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愛を知ってIを知る  作者: 餅巾着
1/3

前編

「これで……お前だけでも死なずに済む」

 そう言って俺は自殺した。それからはいつもの繰り返しだ。

ジリリリリリリリリリ。

この音もいつも通り。終わりからの始まりの音。俺はその音を止める。

これで四回死んだ。たった四回と思うか。それとも四回もと思うか。片手で数えられる数字だ。残念ながら物理的に手では数えられないこともあった。こんなブラックジョークが言えるだけの余裕はあるようだ。その余裕をくれた相手も恐らくもういないだろうけど。「死にたい」

本当は死にたくない。でもこの苦しさから逃れられるなら本当に死んだ方が幾分か楽だろう。そう考えずにはいられない。

 いつもの俺だったら、こう考えるはずだ。永遠に生きられるぞ。何でも出来るぞってな。

「ははは」

 笑ってしまう。何もしなかったからこんな目に合っているのではないか。惰性で生きていたから罰が当たってしまったのではないか。あの男の問いに今なら答えられるかもしれない。

「幸せ……だったさ」

 これが聞きたかったんだろう。なら何回でも言ってやるよ。幸せだったって。幸せの中にいたって。その幸せを感じないように、考えないようにしていたけど。

「やることも粗方やったよな」

 ずっと寝ていた日もあった。通帳からお金を下ろして高い寿司を食いに行った。未遂に終わったとはいえ、女を抱き締めることも出来た。それに……。

「それに」

 俺には初めて友達と呼べる奴らも出来た。自分に居場所が出来た。軽くあしらって誰とも関わらずに過ごす予定だったのに……大きな誤算だった。

「さて、天井を見て話すのも飽きたな」

 俺はベッドから起き上がる。そして、カーテンを開ける。

シャッ。

空は雲一つない晴天だ。落ち込んでいるのは俺の心だけ。まだ頑張れる。俺はまだ諦めない。

一人から二人になって、また一人になった。でも、二人の時に少なからず元気を貰った。これなら、あと少しは頑張れそうだ。

「元の世界に戻れたら」

 俺は変われる気がする。少しは真面目に生きようとするはずだ。その機会が得られれば。

 それまでは何度でも死んでやろう。俺の体が死に続け、心まで死んだとき、俺は本当に死ぬ。それまでは生き続けてやる。

「まさかこんな気持ちになるなんて」

 あの普通の日常に戻る。そんな当たり前の希望を抱いていた――


チュンチュンチュン。

小鳥のさえずりが聞こえる。それが朝であることを告げていた。どうやら、もう起きる時間のようだ。まだ寒さが若干残るこの季節に布団から出るにはまだ辛いものがある。

「よし!」

そう言って気合を入れて体を起こす。いきなり体を起こしたせいで立ち眩んだ。上半身を起こしただけで立ち眩むなんて。まだ厳密には立ってすらいないというのに。

俺は半ば無理やりベッドから下りた。軽い伸びと欠伸をしながら、窓の方に歩いて行く。

シャッ。

小気味良い音と共にカーテンを開け放った。眩しい光に顔をしかめながらも全身に自然の光を浴びる。これによって幸せホルモンが分泌される。年の割に老いた精神を持ち合わせている俺にはぴったりの成分だ。

シャツに袖を通し、学生服が掛けられたハンガーを手に取った。肌寒い時期に着替えるのは嫌だが、そうも言ってはいられない。学生には学校に行くという仕事があるのだ。普通教育を受けさせる義務。それを全うしている親の為にはこの寒さに打ち勝たねばならない。いや、仕事だと割り切るなら勤労の義務の方が正しいのか。そんな不毛なことを考えながらなんとか着替え終わり、俺は一階の洗面所に向かった。勿論、顔を洗うためだ。


「おえっ」

顔を洗い終え、歯を磨く。そして、嗚咽を漏らす。小さい頃からの癖というか、歯ブラシの使い方が上手くない。どうしても奥の方にまで入れてしまい、ご覧の有様である。傍から見たらヘビースモーカーのおっさんのようだ。まだ若さ溢れる学生としては不本意だった。

「ふぅ……」

歯を磨き終わり俺は台所へと向かった。買い置きしておいた食パンを二枚取り出し、トースターに入れる。焼き終わるとチンと音がして、出てくるあれだ。これぞ朝の代名詞というべき存在である。新生活を始めて、まず買うものがこれと言う人もいる。親父がそうだった。

「朝と言えば、このトースターだろ! これがなきゃ朝はやってこない!」

なんてことを言っていた親父だが早々に飽きてしまった。朝食がパンからご飯とみそ汁に変わったのが、その証拠だ。お袋の方は美容の為だとか言ってサラダしか食べない。結果的に俺が使う羽目になった。

そんな二人も今はこの家にはいなかった――

「うっ」

少し涙ぐんでみせる。しかし、それは悲しいからではない。静かな朝に感動しているからだ。あの二人がいると、いつも慌ただしかった。そんな慌ただしさを連れて海外に出張が決まったとき、俺は心底喜んでいた。親父は映画の撮影に。お袋はパリにあるアパレル会社に。何でも  

その業界ではかなりの有名人らしい。結婚の報道はニュース番組で流れ、ヤホーのトップにもなったらしい。まぁ、残念ながら俺は生を受けてなかったので預かり知らぬことだが。

チン。

パンが勢いよく飛び出す。飛び出たパンを皿の上に乗せバターを塗る。香ばしい香りと音は食欲を刺激するかのようだ。

「いただきます」

パンを頬張り、牛乳で掻っ込む。いつもの朝食。テレビの音とパンをかじる音しかしない。テレビからはニュースの音が聞こえる。

「働かない若者が増加しているんです」

「安保法案に国民は不満の声を上げています」

「ノーベル賞を受賞しました」

「凄惨な殺人事件が」

チャンネルを適当に変えるが、どこも同じだ。似たようなことを放送している。一応、世間を知る為にニュースくらいは聞いている。すると、目を引くニュースが流れた。

「お昼の顔でお馴染み。久遠寺大学の篠原教授が細胞の若返り実験に成功しました。まるで時間を遡った細胞は各業界から注目されています。これを応用することで時間を遡るタイムマシンも夢ではないと一部では騒がれています」

若返りから時間が戻りタイムマシンときたか。その突拍子もない憶測に俺は少し笑ってしまった。どこからかの情報を示さないところを見ると、注目させる為の方便だろう。

しかし、それが可能になる時代もいつかは来るかもしれない。そのときは笑っていた自分を笑って欲しい。現実主義者は夢なんて見ないのだ。

「ごちそうさまでした」

手を合わせて食べ終えた食器を流しに置く。パンを乗せただけなので、水をかけるだけである程度は綺麗になる。あとは帰ってから洗えばいいか。俺は鞄を手に玄関で靴を履く。 

何処に行くかなんてのは決まっていた。学校に行く為だ。


桜が生い茂っている。桜並木の道はまるで子供が書いた絵のようにピンク色一色だ。まるで世界にピンク色しかないように錯覚してしまう。四月、それは始まりの季節。希望や期待。そんな前向きな言葉とよくセットにされている。それで心が晴れやかになれるだけの感性を俺はまだ持っていたようだ。景色だけじゃなく、そのことにも素直に感動していた。

「おはよう~」

「あっ、髪の色変えたんだ~高校デビューだね」

近くを通った女子高生達がそんな挨拶をしていた。制服から俺がこれから通う学校の生徒だと分かる。その声に反応して、手を上げていた。それが堪らなく悔しい。手を振り返したら自分に対してじゃなかったときのような、そんな歯痒さである。いやいや落ち着くんだ。今日から俺も晴れて高校生になったのだ。そんな登校初日に悪い気持ちを抱いてはいけない。俺は仏。俺は菩薩。俺は神。せいぜい下界を楽しもうではありませんか。

桜並木の下にはブルシートや段ボールを敷いた人たちが宴をしていた。手を繋いだ老夫婦。友人同士で将棋を打つ人たち。ママ友同士のお茶会。段ボールを配りながらワンカップを飲むホームレス。春の陽気だけでここまで人は幸せになれるのか。こんな光景を見てしまった俺は新しい学校生活についつい期待してしまう。

その期待を胸に学校へ向かう。学校の正門が見えてくると、そこには人だかりがあった。なんだなんだ、ここでも宴を開いているのか。出入り口で宴とは頭の中まで春になっている学生がいるのかな。そんなことを思って、近付くとそこには一人の少女が立っていた。

「鞄をお願いします」

「はい、お嬢様」

お嬢様が執事っぽい人から鞄を受け取っていた。いや、それは間違いなく執事だった。その映画のワンシーンのような光景を皆が見ていた。その人だかりか。確かにあんなマンガでしか見たことがない長い車から金髪お嬢様とロマンスグレーの執事が出てきたら、誰だって野次馬になってしまうだろう。しかし、俺は違った。歩みを止めない。男には歩みを止めてはいけないときがある。それは人としての尊厳を守るときだ。カッコいいことを言ってはいるが、何の事はない。急な腹痛が俺を苦しめているのだった。

「牛乳が古かったのか。確かにヨーグルトみたいだなとは思ったけど」

恐らくそれが原因だろう。最近の牛乳はこんなもんだと思ってコップ一杯飲んでしまった。帰ったら捨ててやる。俺は憎悪を剥き出しにしていた。

そんな事情があり、俺は野次馬達を掻き分けていく。目の前の映画のワンシーンにも目もくれずに正門に入った。

「こんなに注目されるものなのですね……今後は控えましょう」

お嬢様はそんなことを言っていた。その隣を無心で横切る。今俺が考えるべきことはトイレがどこにあるのか。ベルトとズボンをいかに早く外すか。その二点だけだ。

「あの、ちょっと……」

後ろから声が掛かる。反射的に振り返ると、お嬢様がいた。どうやら、この緊急事態に限って俺に用があると来た。非常に辛い。

「どうかしましたか」

普段は使わない丁寧口調になってしまっていた。状況が状況なだけに早く済ませたい一心だった。あとは失礼がないようにという配慮。周りの視線もあるし、無視は出来ない。

「いえ、その……皆様が珍しいものを見るかのようにこちらを見ている中で、あなたは気にも留めていなかったもので。だから、その……気になってしまって」

どうやら野次馬にならなかった俺が逆に目立ってしまったようだ。こんなことなら野次馬をやりながらトイレに行けば。いや、さすがにそんな高度な技は持ち合わせていなかった。

「自分のことを見て欲しかったの?」

簡潔に聞いていた。脂汗が噴き出ているが平静を装う。トイレに行きたいからなんて大勢の前で言うことではない。入学早々、うんこまんの烙印を押されかねない。そんなのは出来れば全力で遠慮したかった。

「そういうことでは。でも、無視されているのではないかと不安で」

新しい生活。それに伴うのは希望や期待だけではない。誰にだって一抹の不安があるのだ。どうやら、俺は知らずにその不安を掻き立ててしまったようだ。その他大勢と違う行動をする人間。その理解出来ない行動をする俺に恐怖を感じてしまっていたのだ。

俺は一言だけ口にしていた。

「見た」

自分の目を指差し、相手を指差す。そして、踵を返した。トイレの為に話は早々に切り上げる必要がある。その一番アクションがない選択肢を選んだだけだ。

後ろの方ではボンと何かが爆発したような効果音が鳴った。しかし、それを気にする余裕は俺にはなかった。

「お嬢様! お嬢様!」

執事の声が聞こえる。どうやら後ろでは何か大変なことになっているようだ。残念ながら俺も一刻を争うことなので振り返ることは出来ない。目の前の校舎に歩を進めるだけだ。


校舎までの道のりが長い。庭園やらグラウンドやら、一体どんなつくりになっているのだ。設計者の意図は知らないが、今の俺にとっては地獄のような道のりだ。だが、どんなに長くて一歩一歩進めばゴールは必ずある。止まない雨はない。明けない夜はないのだ。校舎の入り口への道もちゃんとあるはずだ。そして、そのゴールが見えてきた。

「あとはトイレだ」

校舎に入ってトイレを探し当てれば、この戦いは終わる。やっと終わるのだ。校舎への道のりを真っ直ぐに歩いて行く。お腹を刺激しないスピード、それだけに気を付けながら。

「ちょっとあんた」

知らない声に呼び止められた。しかし、それは俺に向けたものじゃないかもしれない。

「そこのお腹抱えてる、あんたよ」

どうやら、俺のことらしい。体ごと振る返ることはせず、首だけを後ろに向ける。

「何か用でしょうか」

短髪の快活そうな女生徒がそこにはいた。ミニスカートにスパッツを履いている。実に運動が出来そうな感じだ。無視をすれば蹴ってくるかもしれない。勝手なイメージだが、そんなことをされれば一巻の終わりだ。学生生活ももれなく終わりだ。ここまで来てその結末は是が非にでも避けたい。女生徒が話し出す。

「クラス表見なくて良いの? 自分のクラスを知らなきゃ教室にだって行けないんじゃない」

その親切心が今は余計なお世話だった。そんなことはどうでもいいのだ。トイレの後に戻って、ゆっくり見ればいいだけの話だ。

「そんなのどうでもいいよ」

俺は率直にそれだけ言った。校舎へとゆっくり歩き始める。一歩一歩、慎重に。

「どうでもいいですって……」

女生徒の声が震えていた。もしかしたら何か地雷を踏んでしまったようだ。こっちはお尻に地雷を抱えている。誘発に巻き込まれてはいけない。

「待ちなさいよ!」

少女が叫ぶ。俺は止まらずにはいられなかった。それほどの迫力だった。

「どうでもいいって何よ……みんなS組になれるか必死に勉強して。それがダメでも新しいクラスで楽しくやろうって思うものじゃないの。それをいうに事欠いてどうでもいいなんて。そんなんだから、ゆとりとか言われるんでしょ」

わなわなと震えながら感情を押し殺していた。

俺はこの場を納める為に脳みそをフル稼働させていた。普段使わない錆びついたエンジンをどうかす。回転数だけは一人前のはずだ。体が熱を帯びる。脂汗が更に噴出す。

「俺はもしからしたら、君にそう言って貰うためにここに来たのかもしれないな……」

「えっ」

意味深なことを言って俺は校舎に歩いていた。どうやら言葉の真意を思案しているようだが、

すぐに答えは出ないだろう。何故なら、俺も答えを知らないからだ。精々悩んでくれ。

俺はその間に無事にトイレに到着した。もし、彼女が考えることをしない人間だったら、意味わかんないわよっと延髄斬りされていたかもしれない。壊れたスプリンクラーの如く尻から 何かを撒き散らさなくて本当に良かった。

トイレを終えた俺は手を洗って制服で拭く。それと同時にチャイムの音が聞こえた。

「さて、どこの教室だっけ」

入学早々、遅刻が確定した瞬間だった。


先ほど女生徒がいた大きな掲示板まで戻り、クラス表を確認していた。一年C組のところに俺の名前があった。それを確認して、また校舎の中へと戻る。しかし、クラスがわかったところで肝心の場所は分からなかった。どうやら案内役の教師がいたようだが、時間が来て教室に向かったようだ。完全にお手上げだ。

「職務怠慢だ」

ぼそっと愚痴を漏らすが遅刻している身では説得力が乏しい。俺は周りを見渡して地図を探す。しかし、見当たらない。こりゃ探し当てるしかなさそうだ。方向音痴ではないが、闇雲に動いて無数にある教室から自分のクラスを探すのは至難の業だろう。

「どうしたものか」

腕組みをして考える。そして、考え付いた。教室が分からなければ逆算すれば良いのではないかと。恐らく、教室に集まってから、広い体育館に移動するはずだ。ならば、先に体育館に向かえばいい。体育館ならさすがに見つけられるはずだ。さながら気分だけは孔明になっていた。

「はーい、静かにしろー」

遠くから気だるげな声が聞こえた。どうやら問題は解決したようだ。人がいるガヤガヤ感がどんどん近づいてくる。俺も声のする方へと向かった。


人の姿が見えた。人と会えたことがこれほど嬉しかったことはない。それほどまでに感動していた。春という季節が何でも感動できるようにしているのかもしれない。

先頭を歩いていた先生らしき人物と目が合う。恩師と生徒がそうするように小走りになりつつハグを求める。

ゴン。

痛い。頭には出席簿が当たっていた。しかも面積が小さい縦の状態でだ。

「初日から遅刻とはいい度胸だな」

訂正。感動なんてなかったのだ。出席簿に目をやると一年C組と書かれている。ドンピシャでクラスが当たった。その強運には素直に感動しておこう。

「とりあえず並べ。お前は尾崎だから前から五番目だ」

 教師の言葉通り列に並ぶ。前の人物がよろしくと声を掛けてきた。それに一言よろしくとだけ返しておいた。

「よし、それじゃあ行くか」

 教師の気だるげな声で列が動き出す。俺は叩かれた頭を摩りながら禿げないように祈っていた。すると、後ろから声が聞こえた。

「こりゃ禿げるかもな」

 その一言に振り返る。聞き捨てならない。敵意剥き出しの眼光を後ろに向ける。

「おっと、怖い顔はやめてくださいな。俺はあんさんの味方ですから」

 エセ関西弁を操る飄々とした糸目の男。首にはカメラをぶら下げている。俺はその姿に見覚えがあった。こいつはあれだ。校内のあらゆる情報を持っている奴だ。よくアニメやゲームなんかで絶対いるキャラクター。ということはもしかしてあれか。俺が主人公の物語始まっちゃった的な。ヒロインは一体どこだ。パッケージがないと分からんぞ。

「それよりもあんさんに御礼言わないと。こいつはその謝礼です」

 飴ちゃんを手渡される。バター味。嫌いな味だった。

「いらねぇよ」

 俺が好きなのはヨーグルト味の方だ。そんなことを思ったからではない。

「何の御礼だよ。何かしたつもりはないけど」

 トイレに行って遅刻しただけだ。字面だけ見ると超ダサい。こんなのが主人公だと浮かれるなんてお門違いも甚だしい。

「あぁ、それはこの記事を見てくれれば」

 一枚の紙を差し出してきた。折り曲げられた紙を開くと一面に俺とさっきのお嬢様が話している写真が大きく載っていた。しかも、見出しは“ラブ・ストーリーは突然に”と書かれている。

「はい、ビリビリ~」

 紙をビリビリに破いた。資源の無駄遣いと苦情が来ても一向に構わない。

「あ~何するんですか! 折角のスクープを!」

スクープも何も入学式初日からこんな記事書かれたら目立つだろう。しかも好奇の目にさらされる。美女と野獣。高嶺の花と路傍の石と揶揄されかねない。

「悪は去った」

「まぁ、今回はお試し版なんでいいですけど。今後の活躍に期待してますから」

 そんなバカなやりとりをしている間に体育館に着いていた。


「広い」

第一声は凡庸なコメントだった。武道館くらいある。勿論、行ったことはないが……。さすがにそれほど広くはないだろうが。荘厳な雰囲気を醸し出している。オーケストラが行われそうな防音設備。壁には無数の穴が開いている。酸素を多く必要とするからという至極真っ当な理由だったはずだ。

「これに驚いていたら、この学校は色々規格外ですよ。あんさん」

 後ろから声がする。誰だっけ。そういえば名前も聞いていなかった。

「あっ、そういえば名前を言ってなかったですね。いやぁ良い記事書けたからかなぁ」

 あははと笑う。常に楽しそうにしているが、その実かなり腹黒そうだ。

「自分は金井と言います! 以後お見知りおきを」

 よろしくと一言だけ告げると席に着いた。自分の出席番号が書かれた紙が席に貼ってある。映画館を彷彿とさせる椅子。クッションは柔らかく、今の自分には大変有難い。お尻が半分ほど沈み込む。中学校の時のパイプ椅子と比べると雲泥の差だった。進学校万歳。

「よっこいしょういち」

 一昔前に流行った言葉と共に金井は隣の椅子に座った。その人確か勲章貰ってたなぁ、などと他愛ないことを思う。

「あれ、なんですか? 自分に何か用ですか?」

 どうやら、いつの間にか視線が向いてしまっていたようだ。それがバレてわざわざ聞いてくる。目敏い奴だ。それに加え、あんな記事も数分で仕上げるほどの行動力もある。敵に回すと厄介なタイプだ。

「別に。これから長いだろうなと思って」

 話を逸らしつつ本心を口にする。嘘を言ったり、ごまかしたりする必要はない。それが通用しないタイプの人間も世界には存在するのだ。

「え~とお偉いさん方の送辞とかが一時間ほどあって、理事長の娘さんの挨拶と学生代表の挨拶、あとは校歌斉唱って流れっすね」

 プログラムを把握しているとは予想していたが、ちゃんと覚えていた。入り口にあった予定表が全部頭に入っている。あの一瞬でよくやる。

「理事長の娘か。可愛くないと暴動が起こりそうな肩書だな」

 あと警視総監の娘とかな。まぁ、多少見てくれがあれでもスポットライトとメイク次第だろう。一応、心の準備をしておく。俺は後姿が綺麗な女の顔を見て後悔したことしかない。その経験が今活かされていた。

「理事長の娘さんだったら、さっき会ったじゃないですか」

 金井が間髪入れずにそう言い放った。それが当然だとでも言うような物言い。こいつは何でも当たり前のように知っているのだろう。怖い怖い。

「さっきのお嬢様か。なら、大丈夫だな」

 普通に綺麗な顔をしていたはずだ。しかも言葉遣いや仕草、オーラも加味すれば全世界の男性諸君が付き合いたいと言うはずだ。あながち間違いではないだろう。

「ははは~、そうっすね。でも見てくれがアレだったら、多分こんなプログラムが組まれることはなかったですよ」

 それもそうだ。まぁ、可哀想なのはその次の学生代表だろう。特に女だったら否応なく比べられてしまう。俺がその女子ならぶっちする自信があった。

「学生代表が不憫だ」

 俺の意図を察したのか金井も同意してくれる。

「そうっすね~入学試験で一番取っただけで公開処刑。哀れというかこの世の無常さを知りますよね。まぁ、それも勉強ってことで」

 嫌味ったらしく言った。もしかしたら俺はお前のことが好きかもしれない。進学校に進学してきて勉強出来る奴を良く思っていない典型的な足手まとい。その少数派の人間が隣にいる。なんだ、この安心感。

「そろそろ始まるみたいだな。俺は寝るから終わったら起こしてくれ」

「学生代表の前で、ですね。折角だから理事長の娘さんから起こしてあげますよ」

起こしてもらうタイミングは言わずもがなだった。俺の三年間はこいつとつるむのだろうな。そんなことを感じていた。

 

「……さん。あんさん。そろそろですよ」

 金井の声が聞こえる。どうやら思いの外よく眠っていたようだ。それほどまで大人たちの話はつまらなかったのだろう。体は正直だった。

「理事長の娘か。さっきはしっかり見てなかったからな」

お腹が痛いときの記憶なんてものは当てにならない。どんな感情よりも苦痛が勝ってしまうからだ。それは誰しも経験すること。中学生の時なんて常に腹痛と戦っていた。大をすることが悪とされた空間。あの空間を作った人間の肛門を縫い付けてやりたい。

「しっかりばっちり目を合わせていた気が……あっ、来ましたよ」

金井のテンションが上がっていた。こいつのことだから何か記事になることを探しているようだ。その記念すべき第一号が俺だったわけだ。

「理事長の娘さんでもある久遠寺 美羽による挨拶です」

司会の人の声が響く。久遠寺 美羽。苗字三文字って格好良いし、お金持ち感がある。小並感の感想だった。

「若い草の芽も伸び――」

 澄んだ声だった。いつもだったら定型文を口にすることに野次の一つでも飛ばしていたところだが、聞き入ってしまっていた。いや、厳密には見入っていた。

「でかい」

 豊饒という言葉がよく似合う。大きさで価値が決まるわけではない。だが、それが男を狂わせ、世界を狂わせると言っても過言ではない。革命の歴史には常にその姿が目撃されているのだ。

「推定Fカップ。現代の日本人にしては珍しい価格設定ですね」

 金井はまるで美術品の選定をするかのような目をしている。あと珍しく訳の分からないこと言っている。価格設定……一体いくら積めば、あれが買えるというのか。

 挨拶をしている彼女見ていると、あることに気付く。

「もっとブレスを多めに入れて欲しい」

 息継ぎをするたびに自己主張するのだ。その胸をただただ見ていた。長い金髪に碧眼。日本人離れした目鼻立ち。それを軽く流し目して視線は固定される。

「これから三年間よろしくお願いします」

「あっ、どうやら終わったようですね。全く話が入ってこなかったですね」

 全く持ってけしからん。他の男子生徒並びに男性職員もあからさまな視線は送らなかったが、バレバレだ。女性陣との間には妙な気まずさがあった。家族の前でラブシーンが流れたときの居た堪れなさ。そんな空気を肌で感じていた。もっとも俺と金井は真面目な顔で談笑する技術を持っていたお陰で恐らくバレてはいない。

「あー、そうだな。でも、これでますますもって」

 やりづらいだろうな、と思わずにはいられない。頼む男子であれ。そうすれば、同性間の可愛さを比べられることはない。俺は知らずに手を合わせていた。

「続いて学生代表の挨拶です」

 進行を促す非情な声。もっとも当人は職務を全うしているだけなのだが。

「ん~……ん?」

 凛々しく歩く一人の影。歩き方から威厳のようなものを感じる。先ほどまでの浮ついた雰囲気は既になく、緊張感がひしひしと伝わる。

「あれ、すでにお知り合いでしたか?」

 金井が俺の反応に疑問を投げかける。この緊張感を物ともしない肝の大きさに肝を冷やす。いや、俺もそこまで空気が読めないので類友か。

「いやぁ、さっきクラス表の前にいた……」

 俺がトイレに行く為に謎掛けをした女生徒だ。どんな謎を出したかは覚えていないが、それだけははっきり覚えていた。

「ただいま、ご紹介に預かりました学生代表 夏目 暁です」

 夏目 暁。その中世的な名前の通り、女らしさと男らしさを兼ね備えている。先ほどの久遠寺のお嬢様に比べても見劣りしないぐらい整った顔立ち。だが、お嬢様の愛らしさとは正反対のものを感じる。

「なんか、プライドの塊みたいな感じですね」

 金井もどうやら同じものを感じていたようだ。自身の生き方に雲一つの陰りすらないとでも言うような自身に満ちた表情。髪は邪魔にならないくらいにまとめられており、それがとてもよく似合っている。しかも、学生代表となれるほどの学力。

「それだけの器を持っているってことか。しかし」

 どうしても気になるところがひとつあった。これを口に出してしまえば、全世界の女性を敵に回してしまうかもしれない。そう思ったのは俺だけじゃない。そうだろ、相棒。

「胸は標準サイズですね」

 金井は俺の意思を汲み取ってくれていた。歯に衣着せない。自分が思ったことをありのまま伝える。天性のジャーナリズムを見た気がする。

「私は向上心に溢れた気概のある者が大好きです。今回S組になれなくても、いつでも取りに来てください。そして、今回S組になった人も日頃の鍛錬を疎かにせず日々精進してください。以上です」

 激励の言葉を述べた。進学校でこの言葉を聞いてしまっては闘争心を隠せないだろう。しかし、隣にいる金井は特に気にした様子はなかった。俺も特に気にはしていない。

それとは別に気になることが一つあったからだ。

「S組ってなんのことだ……」

 俺の言葉に金井はギョッとしていた。そんなことも知らないのかと。こんなやつとは早々に縁を切ろうかな。そんな顔だ。

「知ってるぞ! Sだから、すげぇんだな! すげぇのSだろ!」

 金井は可哀想なものを見るような慈愛に満ちた目をしていた。そんな目をされても知らないものは知らない。お前だって何でもは知らないだろ。知っていることだけだろ。

「ふぅ、S組は学力試験で五十番以内に入った者だけが入れるクラスですよ。スーパー。スペシャリストという意味もありますが、進学組ってことですね。その頭文字を取ってS組。進学校の進学組だから、色々な企業や大学に斡旋させて貰えるみたいですよ。だから、皆必死こいて勉強してきたんすよ」

 なるほど。受験戦争、就職難のこのご時世だと縋ってでも欲しい待遇だ。この学校に入れたということは実力もそこまで差があるわけではない。少しの頑張りで楽しようという魂胆だ。もっとも。

「そのS組に入れるやつは相当だろうけど」

 ボソッと呟く。人には努力だけじゃどうしても到達できない領域というものがあるのだ。

「俺はぼちぼち生きていくよ」

 ぼっちでぼちぼち。どっちみちぼっち。あぁ、口が小気味いい。

「入学者は千人。それで上位五十人だから期待値は大きいですけど。まぁ概ね同意です」

 こいつもある程度身の丈を知っているのだろう。勉強が得意ではないやつは他のものを伸ばすしかない。恐らく、それがわかっている。無駄なことに時間を使わない。正しい判断だと思う。

「それはそうと、夏目 暁の情報を仕入れましたよ」

 会って数分の相手の情報を手に入れていた。情報化社会では情報収集能力が必要とされる。しかも、安易に情報を得られるようになった為、ガセ情報を掴まされやすい。その情報を選別する目がなくては話にならない。そして、恐らくこれを金井は伸ばしてきたもの。

「夏目 暁。中学生の頃から神童と呼ばれ、出した論文は数知れず。特許も多数保持しており、現在は久遠寺大学の篠原教授のラボで研究しているみたいっすね」

 携帯端末をスクロールさせながら、正しい情報だけを選別し俺に伝える。

「中学生……それ以前は普通だったのか」

 何気ない疑問を口にする。天才は天才である時期とそうでない時期がある。幼少期は否応なく天才の片鱗を見せるものだ。歳を重ねると天才に陰りが刺してくる。天才が短命なのはそれが原因だ。

「小学生の頃までは普通に埋もれていた突然変異型ですかね」

 後天的な天才。それは天才というよりはまるで。

「ただの秀才、なのか」

 天才は努力では成り立たないが秀才は努力で成り立つ。勿論、天才も努力するから太刀打ち出来なくなってしまう。その天才と渡り合うほどの秀才。

 俺はそれを知っている。だが。思い出せない。

「校歌斉唱! 全員起立!」

 司会の声と同時にその場にいる全員が立ち上がった。ステージのスクリーンに歌詞が表示される。今まで使用されなかったスクリーンはこのためか。いや、大半寝ていたので既に使用されたかもしれない。中学生の時はプリントされた歌詞をみていたが、技術の進歩はここまできたようだ。

「これも時代かね」

 時代に取り残されたような感覚に陥る。歳は取ると面白い体験が出来る。長生きはするものだ。

「爺臭いこと言ってないで、このボカロみたいな曲を歌いましょうよ」

 金井の声にハッとする。低音の低い声ではなく、音声ソフトがアシストしてくる。いや、確かに人間よりも機械の方が音程は正確だ。だけど。

「これも時代かね」

 時代に乗り遅れたような感覚に陥る。歳は取ると不可解な体験をする。長生きはしたくないものだ。

 時代に翻弄されながら、よく分からない転調を繰り返す曲に翻弄される。隣を見ると最初は動揺していた金井が持ち前の対応力でそつなく歌っていた。どうやら、俺だけが乗り切れていない。ふと目線を下に向けると先ほど挨拶をしていた夏目 暁も久遠寺 美羽もあまり乗り切れていなかった。どうやら世間知らずにはこの歌は厳しいらしい。


「いやぁ、さっきの曲。昭和歌謡の生き字引と呼ばれる人が音声ソフトを用いた話題作みたいですよ」

 金井が先ほどの校歌の情報を仕入れていた。そんな嬉々としたリアクションとは反対に俺は自身の音痴ぶりを反省していた。今度一人でカラオケに行こう。

「ってか分かってたけど、俺の後ろの席なんだな」

 後ろには金井がいた。五十音順なので当たり前だけど、後ろにこいつがいるとなんか落ち着かない。

「落ち着いて寝ていいっすよ。太陽も近いことですし……」

 心の声を勝手に読む金井に俺はもう驚かない。

 目的地であった教室は五階にあった。こんなマンモス校に果敢に挑もうとしていたなんて。迷子にならなくて本当に良かったと思う。

一年生は全部で二十クラス。一クラス五十人。十クラス毎に五階と六階に分かれている。といっても棟が二つに分けられ、渡り廊下で繋がっている状態なので、窮屈感はない。S組、A組、B組、C組、D組が同じ棟の同じフロアなので、息苦しさがあった。S組が幅を利かせているといった感じだ。S組にはバッジが手渡され、そのバッジをこれ見よがしに見せつけている。シルバーに輝くバッジとは別に首席のみが付けられるゴールドのバッジがあるらしい。売ったら一体いくらするのだろうか。それ以外のクラスにはバッジは存在しない。それが気楽だった。

「じゃあ、お言葉に甘えて」

 俺は机に突っ伏した。今日はどうせオリエンテーションしかない。それなら特に怒られることはないはずだ。

「おやすみなさ~い」

 金井の声がどんどん遠くなっていく。そういえば、S組には夏目 暁と久遠寺 美羽がいるのか。なんか有名人が近くのクラスにいると思うと不思議な感じがする。まぁ、今後関わることはないだろうけど。そんなことを考えながら俺の意識は遠退いて行った――


「夏目さん、ですよね」

 金髪を風になびかせるお嬢様が目の前にいた。ステージ脇で会ったときは暗くてよく見えなかったが、とても綺麗な顔をしている。あと、胸が凄い。

「そうだけど、何かしら」

 愛想がないのは元々だ。誰が相手でも自分は自分のままだろう。いつから自分はこんな風になってしまったのだろう。覚えていない。

「折角、同じクラスになったので、仲良くしましょう」

 きらきらと目を輝かせている。クラスには他にもたくさん人がいるのに何故私なのか。先ほど同じステージに立ったことで話し掛け易かった。そんなところだろう。理由は分からないが断るのも面倒だ。

「えぇ、構わないわ。よろしくね、美羽」

 私の声を聞くや否や目の前のお嬢様には喜びが増していた。先ほどからコロコロと表情が変わるのが面白い。笑顔にもいくつか種類がある。それを見て私は自分が久しく笑っていないことに気が付いた。

「私のことをそのように呼ぶのはあなただけですわ、夏目さん」

 美羽は喜んでいた。どうやら、言われ慣れない呼び方をしていたらしい。

「ごめんなさい。久遠寺、さんとお呼びした方が良いかしら」

 首を左右にプルプルと振る。その仕草ひとつひとつが可愛いかった。同性から見ても可愛いのだから異性が見たら……恐らく一発で好きになるだろう。

「いえ、私のことは美羽とお呼びください、夏目さん」

 力強い声で否定された。有無を言わさない声だ。

「じゃあ、あなたも私のことは暁と呼んで頂戴」

 それでイーブンだ。そんなことを気にするのは私くらいだろうか。それも性分だった。

「……えぇ、分かりましたわ。暁、さん」

 どうしても敬称が取れないようだ。それはそれで構わない。そこまで矯正する必要はないと思った。

「あなたもS組なのね。やっぱり親御さんから帝王学を学んでいるのかしら」

 S組の教室にいるのだから間違いないだろう。親が理事長だからと言って特別な力が働いているとは思えない。それに見合った努力をしてきたはずだ。それを遠回しに聞いてみる。

「そうですわね。勉強と習い事は色々させられましたわ。理事長の娘が模範でなければ学校は立ち行かないですから」

 凄く重たい言葉だった。理事長の娘という重圧を感じながら生きてきた。そうでなければこのクラスにはいられない。

「それでも暁さんには及びませんでしたけど」

 美羽が少し残念そうな顔をした。一番になれなかった悔しさよりも相手への敬意の方が強い。とても優しい子だ。

「次の試験も同じ結果になるとは限らないわ」

 憶測ではなく、事実を言う。ここにいる人間は誰しも一番になる素養を持っている。その言葉に嘘や偽りはない。

「いえ、多分あなたには誰も追いつけないと思います」

 美羽の声は酷く落ち着いたものだった。それが何を意味するのかは分からない。

「ところで、そのポケットに入っているのは何?」

 ステージで挨拶をしているときから入っていた。よほど重要な書類か。はたまた、ただ捨て忘れただけか。

「よくぞ聞いてくれましたわ!」

 あなたなら気付いてくれると思っていましたわとでも言わんばかりの反応。どうやら何か押してはいけないスイッチを押してしまったようだ。

「今朝、私は恋に落ちました」

 一瞬にして暗転し彼女がライトアップされる(気がする)。

「そのときの気持ちは言い表せないものでした。何せ初めての気持ちでしたので」

 どうやら最後まで聞かないといけないみたいだ。至極どうでもいい。

「私は思いました。この一瞬を切り取ってしまえたらいいのにと。その思いが届いたのか。その光景を収めてくれた人がいましたの。これもまた運命の成せる技ですわ」

 要約すると初めて経験した一瞬を写真に撮ってくれた人がいた。めっちゃラッキーってところかしら。当たらずとも遠からずだろう。

「金井様。この写真は一生大事にしますわ」

 ポケットから取り出した紙を抱き締める。どうやら、金井という人物が写真を撮ってくれたらしい。しかし、その光景を偶然持っていたカメラで撮ったとは考えにくい。元から盗撮する気でいたのではないか。美羽には言えないが、ろくでもない男だと思う。

「そ、そうなんだ……」

 適当に受け流す。お嬢様が恋する相手なんて、どこぞのかぼちゃパンツが似合うボンボンだろう。そういう人間は私の趣味ではない。私が好きなのは。

「「俺はもしからしたら、君にそう言って貰うためにここに来たのかもしれないな……」」

 はっ、今何かが脳裏を過ぎった。それは決して好きという感情ではない。答えが出ない質問が気になってしまっただけだ。でも、もしかしてあれって。

「告白だったのかしら」

 一つの答えに結び付いた。だが、あいつと出会ったのはあれが初めてのはず。一目惚れということだろうか。しかし、目の前のお嬢様のような子なら分からなくもないが、何故に私。金髪巨乳ではなく黒髪短髪の、標準サイズ。これが良かったのか。胸を軽く持ち上げる。軽く持ち上がる。悲しくなった。

「告白されましたの?」

 いつの間にか自分の世界から帰ってきたようだ。美羽が私の前でずいっと体を乗り出していた。年相応の女の子らしく他人の恋愛話が気になるらしい。

「いや、あれは告白というよりは何かをはぐらかせたようにも」

「恋に理由はいりませんわ」

 恋をしたこともなかったのによく言う。そういう私も経験はない。

「春という季節が落とすものは桜の花びらだけじゃなかったのですね」

 美羽は相変わらず心ここにあらずといった感じだ。取っ付きにくそうなお嬢様だと思っていたが、どうやら人並の女の子だったようだ。

「もし、そうならあっちから何かしらのアプローチがあるでしょ」

 こっちから行くのは催促しているようで気が引ける。慣れないことはしない方が良い。私はとりあえず目の前のお嬢様の恋が上手く行くように見届けよう。間違った道に行かないように注意しておかないと。手のかかる妹が出来たようだ。

「お互いの恋が実る様に頑張りましょう」

 手をギュッと握られた。柔らかい女の子の手だ。私の手とはだいぶ違う。

「あぁ、うん……そうね」

 熱量の差が多少はあるが、それが心地良い距離感となった。

「いつまで浮かれている。授業はもう始まっているぞ」

 教師の語気の強い言葉が聞こえた。どうやら、授業が始まるようだ。いつの間にか席を立って話している人はいなくなり、みんな席に着いていた。話し込んでいて気が付かなかった。

「申し訳ありませんわ」

 美羽が自分の席へと戻った。S組は他の組とは違い、初日から授業が組まれている。それを良いことと思うか、悪いことと思うか。ここにいる人間は前者しかいない。そこに息苦しさはない。私の学校生活なんてそんなものだ。

 恋か……そんなものに気を取られるなんて、どうやら私も春という季節に酔わされていたらしい。私はネクタイを締めるように自分の心の鉢巻きを締め直した。私は一番であり続けなければいけないのだ。


「ふわぁ」

 欠伸をしながらベッドから下りる。結局、昨日は大したこともせずに一日が終わった。早々に荷物をまとめ帰ろうとしたとき、S組を見ると授業をしていた。初日からよくやる。そんなことを思っていた。

 シャッ。

 カーテンを開け、全身に朝日を浴びる。セロトニンセロトニンと呟きながら、効果が定かではないホルモンを分泌させる。まだ春とはいえだいぶ寒い。前日と同じことを考えながら制服に着替える。着替え終えると気持ちが多少は引き締まる、気がする。しかし、相変わらず顔はだらしがないままだった。

「顔を洗おう」

 誰に言うでもなく、洗面所に向かう。冷たい水に苦戦しながら、顔を洗う。鏡にはぼさぼさの髪の毛の三白眼の男が締まりのない顔をしていた。

「おぇ」

 決して自分の顔に咽たわけではない。そう、うがいをしていただけだ。

「ふぅ」

 一通り顔を洗い終え、ぼさぼさの髪を手ぐしで雑にまとめる。もとよりくせっ毛なので、先ほどとの違いは自分にも分からない。

「ご飯食べないと」

 朝食を食べないとお昼まで持たない。といってもお昼まで寝ずに済むことはほとんどないが。しかし、冴えない自分が少しでも冴える為には必要なことだ。食パンをポップアップトースターに入れ、テレビを点ける。何気ない朝のルーティーンだ。

 チン。

 焼き上がったパンにバターを塗り、牛乳で流し込む。前日に酷い目にあった牛乳兼ヨーグルトは処分しておいた。捨てるのは勿体なかったので、庭のよく分からない植物に掛けておいた。なんでも虫が寄り付かなくなるとかなんとか。真偽は定かではない。

「若返りの研究でお馴染みの久遠寺大学の篠原教授が学生にも身近に感じて欲しいと、研究室の見学を設けることが決まりました。全国からの希望者だけでなく、久遠寺高校の生徒も参加が決定しているそうです」

 久遠寺大学。どこかで聞いたことがある名前だと思ったら、あのお嬢様の名前か。それに久遠寺高校と言ったら俺が通っている学校じゃないか。近場で学ランが着られるという点しか気にしていなかったので、学校名すらあやふやだった。愛校心の欠片もない。

「奥様方の味方の篠原教授の研究室ね」

 お昼の番組の一コーナーを担当している。その物腰が柔かそうなビジュアルで人気が高い。しかも、この俺が知っているほどの有名人だ。デトックス効果。シミそばかすの除去。それを可能にするお手軽料理や生活習慣。確か、そんな内容だった。もっとも俺が意識しているのは朝のセロトニンだけだが。

「もっと増やそうかしら」

 両頬を両手で触る。若さからの張りがある。まだ大丈夫だ。特に気にする必要はない。

その油断が命取りになるにはもうちょっと先の話だ。

「そろそろ出るか」

 テレビに夢中になっている間に登校時間が近付いていた。前日にアクシデントがあったとはいえ、また遅刻してしまうのはよろしくない。人の印象は第一印象で決まってしまうのだ。遅刻魔のレッテルを張られても良いことなんて一つもない。むしろ教師達が目を光らせ、授業中に睡眠に講じることが出来なくなる。それはまずい。

「いってきます」

 手早く食器を片づけて、鞄を持ち靴を履いた。返事はなかった。


「相も変わらず浮かれてやがる」

 前日からずっとそうであったかのように活気で溢れていた。それもお花見シーズンが終わるまでの辛抱だ。誰かが幸せだと自分が不幸なのだと勘違いしてしまう。

「俺は普通だ。今までも、そしてこれからも」

 独り言が増えてきた。あのお喋りな両親の血がそうさせるのだろう。嫌な血筋だ。

桜並木の中でも桜がほとんど散っていない桜の木が見えた。その一際ピンク色に輝く木の根元には、金色に輝く髪を持つ女性の姿があった。その鮮やかなコントラストに行き交う人々が視線を向けている。それをモチーフに白いキャンパスを描くご老人までいた。虚構と現実のマージナル。久遠寺 美羽だ。

「あっ、尾崎さん」

 手を大きく振っている。仰々しいモノローグを入れていた手前、なんか気恥ずかしかった。どうやら俺に用があるようだ。名前まで調べているのだから、勘違いではないはずだ。

「おはよう。久遠寺 美羽さん、だっけ」

 あまり知っているといった感じを出さない。昨日の一件だけでは知っていることの方が少ない。それにいきなり馴れ馴れしくするのは気が引けた。

「おはようございます、尾崎さん」

 周囲の人間が何故あんな男と話しているのだ。羨ましい。殺してやる。と多種多様のリアクションをしている。当人であるはずの自分でも、この状況が呑み込めない。もし金髪お嬢様に話し掛けて貰いたい人がいるなら、その秘訣は腐った牛乳を飲むことだ。もっとも秘訣ではなく、オケツが大変なことになるのでおすすめは出来ない。ある程度の決意が必要だ。

「どうしたの? 昨日は車で登校していたのに」

 車体が長いダックスフンドみたいな車だ。あんなものを生で見たのは初めてだった。可能なら是非乗って、ワイングラスで葡萄のジュースでも飲んでみたい。

「やっぱり学生である以上は学生らしくしたいと思いまして」

 どうやら普通ではなかったという自覚があったようだ。お嬢様はそういった認識がずれているから面白いのに、少し残念だった。

「そうなんだ。でも、いきなりお嬢様がこんなことしたら周りが大変じゃない?」

 少し視線をずらすとボディガードらしき人物がちらほらいる。お嬢様の気まぐれに付き合うのも大変そうだ。もしここでお嬢様に触れようものなら、取り押さえられ組み敷かれ関節を決められることだろう。下手なことはしないに越したことはない。

「そうですよね……迷惑でしたよね……」

 先ほどから笑顔を絶やさない彼女の顔が悲しみに包まれる。それを傍から見ている事情を知らない人達は俺がいじめているように見えることだろう。軌道修正しなければ、殺されてしまう。

「いや、迷惑じゃないよ。ちょっと驚いただけ」

 その言葉に気を良くしたのか笑顔になる。なんかゲームをしているようだ。気の利いた一言でも付け加えればいいのか。サンプルがゼロだと勝手がわからない。世の中わからないことだらけだ。

「黄金の滝を通過しま~す! ブーン」

 子供が飛行機片手にお嬢様の髪に突っ込んできた。気付いた時には既に遅し。飛行機が彼女の髪にぶつかる。

「キャッ!?」

 驚いた拍子にバランスを崩す。もとより運動は得意とは思えない胸、いや体をしている。並木道とはいえ土手のように坂道になっている場所だ。

「美羽!」

 咄嗟に手を伸ばしていた。胸の下に手を滑り込ませ、腕全体で体を支える。見た目の割に重くはない。女の子の体は砂糖とスパイスで出来ているから当然かもしれない。

「あ、あの……その……」

 美羽は既にバランスを整えていた。両足はしっかりと地面に着いている。それを確認してからゆっくりと手を離した。

「ごめん、急に驚いたよね」

 あくまで助ける為だったと言う体で。ここで良い体だね。などと言えば平手をかまされかねない。人に好かれようと思ってはいないが、嫌われるのは嫌だった。我ながら面倒臭い性分だと思う。

「そうではなくて……今、美羽って」

 美羽? そんなこと言ったかな。確かに久遠寺さんと言える時間はなかった。反射的に名前を呼んでいたのか。確かではないが、とりあえず謝っておけ。

「それもごめん。急に馴れ馴れしかったよね」

 さっきから口を開く度に謝っている気がする。一生分は謝ったのではないか。

「いえ、その呼び方をされたのは暁さんだけでしたので……嬉しいです!」

 暁さん。ここでバカな男なら誰だその男はと躍起になっていただろうが、恐らく夏目 暁のことだろう。同じS組なのだから友達になっていてもおかしくはない。

「そんなことより」

 両手を美羽の肩に置く。傍から見たらキスするシチュエーションだが、それを気にしてはいられない。俺は重大なことに気付いたからだ。

「遅刻だ!」

「へ?」

 こういうのは体感時間よりも遅く進んでいるものではないのか。俺の脳内で考えていた時間もしっかりタイムを取られていた。

「途中まで車で来たんだろ? それに乗って行こう」

「え、えぇ。分かりましたわ」

 周囲にいるボディガードには美羽から伝えて貰う。ものの数分で車が到着していた。やたら長い車ではなく、普通の乗用車だ。普通の車と行っても要人を乗せるような車だ。こっちの方が速いだろうという気遣いだろう。俺と美羽は車に乗り込んだ。

「行くぜ、ボーイ&ガール!」

 葉巻を咥えたサングラスの男がフロントミラー越しにこちらを見ていた。ボーイは良いけどガールは大丈夫なのだろうか。雇い主の娘に対して。

「前の車を追ってくれ」

 俺は人生で一度は言ってみたいセリフを言っていた。それはただ雰囲気で言ったのではない。丁度、目の前にうちの担任が乗ったコペンが見えたからだ。あれに付いて行けば下手なナビをする手間が省ける。

「任せときな、ベイベー」

 葉巻を灰皿に押し付け、急発進する。葉巻の火はそれでは消えない。だが、そんなことを指摘する時間すら惜しい。乗りたかった車とは違うが、高級車に乗れて気分がハイになっていた。終始変なテンションで美羽は完全に呆気に取られていた。それをよそに俺とドライバーはパルプフィクションを繰り広げていた。


「ギリギリだ……」

 遅刻とのせめぎ合いに勝利を納めた瞬間だった。凱旋とばかりに机に突っ伏す。

俺は今、寝ても良い。

「良い訳ねぇだろ!」

 頭を出席簿で叩かれる。縦の状態でだ。普通に痛い。あとモノローグを読むな。

「先生、そんなに怒らないでくださいよ。こっちは大変だったんですから」

 あのカーチェイスで無傷だったのは途中で柔らかい何かに包まれたお陰だ。あれがなければ大変な事になっていた。あの感触は一体何だったのか。非常に気になるが、重要なことはそこではない。遅刻しなかったという結果だ。

「てめぇのせいで追われた俺の身にもなれ」

 コペンを運転する教師はこっちを巻こうとドリフトまで披露していた。昔はかなりやんちゃしていたのだろう。そのドラテクに触発されて、こっちまで運転が荒くなったのは言うまでもない。対抗心を燃やす初老達に終始振り回されっぱなしだった。

「シノッチは昔、流星スターっていうチームの一番星だったらしいですよ」

 笑いを堪えながら金井が教えてくれた。さすが歩く情報屋。今は座っている。

「やめてくれ……昔はカッコいいって思ってたんだ……」

 恥ずかしそうに両手で顔を覆っている。今の姿からはイケイケだった姿を想像出来ない。シノッチ……うん、シノッチ? 聞き慣れた名前だった。

「先生って、もしかして」

 俺の言葉を聞くや否や金井が口火を切る。

「篠原 健二。お昼の番組で奥様方の味方、篠原教授の」

 そこまで言って止める。予想は出来るけど、言いたくない。金井の顔が言っちゃってくださいよと言っている。それに答えるのは負けた気がする。精一杯の抵抗だった。

「あんな変人が兄貴なわけねぇだろ!」

 答え合わせが出来た。ありがとうシノッチ。このニックネームは非常に言いやすい。

「変人か」

 あれほどメディアに取り上げられているが変人の片鱗は一切見えない。

「シノッチ自身が変人枠だから、意外とまともな人かもしれないですね」

 金井もどうやら篠原教授には会ったことがないらしい。変人の変人は真人間。マイナス同士の乗算はプラスになる。そんなところか。

「まぁ、良い。だが、尾崎。てめぇはどこかで復讐してやる」

 生徒を脅す教師の姿が目の前にあった。これが変人という兄の存在。一体どんな人物なのか。一度会ってみたい気もする。でも多忙だろうし願いは叶わないだろう。叶っても特に言うこともない。

 キンコーンカンコーン。

 HRが終わるチャイムが鳴る。そういえば、美羽は大丈夫だっただろうか。学校に着いたときは結構ふらふらで足元がおぼつかなった。それを運ぶ執事たちも大変だったことだろう。シノッチが教室から出て行くのを見て、机に突っ伏した。睡眠の時間だ。

「もうおねむですか。いつもどおりっすねぇ~」

 そんな金井の声が聞こえた。


「はわぁ~」

 もう何度目になるか分からない声を聞く。

「はわぁ~」

 正直鬱陶しい。これを聞いては負けだということも重々承知している。だが、しかし。だが。しかしである。

「はわぁ~」

 ぷちっと何かが切れる音がした。堪忍袋でもなければ血管でもない。意固地になっていた自分の何かである。

「どうしたのよ」

 私は尋ねた。授業中からノートも取らずにぼーっとしていた。昼休みになっても、それは相変わらずだ。時間が経てば良くなると思っていたが、どうやら早計だったようだ。私が医者ならヤブ医者になっていただろう。

「聞いてよ! 暁さん!」

 急にスイッチが入ったように身を乗り出してきた。私が声を掛けるのを待っていたのかもしれない。案外面倒臭い性格だったようだ。

「聞いていますよ、美羽さん」

 科学雑誌を読みながら素っ気なく答えた。昼食を食べているときでも無駄な時間は使わない。習慣ではあるが、女子的には微妙なラインだ。

「私、もうお嫁に行けませんわ……」

 ぶっと飲んでいたオレンジジュースを吹き出す。衝撃発言に咥え、パックを強き握ったせいで勢い良く気管に入ってしまった。

「げほっごほっごほっげほtぅ……どういうことよ」

 咳をしながら聞き返していた。昨日の今日で恋愛マスターになってしまったのか。その相手はきっと悪い奴に決まっている。会って二日で、あの……その、するなんて。

「その、体を……触られて」

 胸を腕で持ち上げる動きをする。恥ずかしさからくる動きだが、ただただエロかった。それを自由に出来る男がいるなんて。

「どこを、どんな風に。ってか、いつ!?」

 昨日か今日か。恋愛話に興味はないつもりだが、最初の友達が女になったと聞いては興味も示す。あぁ、これが女子が好んでいたものか。高校生になって初めて、その魅力が分かった気がする。

「今朝ですわ。その胸とかを触られたり、顔を埋められたり」

 B!? しかも朝!? 性が乱れ過ぎよ。少子化なんて嘘ね。昨日の今日でこれだもん。

「どうしてそうなったの!?」

 つい感情が高まる。その相手を一回殴ってやらないと気が済まない。ラブコメの主人公ですら、そんなに手は早くない。イケメンなのね。そうなのね。

 少しずつだが自分を鎮める。これから聞く衝撃に備えて納得できる理由を探す。こんなことの為に脳みそを使う日が来ようとは。人間生きていると何があるか分からない。

「実は、彼が登校するのを待っていまして」

 こんな美少女がお迎えなんて、世の男は悲鳴を上げて喜ぶわね。

「それで、子どもがぶつかってきて……私が転びそうになったのを助けてくれたんです」

 女の子を助ける。中々の益荒男のようね。

「その後、遅刻はダメだと言って一緒に車に乗ったんです」

 遅刻がダメと言える真面目な奴なのね。そういうのも大事だわ。

「それからカーチェイスになって、後部座席の私達はくんずほぐれつに」

 ぽっと頬を赤らめる。あれ、思っていたのとはだいぶ違うぞ。それって偶然というかラッキースケベという現象なのでは。若者の情動がそこにはなかった。

「はぁ……わかったわ。でも、紛らわしい言い方はやめなさい」

 軽く注意しておく。美羽の頭にはてなマークが出ている。天然で私をこれだけ動揺させるなんて、お嬢様とは末恐ろしい。

「ふわぁ」

 動揺のせいもあってか、疲れた。つい欠伸を出る。それを隠しもしない私の女子力は五くらいだろう。百点満点中の。

「どうしましたの? お疲れですわね」

 その要因の一つが聞いてきた。この子といると調子が狂う。思いも寄らない自分の姿に気付かされる。今まで会った人とは違う感じ。どこか懐かしさもある。

「私が篠原教授のラボに通っているのは知ってる?」

「えぇ、知っていますわ。この学校の人のことは一通り」

 さすがはこの学校の理事長の娘。少しぶっ飛んでいるわね。

「じゃあ、話は早いわ。今度、全国から希望者を募ってラボの見学があるの。その見学者を選んでいる最中なのよ。その履歴書やら書類が多くて多くて」

 全国番組のテレビを舐めていたわ。こんなに殺到するなんて。倍率だけで言ったら数百倍になる。しかも、どいつもこいつも高学歴の斜に構えた奴らだ。

「盛況ですわね。うちの学校からも何人かお邪魔させていただけるのでしょう」

 そうなのだ。恐らくS組の中の誰かが来るだろう。一人か二人かは分からないが、あまり自分の通っているラボに来られるのは気恥ずかしい。というかテレビから来たミーハーな奴らと一緒にされるのは嫌だった。

「こんな企画なくなってしまえばいいのに」

 頭を抱える。こんな突飛なことをする教授には骨が折れる。実際に骨でも折ってやれば、この悩みと鬱憤も晴れることだろう。隣を見ると美羽が微笑んでいた。他人の不幸を笑うとは友達甲斐のない奴だ。

「大丈夫ですわ。この企画は良いものになるはずです、あなたにとっても」

 意味深な言葉だ。これから起こることが全部分かっているかのような。そんな気がした。

「それはそうと、美羽」

 思い出したように聞く。美羽はなんですかと言った。

「あなたはお嫁に行けるわ」

 家の事情でお婿を取るなら、お嫁には行けないが。先ほどの大まかな流れを聞いて断言する。その相手と結婚しなきゃいけないというのを否定するために。

「え? どういうことですの? もしかして、暁さんと既に」

 美羽の突飛な発想にビックリする。私はその相手を知らない。そのことを完璧に失念している。

「そんなわけないでしょ。私にそんな余裕はないわ」

 私がこの学校ですることは決まっている。ずっと一番を取り続ける。それが私の三年間。面白くないと思うかもしれないが、誰かに一番を取られるのはもっと面白くないのだ。

 それに……。

「嘘ですわ! 勉強で学んだ容量の良さをここで発揮しますのね!」

 このお嬢様は話を聞いていなかった。それは買い被りだ。評価されているという点においては素直に嬉しかったが、そんな経験を私がする時が来るのだろうか。来たとしたら相手は誰なのか。非常に興味深い。もし相手がいるならの話だが。

「ふふ」

 少し笑ってしまった。美羽と友達になって良かった。学校が始まって早々にこんなことを思うなんて。環境が変わると人が変わる。その話は本当だったようだ。

「今笑いましたよね? 余裕の表れですの! 勝者の余裕ですの!」

 こんな暴走を繰り広げるお嬢様が愛おしくて堪らない。もし私が男だったら、この子と付き合っていたに違いない。スペック云々は完璧という前提でだが。

「だ~か~ら~、違うって言ってるでしょ!」

 こんなに楽しいのは久しぶりだ。無邪気に笑っていた小学生の頃を思い出す。思えば中学生になってからは勉強しかしてこなかった。一体何があったのだろう。遠い昔のことで霧がかっている。何か大切なことがそこにはあったはずなのに。何をなくしたのか分からない。分からないが、何かをなくしたことに気付いた。今はそれで良かった。


「暇だ」

 不意に呟いた。入学式から一週間ほど経っていた。周りを見渡すとある程度のコミュニティが出来ている。俺はどこにも所属していないが、金井は全てのコミュニティに属していた。なんでも、情報と人脈は同義だということらしい。確かに人の目の数が情報の数と比例していることは理解出来る。

「あの……」

 にしても平和だ。恒久的な平和だ。悪くはないが少し退屈だな。もっと異世界人が攻めて来たり、宇宙人が紛れていたり、超能力者が激闘を繰り広げていたりしても良いんじゃなかろうか。絵面的に地味じゃないかと少し不安になる。誰目線かは定かではない。

「尾崎君……」

 地味というとやはり色味が地味なのかもしれない。普通は金髪や青髪、赤髪と言った校則どうなっているの、みたいなキャラクターがいるはずなのに。黒と茶色しかいない。唯一の金髪はうちのクラスにはいない。しかし、その金髪がいるS組は基本的に勉強しかしておらず、休み時間に会話をするのは分からないところを聞く、経済における自分の意見交換といった徹底ぶりだ。こちらより色味がない。

「話を……」

 そんな中、美羽と学生代表の夏目 暁が楽しそうに談笑していたのは驚きだった。もっとも美羽に絡まれて振り回されているようにも見えたが、それを楽しんでいる節がある。美羽は誰とも仲が良いが特に夏目 暁には心を許しているようだ。そんな夏目 暁は我関せずを貫いており、話して掛けるのは美羽だけだった。以上、S組の話はこれで終わり。

「お願いします……」

 ふと顔を上げると目の前に女生徒が立っていた。あまりの地味さに気付かなかった。前髪で顔が隠れており、髪の隙間から眼鏡のフレームが見える。どうやら話し掛けていたようだ。全く聞いていなかったので、適当に返す。

「いいよ。付き合おう」

 女生徒の手を両手で握る。多分、これで合っているはずだ。地味だと思っていたが教室で告白とは大胆だ。訂正しよう。

「ふぇ!? ……あの、その。違うんです」

 どうやら選択肢を間違えたらしい。俺が振られたという結果だけが残った。

「進路調査表を出してください」

 用件をきっぱり述べた。やれば出来るじゃないか……誰目線だ。

「あぁ、それね。わかった」

 机の中をガサゴソと漁るがプリントらしきものはない。あるのは置き勉している教科書類だけだ。プリントは一枚もなかった。

「ないんですか」

 ないわけじゃない。プリントが全てなくなっているのだ。学校が始まってからのプリントは大量にあったはずだ。それが一枚もないのはおかしい。ふと考えを巡らす。

 先日、雨が降った。靴がびしょ濡れになった。乾きそうになく、靴に大量の紙を入れて乾かした……それか。その後、プリントたちは天寿を全うしたのだ。

「ごめん、どうやらないようだ」

 俺の言葉に彼女はしどろもどろになっていた。どうしようどうしようと焦る女生徒。俺のせいなのに自分のせいのように感じている。その責任感を見習いたいものだ。

「シノッチに貰いに行ってくるよ。そのまま提出するから安心してくれ」

 自分のケツは自分で拭く。当たり前のことを言ったのに彼女の目はまるで英雄を見るかのように輝いていた。

「ありがとうございます」

 そう言う彼女の顔をまじまじと見る。その前髪は邪魔ではないのか。俺はいつの間にか手を伸ばしていた。

「ふぇ」

 少しくすぐったさを感じる声だった。髪を掻き上げるようにおでこに手を当てる。女生徒の顔が露わになる。大きな瞳と白い肌だった。絵画のモデルになりそうな美貌が教室中に晒される。

「前髪はない方が良いよ」

「おれっちもそう思います」

 いつの間にか金井がいた。驚いて彼女の顔から手を離す。どこから湧いてきた、お前。

「はわわわわわわわわわ」

 女生徒の顔が真っ赤になる。髪ではっきりとは見えないが、耳まで真っ赤だ。

「ザッキ―、俺っちがいない間になに委員長ナンパしてるんですか。そういうことは俺っちがいるときにやってくださいよー」

 金井が文句を垂れる。ザッキ―って。そんな風に言ったことないだろ。

「委員長?」

 俺は声を出していた。こんな子が委員長なのか。少し驚きだ。

「まぁ、基本寝てましたからね。あんさんは」

 やれやれとわざとらしくリアクションする金井。失礼な奴だが、事実なので文句の言いようがない。

「どうせ立候補もなく、くじ引きかなんかで決まったんだろ」

 彼女と少し話しただけだが、ある程度は理解していた。もしくは他薦されて断りきれずってところか。友達は選んだ方が良い。選ばれない俺がそう思う。

「まるで見てきた風に言いますね。まぁ、その通りなんですけど」

 正解を言い渡された。改めて委員長を見る。膝までしっかり隠されたスカート。化粧っ気はまったくなく、爪は短く、色は付いていない。個人的には爪がカラフルな奴は嫌いだが、おしゃれな女子の代名詞となっているのも事実だ。髪型も時代錯誤の三つ編み。まるで昭和の模範生だった。平たく言ってしまうと。

「地味だな」

「地味ですね」

 金井のレスポンスも早かった。他の奴に聞いても十中八九、同じ感想を抱くだろう。

「ひ、ひどい」

 彼女のか細い声が聞こえた。聞き逃してしまいそうなボリュームだった。

「ひどいも何も事実だからな」

「こればっかりは反論の余地もありません」

 初対面の相手に失礼な奴等だ。そんなんだから友達がいないのだ……それは俺だけか。

「酷いです……告白されて、恥ずかしいことまでされて……」

 委員長の言葉に金井が反応する。事実だがヤバい。そう直感していた。こいつに知られたら、全校生徒に知られたと思え。初日の件から生まれた格言だ。

「告白ですか。具体的にはどんな風に」

「あの、付き合おうって」

 早速インタビューが始まっていた。お嬢様との邂逅以来のイベントに金井は嬉々としている。こうなってしまってはどうしようもない。下手に否定してしまうと真実性が増してしまう。俺はあえて見送る。

「それで返事は」

「付き合えないと」

 見送る。

「それは何故」

「まだお互いのことを良く知らないですし……それにこういうのは初めてで」

 見送る。

「恥ずかしいこととは一体」

「それはみんながいる教室で……あの、その。これ以上は言えません!」

 委員長は恥ずかしさのあまり走り出してしまった。

「ちょっと待って! 最後まで言いなさいよ」

 動揺のあまりオカマ口調になってしまった。否定はしないが、こういう勘違いされかねない発言には異議を申し立てたい。金井のことだからみんなを勘違いさせる記事を書いてしまうだろう。嘘は言っていないが真実はぼかすジャーナリズム。

 ぶるっと背筋が震える。これからの起こることに恐怖を感じていた。

「良い記事が書けるぞ~」

 金井はむしろ委員長が走り去ってくれたことを喜んでいた。恥ずかしいことが前髪を掻き上げたことだということは分かっているはずだ。分かっているはずだが。

「恥ずかしいことってあれだからな。お前も見てたやつだからな」

「いやぁ、文字起こしで完璧ですね」

 どうやら俺の声が聞こえていないらしい。しかし、ふと気づいてしまった。俺は友人と呼べる奴がいないし、そんな奴の噂を聞いても特に問題がないということに。自己評価が高かったようだ。もしかしたら、これを機に俺のことを知り、人気者になる可能性だってあり得るのだ。

「あっ、進路調査票」

 話に夢中で忘れていた。時計を見ると昼休みが終わる時間だ。今からでは間に合わない。放課後は早く帰ってだらだらする予定だったが仕方あるまい。この用事は放課後に済ませることにしよう。

「面倒なことになりませんように」

 既に面倒なことになっていたが、これ以上のことが起こらないように願いを込めた。


「ほら、これだ。とっとと書きやがれ」

 シノッチが進路調査票を机の上に投げるように置いた。ファイルやプリントが乱雑に置かれた机にはスペースと呼べるものはない。このファイルの上で書けばいいのかな。腰を九十度曲げるようにして書いた。

「志望大学……久遠寺大学でいいか」

 うちの高校と同じ名前だし、エスカレーターで行けるだろう。軽い気持ちで書いたつもりだった。

「ぶっ」

 隣でカップラーメンをすすっていたシノッチが咽ていた。汚い。

「おま、久遠寺大学ってマジか」

 かなり驚いた様子だ。そんなに不味いことを書いてしまったのか。別にどこでもよかったのだけれど。

「これじゃダメなのか」

 その問いにシノッチは頭を悩ませていた。

「いや、ダメじゃないが……お前には厳しいんじゃ」

 煮え切らない返事だった。こういうことはちゃんと言ってくれ。

「厳しいって何が? お金か」

 私立だが授業料もそんなに高くないはずだが。そんな俺の反応にため息交じりでシノッチは答えた。

「久遠寺大学はかなり難しいぞ。S組に入ってても全員行けるわけじゃない」

 学力の心配だったようだ。普段寝てばかりの俺では無理だと判断したのだろう。

「そうか、そんなに難しいのか」

 残念だ。早く帰りたかったのに。

「久遠寺大学かぁ、久遠寺大学ねぇ……そうだ!」

 シノッチは嬉々として携帯電話を取り出し、おもむろに電話をし出した。

「兄貴か? そっちの研究室に一人見学に行かせていいか? え? うちの高校の枠を使っていいのか。分かった、それじゃ」

 ピッと電話を切った。シノッチが悪魔のような笑顔を向けた。怖い。

「良かったな。行けるぞ、久遠寺大学」

 何の冗談だろうか。勝手に予定を組まれてしまった。

「別にいいよ。そこまで興味ないし」

 単純に早く帰りたいから書いたことでこんなことになるなんて、最悪だ。

「もう決めちゃったもんねぇ~お前には追っかけられた借りがあるし~あの糞兄貴と仲良くしてろや」

 舌を出してバカにしてくる。まるで子供だ。ってか子供だ。こんなのが教師になれるのか。俺も教師になろうかな。

「失礼します」

 ガラッと扉を開けて入ってきたのは夏目 暁だった。手にはプリントがあり、どうやらそれを提出に来たようだ。

「あっ、夏目かぁ。ちょっと来いよ」

 シノッチが夏目 暁を呼ぶ。なんだなんだ。一体何が起こるんだ。

「どうしましたか。篠原先生」

 プリントを提出し終えた夏目 暁がやってきた。傍から見るとどっちが教師かは分からない。

「こいつ今度お前のところの研究室に行かせるから、よろしくな」

 肩を組まれながら俺を紹介する。俺はまだ行くとは一言も言っていない。それにほぼ初対面の相手を紹介される相手の気持ちにもなれよ。夏目 暁の目は笑っていなかった。

「うちの研究室に、彼が……」

 どうやら怒っているようだ。仏頂面がますます仏頂面になっている、気がする。女の子は笑顔が似合う。その意見に賛同してしまう。

「S組でもない彼の枠はありません」

 きっぱりと断られた。そうだ、その調子だ夏目 暁よ。この件を破談にしてくれ。

「彼女もそう言ってるようなので、辞退します」

 さっさと帰ろうとすると肩を掴まれた。まだ逃げられない。

「ダメだ。もう兄貴にも話した。お前らの意見は重要ではない」

 いや、重要だろ。何を言っているんだ、この暴君。脳みそがローマなのか、そうなのか。どうやらこれ以上話していても時間の無駄だ。もう帰ろう。

「まぁ、いいや。俺は帰るよ。あとは任せた」

 夏目 暁に目配せをする。私だけにしないでよ。と目が訴えているが、これ以上は無駄だ。あとは当人同士で何とかしてくれ。

「おう、進路調査票ちゃんと受け取ったからな」

 シノッチの声を背中で聞きながら、職員室を後にした。ちょっと待ちなさいよと夏目 暁の声が聞こえたので軽く手を振っておいた。当人は帰って行くのだった。


「まぁ、いいや。俺は帰るよ。あとは任せた」

 この男は何を言っているのだろうか。最初は行きたくないと言っていたのに、急に帰ろうとしている。こんな奴が私の研究室に来ると考えるだけでもおぞましい。私は省エネで努力もしない人間が大嫌いなのだ。そういえば、入学式にこいつに告白されたのだった。私の恋はどうやら始まりそうになかった。

「おう、進路調査票ちゃんと受け取ったからな」

 篠原先生は止めもせずに見送る。進路調査票? そんな大事なものをギリギリで出しに来たのか。その意識の低さにも眩暈がする。

「ちょっと待ちなさいよ」

 私の声に後ろ手を振りながら、去って行った。老兵はただ去るのみと体現したような力なき後姿。同い年とは思えなかった。

「あとはお前だけだな。諦めろ」

 篠原先生はにやにやとしながら、机に肘をついていた。篠原教授も変人だが、その弟もどうやら変人のようだ。何を言っても譲らない頑固さがある。

「諦める諦めないの問題ではなく、単純に素質の問題を言っているんです!」

 つい大声で怒鳴ってしまった。その声に職員室中が静まり返る。これではまるで私が悪者ではないか。本当の悪は目の前にいるというのに。

「どうかしましたか」

 気品のある声だった。初めて聞く声なのにどこかで聞いたことがある。不思議な感覚。

「理事長」

 篠原先生が少し身構えた。この男が姿勢を正す姿を目の当たりにして、ちょっと笑ってしまった。礼儀も多少は持ち合わせているようだ。

「夏目さんが大声を出すなんて、あまりありませんからね」

 美羽と姿が被る。綺麗な金髪から覗く美貌からでは母であると想像できない。非常に魅力的な女性だった。

「すいません。ついカッとなってしまって」

 素直に謝っていた。理事長の声を聞いて高ぶった気持ちが少し落ち着いた。

「いやね、理事長。俺は教師として生徒の夢を叶えようと思ってですね」

 使い慣れない丁寧語で篠原先生は言った。いかにも教師らしい言葉だが、風貌からは残念ながら詐欺師のようにしか見えない。

「久遠寺大学を志望してたから、せめて見学だけでもと」

 いやぁ、まいったまいったと頭を掻く。そんな理由でS組でもない人間が見学に来られても迷惑だ。全国の有能な生徒ですら、選別して落とされているというのに。

「篠原教授の弟さんだからといって、そういう軽はずみなことはしないように」

 理事長が篠原先生の散らかった机に目をやる。どうやら進路調査票に目が留まったようだ。そのプリントを手に取ると表情が変わっていた。

「あぁ、その子なんですけど。ダメですかね」

 かなり気弱になった篠原先生が泣き脅しに取り掛かっていた。こういう大人にはなりたくないなと心から思う。

「彼ですか……彼が久遠寺大学を」

 理事長がぷるぷると震えている。仏の顔も三度まで。怒らない人でも怒る時は怒るのだ。どうぞ、理事長。その男にガツンと言ってやってください。

「良いでしょう。私からもお願いしますわ」

 へっ、今なんと仰りました。お願いしますわ? それは、あれか。見学を許可したということか。クエスチョンマークが頭から離れない。

「そうですか。いやぁよかったよかった」

 篠原先生は許可されたことよりも怒られなかったことにほっとしている様子だった。

「ちょっと待ってください!」

 私は制止の声を上げる。理事長の対応が急に変わったことに納得ができない。きちんとした説明を要求したい。

「その、S組でもない人が選ばれるのは納得がいきません」

 私は別に自分のクラスを特別扱いしているわけではない。しかし、一般生徒が選ばれてしまっては落選した者に示しがつかないのだ。特別を容認してしまえば、規則は瓦解する。それが気がかりなのた。

「夏目さん、それは単純な学力の話をしているのですか」

「そうです。篠原先生の生徒ならC組のはずです。残念ながらS組に入れないような人間を選ぶわけにはいきません」

 例え相手が理事長でもダメなものはダメだと言う。長いものには巻かれろ。付和雷同。それが分かっていても許すことは出来なかった。

「それなら問題はないはずです。彼は次席ですから」

 一瞬、理事長の言ったことが分からなかった。次席。二番。そんなわけがあるはずがない。だって、彼はC組なのだから。

「それはないっすよ。あいつはC組ですよ。そいつにS組の実力があるはずが」

 篠原先生は理事長が冗談を言ったと思っている。私も冗談だと思いたい。

「事実ですよ。彼はS組に入ることを辞退しました。それに次席になった理由も彼が自身の間違いを指摘したからです。学生代表の挨拶は本来、二人でやる予定でした」

 目の前が真っ暗になった。是が非にでもS組に入りたいと思う者が大勢いる中でそれを辞退する。自分から申告して点数を下げる。その行為の意味が分からなかった。

「そんな彼が欲を出したことに驚いたのです」

 理事長は進路調査票を愛しそうに持っている。名前のところには尾崎 穣と書かれている。そのカリスマアーティストのような名前も冗談だと思った。

「ははは、いつも授業中寝てるあいつが……次席……」

 篠原先生は意識混迷としながら、呪詛の様に次席次席と言っていた。私も平静を装っているが内心は動揺していた。

「これで文句はありませんね、夏目さん」

 理事長の笑顔に目を向けること出来ない。下唇を噛みしめて言った。

「……はい」

 自分の負けを認めてしまうことがこんなにも悔しいなんて。こんな思いをするなんて。尾崎 穣。その名前を絶対に忘れない。忘れてやるもんか。

「では、この話はこれで」

 理事長はそれだけ言うと去って行った。放心した先生と悔しさに打ち震える私。傍から見たら何が起こったか分からないだろう。

「「勉強が出来ない奴は切り捨てろ」」

 誰の言葉だろう。不意に思い出した。誰かに言われた悲しい言葉。その言葉を当時の私は受け入れられなかった。それがいつのまにか真実になっていた。一体、私はいつからこんな女になったのだろう。それだけは思い出せなかった。


「あれから特に何も起きないですね」

 委員長との一件を言っているのだろう。金井はあまりの反響のなさにしなびれていた。

「もっと有名人じゃないとな」

 例えばS組の久遠寺 美羽や夏目 暁なんかがいいだろう。ただでさえ目立つS組の中でも際立って目立つ二人だ。あの二人のスクープだったら、どんな学生でも挙って飛びつくはずだ。

「おはようございます」

 聞こえるか聞こえないかぐらいの声で挨拶をされ。反射的に挨拶を返す。

「あぁ、おはよう」

 それが誰かはわからない。長い黒髪をなびかせる女の子だった。あんな子、うちのクラスにいたかな。顔と名前は一致しないクラスメイト達だが、同じクラスにいたかどうかの判断くらいはできる。そのはずだった。

「あんな子いましたっけ……」

 金井がわからないなら俺にわかるはずがなかった。クラス中がざわざわし出す。長い黒髪で目鼻立ちはくっきりした美人系。こんな子がいたら、否応なく話題に出ていたはずだ。

「可愛い」

「誰なんだ、あの子」

「付き合いたい」

「おい、お前話し掛けろよ」

 野次馬魂丸見えのクラスメイト達。その中でいち早く話し掛けにいったのは勿論、我らの金井さんだった。

「は~い、彼女。クラス間違えてない? そこは委員長の席だぜ」

 その言葉ではっとする。そういえば、あの顔に見覚えがあった。まさか。

「委員長か」

 俺の言葉にその女の子が反応する。

「あの、おかしいでしょうか」

 三つ編みをほどき、前髪で隠れていた顔が見えるようになっていた。昨日の今日でこんな変化をするなんて。一体何があったのだろう。少し心配になる。

「えっと、似合っていますけど……どうしてそんな」

 金井は何かスクープを嗅ぎつけるかのように恐る恐る聞き始める。

「えっと、尾崎君と金井君が私を……地味だって言ったから」

 少し遅れた高校デビューだった。俺と金井の他愛無い会話を真に受けるなんて健気な子だ。感心する。

「それに……尾崎君に付き合うかって言われて。あの、その」

 俺に考慮してのことだった。告白した相手に恥をかかせられない。その思いが彼女をここまで変えたのだ。しかし、委員長よ。一つだけ言いたい。俺の告白はそんなに重要なトピックスではないということに。ただの失言だということに。気付け、俺の思い。君に届け。

「恋が人を変えるんですね」

 どうやら金井には俺の思いは届いていないらしい。残念だ、友達をやめよう。

「そういうわけでは……」

 委員長。そこは頬を赤らめる場所ではないですよ。どうやら、俺の思いは誰にも届かなかったらしい。周りの野次馬達から口笛やひゅーひゅーの掛け声が響く。この場を上手く納められる人がどこかにいないものか。俺は神に願った。困ったときにだけ助けを乞う信仰心の欠片もない俺だが願わずにいられなかった。

 ガラッ。

「ちょっとよろしいですか」

 流れをぶった切ってくれる金髪の天使が現れた。久遠寺 美羽だ。クラス中が一気にどよめく。先ほどまで囃し立てていた野次馬達が急に上品ぶる。髪型を気にしたり、服装を気にしたり、喉のチューニングをしたりしている。安心しろ、君らの出番はない。

「急にどうしたんだ」

 美羽と言いそうになるが、そこは留めておいた。その発言でまたなにか言われることを危惧してからだ。賢くなった自分を褒めてあげたい。

「いえ、尾崎さんが困っていると聞きまして」

 声の雰囲気から修羅場になりそうだった。少し怒りを含んでいる。それを敏感に察知したのか、先ほどまで野次馬をやっていたクラスメイトは各々の席に着いて教科書を読んでいる。ベタに逆さまで読んでいる奴もいる。

「ははは、このタイミングの良さ。まさか聞き耳を立てていたわけじゃ」

 美羽が金井を視線で制する。それ以上は言ってはいけないと踏んだのか金井はモブへと消えた。

「委員長さん。いえ、椎名七海さん」

「はい」

 委員長と直接話すようだ。委員長の名前、初めて聞いたな。失礼なクラスメイトだった。

「尾崎さんに告白されたという話は本当ですの」

「は、はい。付き合おうと言われました」

 その言葉を聞くと美羽は俺に視線を向けてきた。どうやら俺も参加しないといけないらしい。怖い。

「確かに言いましたが、あれは不可抗力というか。流れと言いますか。トイレに付き合ってくれよみたいなノリで言いました」

 うわぁ……なんだ、この最低な言い訳。美羽と委員長、そのどちらも傷付けないように立ち回った結果がこれだ。仕方ない。最低な俺を演じよう。

「尾崎さんはそんな気持ちで告白をするのですね」

 美羽に嫌われてしまった。せっかく好いてもらっていたのに、その好意を裏切ってしまった。過去の自分の発言を取り消したい。

「私に言ってくだされば良かったですのに……」

 美羽はぼそっと何かを言ったようだが聞こえない。

「あの、久遠寺さんはどうしてそんなに怒っているのですか? まさか尾崎さんのことが好きなのでしょうか?」

 重い雰囲気に耐えかねて委員長が直球を投げた。この空気の読めなさは流石だ。目の前で可愛い女の子同士が俺を取り合っている、ように見えなくもない。

「それは、その……あれです。学校が始まって早々に付き合うなんて、破廉恥極まりないです。こういうのはもっとちゃんとしたプロセスを」

 あの美羽がしどろもどろになっている。いつも理事長の娘としてのプライドと威厳に満ちた姿からは想像できない。

 ガラッ。

「あっ、いた。美羽」

 そう言って夏目 暁が入ってきた。おいおい、またややこしくなるのか。流石に頭が痛くなってきた。頭痛が痛い。それぐらいだ。

「暁さん」

「そろそろ休み時間終わるわよ。早く戻りましょう」

 どうやら夏目 暁は救世主だったようだ。この状況を一瞬にして変えてしまった。

「もうそんな時間でしたか、それでは戻りましょうか」

 美羽は気恥ずかしそうに足早に教室を出て行った。急に劣勢になったところの助け舟だ。乗らない手はない。

「はぁ、怖かった。もうあなたとは関わりたくないです」

 委員長が言った。俺も空気の読めないあなたと付き合うのは怖いです。

「あっ、尾崎だったっけ」

 夏目 暁が今気付いたかのように言ってきた。視界には入っていただろうとか下手なことは言わない。これ以上何か言われては叶わない。基本省エネなのだ。

「例の件だけど承諾されたわ。詳しいことは篠原先生に聞いてちょうだい」

「暁さん、行きますわよ」

 教室の外で美羽が呼んでいる。夏目 暁はそれだけ言って去って行った。例の件、一体何のことだろう。一瞬わからなかったが、篠原教授の研究室の見学の話だろうか。あまりにもあっさりしていたので気付くのが遅れた。最初はあれほど反対していたのに。

 ガラッ。

「うーす、授業始めるぞー」

 シノッチのいつも通りの声に安心する。そうか、あのよく分からない修羅場は終わったのか。急に現実に引き戻される、この感覚。ありがとうシノッチ。

「なににやにやしてるんだ、お前。気持ち悪いぞ」

 シノッチの声がこんなに癒されるなんて、思いもしなかった。

「まぁいいか。それじゃあ、授業を……あれ、椎名! お前、なんでそんなになってるんだ! 彼氏でも出来たか」

 あぁ、やっぱりうざいわ。シノッチ。癒しなんて微塵もなかったわ。

シノッチの物理の授業が始まる。いつも通り眠たくなる。

「尾崎! 重力加速度は?」

「一Gだ」

「SI単位の方だ」

「そういうのは先に言えよ。約9.8だ」

「単位を言え、単位を」

「ここじゃ表しにくい」

「何言ってるんだ」

「なんでもない」

 そんなこんなでやたらシノッチが俺に問題を当ててきた。そのせいで寝ることが出来なかった。一体何だというのか。俺が何をしたというのか。

「尾崎!」

「はい!」

 いつもと違う日常が流れていく――



「あぁ、そういえば。例の見学だが明日になったから」

 HRが終わって、シノッチはさも当然のように言った。

「えっ……早くない? 結構な人が来る大規模イベントじゃないのか?」

 ついあっけらかんと普通の質問をしてしまった。普通に驚いた。

「あぁ、なんでも応募が殺到し過ぎて立ち行かなくなったらしい。それで久遠寺高校の生徒だけでも早めに終わらせるみたいだってよ」

 なんちゅう適当な対応だよ。いや、そもそも見学程度でそこまで必死にやる必要もないのか。誰の企画だ。責任者出てこいや。

「それじゃあ俺の個人面談じゃんか。嫌だなぁ」

 目の前にいる教師らしからぬ男とは違って奥様方の味方である大学教授。固い話をするのだろうなぁ。その辺はシノッチを見習って欲しいなと思う。

「大丈夫だ。夏目も同行させるから。さすがに仲介役がいないとやりにくいだろうしな」

 なははと笑う。それはそれで厳しい状況だ。二人に理論で殺される。理論武装というやつだ。

「ってか本当に俺が行くのか……納得してるのか。その夏目、さんとか」

 不慣れなさん付けだった。口周りが気持ち悪い。

「大丈夫だ。頭は良いが年頃の女の子だろ? 可愛いって言っておけば問題ないって」

 いや、さすがに問題ありありだろ。あのプライドの塊を可愛いとか。男に何言われても多分何も気にしないって、マジで。

「可愛いねぇ……確かに顔は良いしスタイルも悪くない。でも性格とかがなぁ」

 なんというか読めない。他者と深く関わろうとしないように生きている。良く言えばパーソナルスペースを犯さない距離感でしか人と関わらない。

「女なんて抱き締めてキスすれば簡単に落ちるって。まぁ俺の場合はな」

 シノッチのモテ自慢が始まった。得てして昔モテた話をする奴ほど大した恋愛をしていないって誰かが言っていた。なるほど、意外と的を射ている。目の前のサンプルで納得していた。

「篠原先生、お呼びですか?」

 ガラッとドアを開けて夏目 暁が入ってきた。どうやら呼んでいたらしい。そういうことはちゃんと言っていて欲しかった。

「あぁ、夏目か。急遽、明日になったからな顔合わせだけでもした方が良いと思ってな」

 受け持った手前、それっぽいことをしとこうという算段だろう。

「何、じろじろ見てるの?」

 威圧的な態度だ。どうやら心の奥底では納得がいっていないらしい。

「いや、可愛いなって思って」

「は?」

 やばい、機嫌を損ねたか。さっき言われたことを早速実践してみたのだが芳しくない。威圧的な態度が気に入らないという俺のささやかな抵抗からの行為。受け取って貰えましたでしょうか。

「何が目的? お金? 残念、そういうのは持ってないわよ」

 どうやら俺の下手糞なお世辞では何か企んでいると思われるのが関の山らしい。

「おぉ、恋か。恋が始まるのか」

 シノッチが悪乗りし出した。こういうところは本当に教師らしくない。

「そういうのは始まりませんし、必要もありません」

 きっぱりと夏目 暁に言われた。お世辞を言っただけで振られた気分だ。

「まぁ見学の間、仲良くはしようぜ」

 俺はそう言うと、すっと手を差し出した。シェイクハンド。握手というやつだ。これをすれば仲直りという日本の古い言い伝えがあるほどだ。それに肖ろうではないか。

「そういうのはいらないわ」

 パンッ。

その音と共に手を弾かれていた。俺の最大限の譲歩を。思いを。全て払われた。ちょっと頭に来た。

「おいおい、そりゃねぇぜ。気に食わないのはお互い様だろ? こっちだっていい迷惑してんだ。そっちが考えた企画だろうが。なら、それっぽくやり過ごすのが筋ってものじゃねぇのか」

 凄んでも迫力が出ない演技力が悲しい。普段から定期的に感情を出しておくのだった。

「私だって篠原教授の突拍子もないことに振り回されっぱなしなの。優秀って言葉を鵜呑みにして通い始めたら、この様よ。あなたにはわからないでしょうね」

 おや、どうやら会話が出来ているぞ。俺の大根台詞も捨てたものじゃないな。

「そっちの事情なんて知るかよ。それをどうにかするのがあんたの仕事だろ。それともあんたは教授の右腕じゃなく、右手くらいの役割しか出来てないってことかよ」

 文句の中にセクハラ台詞を織り交ぜる。教授と生徒とはいえ男と女。そういうこともあるではないでしょうか。いや、あってほしい。淡い期待だった。

「そうね……右腕にはなれていないかもしれないわね」

 はい! 出ました。意味を理解していないやつですね。頭が良い癖にこういうのには疎いのですか。そうですかそうですか。そういうのも大好きです。

「あぁ、違う違う。右手ってことは下ネタ的な意味だよ」

 シノッチが右手を上下にブラッシュアップしている。しまった、第三者がいることを忘れていた。そういうのは下手に指摘しないからこそ、うぶなネンネでいられるのですよ。そこをこの教師は、何もわかっていない。

「なっ……」

 そこまで言われて気付いたらしい。あぁ、ただでさえ嫌われていたのにもっと嫌われちゃうよ。

「この!」

 右手を大きく振り被った。この体勢はあれだ。闘魂注入だ。

「待った! 顔だけはやめて」

 アイドルみたいなことを言いながら振り被った手を掴みに行った。右手首を上手く掴んだ。よし、これで殴られない。はずだった。

「きゃっ」

 夏目 暁は急に手首に掴まれて驚いたのか。小さな悲鳴と共にバランスを崩した。

 ドサッと俺が覆いかぶさるように倒れてしまう。女の子の力で簡単に倒されるとは情けない。俺は起き上がろうと右手を伸ばした。

 むにゅ。

 柔らかい感触が手の平にあった。俺はどこかで見たことがある、この展開が怖くて目を開けられない。とりあえず、右手を動かしてみる。

 ふにふに。

「あっ」

 夏目 暁の声が聞こえた。恐らく間違いない。そして、結論から言うと、俺は殴られる。俺はそっと目を見開いていく。

 俺の右手は……夏目 暁の腹の上にあった。

「せ、せーふ」

 思い浮かんだ最悪の結果じゃなくて安心した。

「セーフじゃないわよ!」

 思いっきり顔を靴の裏で蹴られた。こっちの結果は最悪だった。

「信じられない。いきなり襲ってくるなんて」

 スカートを手で叩きながら夏目 暁は立ち上がっていた。俺は蹴られた顔面を抑えながら身悶えていた。しばらく立てそうにない。

「私はもう帰ります。それでは」

「おう、明日もよろしくな」

 シノッチがそうだけ言うと夏目 暁は教室を出て行った。足音から怒っているのがわかった。しかし、顔面の惨状に謝る言葉が出てこなかった。

「大丈夫か? 顔が平たくなってるぞ」

「もともとこんな顔です」

 日本人の平均的な顔のはずだ。むしろ平たくなかったら鼻の骨が折れていただろう。

「しかし、あれだな。俺が言った女の落とし方まで試そうとするとは末恐ろしいな」

 シノッチはどうやら俺の一連の流れを故意だと思っているらしい。故意と恋。似ているのは読み方だけだった。

「嫌われてしまった……」

 明日のことを考えると頭が痛い。せめて、生徒とは味方でありたかったのに。敵が二人になってしまった。

「大丈夫だって。嫌いは好きに変換できるってマンガで聞いたことあるから」

 なんだその変換。パソコンだったら買い換えるレベルだ。

「孤軍奮闘……」

 もしくは四面楚歌。悲しい四字熟語だね。

「お前がどんな想像しているかは知らないが、兄貴はお前と気が合うと思うぜ」

 シノッチは慰めるように言った。

「それにお前は周りに振り回されている方が面白いぞ」

 サムズアップ。もしくは東急ハンズ。どうやら、普段のアパシーさを遠回しにディスられたらしい。顔を蹴られて普段の生活もディスられる。世の中悲しいことばっかりだ。

「もう三年分くらいのアクションがあったから、ごめん被りたい」

「多分、それは無理だな」

 でしょうね。あなたのお兄さんとの対面ですもんね。どうやら、ため息が多くなりそうな未来に頭が痛くなってきた。願わくば、何も起きませんように。それだけを願った。



「なにあれ」

「こわーい」

「誰か待っているのかしら」

 教室中からひそひそと声が聞こえる。それは一人の人間に向けて放たれた言葉だった。それは勿論、この方。夏目 暁その人である。

 教室の入り口を占拠するように立っている。扉のレールを背もたれにしてこちらをずっと睨んでおられる。どうやら、昨日のことを根に持っているようだ。

 ギロッというオノマトペが聞こえるほどの目力。その視線が痛い。試しに教室の前に移動してみる。

 ギロッ。

 教室の後ろに移動してみる。

 ギロッ。

 どうやら間違いなく俺に視線がロックオンされていた。こちらから話し掛けなければ状況はこのままらしい。

「あんさん、とっとと行ってくださいよ。このままじゃ空気がなくなっちゃいます」

 悪い空気が滞っているかのような息苦しさに教室中が包まれていた。換気したい。

「行くしかないか」

 俺は覚悟を決め、籠城する夏目 暁に話し掛けた。

「こんにちは、夏目さん。今日も良い天気ですね」

「……」

 反応はない。

「えっと、暁さん。聞こえてます?」

「……」

 呼び方を変えてみたがリアクションはなかった。一体、どうすればいいのだろうか。正解が分からない。いや、正解なんてないのかもしれない。

「暁。好きだぞ」

「なっ……」

 どうやらニアピンだったようだ。そうか、好きって言えば良かったのか。欲しがりさんだなぁ。

「呼び捨てにしないで! あと下の名前はやめて!」

「えっ、なんで? カッコいいのに」

 名は体を表すという言葉が当てはまる良い名前だ。それを嫌がるなんて勿体ない。

「カッコいいって。そんな」

 どうやら今まで言われたことがなかったらしい。初々しい反応に俺も戸惑う。

「まぁいいわ。歩きながら話すわよ」

 そう言って夏目 暁は籠城をやめた。教室の外へと歩いて行く。

「どうしたのよ。付いて来なさいよ」

「えっ、でも授業が」

 俺の言葉に夏目 暁が小さな溜息をつく。

「はぁ、何も聞いてないのね。午後の授業は出なくていいのよ。学校の許可はちゃんと貰っているから」

 どうやら午後の授業はボイコット出来るらしい。ラッキー。

「それにあなたには必要のないことでしょ」

 夏目 暁の言葉の意図が理解できない。授業中寝てばっかりの噂がS組にまで流れていたのかな。ちょっと恥ずかしくなった。

「行きましょう」

 夏目 暁の後ろを付いて行くように教室を後にした。


「さっきの話だけど」

 夏目 暁が話を振ってきた。

「さっきの話って」

 鳥頭だった。

「名前の話よ」

 どうやら、俺が下の名前を言った話らしい。

「あぁ、夏目、さんでいいのか」

 同級生に敬称を付けて言うのがむず痒い。言い慣れなさに口が違和感を感じている。

「別に良いわよ。好きに呼んで頂戴」

 あっさりと許しが出た。さっきのやり取りはなんだったのだろう。疑問だった。

「でも、その代わり。私も好きに呼ぶからゆたか

「ぐっ」

 いつの間に俺の名前を知ったのか。極力言わないように努力しているのに。

「どうしたの? ゆたか

「はぁ~、まぁいいか。お互い様だし」

 フルネームで言われると某カリスマアーティストみたいだから嫌なのだけど。

「ちなみに俺の名前はゆたかじゃなくてじょうだから。そこは間違えないでくれ」

 ゆたかと読めるだけであって、俺は学校のガラスを割ったり、盗んだバイクで走り出したりしないのだ。

じょう。良い名前ね」

 さっきのお返しのつもりだろうか。名前を褒められたのは初めてだった。なるほど、悪くない気分だ。

「で、これからどうするんだ?」

 ただ暁の後ろを付いてきただけで何も聞かされていなかった。

「久遠寺大学は歩くにはちょっと遠いから車で行くわ」

 そのちょっと遠い距離を暁は毎日通っているのだから凄いものだ。

「車? 車ってまさか」

 ちょっと嫌な予感がした。何故なら一人の教師の姿が思い浮かんだからだ。

「篠原先生よ」

 予感が的中した。しかし、問題はそこではない。

「あの車、二人乗りじゃなかったか」

 コペンという小さな車だったはずだ。先生が当然運転するとして助手席に二人乗るのか。それとも俺の膝に暁が乗るのか……凄く嫌な光景だ。なんというかいかがわしい。あと道路交通法的にも問題がある。

「さすがにそこは考えているでしょう」

 暁は別の車が用意されていると踏んでいる。普通だったらそうだ。そのはずだ。しかし。

「悪い、誰も車貸してくれなくて、これなんだ」

 行き当たりばったりなのが、いつものシノッチだった。ある程度覚悟をしていたからダメージはない。

「えっと、じゃあ。これで」

 暁は車を見て思案している。どういう結果に行き着くのだろう。

「いかがわしいわ!」

 どうやら同じところに行き着いたらしい。

「あっ、何言ってるんだ? さすがに二人一緒には乗れないぞ」

 至極当然だった。結局、二度に渡って運ぶ手立てとなった。

「どっちから乗る? 俺はどっちでもいいぞ!」

 サングラスをかけた運転席の男が言った。本当だったら二度手間せずに済んだものを。窓から覗く顔が腹立しい。一発殴ってやりたい。

「どっちから行く?」

 どっちにしろ待つことになるから順番は大差ない。

「私は後で良いわ。研究室のカードキーを忘れてしまったの」

 暁は忘れ物を取りに行くようだ。必然的に俺が先に行くことになった。

「十分もかからないから、急ぎなよ」

 シノッチはそれだけ言って車を急発進させる。あまりの衝撃に助手席に深く沈み込んだ。

「だいぶ飛ばしてるけど大丈夫」

「なぁに、法定速度は守ってるさ」

 その法定速度ギリギリのスピードでものの数分で着いた。

「じゃあ、この場所にいろよ」

 そう言って、シノッチは車を走らせる。その後ろ姿はあっという間に見えなくなっていた。駐車場のど真ん中に下ろされたが、さすがにこの場所に突っ立っているのは危険だ。 

周りを見渡すと、ここから少し上がったところにベンチが見えた。

「あそこで座って待つか」

 のんびり待とう。俺は歩を進めた。

「ははは、でさ~」

「マジ? 超受ける」

 遠くからじゃ丁度見えない位置に既に先客がいた。この大学の生徒だろう。さすがにあの中に入るのは気が引けるな。どうするかなと考えていると大学生たちが俺に気付いた。

「あ? 何、その制服は久遠寺高校か」

「オープンキャンパスの時期じゃねぇよな」

「くちゃくちゃくちゃ」

 そう言いながら周りを囲まれてしまった。ヤンキーっぽい風貌をした三人組。一人はガムを噛んで喋っていないが、全員威圧感があった。これはヤバいですよ。

「なんだ、こいつバッジつけてねぇじゃん」

「S組じゃない奴がここに何しに来たんだよ」

「くちゃくちゃくちゃ」

 はぁっはっはっは、とさぞ面白いことがあったように笑う。ここ笑うところなのか。

「アハハハハ」

 今の俺は上手く笑えているだろうか。

「何ふざけてんだ、てめぇ」

「おちょくってんか、こら」

「くちゃくちゃくちゃ」

 どうやら上手く笑えていなかったようだ。機嫌を損ねさせてしまった。面倒臭いな。

「バッジってそんなに凄いんですか」

 頭によぎった疑問が声に出た。単純に疑問だったのだ。

「あぁ、当たり前だろ! バッジがなけりゃこの大学に来られないからな」

「馬鹿な奴とそうでない奴を見極めるには丁度いいんだよ」

「くちゃくちゃくちゃ」

 学力というものでしか人を判断出来ないのか。頭が良くても、こんなものの見方じゃ先が思いやられる。これが高学歴の部下は使いにくいと言われる所以かもしれないな。

「いやぁ、でも一度くらいこの大学を見ときたかったんですよ」

 あははと無理に笑う。これ以上の口論は無用だ。下手に刺激するのも良くない。

「まぁ、そうだろうな! 一生来られないもんな」

「ちゃんと隅々まで見て行けよ」

「くちゃくちゃくちゃ」

 そう言ってヤンキーっぽい大学生が去って行く。はずだった。

「待ちなさい」

 それを引き止める声が聞こえた。聞いたことがある声だ。

「あん?」

「なんだ」

「くちゃくちゃくちゃ」

大学生たちが振り返る。俺も一緒に振り返ると、そこには暁の姿があった。あとシノッチも。

「随分、ふざけた態度を取るじゃない。あなたたち」

「こういう学生がいるのはけしからなぁ。けしからんよ」

 目の前で何かが始まっていた。あとそこの教師が悪乗りしているぞ。ふざけているのがそこにもいるぞ。

「なんだってんだよ、てめぇら」

「あいつのバッジ見ろよ……ゴールドだ」

「くちゃくちゃくちゃ」

 大学生たちは暁のゴールドのバッジを見て怯んでいる。そんなに凄いのか、あれ。

「バッジでしか人を判断できないクズね」

「ちょっと言い過ぎじゃない? 一応あなたの先輩ですよ」

 シノッチが制止の声を上げる。このままだと大学生に罵詈雑言を浴びせかねないと思ったのだろう。教師としての正しい判断だった。

「すいませんでした」

「もうふざけた態度を取りません」

「くちゃくちゃくちゃ」

 大学生が頭を下げた。本当に何者なのだ。

「謝る相手が違うでしょ」

 暁の言葉を聞くが早いか俺に頭を下げてきた。

「すいませんでした」

「ゆるしてください」

「くちゃくちゃくちゃ」

 上級生の男達が頭を下げている異常な光景が目の前にあった。

「いいよいいよ。早いとこ行きな。また何か言われる前に」

 少し可哀想になって優しい言葉を掛けてしまった。それほどまでに情けない姿だった。

「はい、失礼しました」

「馬鹿、失礼致しましただろ」

「くちゃくちゃくちゃ」

 それだけ言うと足早に去って行った。暁の方を見るとまだ興奮冷めやらぬといった顔をしている。なんでそんなに怒っているのだろう。

「暁、さん。どうしたんですか? いつものあなたらしくない」

 つい怖くなって敬語になってしまった。

「どうして……」

 声が小さくて聞こえなかった。くぐもった声だった。

「なんでもないわ! さぁ、行きましょう」

 結局、なんでそんなに怒っていたのか分からずじまいだった。シノッチは何か分かったような顔をしていたので、とりあえず頭を叩いておいた、

「急に何すんだよ!」

 お前なんか兄貴に泣かされちまえ。そんなことを言って、どこかへ行ってしまった。送り迎えをするはずだから、どこかで時間を潰すのだろう。そこまでして会いたくない兄貴ってどんな人なのだろうか。不安と暁の言い知れぬ思いに居た堪れなくなっていた。


「うわぁ、広いなぁ」

 校舎に入った第一声。前にもどこかで言った気がする。自身のボキャブラリーのなさを再実感する。一階はエントランスになっており、高級感のあるホテルのような出で立ちだ。

 スタスタスタ。

暁はそんな俺を横目に真っ直ぐ歩いて行った。先ほどの一件以来、一言も話していない。何か怒らせてしまったのだろうか。心当たりはなかった。

 ピッ。

 暁はいつの間にかエレベーターの上昇ボタンを押していた。まるでいつものルーティーンのような自然な動き。思わず見とれてしまった。しかし、数が多い。エレベーターが8つある。どこのホテルだよと突っ込みたくなる。

 チン。

 エレベーターが下りてきた。暁の目の前の扉が開いた。まるでそのエレベーターが来ることが最初から分かっていたようだ。未来予知か。他の七つのエレベーターを見ると電力が供給されていなかった。ポスターには節電と書いてある。どうやら、その一つしか動いていないらしい。改めて無駄だと感じる。

 暁はエレベーターに乗ると行き先階ボタンを押す。開ボタンを押さなかったので、扉が閉まるのとギリギリに乗る。それを暁は特に気にした様子はない。やっぱり怒っているのか。ここまで一言もない。後ろから抱き締めれば、さすがに声を上げるだろうか。そんな考えが脳裏を過ぎるが、更に険悪になりかねないので今はやめておこう。今はね。

 どんどん上へと上がって行き、十階と表示されると扉が開いた。

「扉何個あるんだよ」

 エレベーターから一歩出ただけで扉が無数にあった。学校だと思わなければ牢屋のような景観だ。その一つ一つがそれとは比べ物にならないくらい大きい。入り口には番号のボタンがある。どうやらこれを入力しないと入れない仕組みのようだ。そこまで大事なものがあるのかと甚だ怪しいものだ。物置と化した部屋も無数にある。予算の見直しを要求したい。

 スタスタスタ。

暁は勝手知ったる足取りで歩きだす。明確な声を上げてはいないが、ぶつぶつと独り言を言っていた。聞き取れないが暁の苛立ちを感じるには十分だった。やっぱり怒っている。謝るべきだが、何が悪いかを分からずに謝れば更に怒らせることになる。考えもせずに答えを聞いたら怒られるのと同じように。目の前の女はそんな人間だ。

 ピッピッピッピッ。

 ある扉の前に来ると番号ボタンを押し出した。十ケタ以上押した後にカードキーを通す。

「夏目 暁様ですね。お入りください」

 機械にしては随分と流暢な日本語。無機質の中に親しみやすさがある。ガチャンと一際大きい音と共に扉が開いた。

「これが女子高生を侍らせる教授の研究室か」

 目の前には資料という資料の山が積まれていた。足の踏み場もない。

「また私のテリトリーに入ってますよ」

机と椅子がある場所がビニールテープで区切られている。その一角だけ整理整頓されていた。ここが暁の机と椅子らしい。パソコンと印刷機と必要なものだけしか置かれていない。暁はビニールテープにまたがるプリントを足で蹴った。怒っているのとは違い、慣れた習慣のようだった。

「いやぁ、すまんすまん。あっ、コーヒー入れてくれる。夏目君」

資料の山が喋った! とベタなリアクションはしない。その声には聴き覚えがある。テレビで何度も聞いた声だ。

「徹夜ですか、教授。たまには休んだらどうです」

 暁はコーヒーメーカーの横に置いてあるインスタントコーヒーでコーヒーを作り出す。

「いやぁ、テレビの人に可愛いお姉ちゃんがたくさんいるお店に連れて行かれてね。敬遠してきたけど、あれはあれでいいものだ」

 女子高生にキャバクラの話をするオヤジが目の前にいた。

「よっこいしょういち」

 掛け声とともに椅子から立ち上った。流行っているのか、それ。資料の山からその姿が露わになる。テレビで見る篠原教授その人だった。

「どうもです」

 一言挨拶を交わす。俺の姿を見ると教授は目を真ん丸にしていた。

「えっと、君は誰かな」

 どうやら話が通っていないらしい。あんたが言い出した企画だろうに。

「見学に来た者です」

 若干戸惑いながらも自己紹介する。暁からは特に何か言いだすような気配はない。

「困るよ、夏目君! 彼氏を連れてきちゃ」

 バンッと大きな音をさせながら暁はコーヒーを机に置いた。軽口に付き合うようなことはしないようだ。置かれたコーヒーに教授は恐る恐る手をつける。

「やっぱりコーヒーメーカーで作ると香りが違うねぇ」

「それインスタントですよ」

 俺は丁寧に教えてあげた。こういうのは気づかないことが礼儀とするところもあるけど、生憎そういうのは苦手だった。すると、特に狼狽える様子もなく教授は言った。

「まぁ、コーヒーの違いなんてわからんよね」

 ずぞぞぞぞっと飲み干した。突っ込みどころ満載だ。さすがはあの教師の兄貴。どこか似ている。

「ところで君が尾崎、君だっけ?」

 どうやら先ほどの心配は無用だったようだ。このすっとぼけた人が教授か。テレビの奥様の味方とは到底思えない。格好もジャージに白衣というよくわからないファッションだし。先行きが不安ですぞ。

「ところで」

 教授に肩を組まれ内緒話をする体勢になる。軽いとかフランクとか、そう言う言葉が良く似合う。

「君、夏目君に何かした?」

「いや、さっき大学生に絡まれてから」

 ことの経緯を掻い摘んで話す。すると、教授は不気味な笑みを浮かべていた。

「なるほどなるほど。いやぁ、君も夏目君と同様に面白いね」

 急に笑い出した。笑いのツボがどこにあるのかはわからない。あとあんなプライドの塊と同じ扱いをされるのは心外だ。それは暁も同じだろう。

「教授、無駄話を見学させに来たのですか? 何か研究を見せたらどうです」

 いつまで経っても無駄話をする教授に嫌気が指したのか、研究を促す。

「えっ、なんで?」

「なんでって、それは見学なのですから」

 暁が珍しく狼狽えている。こんな姿を見られるなんて、それだけで来た甲斐がある。

「僕は無駄話をする為に彼を呼んだんだよ」

 ここに来て意外な事実を知ったのか。暁は開いた口が塞がらなかった。女の子はそういう顔しない方が良いぞ。あとさっきは流したけど、足でプリント蹴るのは女子的にはアウトだと思います。

「じゃあ、全国からの見学者募集って話し相手の募集だったのですか」

 暁の声が荒くなる。当たり前だ。選抜にそれだけ時間を要してきたのは、研究を全国の学生に広める為。優秀な教えを少しでも周りに広めることだと思っていたから当然だ。

「そんなわけないじゃん。そんなことしたら、評判落としちゃうよ」

 あっさり否定した。俺は目の前で何を見せられているのだろうか。仮にも俺よりも長い付き合いの二人がまるで初めて会った人よりも噛み合っていない。よく、暁が呆れずに研究を続けてきたものだ。

「教授が何を考えているのかわかりません」

 噛みしめるような声で言った。不憫な奴だ。ここまで生き方が違う人間を相手にしたことがないのだ。仕方なく助け舟を出してあげる。

「余所行きの服ってところですかね」

 俺の言葉に教授は興味を示した。

「どういうことかね」

 間違えたかなと不安になるが、一度言い出してから止めるのは格好が悪い。続ける。

「全国的な見学者の前では真面目に見学をさせたでしょうが、相手は俺一人しかいない。それなのに真面目にする必要なんてない。余所行きの服をわざわざ着る必要がないってことですかね」

 端的に分かりやすく。結果をしっかり相手に示す。研究者は何かしらの結果を出さないと気が済まない生き物だ。

「半分正解ってところだね」

 どうやら及第点をいただいた。しかし、格好つけて半分か。助け舟は泥船だったようだ。

「弟が久しぶりに電話してきて紹介してきたからね。単純に興味があったんだよ。君という人間にね」

 どこかで信頼し合っている兄弟。兄弟がいない俺には分からないものだ。

「まぁ、あんまり自分とこの生徒を苛めるなよ。大人気ないぞ」

 年を取るとなまじ知識がある分、面倒臭くなる。年端もいかない女子高生を相手にするなら尚更だ。

「僕に説教する高校生が夏目君以外にもいるとはね。しかも、彼女とは違い無礼だ」

 暁はあくまで教授と生徒という関係性で接している。俺は対等な関係として接している。それは世間体から見たら無礼の一言に尽きる。

「気を悪くしたんなら謝るよ。でも、訂正はしない」

 自身の発言には責任を持つ。それはどの相手でも一緒だ。

「……それで私を救ったつもり」

 暁の声が部屋に響いた。どうやら立ち直ったらしい。そもそも挫けていなかった。人一倍人の力を借りるのを嫌なようだ。気に障ったのだろう。

「そう思うんなら、いつか俺を救ってくれ」

 一方的でなければ問題はないだろう。扱い方にもだいぶ慣れてきた。

「やっぱり君は面白いねぇ」

 教授は笑っていた。怒ってはいないようだ。助かった。

「そんな君にはこれをあげよう」

 教授は俺にカードキーを渡してきた。暁が持っているものと同じものだ。

「教授! 何を考えて」

 篠原教授は手で暁を制す。それ以上、暁は何も言わなかった。

「暇なら私の話し相手になってくれ」

 その言葉の意図は理解出来ないが、好意的に思われているのならわざわざ断る必要はなかった。カードキーを受け取る。既に名前が印字されていた。

「あんたの方が暇はないだろう」

 そこは訂正しておいた。暁は不服そうな顔をしている。さっきから表情がコロコロ変わる。こんな顔をするのかと素直に驚いた。

「教授をあんた呼ばわり? あなたがここで異物だってこと忘れてないでしょうね」

 暁が怒っている。来る時も怒っていたが、それよりもわかりやすく怒っている。

「異物ってなんかいやらしい想像を掻き立て」

「教授。ちょっと黙っていてください」

 セクハラおやじも怒られていた。あれと同じ扱いか。少しショックだ。その他愛無い会話を遮るように電話が鳴った。

「俺か」

 携帯電話なんて滅多に使わないのでつい存在を忘れていた。ここではさすがに出てはまずいだろう。俺は目配せをして研究室の外へと出た。電話の相手はシノッチだった。


「俺か」

 そう言うと彼は目配せをしながら出て行った。それくらいの礼儀は持ち合わせていたようだ。彼が外に出たのを確認すると私は教授に詰め寄った。

「教授! なんで彼にカードキーを渡したんですか!」

 私はつい怒鳴ってしまった。基本的には教授の意向には従ってきた。しかし、それでも話が急過ぎる。相談もなしに彼にカードキーを与えた真意を知りたい。

「君は既に気付いていると思ったけどねぇ」

 相変わらず含みを持たせ、意味深な言葉を言う。こういうところは苦手だ。私と教授では考え方が全然違う。先ほど外に出た彼が気に入らないのは教授に似ているからかもしれない。

「曖昧な事しか言わないなら、女子高生と密会しているとネットに書き込みます」

「ごめん。それだけは待って。君なら普通にやりそうだから怖い」

 ネチケットは心得ているから、そういうことはしない。だが、この脅しは思ったよりも効果覿面だったようだ。教授は空になったコーヒーカップに再びコーヒーを淹れ出した。

「彼のことを紙面上で確認した時はもしやと思ったよ。そして、先ほど会話してみて、それが確信に変わった。彼は人生を諦めている。とね」

 人生を諦めている。それがどうしたというのだ。人生に絶望している人などごまんといる。それがカードキーを渡した理由とは思えない。

「あぁ、言葉が悪かったね。例えば、この後、彼が戻ってきての第一声が何かわかるかね」

 教授の謎掛けは答えを用意することが不可能なものだった。何を言うかなんてそのときどきで変わる。考えるだけ無駄なものだ。

「どうせ、早く帰りたいとかそういうことを言うと思いますけど」

「そうだね。その答えに至った理由は、恐らく相手の性格や行動パターンから想像したからだよね」

 そこまで言って嫌な予感がした。そして嫌な予感ほど当たることを経験上知っている。

「もしかして、穣は」

 私の言葉を聞いて教授はコーヒーを一口飲む。そして、言った。

「そう、彼はこの先何があるかをシミュレート出来る。有り体に言えば、彼はこの先の人生で何が起こるかを把握しているんだよ」

未来に何が起こるかを予見出来る。それが本当に可能だとしたら。

「それじゃ人生楽しく……はっ」

「気付いたね。だから、彼があそこまで人間味を持っていることに驚いたよ」

 教授はコーヒーに口をつける。それが自分を落ち着けるための行為のようにも見えた。

「未来のシミュレートは彼の頭の良さに起因している。それを防ぐ為にアパシーにせざるを得ない。彼は自分を殺すことで文字通り能力を殺しているんだ」

 さっき会っただけでそこまで見抜けるものなのか。私は彼とは少なくとも教授よりもたくさん会ってきたはずだ。それなのにそのことに気付けなかった。しかも、心のどこかでまだ疑っている。

「まさか教授はその能力を利用する為に彼にカードキーを与えたのですか」

 穣をモルモットにする気なのか。もしそうだとしたら、尚更反対だ。同じ学校の人間が利用される姿をみすみす見逃すはずがない。

「確かに彼の能力を利用すれば未来を。僕の研究で過去を。その二つを合わせれば、SFの、人類の夢であるタイムマシンに貢献出来るかもね。でも、それは人体実験と大差ないんだよ」

 教授がマッドサイエンティストだったら、有無を言わさずに穣を実験しただろう。しかし、それ以上に教授は人格者だ。それに時間を超越したら、どんな障害が生み出されるかわからない。

「それを聞いて安心しました」

「でも、彼の人権を侵害しない程度に協力を仰ぎたいとも思っている」

 正直に言った。無理強いをしないなら、大丈夫……なのか。先ほどからのトンデモ理論の連発で頭が追いついていなかった。

「宇宙ヒモを見つける為に本物のヒモになるといって場末のスナックで女の子とねんごろになった教授を信頼しています」

 天才と馬鹿は紙一重と言うが、時々本当に馬鹿をやるから困る。その相手が今の奥さんだというのだから馬鹿はやってみるものだ。

「下半身のワームホール現象を見せてあげたかったよ」

「何か言いましたか?」

 何を言っているのか残念ながら理解出来ない。理解出来ないということはしょうもないことだろうが、言わせたままにしておいていいのだろうか。判断に困る。

「そういえば、ここに来る前に大学生に絡まれたんだってね」

 どこでその話を聞いたのか。耳が早い。

「大方、S組の実力を持ちながら、それを隠している彼が気に食わない。何故言い返さないのか。そんなところかな」

 そして、図星を正確に突く。教授の前では隠し事が出来ない。

「でも、もし彼に未来のシミュレート能力があるとすれば全て合点がいきます。目立たないことは大事だし、もしそれが露見すれば彼は普通の生活を送れなくなりますから」

 自分の怒りの矛先を向ける場所がなくなり、更に腹が立つ。もっと穣は人に頼った方が良い。人との距離感を保つ私にはそれ言う権利はなかった。そのことにも腹が立つ。今ならヘソでコーヒーをドリップできそうだ。

「うん、だから君は彼に普通の生活をさせてあげなさい」

 教授がコーヒーを淹れる以外のことを頼むなんて滅多にないことだった。

「善処します」

 そのお願いを聞き届けられるか心配で、弱気な言葉を選んだ。もしダメだったら、ごめんなさいと言えるように。保身の為に。私は嫌な女だった。

「しかし、彼は遅いね。あっ、そういえばパスが掛かっているんだっけ」

 教授の言葉で思い出した。ここに入るためにはパスが必要だ。先ほどカードキーを渡されていたので、入れるとばかり思っていた。ダメだ、いつものように頭が働かない。先ほどから理解を超えることばかりだった。その弊害だろう。

「いやぁ、まいったまいった」

 そう言って穣が両手を学ランの裾で拭きながら部屋に入ってきた。何食わぬ顔でパスを潜ってきた。私が一度見せた番号を覚えたのだろう。その程度ではもう驚かなかった。

「随分遅かったね。長電話の相手は彼女かい」

 教授はあくまで先ほどと変わらずに相手をしている。あの結論に行き着いて尚普通であり続ける。それは凄いを通り越して気味が悪かった。

「あんたの弟だよ。長くなるなら歩いて帰れって」

 改めて彼の姿を見直すが教授が言うような人間には見えない。ただだらしない学生にしか見えない。何か確信に変わることを聞き出せないものか。

「あいつの車は二人乗りじゃなかったかな」

「だから二回に分けて来たんですよ」

 何か、何かないか。

「言ってくれれば、僕の車で迎えに行ったのに」

「シノッチがお兄さんを頼るとは思えませんね」

 何か。

「僕たち兄弟は仲良しなんだけどね」

「そんなこと、俺に言われても……」

 な。

「なんでS組にならなかったの?」

 つい我慢を堪えきれずに聞いてしまった。愚行だ。頭が良いとか悪いとかそういう問題じゃない。人間として問題だった。もっと言葉を選べた。もっと考えられた。それなのに、この発言。私はあの頃から何も変わっていなかった。

「そうだね。僕も気になるよ。君の答案は見させて貰ったからね」

 教授はそんな私の発言に驚くことなく、不覚にも追撃を加える形となった。それが私にとっては辛かった。

「あぁ、あれですか。う~ん、難しいですね」

 穣が珍しく困っている。いつものように適当に返すとばかり思っていた。それをしなかったのは私が聞いたからなのか。意図せずに彼を苦しめている。

「ごめんなさい」

 私は謝っていた。ずるい女だ。謝れば済む問題ではない。普通なら知るはずがない彼の試験結果を知った。その上で、その理由を聞くなんて。

「しかも、全問正解から自分から指摘して点数を下げているね」

 教授は恐らく私が悪者にならないように。自分が悪者になるように聞いている。それが私を傷付けていると分かっていながら。

「それは……あれです。暁を見たからです」

 穣は答えていた。話の流れから私を見たのは試験会場でだろう。しかし、それが彼の点数が良い理由にはならない。謎は深まるばかりだった。

「ほう、つまり君は夏目君を見てあの点数を取ったと。なるほど、彼女なら満点を取ることが分かっていたから、か」

 教授は納得していた。私は納得できない。まず彼とは初めて会った。それなのに私を見て、良い点数を取る? 話の脈絡のなさに頭が痛くなってくる。もっと論理的に説明をしてほしい。

「適当にやり過ごしても良かったんですけど。テンションが上がってしまって、これが本当の若気の至りってやつですかね」

 彼は笑っていた。普段、表情に乏しい彼が笑った。それを見ていたら、もうどうでも良くなった。これ以上、馬鹿を露呈する必要はない。

「そういうこと言われると夏目君が取られた気になるね。しかし、ここは送り出すべきなのかな」

 教授が涙ぐんでいる。意味は分からない。でも、結果的に彼が笑っているのなら、それでいい。そう思った。

「根掘り葉掘り聞いて悪かったね。ちょっと待ってなさい」

 教授は再び資料の山と化している机に移動すると、その資料を漁りだした。この人のことだからどこに何があるのか把握しているのだろう。そう考えると、このゴミの山も宝の山に見える。

「あれ、どこにやったかな」

 どうやらそんなことはなかった。教授はごみの山を漁っている。

「あったあった。これだ」

 教授は茶封筒を手に持っていた。よくそんな小さいものを見つけ出したものだと感心する。

「それはなんです、教授」

 私が聞かなかったら、彼が聞いていただろう。でも、そんな負担を掛けたくない。少しでも穣が楽になるように聞いた。これはただの私の意地だった。

「これはデートの定番の水族館。ではなく、美術館のチケットだ」

 一回何かを経由するのは何故だろう。意味があるのだろうか。

「ベタな水族館ではなく、美術館。急に年齢層が上がりましたね」

 そういうリアクションが正しいのか。勉強になる。

「本当は水族館でベニクラゲの水槽を見たかったんだけどね」

「そんな適当なことをする人には心当たりがあります」

 それは私にもわかった。篠原先生に頼んだのだろう。しかし、穣の発言ありきの正解とは不甲斐ない。

「枚数も二枚頼んだに四枚もある」

「その下請け会社とは縁を切った方が良い」

「縁を切るということは兄弟ではなくなるということですか」

 いつの間にか声を出していた。どうやら先ほどの動揺はなくなったようだ。いつも通りのテンションで接することが出来る。

「僕と弟はニコイチでマブダチだよ。そんなこと出来るわけないじゃないか」

「最近の言葉と死語を並べないで下さいよ」

「温故知新ですね」

 いつも通りに。そして、冷静になると話が進んでいないことに気付く。この二人は話がよく飛ぶ。しかも、それすらも楽しんでいるから厄介なことこの上ない。

「どっちの言葉を守ればいいんだろう(ry」

「それより話を進めてください、教授。このチケットをどうすればいいんです」

 半ば強引に話を進める。行くのは分かったが誰が行くのか。四枚あるから四人。そんなに知り合いはいない。恐らく穣も。

「これは僕から尾崎君に対する詫びの品だよ。あっ、勿論夏目君は絶対に行ってきてね。出来れば写真とかも撮ってきてね」

 そんなことだろうとは思っていたが、行く場所は美術館だ。あまり気が乗らない。

「へぇ、ルネサンスやバロックだけじゃなく、近代美術まで幅広く網羅しているのか」

 チケットを手にした穣が嬉々としている。ように見える。

「あんた、こういうの好きなんだ」

 意外だ。こんな高尚な趣味を持っているとは。水族館だったら知らなくても多少は楽しめそうだが、絵画となると話は変わってくる。

「ペンギン見て可愛いと言うよりかは好きだね。まぁ、アザラシと一緒の水槽に入れるなら是非見てみたいけど」

 何か嫌な思い出でもあったのだろうか。それともペンギンが嫌いなのか。

「それより誰を誘うかよ。あなたと私じゃ期待出来ないけど」

 私が話をするのは美羽くらいしかいない。期しくも穣を好きな相手だが、恋のキューピッドという大役は出来そうにない。私では力不足だ。これは誤用だが。

「う~ん、俺が誘うとなると金井かなぁ。でも、あいつを連れて行きたくないなぁ」

 煮え切らない返事が返ってきた。友人なのに誘うのが嫌なんて変わっている。私は別の意味で誘うのは気が引ける。恋愛のアシストとか何かするべきだろうか。

「まぁ、いいわ。あなたが一人。私が一人ね。ちゃんとノルマを満たしてよ」

 遊びに行くのにこういう言い方をしてしまうほど私は遊びを知らない。こういうときは胸を躍らせるものだということは知っている。知識として理解しているが、実感できない。

「あっ」

 教授が声を上げた。横やりとは違う、単純な反応。何かに気付いた声だ。

「どうしたのですか、教授」

 悪い予感がした。こういう勘はよく当たる。

「いや、研究予算の申請書を見つけてしまってね」

 本当によく当たる。この教授はこういう初歩的なミスもするから注意が必要だ。

「いつまでですか」

「今日の午後三時まで」

 時計を見ると十分前だった。まだ走ればギリギリ間に合う。

「その書類を貸してください。私が出してきます」

「いや、でも悪いよ」

「未だに迷うような人に任せられません!」

 教授の書類を取ると私は一目散に部屋を出る。

「私のことは気にしなくていいですから」

 私は二人に一言言うと一目散に部屋を出た。穣は呑気に手を振っていた。緊張感の欠片もない。普段なら苛立ちを感じていただろうが、今は自然と笑顔になっていた。


「さて、邪魔者は消えたわけだけど」

 教授が意味深なことを言う。実は男色家で俺は好みの男性として呼ばれたという高度なシチュエーションを要求されている。さっきまで初対面な相手には少々手厳しい。

「俺は女の子が好きです」

 一応、求められる前に断わっておく。間違っていたら変な奴だと思われるくらいで済む。

「あぁ、勘違いさせてしまったね。そうじゃなくて、君に対する尋問をね」

 尋問。言葉が悪い。いや、わざわざ悪い言葉で言っている。そんなことを言われたら構えてしまう。その構えこそ、この教授が望むことだろう。

「暁とは何でもないですよ。たまたま下の名前で呼び合っているだけです」

 話を逸らされないように、自ら退路を断つ。それが相手に対する礼儀だ。

「君と夏目君はお似合いだよ。それとは別の話でね」

 一拍間を空ける。教授も少し考えているのだろう。あまり難しい話は苦手だ。

「君は以前に夏目君と会っているね。それもそれは恐らく彼女が今のような天才ではなかったときにだ」

 何かと思えばそんなことか。先ほどの会話を聞いていれば誰でも合点がいく。しかし、天才になる前と限定してきているのはさすがだ。下手な嘘は勘付かれてしまう。

「そうですね。俺が賢い生き方に気付いて実践しているときに、彼女に会いました」

 自分の能力に折り合いを付け始めた頃に会った女の子。有り体に言えば、運命の出会いだ。しかし、俺の第一印象はそんなものではなかった。

「彼女は……どうだった」

 気になるのは教え子か。それとも過去の俺か。この教授は欲張りだから、その二つか。

「簡単に言うと、酷く歪でした。歯車が上手く噛み合ってない感じですね」

 簡単に言い過ぎて抽象的だ。でも、そう言わざるを得ない。いや、そうとしか言い表せなかった。

「負けず嫌いでプライドが高いのは今と変わりませんが、その頃の彼女は馬鹿でした」

 自分が裏でこんなこと言われていると知ったら、殴られるかな。でも、教授なら気付いていただろう。

「彼女が馬鹿ね……それは初耳だ」

 気付いていないのか。やっぱりこの教授は一癖も二癖もある。相手の様子を伺いながら話すのはやめた方がいい。

「その歯車を上手く噛み合わせたのは俺です。そして、とんでもない天才が生まれました」

 俺から行った最後の行為。それからはただ流されるだけの日々になった。

「そこから先は教授の方が詳しいと思いますよ。俺は試験会場で再会したのが最近なんで」

 これ以上は俺の口から言う必要はない。昔話は暁が気付いた時にしてくれるはずだ。教授なら暁の口を割らせるのは容易なことだ。

「まだいたんだ」

「えっ」

 教授が脈絡もない発言をした。ここは「あなたが呼んだんでしょ」と返すのが正解だが、そういうことではない。そして、一つの考えに行き着く。

「なるほど」

 そういうことか。この人は俺の生き方まで変えようとしているのだ。そんなことをしようとしたのは誰もいない。そこまで気付く人が誰もいなかったからだ。

「君はしぶしぶ自分を受け入れるしかなかったけど、やろうと思えば意外と簡単だ。もっともその精度は君の比ではないけど」

 教授は笑った。もっと周りに期待しても罰は当たらない。否定はしないけど肯定もしない。その考えはあくまで教授としての立場。

「あなたと仲良くするのは怖いですね」

 本心だった。それは変わってしまう恐怖。

「弟にも同じことを言われたよ。でも、僕からしたら好意からなんだけどね」

 教授は新しいコーヒーを淹れ出す。コーヒーメーカーは使わない。

「ダジャレですか」

「何がだい」

 どうやらミスリードだったようだ。先読みし過ぎるとこうなる。

「そういえばお茶も出してなかったね」

 教授は俺の分のコーヒーを淹れる。客人にはコーヒーメーカーを使うようだ。

「どうぞ。砂糖とミルクはいるかね」

「二つずつください」

 生憎苦いのは苦手だった。スティックの砂糖を二本入れ、ミルクのカップも二つ入れる。最初からカフェオレにしてもらえば良かったと思う。子供の頃は無理してブラックを飲んでいた。 いつからだろう、無理をすることもなくなっていた。コーヒーを口に含むがそれでもまだ苦かった。

「それで、夏目君とはどこまでいったの」

「ブッ! げほごほがほっ」

 つい咽てしまった。ちょっと意外だ。今は真面目な話をしていたはずなのに。急に空気を壊してきた。この人を変人とい言うシノッチの気持ちがわかる。

「安心しなさい。彼女に恋愛経験はないはずだよ」

 欲しくもない情報を垂れこむ。というかさっき流したけどお似合いとか言っていたな。自然過ぎてスルーしてしまったぜ。

「あんたはどうしても俺と暁をくっつけたいんだな」

 生徒の恋愛話なんて、腐るほどあるはずなのに。よりによってそこに自分が組み込まれるなんて。少し変な気分だ。

「あっ、しまった……美術館の枚数を二枚にすれば良かった。でも、最初からハードル高いと君は飛ばないからな。これで良かったのかな」

 一人で自問自答している。正直どっちでもよかった。

「最後に一つだけ聞いていいかい」

 教授との会話が終わるなら答えてやろう。どんとこい。

「夏目君のことを好きでいてくれ」

 真面目な顔で言われた。そんな顔で言われたら、こっちも真剣に答えなきゃ失礼だ。

「俺は暁のこと好きですよ。これまでも。そして、これからも」

 色恋とかそういうのはわからない。でも、人間として彼女は面白い。それが好きということなら、そうなのだろう。

 ガチャ。

 誰かが入ってきた。それが誰かなんて分かりきっている。

「まだいたんだ」

 暁が戻ってきた。さっきの会話を聞かれてしまっただろうか。別に聞かれて不味いことはさっき済ませたから問題はない。問題はないのだが。

「おかえり、夏目君。いやぁ、彼は良い人だよ」

 完璧に嵌められた。そろそろ戻ってくると踏んで俺に質問を投げたのだ。真面目な顔して心の奥底ではほくそ笑んでいたのだ。俺もまだまだ甘いな。

「そうですか」

 暁のリアクションが薄い。さっきの発言を聞いていたら真っ先に文句を言っているはずだ。もしかして、本当に聞こえていなかったのかな。

「時間も時間だしそろそろ帰ろうか。二人とも送るよ」

 シノッチの車だと二往復するので、その申し出は有難かった。コーヒーを飲み干して部屋を後にする。カードキーと美術館のチケットを忘れずにポケットに入れた。先ほどとは逆順に学校から出る。

シノッチが下ろしてくれた場所までやってきた。シノッチは車の中でアイマスクをして眠っていた。あまり広くない車内で器用に寝ている。

「健二。起きろ」

車の窓を篠原教授がノックする。その音に気付き、アイマスクを上にずらす。シートを元の位置に戻し、伸びをする。

「ふわぁ、終わったか。じゃあ、どっちか乗りな」

 どうやらまだ送る気でいるらしい。篠原教授の車で帰るというのに。

「シノッチ。もういいんだよ。篠原教授に送って貰うから」

 シノッチを起こしたのだって勝手に帰るわけにはいかなったからだ。

「じゃあ、どっちか乗せて貰いなさい。一人はこっちに来て」

 おや、なんか話が違うぞ。暁はシノッチの車に乗っていた。ん?

「さぁ、君も乗りなさい」

 篠原教授の車を見る。ロードスターだった。二人乗りかよ。

「二人乗りかよ!」

 つい二回言ってしまった。話の流れから完璧に五人乗りの乗用車だと思っていた。

「車が五人乗りだという認識は改めた方が良いね」

「うるせぇよ。ってか、やっぱりあんたら兄弟だな」

 つい口が悪くなってしまう。兄弟で車の趣味は一緒だった。

「あまり人を乗せない為の口実にね」

 そうか、だから暁はすんなり車に乗っていたのか。最初から知っていたな。結局、勝手に騙されたのは俺だけだった。

「あんまり怒ると禿げるよ」

「禿げないよ!」

 頭に関しては人一倍敏感だった。そんなこんなで、教授との邂逅はこれで終わった。いつでも来ていいとは言われたけど、当分会いたくない。一週間は空けたいね、うん。

 久しぶりの疲れが襲ってくる。悪くない疲れだった。


私は重大なことに気付いた。普通の人間なら当たり前にやってのけることでも私にはとても厳しいことに。こんなことになるなんて想像もしていなかった。いや、あの時の私は簡単だと思っていたのだから、想像していないのも仕方がない。

「どうしましたの? 暁さん」

 いつものように話し掛けてくれる美羽。しかし、私のせいで心配を掛けてしまっている。どうすればいいのだ。この現状を打破する術はないものか。頭を悩ませる。

「いや、ちょっとね……」

 まただ。またチャンスを無駄にした。先ほどから何度もチャンスをくれる美羽の言葉に乗っかることが出来ない。一体、私はどうしてしまったのだ。

「ご気分が優れないようでしたら、保健室に行きましょう。勿論、私も同伴致します」

 このままではいけない。その思いが、焦りが、ますます私の体を硬直させる。顔の表情筋が強張る。嫌な汗が出てくる。それが美羽をますます心配させてしまうと知りながら自分ではどうすることもできない。

「美羽!」

「は、はい」

 つい大声で名前を叫んでしまった。いつもと違う私の様子に美羽も怯えている。いや、困惑していると言った方が正しい。それでも第一声を発せたのは大きい。このチャンスをものにしなければ。

「絵とか好き?」

「えっ……絵ですか」

 唐突な質問過ぎただろうか。しかし、悪くない一手だ。定石の本があれば、こうすると書いてあるはずだ。

「絵とは……油彩ですか? それとも水彩ですか?」

 油彩? 水彩? なんだ、それ。貰ったチケットのやつはどっちだ。色味的に油彩だとは思うが、水彩もあるのかな。油彩しかないのに下手なことは言えない。

「多分、油彩だと思う」

 自信のない返事。いつもの私だったら、こんな返事はしない。自分の知らない分野がまだあったのだと思う。

「油彩ですか。私も少し描いたことがあります、といっても嗜む程度ですけど」

 出た、お嬢様特有の嗜む程度。便利な言葉だ。しかも、大抵上手いと相場が決まっている。稀に外すこともあるから一概には言えないけど。

「そうなんだ……私は絵の具で風景を描いたことがあるくらいかな」

 中学生の時に描かされた写生大会。一人で書いた思い出しかない。周りは仲良し同士が集まり、楽しんでいた。私と同じように一人だったのは美術部の絵が上手いとされる人達だった。しかも、当の私はというと論文の作成に追われていた。もともと絵心を持たない人間だったから提出しようとは考えていなかった。それを担任に見つかってしまった。

「何も出さないつもりか。それなら、うちの久遠寺高校の受験枠をやるわけにはいかないな」

もともと教師陣には人気がなかった私だ。それでも余りある功績のお陰で黙認されてきた。それに悉くいちゃもんをつけてきたのが、新任してきた教師だった。私とはウマが合わない熱血系だった。その言葉を聞いて急いで絵を描いた。空と森と土があればそれらしいという理由で描き始めたが、絵心のないスロースタートだ。間に合うはずがない。最後は時間がなくなり、  土の部分に水を掛けて本物の土を乗せた。我ながら天才を通り越して馬鹿をやった。しかし、その教師は。

「これ、本物の土か! いやぁ、発想の勝利だな!」

 とかなんとか言っていた。馬鹿を騙すには十分だったようだ。しかし、美術教師の評価は、それはそれは酷かった。出さないのと大差ない評価を貰ったのは初めてだ。それが唯一の絵に関する記憶。馬鹿をやった記憶だ。これを美羽の言う嗜む程度のことなのかは定かではない。

「そうなのですね。暁さんなら凄い作品を描かれたのでしょうね」

 確かに凄い作品にはなりました。ある意味ではね。その期待を裏切る日が来ないことを祈る。

「油彩の絵画となりますと西洋のものが好きですね。時期はルネサンス期のものを好んで鑑賞していましたわ」

「それなら丁度良かったわ」

 美羽の言葉を聞いて安心した。確か穣がそんなことを言っていたからだ。それが決め手になるとは。世の中何が起こるかわからない。

 私は美羽の前に昨日、篠原教授から貰った美術館のチケットを出していた。

「実はこれを貰ったの」

 私の持っている二枚のチケットを見て美羽はこれまでの私のリアクションに合点が言ったようだ。とても安心した表情をしていた。

「これは美術館のチケットのようですわね」

 見た感想を述べる美羽。違う、私が欲しい言葉はそれじゃない。

「それで、どう」

 私は催促する。相手にチケットを二枚見せる。これが何を意味するか子供でも分かるはずだ。

「どうと言われましても」

 どうやら、美羽はその先を私に言わせたいらしい。思いの外強情なところを持ち合わせている。それが出来れば、もっとすんなり言えていたのだ。

「い、い、い」

 言葉は喉まで出かかっている。あとは少しの勇気があれば。思えば、こうやって誰かを誘うことなんて今までなかった。周りが当たり前にやっているのを横目に小馬鹿にしていた。これはその報いかもしれない。

 美羽は笑顔で私を見ている。この相手に言えなければ、恐らく一生言えないだろう。そして、その結果がどうなるかもわかっている。わかっているのに怖い。人との距離を詰めることがこんなに怖いなんて。私は腹決める。そして、言う。

「一緒に行こう」

 声にならない声だった。それを声足らしめたのは美羽のお陰。私はこれで少しは変われたのだろうか。

「いいよ」

 美羽は慣れないタメ口で答えた。どうやら成長したのは私だけではないようだ。

「うぅ……」

 酷く疲れた。こんなにも疲労を感じるなんて。その疲労が悪くないものだと感じている。その感覚は私が不要だと切り捨てたもの。こんな気持ちになれるなら、もっと早く拾っていれば良かった。

「えっ、暁さん? 泣いていますの?」

「えっ?」

 美羽に言われて気付いた。どうやら、私は泣いていたようだ。これが何の涙かは明確には分からない。それでも、この涙は良いものだった。

「ごめんなさい。私気付いていながら、暁さんに言いたくない言葉を強要していいましたわ。はわわ、どうしましょう。とりあえずハンカチをどうぞ」

 美羽はハンカチを渡してくる。私はそれを受け取ると涙を拭う。私がいつも使っているハンカチが雑巾のように感じる。持ち主によく似て、とても柔らかかった。

「ごめん、ハンカチ汚しちゃった」

 流石に鼻をかんではいないが、それでも汚したことに変わりはない。

「大丈夫ですよ。それは暁さんに合うと思って買ったものですから」

 差し上げたものだとは言わずに、合うものだと言う美羽の言葉に私の胸はキュンとしてしまった。私が女だったら、抱かれていたかもしれない。

「うぅ……ありがとう」

 しばらく泣いていたら、頭がクールになっていた。そういえば、私は重要なことを伝えていなかった。

「そういえば、美羽。言い忘れてたんだけど」

「はい、なんでしょう」

 さすがに驚くだろうか。いや、既に一悶着あった後だ。意外と冷静に対処するかもしれない。私との友情の方が勝っているはずだ。そう思っていた。

「実は、さっきの美術館だけど……尾崎、君も来るから」

 下の名前では言わなかった。私だって相手が好きな相手を下の名前で言われたら、ちょっと嫌な気持ちになる。はずだ。サンプルがないから、よくはわからないが。

「えっ」

 美羽はその一言を言って固まっていた。ほら、見ろ。私との友情を再確認した後に野郎が一人来ると言っただけで何か変わるはずも。

「えっ~! 尾崎さんが! どうしましょう、着て行く服は。ドレスコードは。でもデートじゃないし、そんなに意識しなくても。でも、普段から素敵な服着てるね。なんて言われたいですし、あ~どうしましょう!」

 変わった。先ほどまでの見る影もない。完璧に女の顔をしている。先ほどまでの私とのやり取りはなんだったのだろうか。前座として流されてしまった気がする。

「別に制服で良いんじゃない」

「そんなムードもない! オシャレを知らない野暮ったい女だと思われてしまいますわ!」

 私の案は即座に却下された。さっきとは別の意味で泣きそうだ。

「そうですわ。折角ですから貸切にしましょう。その方が尾崎さんも喜びますわよね」

 私はただ暴走の行く末を見守ることしか出来ない。出来ないがこれだけは言っておこう。

「あんまり大事にすると嫌われるかもよ」

「へ?」

 私の一言に美羽の暴走はあっさり止まった。実に簡単なことだった。

「暁さん……私は一体どうしたら……」

 泣きそうになる美羽に差し出す綺麗なハンカチはない。

「そのままでいいのよ。あまり意識せずに自然に」

 恋愛経験なんてないが、どういうものかは知っている。完璧な耳年増だが、今の美羽よりかは冷静に周りを見られる。

「自然に」

「そう、そのままでいいのよ。元が良いんだから付け焼刃は必要ないわ」

 正解はわからないが、間違いはわかる。その間違いを指摘するだけでいい。

「わかりました。貸し切るのはやめにします」

 良かった。軽い気持ちで来たのに貸切になっていたら、相手も驚く。その結末だけは防ぐことが出来た。

「あ、あと金井って人も来るらし」

「自然に。自然に。あくまで自然に」

 いよ。美羽の耳には聞こえていなかった。まぁ、これ以上は相手のことも知らないし流してもらって正解かもしれない。あとは流れに身を任せるだけだ。

そういえば、美羽に研究室の件を話していなかったな。特に聞かれなかったから言わなかったが、教えてあげるべきだろうか。

「「彼はこの先の人生で何が起こるかを把握しているんだよ」」

 教授が言った、あの言葉。真偽は未だにわからない。それを私に教えたことももしかしたら、意味があるのか。教授自身が未来を見据えているように感じることもある。そのせいで最近考えることが増えた。それは間違いなく、この学校に入ってからだ。もっと言えば、穣に会ってからだ。これも全て予定調和なのだろうか。

 周りから天才と持て囃されてきた私。その私が到底理解出来ない領域の人間たち。そんなのは教授だけで十分だったのに。しかし、それをどこかで期待している私がいた。退屈な日常に花を添えるような、そんな人間を。

「制服……変なところはないでしょうか」

 美羽は自身の制服姿に自信が持てないでいた。そんな姿を見ると安心する。今はこれでいい。美羽といるとあまり考えないで済む。美羽は恐らく私を良い方向に導いてくれる人だから。今はそれだけ分かっていればいい。


「なぁ、金井」

 俺は昨日課せられたノルマを果たす為にある男を誘おうとしていた。

「いいですよ」

 本当に誘いたいわけではないが、俺の友人と言える立場にいるのはこいつしかいない。いや、立場に近い人間がこいつしかいないのだ。だからこそ、他の人間を誘う手段は俺にはない。切れるカードはこいつだけ。こいつを逃せば、恐らく誰も来ない。それだけは避けなければならない。

「頼む、金井」

 俺はいつもとは打って変わり、真剣にお願いをする。いつもの軽い感じで流されては困るからだ。俺を助けると思って、イエスと言ってくれ。

「だから、いいですよ」

 俺の耳にイエスの声が聞こえない。この世に神はいないのか。信仰心を持ち合わせてはいない愚かな子羊を救うほどの余裕はないということか。それも仕方あるまい。もし時代が違えば結果は変わっていたかもしれない。今回は都合が悪かっただけ。そういうことだ。

「すまん、忘れてくれ」

 今は退こう。だが、それは成功への布石。決して背を向け敗走するだけではない。捲土重来、その希望だけは捨ててはいけない。

「人の話を聞かないとはこういうことを言うんですね」

 金井は悲しい顔をしている。悪いことをしたと思っているのか。しかし、そんな顔をされてもどうしようもない。俺との歯車が噛み合わないのだ。機械仕掛けの神に愛されなかった。ただそれだけだ。

「相変わらず気持ち悪いことをしていますね」

 声が聞こえた。それは救いの声か。はたまた悪魔の囁きか。今の俺には判断できない。

「委員長~! ザッキ―が俺を苛めるんだよ~」

 金井もその声に縋るしかない。俺もその声に助けを乞う。

「委員長。こいつに言い聞かせてくれ。黙って首を縦に振れと」

 少々きつい言い方だが、こうまでしなければ、話は上手く進まないのだ。心を鬼にしろ。

「変な遊びに私を巻き込まないでください。私は久遠寺さんの一件であなた方とは距離を置くと決めたんです」

 委員長は手を差し伸べるどころか、その手を振り払った。悲しい。というか、委員長。髪型変えて、メガネを外しただけで随分キャラが変わったなぁ。

「だ、そうだ金井」

「ちぇっ、少しは心配してくれてもいいのに」

 二人して不貞腐れる。暇を持て余すとよくわからない行動をしてしまう人間達の図だった。話を戻そう。さすがにこれ以上遊んでいては休み時間が終わってしまう。

「なぁ、金井」

「いいですよ」

 あっさりと承諾してくれた。まだ何も言ってないのに。好きだと言ったら俺と付き合うのだろうか。他人の性癖を心配してしまう。

「まだ何も言ってないだろう」

「美術館ですよね。いいですよ、暇ですし」

 驚いた。こいつには未来を見通す力があるのか。まさか、身近にそんな力を持っている人間がいるなんて。少し嬉しくなる。

「よくわかったな」

 俺は賞賛の声を上げる。それほどまでに意外だった。やはり俺の周りには面白い奴が集まる。ということは俺も周りから見たら面白人間に映るのだろうか。こんな普通の人間を捕まえて、それはやめてほしいなと思う。

「まぁ、あれ買ったの俺ですし」

 事実は小説より奇なり。いや、世の中狭いと言った方がきっと正しい。そうか、そういうことか。俺は真犯人に巡り会ってしまった。

「シノッチに入れ知恵したのはお前か」

 ネタ晴らしに時間を掛けるのは癪だった。正解を問う。

「シノッチがなんか兄貴を困らせること出来ないかなぁって言ってきたんでベタに水族館と美術館を間違えたんですよ。それに枚数もちょっと多めにしときました」

 金井は悪びれている様子はない。それもそうか。それを実際に行動に起こしてしまった者が絶対的に悪い。社会とは。世界とはそういうものだ。

「それが巡り巡って自分に来ると思っている辺りは流石だな」

 類は友を呼ぶ。同じ穴のムジナだった。

「こんなことならアミューズメントな公園にしとけば良かったです」

 そこまでは思い至ってなかったようだ。金井は頭を抱えていた。

「それだと疲れるから嫌だな」

 遊園地のアトラクションを想像して嫌になる。絶叫系アトラクションに嬉々として乗る暁。それを微笑ましく見守る美羽。やれやれと付き添う俺にカメラを向ける金井。ある意味完成された図ですらある。様式美だ。

「お化け屋敷とかであの凄いおっぱいが迫ってきたら、別の悲鳴を上げちゃいますよね」

 イエローなモンキーらしいコントラスト、なのか。お前の甲高い声は誰も聞きたくないと思うぞ。

「まぁ今回はお預けだ。ちゃんと厳かに過ごすぞ」

 美術館で騒ぐのはよくない。あの、声を発してはいけない空気感は金井には辛いものがあるが、それは自分の選択ミスだ。残念だったな。

「美術館だとカメラ撮影出来ないんですよね。ムフフなハプニングを映像に残せないのは辛いです」

 辛さにも色々あるんだな。二重苦を味わう金井を不憫に思う。しかし、聞き捨てならない。美術館でムフフなハプニングってなんだろう。裸の絵画を見て自分の体はどうなのかと確認するのだろうか。そんなハプニングはムフフというよりとほほって感じだ。

「そんなことが起こらないようにしたいものだな」

 俺は本心を言う。金井はそんな俺の気も知らずに考え事をしている。何か良からぬことを考えてそうで気味が悪い。

「ところで、本当に俺で良いんですか? 委員長を誘えば、それこそ男としては喜ばしい状況では」

 突然、話に出された委員長が不快感丸出しの顔をする。あぁ、その顔はある種の性癖を持っていればご褒美ですよ、委員長。

「まぁ、それは考えたけど、傍から見たらどう思う」

 金井は俺の問いに対する答えを考える。深く考える必要は全くないが、待ってやろう。

「殺したくなりますよね」

 笑顔で物騒なことを言う金井に俺は丸を上げる。不本意だったが。

「俺がイケメンか。はたまた金を持っていれば話は変わるが、見ろこの俺を」

 俺は腰に手を当て胸を張る。ここまで存在を主張したことは今までの人生でなかった。

「パッとしない目鼻立ち。眠そうな目の三白眼。半開きの口。寝癖と大差ない髪型。外見だけの点数を付けると及第点も危うい感じですね」

 そこまで言われる謂われはない。しかし、概ね正解だから反論できない。自分を正しく評価して貰うことがこんなに辛いなんて。そんな俺と付き合ってくれる金井にありがとうと言いたい。

「おまけに性格は最悪。何でも見透かした気になって、自分を曝け出さない。ミステリアス気取りのお調子者。ノリで告白しちゃう軽薄さ。どこか世界を小馬鹿にしている出で立ち。誰にも真剣さを伝えられない口先だけの男ってところですね」

 本を読む委員長が饒舌に語ってくれた。片手間で悪口をスラスラ言えるとなると恐ろしい。もし本気で悪口を言われたら立ち直れなくなる自信がある。あと室内なのに雨が降ってきたようだ。とんだ欠陥住宅だぜ、バカヤロー……。

「これで涙を拭いてください」

「ありがとう……って、くさ!」

 金井が雑巾を渡してくる。おしぼり感覚で顔を拭いてしまった。本当に泣きたくなる。

「コントもそこまで行けばさすがですね。でも、そういう生き方はちょっと悲しいです」

 委員長はそれ以上何も言わなかった。意味深な発言を俺は理解出来ない。金井は腕組みしてうんうんと頷いている。俺だけが分かっていないようだ。

「まぁ、そんなあんさんを好いてくれる人間がいるんですから、世の中捨てたもんじゃないですよ」

 いつも通りの金井の言葉に安心する。そういう言葉を直接言ってくれる人間は珍しい。珍しい、稀有な人間だった。

「とりあえず言ったからな。急にドタキャンとかするなよ」

 一応釘を刺して置く。こいつのことだから一緒に回らず尾行するなんてことも考えられる。

「ちゃんと近くで監……目視しますから安心してください」

 それはそれで嫌だなと思った。でも、これでノルマは達成出来た。一人を誘うだけで泣いてしまうなんて。暁もこんなに苦労をしたのだろうか。あいつのことだから、来なさいよと傍若無人っぷりを発揮して美羽を誘ったかもしれないな。それに笑顔で答える美羽の姿が目に浮かぶ。

「あぁ、それと」

 俺は一つ言い忘れていた。

「俺もお前たちのこと好きだよ」

 金井も委員長も呆気に取られていた。だが、真剣さは伝えられたと思う。

「明日死なないでくださいね」

「青が止まれで赤が進めですよ」

 二人が俺を心配している。金井はあからさまに動揺していた。



 ガタンゴトン。ガタンゴトン。

 定期的に聞こえる音と振動が体に伝わる。この揺れに体を任せていると自然と眠くなってしまう。これに毎朝揺られているサラリーマンは寝ぼけ眼を擦りながら必死に耐えているのだ。そう考えると感心する。毎朝、ご苦労様です。

 そんなこんなで俺は電車に揺られている。普段使うことがない乗り物だが、時々遠出をするとき用にとICカードを作っておいた。しかし、現実には使用する機会は訪れなかった悲しい産物だ。何度も電車を利用すれば、お得になるという触れ込み。支払いで電子マネーが使用できる店舗ではいちいちお金を出す手間が省けるという。それに地方民にとっては都会のイメージもあるから嬉々として作ったのを思い出す。理想を述べるのであれば山に行ったり海に行ったりと大活躍をしているはずだった。それなのに、つい最近まで財布の中に入っていたことすら忘れていた。

「お前ももっと使ってくれる人に使われたかったよな……」

 手に持ったICカードに話しかける。不審者に見えなくもないが、この技術を開発し、この技術を提供してくれた全ての人に謝りたい。すまないと。そして、今回美術館に行くと言う名目で電車に乗り、このカードを使わせてくれた奇跡に感謝する。持つべきものは遊びに行ける友人なのだと噛みしめる。

「友達か……」

 再びカードに話しかける不審者。というか、そんなことはどうでもいいのだ。これはただの時間稼ぎに過ぎない。当面の問題はこれじゃない。そう、問題は目の前で起こっていた。

 ジー。

 まるで声に出しているかのようなジト目を一身に受ける。どうしたものか目の前に、反対側の座席に見知った顔があった。

 暁だ。

 同じ目的地を目指していれば起きる問題ではあった。しかし、こういうときにどうすればいいのかまでは考えていなかった。話し掛けるべきだろうか。しかし、話し掛けるタイミングが分からない。気付いた瞬間に話し掛けるべきであった。このタイミングで話し掛ければ、なんで気付いた時に話し掛けないのよと言われかねない。

 ジー。

 しかも、私に話し掛けないでと目で訴えているようにも見える。こういうとき、人と接することをしてこなかった経験の差が出る。その区別がつかないのだ。しかし、見ているということは話し掛けるべきなのか。いや、そもそも集合は現地の駅集合。駅から友達としての関係が始まる可能性もある。しかも集合時間に絶対遅刻したくないという思いから恐らく一時間前には着くだろう。つまり、その間俺と一緒にいることになる。一時間。その時間をエスコート出来るだけの自信が俺にはない。といっても目的地までの時間はまだある。……そうだ、寝よう。寝たフリだ。それが一番だ。俺は授業中に培った睡眠スキルを発揮した。これで何も問題はない、はずだ。グッドナイト。今は朝だから、グッドモーニングか。挨拶があべこべだ。


ジー。

私は目の前にいる見知った男に視線を向けている。見知った男とは穣のことだ。私の知っている男というと篠原教授と篠原先生、穣くらいしかいない。あと今回来る金井という人物も顔は知っている。それ以外は家族や親戚くらいになってしまうだろうか。相変わらずのコミュニティの狭さに嫌気が指す。もっと広げるべきだとは思っている。だが、同じクラスの連中はどこか人を馬鹿にしている。意識が高く扱い辛い。討論をしようにも相手を対等に思っていない為、話にならない。しかも、やっていることは普通と変わらない。それはもう新興宗教を相手にしているのと大差ないのだ。自分の行いに陶酔し、冷静な判断を欠いた人間と話そうとはどうしても思えないのだ。そんなことを考えていると別に井の中の蛙でも構わないように思う。純度の高い研究にわざわざ異物を入れる必要はない。しかし、教授が自分からそれを行うなら、私はそれに従うしかない。だが。その異物は先に述べたものとは異なる。意識は低いし、自分の価値を低く見積もることで相手を対等以上にしている。自分なりの判断を持ち、常に何かを悔いている。扱い辛く、人というよりは世界そのものを馬鹿にしている。正しく評価すると後者の方が歪だ。そんな人間だからこそ、教授は興味を持ち、私もその魅力に惹かれているのかもしれない。

ジー。

目の前の男は手にしたアイシーカードに話し掛けていた。交友関係を断つと、このような異常行動を起こしてしまうのか。明日は我が身と心配になる。それにしても、この状況をどうするべきだろうか。気付いた瞬間に話し掛ければ良かった。しかし、そのタイミングを逃すと自分から話し掛けるのは至難の業だ。こうやって視線を送り、相手に話し掛けて貰うしかない。それに集合時間から考えると、待ち時間を二人で過ごすのはさすがに骨が折れる。話し掛けた方が何かと相手に気を遣わねばならない。それならば、話し掛けて貰ってゲスト待遇される方が断然良い。それは相手も同じようで、時折こちらに視線を向けては目を逸らしている。互いに保身に走る醜い姿だった。

「あっ」

 つい声を出してしまった。なぜなら、目の前の男が急に眠り出したからだ。考えることを放棄し、全てなかったことにする。それが間違っていないと判断する自分も実に利己的だ。その手があったかと感心する。目の前で眠る男を孔明のように感じる。この感想はだいぶこの男に毒されてきた証拠だろう。仕方ない。私もそれに準じよう。日頃、ベッドでしか横にならないから眠りにくいが、目を閉じるだけで疲れは取れるらしい。いらぬ気苦労を解消するには丁度いい。私は目の前の男に習って目を閉じた。


ガヤガヤガヤ。

 少し目を閉じている間にだいぶ電車の中が混み合ってきた。休日だから当たり前か。しかも、今日行く予定の美術館の近くには新しく遊園地が出来たらしい。その遊園地に行こうと世の家族連れやカップル達が挙って集まってきている。早めに乗っていたお陰で席に座れているので、足腰にきつさはない。だが、人混み独特の空気感が苦手だ。空気が薄くなり、活気とは若干異なる威圧感。これだけ密度が高まると一触即発の緊迫した状態になりかねない。

「この人、痴漢です!」

 こういう問題が起こり易い。女性は怖い思いをしたでしょう。男は冤罪だったらドンマイ。そんなお互いの心中をお察しする。それでもどこか他人事ではある。こういうのは当人同士にならなければわからない。あとは巻き込まれたくないという思いが強いくらいだ。

「俺はやってない!」

 声を上げる男。年齢は三十代くらいのサラリーマンだろうか。くたびれたスーツ姿で何日も連続で出勤しているのだろう。家族もいるだろうに。こんなところで終わりを目の当たりにするのは忍びない。せめて、その後ろ姿だけは見送ってやろう。

「嘘、絶対この人です……」

 被害者は女子高生だろうか。年齢的に同い年くらいに見える。側にいる暁が大人びているせいで幼く見えるが、正しいのは目の前の女子高生だ。暁もこれくらい年相応な空気感を持っていたら可愛くなるはずだ。そういう姿を少し見てみたい。

「「てめぇ、今触っただろ? ○すぞ!」」

 はっ、妄想でさえ罵倒されるなんて。心外である。そんなことしかやってこなかったのだから仕方ないのか。加えておくが断じて俺は触っていない。

「俺はやってない! あんたならわかるよな!」

 何故か目が合った俺に助けを求めてくる。やめてくれ、俺はあくまで第三者だ。関わる気は毛頭ない……髪の話ではないぞ。誰とも知れない相手に釘を刺しておく。

「絶対、触ってました……あなた、見てましたよね」

「えっ、私?」

 女子高生は近くにいた暁に同意を求めていた。他にも人はいっぱいいるはずなのに、このキャスティングは一体何故だ。期しくも弁護士と検察は俺と暁になってしまった。

「まぁ、いいわ。とりあえず」

 暁は席を立ち、ビニール袋をサラリーマンのおっさんの手に掛けた。相手が俺とわかり、俺を言い負かす気でいるらしい。その負けん気が彼女を天才たらしめる理由だと考えると女子高生の審美眼は凄まじいものだ。ベラスケスを宮廷画家にしたフェリペ四世を彷彿とさせる。もっともそれ以外に才能はなかったので、褒め言葉としては不十分だが。

「これでこの手に彼女の衣類と同じ繊維が見つかれば、あなたの負けよ」

「それで無実を証明できるなら、問題ありません」

 サラリーマンの男は少し安堵する。しかし、それでは残念ながら無罪になる確率は低い。冤罪の証明はとても難しいのだ。このままでは一家離散するかもしれない。俺に助けを求めた運命に感謝しろよ。俺は助け舟を出す。

「ちょっと待て。痴漢と言われたら、迷わず逃げろと言われるくらいだぞ。それで無罪になるなら警察はいらないんだよ。結局、警察に厄介になった時点で人生おしまいだ」

 サラリーマンは俺の言葉にギョッとする。当たり前だろう。冤罪を晴らすことが容易でないと知ったのだから。

「そうなのか!」

「まぁ、それだけじゃ……ねぇ」

 暁はサラリーマンの凄い剣幕にたじろぐ。

「でも、触られたのは確かです」

 女子高生は震えながらも意見を述べる。先ほどよりも自信がなくなってきているのか、声に覇気がない。当たり前だ、このおっさんは人生が懸っているのだ。間違えましたでは済まない。そのプレッシャーを感じているのだ。

「それにこのおじさんがそんな愚を犯すとも考えられない。左手の薬指から家族がいるだろうし、休日出勤をするような人間に必要なのは性欲ではなく、睡眠欲じゃないかな」

 人間の三大欲求の一つ。それが性に繋がるには、このおじさんは疲弊し過ぎだ。

「そういった人間に限って愚を犯すものよ。よくニュースで聞くじゃない“そんなことする人には見えなかった”って。どういう背景があっても、犯罪は起こりうるのよ」

 暁は俺に徹底攻戦の姿勢を見せる。これはジェンダーによるものが大きいだろう。男は男の立場でものを語り、女は女の立場でものを語る。こうなってしまっては話は平行線だ。言葉の揚げ足どりに水掛け論、理屈と膏薬はなんとやらだ。

「実にお見事」

 軽く拍手をしている男がいた。配置的には俺と暁と丁度三角形を描く場所にその男は立っていた。季節外れのコートとハットが目立つ男だ。こんな格好をしていたら目に入っていたはずだ。声を聞くまで認識することが出来なかった。手品の類か。

「何が見事なんだ」

 俺は話の真意を。

「その格好熱くないの」

 暁は服装の真意を。

「不審者……」

 女子高生は事実を。

「君が犯人なのか」

 サラリーマンは希望を。

 新たなキャラクターの登場に電車内は騒然としていた。ただでさえ痴漢騒ぎでざわついていたのに、そこに謎の男。やめてくれよ、一体何のイベントだ。これが俗にいう劇場型と呼ばれるやつか。新しいものが次々と出てくる。俺はそれについていけない。

 パソコンが急に出てきて困惑するお爺ちゃんの気持ちだ。一体どこのノイマンがそれを生み出したのか非常に気になるところではあるが、問題はこの状況だ。俺たちの問いかけに謎の男は一体何を語るのだろうか。

「いやはや、典型的な巻き込まれ体質のお二人の会話はまるで夫婦のそれ。しかし、このままでは話は回らない。それでは面白……いけない」

 今、何か言い間違えたぞ。

「この状況でそそくさと別の車両に移動しようとしている人間がいるね」

 その言葉に辺りはその方向に見る。そこには一人の男が慌てて移動していた。その男を見て俺はピンと来た。恐らく暁も同じ。そして、先に動いたのは……。

「てめぇか、こんちくしょー」

「ひぃっ!」

 人の上を跳躍する人間を初めて見た。逃げる男を組み敷いていたのは被害者の女子高生だった。多少というかだいぶ言葉が乱暴になっているのにも驚きだ。

「やった、これで家族を守れた……」

 涙を流し膝から崩れ落ちているサラリーマン。いつの間にか姿を消した謎の男。そして、置いてきぼりを食らう俺と暁。

「俺の体を好きにしていいのは一人だけなんだよ」

「あたたたたたたた」

 組み敷いた男の手にビニール袋をかぶせ、関節を決めている。これなら最初から痴漢を撃退出来たと思うが、彼女には彼女なりの事情があったのだろう。事を荒立てたくないのは誰しも一緒のはずだ。

「一応、状況の整理の為に一緒に同行してくれるか」

 急に言葉遣いが変わった女子高生に同行を求められる俺と暁。

「まぁ、乗りかかった船だから、最後まで付き合うよ」

「一時間くらい暇だしね」

 無実のサラリーマンは救われ、真犯人はしっかり裁かれる。大団円と呼ぶにふさわしい。その結末に貢献できるなら協力を惜しむ必要はない。

 しかし、あの男は……一体。

「ねぇ、あの男とは知り合い?」

 暁が言うあの男とは組み敷かれた男ではなく、謎の男だろう。彼の一声で事態は丸く収まった。まさに鶴の一声だった。

「いや、でもあの雰囲気」

 只者じゃないのはわかった。それにあの男は俺と暁の面識があることに気付いていた。同じ制服を着ているからか。しかし、それだけではなさそうだ。

「一瞬で姿が分からなくなったわ。もしかしたら幽霊の類かもね」

 暁からそんな冗談が聞けるなんて今日はなんて日だろう。暁記念日と名付けて国民の休日にしたいくらいだ。

「でも、あの男とは近いうちに会える気がするよ」

「そこに私が居合わせないことを望むわ」

 珍しく気が合うことに驚いた。そして、俺達が一番驚いたのは警察署で聞いた。

「僕は男です。俗にいう男の娘です」

 と言う女子高生の衝撃発言だった。

「もう心に決めた彼氏がいます」

 連続で投下される爆弾にただただ吹き飛ばされる二人。あと警察関係者各位。

「雰囲気はあなたに似てますよ」

 どうやら彼氏さんと俺が似ているらしい。これが女の子だったら素直に嬉しいのに。

いや、でも嬉しいか。なんとも不思議な気持ちにさせられた時間だった。



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