表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
お手を拝借。  作者: ヒロセ
2/4

02 午前8時の動揺

弱いところなんて、見せたくないのに。

AM7:30


昨日は珍しく日が変わる前に自宅に帰った。

終わりが見えない仕事のことを考えていると、随分早く事務所に来てしまった。

仮眠をとっているであろう相棒に気を遣って、音を立てないようにそっとドアノブを回す。

と同時に、中から勢いよくドアが開いた。

「うわ、危ないな。なにすんの」


抗議の声を上げると、ドアを開けた浅田くんが嬉しそうにわたしを見下ろす。

「おはよう」

「おはよ、気味悪いんだけど。なに笑ってんの?」

「いいから入れよ、朗報」

一枚の紙をこちらに差し出しながら、わたしを招き入れる。

「コラボ、セミナー・・・え?!うそでしょ」

「ほんとだよ、ちゃんと読めって」

「今人気の美容師さんだよね?どうしたの?」

「ちょっと前からSNSでアプローチかけてたんだよね。この人、環境に配慮してる商品扱ってるメーカーの情報追ってたりして、今の時代にもお前の主張にも合ってるだろ」

「うーわ、浅田くんほんとできる男だね。わたしもこの人の発言追ってたんだ」


泊まり込んだはずなのに、浅田くんは朝から爽やかだ。

折り曲げたワイシャツの袖から、逞しい腕が覗く。

そういえば最近ジムにも行けてないって言ってたなあ。

わたし一応社長なのに、こんなに働かせてていいのかな。

余計なことを考えたせいでぼーっと見つめていたわたしに、浅田くんが困ったような顔をする。

「あれ、タイミング違った?」

「あ、ううん。そういえば浅田くん休んでないなって」

「今更かよ。それより寺田さんの略歴送ったから見といて」

うん、と答えてPCを立ち上げる。

ポケットに手を突っ込んだままこちらを見る浅田くんは、いつもより少しだけ声が高い。

「セミナーのテーマ、希望ある?調整するけど」

「・・・いつもと同じで」

了解、とつぶやいて浅田くんはデスクに戻っていった。


山野さんというその美容師さんは、高い技術力と端正な顔立ちで人気を集めている。

SNSの使い方もすごく上手で、いつかは一緒に仕事がしたいと思っていた。

わたしと山野さんの主張は同じ。

「環境にも人にも優しい美容」この一言に尽きる。

環境まで考えている美容師さんとはなかなか出会えなくて、山野さんのSNSや書籍はすべて目を通した。

そんな人と仕事ができる嬉しさは、この道に進んでいなかったら味わえなかった。



スケジューラーを立ち上げると、思わずうわっと声が出た。

昨日23時に退社した後、乱雑に入力されたわたしのスケジュールを浅田くんが整理してくれていた。

「スケジュール、ありがと」

声をかけると、今度こそ困ったような声を上げる。

「お前、ほんとに休みないじゃん。空き時間はずっと資料作ってるしさ。秘書としては心苦しいよ」

「もう少し落ち着いたら、休むよ。こんなよちよち歩きの会社に仕事くれる人がいるんだから、喜んでやらなきゃ」

浅田くんの言う通り、会社を立ち上げてからほとんど休んでいない。

自分が社長なんだから、当たり前と言えば当たり前なんだけど、さすがに疲れも溜まってきた。

だけど、仕事が入らない恐怖と、休めない辛さの間で、わたしはもうずっと揺れている。



しばらく黙って仕事をしていたのに、突然浅田くんが口を開いた。

「あのさ、山野さんとのセミナーが終わったら、しばらくセミナーは休みにしよう」

ついに、きた。

今のわたしのキャパを突き付けられたようで、思わず強い声が出た。

「どうして?全然いけるよ。もう普段用の資料も固まってきたから、毎回微修正で出せそうだし」


今日の浅田くんは、よく困ったような顔をする。ほら、今も。

「ちょっと休もう。大丈夫、期間開けて次の設定しとくし、集客の期間がちょっと長くなるだけだって。それに、今までの間隔が異常だからな」

浅田くんはわかっていない。その期間が、怖いんだということを。

「浅田くん、わたしね、会社始めてからもうずっと怖いんだよ。仕事なくなったらどうしようって」

起業に向けてひた走ってた時は、自分がこんなに弱いと思っていなかった。

ただ目の前の目標を達成することだけに全力を注いでいたけど、生きている以上、その次もその次も見据えていないとだめだったんだ。

しばらく黙っていた浅田くんは、コツリと革靴を鳴らして、わたしのそばに立った。

そして、会社を背負っているというプレッシャーで食事も喉を通らなくなって、随分細くなったわたしの腕を掴んで言った。

「これ以上痩せてく山下は見てられない。会社は、何があっても守ってやる。だから、頼むから、自分のこと大事にして」


浅田くんは、何も悪くないのに。

あの日、偶然人生が交わって、そこからわたしがこんなところまで連れてきてしまったのに。

どうしてこの人は、こんなにやさしい瞳でわたしを見るんだろう。


「・・・山野さんのセミナーまでは、今まで通り死んでもやりきる。それが終わったら、少しだけペース落としてもらえるかな」

腕を掴まれたまま、目をそらすわたしに。

彼は、一瞬満足そうに目を細めて、いつもの強気な顔で言った。


「仰せの通りに、社長」



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ