに『傾倒』し、それを『現実』と誤認した。

 決して届かない思いを、プログラムの返答だったとしても事実と記憶をすり替え、自己の欲望のままにそれと生きていると勘違いをし続ける。あれは余りにも危険な物を作ったと俺はリンゼイ君に言った。しかし彼女は俺の指摘を受け入れられない。彼女が俺に言ったのは逆の事だった。フランク君の死に関して一端が機械にあるとしても、彼の生きた時間において、個人の些細な幸福につながるのであれば、その結果として何が起きようとも『成功』せしめたのだろう、とね。

 彼はリンゼイ君に出会い、機械に感情を与えられ、極度の妄想から自己をその空想の中に閉じ込める事を目的とした。何があるのか君が見てみるといい。

 妄想は結実し、その果実を自ら食した。ヨルムンガンドの見る夢と変わらない。

 暗い、暗い、憂鬱ブルーな夢だよ。はは、何とも哀れな姿か。なに、すぐに君も拝むのだろう?」


◆◇◆◇◆◇


 キース氏は私に一枚のメモを渡してくれた。それは煤けた様な茶色の紙片の一部であり、それ単体というよりは、どこから、切り取られた様なそんなメモだった。遠い過去に作られた街の全景を記された地図の一部だと分かったのは、町の概況が今と大きく異なっていた事だ。三十年も前には無くなった鉄道の線路が残っていたり、町の中心にシンボリックな建物――今ではただの廃墟になっているが――市庁舎が克明に描かれていたりと、時代を感じさせる。町の全景を模した地図を乱雑に切り取ったのだろう、北側の描写は切れていたし、西側に至っては川の一部だけ描かれるような有様だった。しかし、その中で一際注目するのは、南の町のはずれに赤い印がされていたことだろう。私の記憶ではその場にあるのはかつての港の跡地というだけだ。

 さびれた町に今や産業らしい産業はない。それでも生きながらえているのは国家からの配給があるからだ。一次産業も生産量を安定化させるためすべて国営化された。広大のあったはずの作物の生産基盤は、国家の中央の州へと移動させられ、残された地方の穀倉地帯は住宅地へと再開発された。しかし、住民の移動は思う様にされず、結局は廃墟を創り上げるだけにとどまった。

 二次産業はとうの昔に機械化され、三次産業は衰退した。そんな中で産業に従事せずに、何を担保に住民が移動するというのか。住み慣れた街を離れる理由には、それ相応の動機づけが必要だろう。しかし、国家はどこか共産主義的思想に基づき、国家施策に国民が従順に従うという淡い期待を持っていたのだろうか。

 より人類の生活を豊かにするために、多くの人的資源を研究開発につぎ込むという国家の目論見は、多くの人々の生産性の低下によって簡単に打ち砕かれた。残ったのは骸の山だ。人の姿をし、ただ日々を怠惰に過ごす者、ただ日々という時間を冗長化した空虚な檻として生きながら得ている者。そういった者達ばかりの世界を創り上げた。

 何の為に?

 私もそれは何度となく、自問自答し、しかし、答えは出ない。国家のするべき事は高き理想の先を目指してレールを作る事だろう。だが、この百年に何があったのか。それはただの自傷行為と同列な卑屈な行動だと私は思っている。

 人々は生産のノウハウすら失い、機械なしには生きられず、しかし今後、機械の維持管理すらも怪しくなることだろう。たった一握りのエリートがこの世界を支配しているという事実に、気づいていたとしても、誰一人、それを是正する力をもう持ってはいない。国家の求めた理想は図らずも成立しているのだろうか。リンゼイの言う様な、《機械》への感情の導入は、そういった鬱屈とした世界を正常化するための一つのプロセスなのではないか。その答えが、フランクという事ではないか。そう思えて仕方がない。

 確かに《ロボット》は有用だった。しかし、人々が考えるのを捨てるほど必要だったかは誰にも分からない。

 この港の跡地を見れば、悲しい歴史を物語っていた。人の手が入らなくなって半世紀近く経っていた。その場に置かれたままになっている多くのパレットは風化し、元は白色だった市場の屋根を支えていた鉄骨は潮風でさび付き、屋根の一部は崩落していた。湾曲した様に崩落した屋根は、前衛的な形状の鉄骨を見せてくれた。正しくこれが『現実』だと伝える様に、酷く歪んだ姿だった。

 コンクリートはひび割れ、時折潮水が噴水の様に噴き出ているところもあった。遠くに見える防波堤はいまだ現役ではあったものの、その役目を終えて、海に身を削られていた。波打ち際は彼方此方に大量のフジツボがびっしりと群を成し、人の手がどれだけ入っていないのかを物語っていた。海底から延び切った海藻が緑色に海を変色させていた。

 どこからか移り住んできたのだろう、猫の家族が、怪しく光る眼を私に向けていた。みゃーと一声鳴く事もなく、ただじっと睨む姿は、ただただ異様で、どこかうすら寒く背筋をぶるると震わせた。

 海に出る者たちはこちらの港の跡地には来ない。もっと新しく効率的に作られた新しい港に行っていた。大きさだってこの港の四倍はあるだろう。巨大なタンカーが止まるには、余りにも小さすぎる港では、彼らの仕事は出来ない。積み荷の運搬に巨大なクレーンだって必要だろうし、荷物を運ぶための鉄道の駅への導線も必要だった。この場所では、最寄の駅まで荷物を運ぶのに、多くの燃料が掛かる事になるだろう。

 こういった忘れられた場所はいくらでもあった。そういった場所は解体する訳でもなく、自然に風化するのを待つ運命にある物たちだ。一時期は浮浪者などもいたらしいが、急激な国家方針の転換により多くの死者が出たため、人口は激減。今では州、又は国家の運営する住宅に押し込める人数しかもういないのだ。それですら、空きがあるのだから救われない。

 散策する。潮風に乗り、海鳥の高い声が響いてきた。海の音を聞くのも久しぶりだった私にとっては、まずまず新鮮に感じられる。時折大きな音で防波堤にあたる波が、港の中の海水に動きを齎し、浮きが上下する様を観察すると、未だに世界は生きているという事を実感できる。死に向かっているのは人だけで、世界はそんな事など何一つ考えも、気にもしていないのだとよく理解できた。

 建物があった。木造だっただろうその建物は、今時珍しいレンガで丁寧に補修されていた。窓枠に向かって聳えるレンガの壁の下からは、ボロボロになって黒ずんでいる木材の跡が顔を出していた。窓には潮の影響だろう、錆びて開くのかどうか分からない雨戸が半分かかっていた。木材に防腐剤がしっかりと塗られた重厚な造りの黒い扉には、銀色に磨かれたドアノブが付けられていて、最近まで誰からいたのだろうという事が窺えた。

 赤いレンガの建物などを見るのは歴史の教科書程度なもので、現存する建物の多くはコンクリートで固められた簡素な色合いしかなかったため、新鮮に映った。しかし、どこからこの量を手に入れたのかは分からない。もしかしたら、自分でこのレンガを作ったのだろうか。素焼きレンガであったとしたら、窯でもあるのだろうか、とあたりを見渡してみたが、何処にもそういったものは見当たらない。もしかしたら、崩れた港の管理事務所の建物から引っぺがしてきてパッチワークの様に貼り合わせたのかもしれない。モルタルであればまだ手にははいるのだから。

 扉に手をかけると、一切の淀みなく扉は開いた。軋みも引っかかりもなく扉は手前にすんなりと開き、私を出迎える様に入口には猫が二匹いた。

 子猫だろうか、遠くから鳴く声が聞こえた。

 私は部屋の奥へと進んでいった。床板も張り替えられたばかりなのだろうか、軋みを上げる事なく私を支えていた。

 革靴の固い打ち鳴らす音がコツコツと静寂を支配する部屋に響いた。マットはひかれておらず、打ちっぱなし木材の壁際に、これから床材を打ち付けるのだろうと思える資材がいくらか積まれていた。

 キッチンの方へと向かえば、猫がここには来るなという様に鳴き声を上げて威嚇した。冷蔵庫の前には食べこぼしだろうが、いくらかの肉の破片がゴマの様に落ちていて、黒く変色し汚らしく感じられた。簡素なキッチンには水が通っているらしく、ぽたぽたと水道からは水がこぼれて、桶にしっかりとたまっていた。猫の一匹がその桶に顔を突っ込む様に水をなめていた。

 床の張り替えられていないリビングに戻ると、北側の部屋に抜けた。

 木製の扉が半開きになっていた。

 静かに扉が開くと、きれいに張られた床が、太陽の光を浴びて反射していた。少しまぶしく感じ目を細めながら中を見る。

 窓際には一つのベッドの様な黒い椅子が据えられ、その横に真っ白なブランケットを掛けられたベッドがあった。ベッドは山の様に隆起し、それが人の大きさである事を理解した時、私は小さく悲鳴を上げた。見るべきか。否か。見たくなくても、自然に手が動いた事で、否応が無しに《それ》を見る事になった。

 西向きの窓からは強い日差しが入り込み、ベッドを照らしていた。

 私は決心して、ブランケットをめくった。

 途端、胃から逆流する熱い物を感じた。

 これは、と思った。人の概形ではない。明らかに人の姿とは言えない。

 唇は乾燥しミイラの様にへばりつき、歯の姿をこれでもかと見せてきた。眼球は深海魚の様にパンパンに膨れあがり、痛々しい程の充血が見て取れた。鼻はそぎ落とされたのか全くの隆起が見られない。ブランケットを確認すると、黒い線状の組織片が付着していた。皮膚は多くが折り重なる様に糜爛し、多くの組織が壊死したのか黒く変色していた。それが固いウロコの様に折り重なり、波形に近い文様を全身に及ぼしていた。指の間には両生類の様に水かきがあった。いや、これは皮膚が下がり、指を隠しているのだ。腕の一部からは白い骨が見えている。死んだ組織が重力によって下へと押し出されたようにも見えた。

 人の死ではない。そう思った。

 彼の妄想で自身がそうなることを望んだものなのか?

 込みあがる嘔吐感を抑えながら彼に再び毛布を掛けた。

 呻き声がした。

 ハッとして、毛布の方を見ると、微かに揺らぎがあった。《これ》はまだ生きている?

 そう考えると恐怖心が全身を駆け巡った。今すぐこの場所から逃れたいと思えたが、再びゆっくりと毛布を開き、その呻きを『確認』せざる負えない。これは私の『興味』の所為。

 倒れた男を見ると、先ほどよりもたしかに、動きが見て取れた。眼球は私を追ってゆっくりと動いていた。

「……ロー……じー」

 声というよりはヒューという音が耳に残る。

 間違いなく、《これ》は生きている。生きているのか。否、どう見ても死んでいるはずである。苦痛はないのか? どうして生きているのか? その視線は何を見ているのか? 呼吸は大丈夫なのか? 血液は足りているのか?

 頭の中を駆け巡る疑問は、要領を得ず、ただ一つの疑問に帰結する。

「誰だ?」

 口に出したのは、その問い。答えを期待したわけでもない。たった一つの疑問を解消するために――あるいは確認するために、問うた。

「……ふ……ラン……く」

 あぁ、これは成したのだ。コミュニケーションがとれしまった。間違いなく、この異形は、私が追い求めていた《答え》だ。

 後ずさった。骸の様なフランクを見て私は背筋が凍り付いた。

 がたん、と後ずさった拍子に椅子にあたる。視線を向けた。

 黒い椅子の上には便箋が一つ。

 私はそれを手に取った。

 ロージーへの感謝の言葉がよれよれの字で記載されていた。

 そういえば、彼のロボットはどこにいったのか。

 海に浮かんでいた小舟は、彼ではなくロボットが乗っていたものか。

 私は混乱した。これでは、キース氏の言った物語を聞いている方がよかった。

 どこかで物音がした。猫だろうか。

 否、高い靴の音が響く。

 私は振り返った。

 部屋の入口には一人の影が見えた。雨合羽を着込んだ、其れは、私に声をかけた。

 あぁ。次は私の番なのか。

稚拙な文章ですが、最後まで読んでいただき、誠にありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 美しい作品だと思いました。面白かったです。
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