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遊戯

番外編です。

時系列的に、救出され、王宮に戻ってきてしばらく経った後くらいです。

 

「黒姫様」


 久しぶりに聞こえてきた声に、信じられないように目を見開く。ずっと焦がれていたその姿に、思わず立ち上がった。

 ずっと会いたかったその人が、そこにいた。

 常に姿勢のいい凛とした立ち姿、一つにまとめられた銀にも近いプラチナブロンド、そしてなによりも大好きな、透き通るように綺麗な翠の瞳の、私の婚約者。


「なかなか伺うことができず、すみません。黒姫様は……」


 謝罪しているリネイセルに、ぶつかるように抱きつく。一瞬、呆気にとられるように彼は硬直したが、やがてこわごわとその手が肩に触れ、そして慈しむようにふんわりと抱き締め返してくれた。

 ああ……久しぶりのリネイセルの声だ。感触だ。匂いだ。清潔感のある、優しい香り。

 嘘じゃない。彼がそこに立っていた。


「……寂しい思いをさせてしまいましたね」


 なんだが胸がいっぱいになって言葉が出てこず、リネイセルに抱きついたまま首を振る。そんな不躾な私にもリネイセルは咎めることなく、私が落ち着くまで好きにさせてくれた。








 メイヤさんが軽く咳払いする音で、ようやくリネイセルから離れた私は、向かいのソファに座ったその姿を、相も変わらずぼんやりと見つめ続けていた。

 静かにお茶を飲んでいたリネイセルが、どこか居心地悪そうにしている。

 なにか話さなければ。おもてなししなければ。

 そう思うのだが、なにせ今まで私の部屋に来た人なんて、イスタルシア一族ぐらい。しかも皆が皆、勝手に来ては勝手に好きなことを言いたいだけ言って帰っていく人たちばかりなので、ろくにもてなしなどしたこともない。


「……黒姫様」


 静かに切り出された言葉に、上ずった声で返事をする。

 会ったのがあの誘拐事件以来になる。少し時間が経ちすぎていたのもあって、どう接すればいいのか、恥ずかしさばかりが先行して、すっかり挙動不審だった。


「黒姫様はいつも本を読まれているとお聞きしましたが、読書が好きなのですか?」

「……ええと」


 よほど、はいそうです、と答えようかと思ったが、少し考えて、見栄を張るのはやめておいた。いずれ結婚するという相手に虚構で盛った自分なんか見せても、すぐに苦しくなるだけだろう。

 躊躇ったが、結局は正直にリネイセルに打ち明ける。


「……本当は、好きで見ているわけじゃないんです。他にすることもなくて……外にも行けないから。陛下からももっと、この世界について勉強するように言われてるし」


 この世界には、スマホもテレビもない。

 私はこの魔力の性質上、好き勝手にあちこち出歩くこともできない。

 毎日やることといえばこの世界について学ぶか、北の庭園にときどき気晴らしに行くか、それくらいしかなかった。


「講師の方はあまり長時間一緒に居られず、お一人で学ばれるばかりだと伺っています。今度時間がある時に、私でよければお手伝いいたします」

「本当ですか?」


 その顔を伺うと、リネイセルは頷いてくれる。

 それに嬉しくなって、照れを誤魔化すために視線を落としてカップに口付けた。


「……以前ベルゼンヌ侯爵夫人に、女性が楽しめるような戯具をいくつか教えていただいたことがあります。今日はそれを黒姫様にお伝えしたいと思いまして。お持ちしても?」

「えと、はい……あの、ありがとう、ございます」


 言われた言葉に戸惑いながらも頷く。唐突に出てきたベンゼンヌ侯爵夫人って、いったい誰だ。

 リネイセルは私の困惑ぶりをよそにベルを鳴らすと、入室してきたメイヤさんに何事かを言伝えた。メイヤさんはすぐに姿を消すと、暫くしてなにかを抱えて部屋に入ってくる。


「これは花揃え、というものです」

「花揃え……」


 精緻な装飾の施された器に並べられて入っていたのは、乳白色に煌めく石の札だった。

 リネイセルはメイヤさんからその札を受け取ると、退室する彼女にお礼を言って、絵柄が見えないようにテーブルに並べ始める。


「この沢山の札の中から同じ花の模様の札を探す、という遊び方をするそうです」


 どうやら神経衰弱のようなものらしい。


「黒姫様からどうぞ」


 座ったその姿まで姿勢のいい彼を、まじまじと見つめる。にこりともせずに真っ直ぐに見返してくるリネイセルは、大真面目なようにしか見えない。


「じゃあ……」


 どことなくまだ強張っている空気の中で、二人きりの神経衰弱が始まった。思えばこの世界に来て、誰かと一緒に遊ぶだなんてことはこれが初めてだ。しかも相手があのリネイセルということに、なんだか感慨深いものを感じる。

 躊躇う指を動かして、カタリと音を立てながら適当な札を裏返す。現れた鮮やかな花の絵柄に、小さく感嘆の声を上げる。


「きれい」


 恐らく煌めく石の札からして、高級なものなのだろう。その石に書かれている花の絵も見事なもので、私がよく行く北の庭園では見かけないような、鮮やかな花が描かれている。


「なんていう花なのかな」


 捲った石の札に書かれている花をまじまじと眺めながら呟くと、意外にも返事があった。


「メルリルという名の花のようです」

「メルリル?」


 リネイセルは頷くと、立ち上がって本棚から分厚い本を持ってきた。テーブルの端でその本を広げると、彼は長い睫毛を伏せてページを捲り始める。

 その真剣な様子に、束の間見惚れていた。瞬きに合わせて揺れる睫毛。ページを捲る無骨な指。彼が目を走らせるたびに、微かに揺れる髪の毛先。すべて一秒足りとも、見逃したくない。


「ありました」


 不意に顔を上げたリネイセルとばっちり目が合って、息が止まる。


「こちらをご覧ください」


 リネイセルが指し示したページには、確かに花札に描かれていた花が載っている。

 どうやらじっと見つめていたことには気づかれていないようだ。浅く速くなった呼吸をなんとか落ち着かせる。

 身を乗り出して本を覗き込むと、丁寧に私のほうに向けてくれた。おまけに読み上げてくれる。


「“メルリルは主に、冬期初期から春期後期まで花を咲かせる多年草である。種類によって、色合いや咲く時期に違いはあるが、最も一般的なものは重なり合う五つの花弁が、それぞれ各色の濃淡的移行を呈する”。この図の花弁の色のことですね」


 リネイセルが五つそれぞれの花弁の色を指差しながら説明してくれる。

 穏やかで落ち着いた声。

 ずっとこの声を聞いていたいと思った。このまま嫌なことや面倒臭いことはすべて王に押し付けて、二人きりでずっと穏やかな時間を過ごしていたい。……もっとリネイセルとの時間が欲しい。


「メルリルの花言葉は、“かけがえのない時間”だそうです」


 再び顔を上げて目が合ったリネイセルは、僅かに微笑みを浮かべた。


「気に入られたのなら、今度庭園に見に行きましょうか。さて、次はどの札を捲りますか」


 再び捲った先から現れた絵柄をまじまじと見つめる私に、リネイセルは口元に浮かべる笑みを深くした。








 そうやって二人で花揃えをしていると、いつの間にかよそよそしい空気は消え去っていた。

 なにを急ぐこともなく、札を捲ってはその絵に見惚れ、リネイセルが辞典で調べては花の名前を教えてくれて、かつてないほどに穏やかな時間が過ぎてゆく。

 花揃えをしながら、ぽろぽろとこぼれる言葉を拾うように、次の約束もいっぱいした。

 この世界について教えてもらう約束、庭園に行く約束、綺麗な花で栞を作る約束、ピクニックに行く約束。

 お互いにあまり口数は多くないけど、それぞれのペースでポツリポツリと言葉を交わせば、いつの間にか結構な時間が過ぎ去っていたようだった。


「リネイセル様」


 知らないうちに控えていたメイヤさんの声に、リネイセルが顔を上げる。

 名残惜しさが顔に出ていたのか、俯いた私にリネイセルが淡い笑みを浮かべて声をかけてきた。


「……すぐには難しいですが、必ず時間を見つけてまた伺います。それまで、ベルゼンヌ侯爵夫人に教えていただいた戯具がまだありますから、よかったら余暇のお供にでも」

「また、一緒に遊んでくれますか?」


 リネイセルはそれに頷くと、すっと近寄ってきて私の手を取り甲に口づけた。そしてしゃがんだリネイセルの額に、私も口づけを返す。

 もう何度目かになるこのやりとりも、いまだ恥ずかしさが消えない。

 リネイセルは少しの間、私のことを見つめていたが、やがて長い睫毛を伏せると、さっと身を翻して退室して行った。








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