気遣い
立ち去るアシュロムをしばらく目で追っていた王は、その姿が消えると、後ろ姿のまま今度は呆れた声を出した。
「リネイセル」
「はい」
「君もどういうつもり?」
振り向いた王の目は、いつになく厳しく彼を見据えている。
「今のは王族に対して不敬を働いたと、そう捉えられてもいいんだね?」
「……決してそのような意図は」
リネイセルが珍しく視線を落とす。けぶるような銀の睫毛が伏せられた彼は唇を真一文字に結び、ややあってから言いにくそうに口を開いた。
「これは黒姫様のためのお茶ですので」
さっきから繰り返してるけど、その私のためのお茶って一体なんなんだ。
「陛下、アシュリー様が私のためにと用意してくださったのなら、仕方ないのでは?」
横から口を挟むと、王に恨めしげに睨まれた。
「君ってほんと、鈍いよねぇ」
すごく呆れられているのはわかる。でも何故なのかは分からなくて、ちょっと理不尽さを感じる。
「リネイセル、君、謹慎一週間ね。その間にもう少し上手い立ち回り方を考えなさい。それと謹慎に入る前に、きちんと黒姫に伝えておくこと」
王は言いおくと、手でスールウェに合図する。ずっと空気のように存在を消していた彼は軽く騎士の礼をすると、キビキビした動作で王のあとを追い立ち去っていった。
残されたリネイセルと二人。
彼はずっと目を伏せている。
遠くから響いてくる、騎士達の掛け声や剣を打ち合う音。
彼はそのまま、なかなか話し出そうとしない。
これは話すつもりはないのかなと、その場を辞したほうがいいのか考え始めたころに、彼はようやくぽつりと呟くように話し出した。
「……これは、タルブム草をブレンドしたものです」
それからリネイセルはテーブルにポットを置き、丁寧な仕草でカップにお茶を入れる。
「どうぞ」
差し出されたカップの中は、ベイビーブルーの透明な液体で満たされていて、正直に言うとあまり嗜好をそそられない。だが、ほかでもないリネイセルが手ずから入れてくれたお茶だ。
一も二もなく飲み干した。
「……甘い」
見た目の色に反して、まるでベリージャムを溶かし込んだような仄かな甘さだ。
「味はどうですか」
「美味しいです」
空になったカップを見て、リネイセルはほんの僅かに口元を緩ませた。
――そのあまりにもささやかな微笑みに、一瞬にして胸を撃ち抜かれた。
突然の衝撃に、瞬きも忘れて食い入るように見つめる。
きっと他の人が見ても気づかないだろう。でも自慢じゃないけど、私はただひたすらに彼だけを見つめ続けてきたのだ。ほんの少しだけど眦が甘くなって、口元が確かに笑んでいるのが私にはわかる。
――リネイセルが微笑んでいる……!
バレてしまうと危惧しながらも、その笑顔を余すことなく焼き付けたいと目が離せない。
「タルブム草は、魔力を奪う薬草です」
彼はもう一度ポットからお茶を注ぎ、カップを差し出してきた。それを夢見心地で受け取ると、口にするように再び促された。
「魔力による抵抗を奪う目的で、罪人の食事に混ぜる等の用途に主に使われます。ただ、本来タルブム草はとても苦いので、単体では食べられたものではありません。だからなんとか飲めるようにするために、セーメルの花やその他にも甘い嗜好品に使われる各種の花弁を混ぜ合わせました」
……なんということだろう!
このお茶は、リネイセルが私のことを考えて、私のために作ってくれたものだったのだ! そしてそれだけでも信じられないのに、まさか私が飲みやすいようにと心を砕いてくれたとか……本当に、今日までこの世界で頑張って生きてきて、本当の本当の本当に良かった!
「これで少しは黒姫様の魔力が抑えられるといいのですが」
いつも魔力が匂うと遠巻きにされているのを、私が気にしているから? ……彼はなんて優しいのだろうか。
この世界に飛ばされてから、こんなふうに幸せを感じることなんてもうないと思っていた。自由はなくたって衣食住と安全が保証されているだけ随分マシだと、ずっと自分に言い聞かせていた。
でもこうやってリネイセルに認識してもらえているなんて、それだけでも嬉しいのに、私のことを考えて彼がこうして行動してくれただなんて……もうこの世界での幸せを使い果たしていてもおかしくない。
そう感動にブルブルと打ち震えていると、王と共に去っていったはずのスールウェが慌てたように戻ってきた。ボソボソとリネイセルになにか耳打ちをしている。
「黒姫様」
スゥッと消えていった微笑みを名残惜しく見つめながら、無表情に戻った彼を見上げる。
「魔力が戻っているようです。戻ったというよりも増したようで、騎士たちの鍛錬に影響を及ぼしています」
肩越しに一度振り返ったリネイセル。
気づいたら、ちらほらと蹲ったりよろよろとふらついたりしている騎士たちが出てきている。
「……黒姫様、匂いが落ち着くまで、もう少し召し上がっていただきましょうか」
リネイセルは片手でポットを持ち上げた。いつもの無表情に戻った顔でカップを三度手渡され、促すように小首を傾げられる。
ベイビーブルーの波打つ液体を見つめながらたぽたぽの胃を抑える。リネイセルのため、引いては自分のためならば。
促してくるリネイセルに感謝の笑みを返すと、私はカップに口をつけた。