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一縷

 

 陛下に足早に連れて来られたのは、王族以外立ち入りが禁止されている、太陽の神殿。

 どこかこじんまりとした佇まいの神殿は、今はその扉は固く閉ざされていて、外からは中の様子を伺うことはできない。陛下はその扉の前で、一度こちらを振り向いた。


「今は時間がないから、ちゃんと説明できないけど。でも君だったら、多分言われなくてもどういうことかわかると思うから」


 そう言葉を切ると、陛下は私に背を向け、扉に手を当てる。

 陛下に呼応するように、一人でに開く両開きの扉。ついてくるように促されて中に入り――驚いた。目の前には外観からは想像もつかないほどの広大な空間が広がっており、側面には巨大な大理石の柱が次々と立ち並んでいる。柱の向こうを覗くと、まさかの空が広がっていた。にわかには信じがたくてその光景を凝視する。どこまでいってもただ広がっている空には、なんの存在も認められない。


「これは……」

「ここはすでにイスタルシアではないよ。ここはね……かつて、太陽の乙女とカーディナル・イスタルシアが相見えた場所で、そして彼らが二人きりの逢瀬を重ねた場所でもある。彼の先祖が亡くなってからは、その死のあまりの悲しみに太陽の乙女がここを訪れることはもうなくなってしまったけれど、それでもいまだに我が国を見守ってくれている存在はいる」


 足早に歩きながらもしげしげと柱の外を眺める私に、陛下は簡潔に説明してくれた。


「イスタルシアの血を引く者だけが、彼を呼ぶことができるんだ。ただし、」


 陛下の声音が変わった。


「必ずしも応えてくれるとは限らないけどね。さて、リネイセル、ここからは君の仕事だ」


 神殿の最奥、本来ならば壁のある場所がまるごとくり抜かれていて、外へと露出していた。促されてそこへと進み出る。ちょうど崖の上に迫り出すように、そこで神殿の建物は終わっていた。

 眼下へと視線を落としても、なにもない。あるのはひたすら、見渡す限りの薄い青空だけだ。

 背後で見守るように佇んでいる陛下は、なにも言わない。それを好きなようにやっていいと勝手に解釈して、私は頭を垂れ、目蓋を閉じた。


 “太陽の乙女に祝福されし者よ、この血を愛でる者よ、どうか力をお貸しください”


 これで合っているのかは、わからない。返答は当然ない。


 “この世のなによりも大切なあの方が、今にもその心と身体を蹂躙されようとしているのです”


 私はなにに縋っているのだろうか。今はこんなことをしている場合ではないというのに。それでも、この神殿のある種異様で荘厳な雰囲気は、私を神にも縋りたい気持ちへとさせた。


 “私はあの人を救いたい。今度こそ伸ばされた手をとって、もう二度と離さぬよう……あの方の安寧さえ守られれば、この身が朽ち果てるそのときまで、私はイスタルシアの繁栄のために力を尽くすと誓いましょう”


 辺りは相変わらず沈黙が支配している。

 これは失敗したかなと、すぐに思考を切り替えて、次はどう攻めようか、いっそ叫んでみるかと構えた次の瞬間。

 ――遠くから、かすかに馬の嘶く音が聞こえてきた。


「陛下……」


 戸惑って陛下を振り返るも、咎めるように陛下に首を振られる。再び前を向いてしおらしく頭を垂れて待つこと、しばらく。

 力強い羽ばたきの音とともに、なにかが軽やかに地面へと着地した。

 そっと顔を上げる。そこにいた存在に瞠目する。


「これは……太陽の天馬……」


 太陽の天馬は眩く輝く太陽色の羽をそっと羽ばたかせながら、静かにそこに佇んでいる。

 その口元へと、ゆっくりと手を差し伸べる。躊躇いはなかった。まるでそうするのが当然だとでもいうように、気づけば私は天馬のたてがみを撫でていた。


「おめでとう」


 後ろに控えていた陛下の声で、はっと我に返る。


「これで無事、君も立派なイスタルシア一族だ。果てなく続く長い地獄の旅路へ、ようこそ!」


 陛下は皮肉たっぷりにそう言うと、天馬を連れてくるように促した。








 戻ってきた私たちを出迎えたのは、無表情のラエル卿と、苛立ちを隠しもしないアシュリー様だった。


「遅い!」


 開口一番、手厳しい叱咤が飛んできた。


「いつまで待たせるつもりかしら?」

「まぁまぁアシュリー、落ち着いて。それで? 君たちはとっくに黒姫の居場所を割り出せた、と」

「当然です」


 ラエル卿は陛下の皮肉にも、顔色一つ変えなかった。


「幸いアシュリー様のご協力が得られましたので、思ったよりも短時間で情報を吐かせられたのは重畳でした」


 ラエル卿はあくまで理性的に、今度は私に話しかけてきた。


「騎士サンダルディア。こちらが情報をもとに割り出した、黒姫様の現在の推定位置と、そこに向かうまでの最短経路になります。正直、今すぐに出発できたとしても、そして追いつけたとしても、かなり厳しい状況です。敵はおそらく――ニムラスだ」


 一瞬、執務室内が静まり返る。


「彼の国ではご存知のとおり、様々な効果を持った魔道具が発達している。今回黒姫様を奪取するにあたり、ニムラスがなんの対策もしていないとは思えません。特に黒姫様の魔力については最大限の対策をしてきていることでしょう。つまり――」

「問題ありません。私はただ、黒姫様を助け出すだけです」


 私の言葉にラエル卿が伏せていた視線を上げ、真っ直ぐに私を貫いた。


「必ずや隊長――いや、ギルノール・セリオンに追いつき、黒姫様を助け出します」


 ラエル卿はしばらく、その凍りつきそうなほどの強い視線を私に向けていた。だが、やがて彼は再び視線を伏せると、どこか力なく呟いた。


「あなたを……その強さを、信じています」

「勇んで行くのはいいけど、気をつけなさい」


 アシュリー様はあまりの怒りに、その身の周りには黄金色の魔力の粉が散り浮かんでいる。


「ギルノール・セリオンだけじゃないわ。おそらくアシュロムも一枚噛んでる」

「……っ」


 陛下が息を呑み、わずかに顔色を変えた。そんな陛下に、ラエル卿も労しそうに眉間を寄せる。


「なにがあってもおかしくはないわ。無事で帰れるのかも……私たちは最悪あの二人を逃しても、黒姫だけでも取り戻せたらそれでいいの。だから自分の力を過信しないで。必ずあの子を連れ戻してちょうだい。いいわね?」


 それに騎士の礼を返すと、ならば少しの時間も惜しいとその場で思いっきり口笛を吹く。高い音が辺りを切り裂いて響き渡っていく。間髪入れずに近づいてくる、力強い羽ばたきの音。


「では、行って参ります」


 再度簡易的な騎士の礼をとり、私は呆気にとられる面々を背に執務室の窓を開け放って、そこから飛び降りた――。








 リネイセルが立ち去った後。


「今の、なによ……」


 一番始めに我に返ったのは、もはやなにに憤っているかもわからなくなったアシュリーだった。


「あんなの……反則じゃない!」

「私は反則とは思いませんが、陛下、そのつもりでしたら予め仰っておいていただかないと。私としたことが、通常の馬での行軍のつもりで計算してしまいましたので。ああ、騎士サンダルディアはきちんと行程の再演算ができたでしょうか。叶うことならば私も天馬に乗って追いかけて、新しい行程を書き加えたこの地図を渡しに行きたいのですが」

「二人とも、落ち着こうか」


 陛下の声に、二人とも口を噤む。


「アシュリーはこの間からちょっと苛々しすぎ。心配なのはわかるけど、今はもう彼を信じるしかない。シルだってそうは言っても、天馬なんかそうそう乗れるわけないんだしさ、まぁ心配でしょうがないのはわかるけど」


 二人ともなにも言わない。アシュリーは不貞腐れたように顔を背け、じっと窓の外を睨んでいる。イシルウェは忙しなく行程上の演算を繰り返しては、まるでそれで気を紛らわせているみたいだった。


「後続の騎士たちも、すぐにリネイセルを追いかけて行くだろう。僕たちにできることはここまで全力を尽くした僕たちを信じて、そしてこれから全力を尽くすであろう彼らを信じるだけだ。そうだろう?」


 扉の前で一人だけ、警護の任についていたスールウェだけがこくりと頷いている。

 執務室内の重苦しい雰囲気は、当分の間解消されそうになかった。








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