夜会
王は一体なにを考えているのか、いまだにマナーもなっていない私を、毎回夜会へと出席させる。それもよりによってやる気のないアシュロムにエスコートさせて。
どうやらアシュロムをなんとか社交界に引きずり出したいらしい。ついでにいうと、私が入場した途端しんと静まる会場の様子を、どこか面白がっている節もある。
見た目は神と見紛うほどの美貌の王だが、思考はまるで悪戯小僧のようだ。こっちは静まりかえる会場に、その異様な雰囲気にいい加減うんざりだというのに。
「……黒姫だ」
「なんて甘い魔力……」
「ああ、酔いそう……」
「悪魔のような力よ……」
あちらこちらでひそひそと貴族たちの囁き声が聞こえてくる。それに怯む私とは対照的に、アシュロムはどうでも良さそうに口の端を歪めている。
彼は遠巻きにされている現状をものともせずに会場を一瞥すると、堂々とフロアまで進み出て、ダンスを始めようと手を差し出してきた。
「どうしてもダンスしないとダメですか」
毎回する質問に、アシュロムは更に口を歪める。
「愚問だね。そんなに私を独り占めしたいのかい?」
アシュロムは婚約者である私とファーストダンスを踊らなければ、ほかの令嬢の所へと行けないのだ。少しでも多くの令嬢の元へと行きたいのか、彼は毎回夜会に着くとさっさとダンスを済まそうとする。
もう少し会場の雰囲気が落ち着いてから踊りたいのに。こんな誰もが注目している中で、踊りたくなんかない。
「勿論です。でもアシュロム様を困らせたくないから」
渋々ホールドを受けると、「あなたも言うようになったね」と、アシュロムは思いのほか優しい手付きで私を支えた。令嬢と遊び慣れているアシュロムのリードは、流石というかとても巧みで。拙いステップしか踏めない私をどうにかこうにか引っ張り回して最後まで踊り切ると、壁際までエスコートするのがいつもの流れだ。彼はそこでさっさと別れると、色とりどりのドレスの波の中へと消えていく。
「相変わらず、悍ましいほどの“色”ですね」
いつもならぽつんと立ち尽くすところに、今日は珍しい人が声をかけてきた。
「酷く甘ったるい」と零しながら近付いてきたのは、王の側近の一人である、イシルウェ・ラエル。
彼の髪は青みがかった薄氷色で、それほど魔力量は多くないそうだ。だが、そのよく切れる頭脳が王の目に止まり、異例の出世を遂げたということだった。魔力量で序列が決まるこの世界では、珍しい貴族だ。
それに、私に臆することなく話しかけてくる数少ない貴族でもあった。ただ、いつも話しかけてくるときは歯に衣を着せることもなくグサグサと真実を突き付けてくるので、少し苦手だった。
「イシルウェ様」
ぎこちなく礼をとると、涼やかな目元が細められる。
「何度も言っていますが、あなたの方が身分が上なのですよ。先に礼をしてはいけません」
髪と同じ、凍えそうなアイスブルーの瞳がこっちを見下ろしている。
「すみません」
身を縮めると、手を差し出された。
「少しはダンスも上達したようですね。これはもう足を踏まれることもなくなったかな? 久しぶりに踊りましょうか」
……これは決して嫌味なのではない。彼は純粋な親切心で言っているだけなのだ。
いつもアシュロムと踊ったきり、会場で一人ぽつりと立っている私を、気にかけてくれただけのことで。ただその親切が、ダンスを踊りたくない私には親切じゃないだけで。
「あっ、いや、その……」
辞退する暇も与えられず、半ば引きずられるようにまたフロアへと戻ってきてしまう。
あぁ、今日はもう終わったと思ったのに……。
そうこうしているうちに、無情にも次の曲は始まってしまって、慌てて一歩前に足を踏み出す。
「っ、痛い。前より酷くなってませんか」
顔を顰められ、ますます萎縮する。
アシュロムは体幹がしっかりしていて、遠慮なく勢いで私を引っ張り回してくれるが、この文官様はすらっとした細身で幾分心許無く、どうしても身を任せきれない。強張って身体の隙間が開き、足を踏む無限ループに陥ってしまう。
終始痛そうに顔を顰められたが、それでも彼はなんとか一曲踊り切ってくれた。
「……すみません」
「穴が開くかと思いました」
真顔で言われ、冗談なのか本気なのか分からずに固まる。
「冗談ですよ」
ようやく気難し気な顔に笑みが浮かんで、肩から力が抜けた。
「あなたの婚約者は、相変わらずの節操無しですね」
御馳走の並んだテーブルへ向かう途中、令嬢に取り囲まれるアシュロムを見遣りながらイシルウェはポツリと呟く。
「あなたは夜会でいつも一人、遠巻きにされている」
それがなんだと言うのだろうか。
首を傾げながら見上げる私に、イシルウェはきゅっと手を握り締めた。
「黒姫、あなたは――」
「やぁ、さっきのダンスは酷かったね」
彼に被せるように聞こえた声に、私は咄嗟に身構えた。会場の何処にいても目立つ美貌の王が、いつの間にか後ろに立っていた。
「陛下」
王の後ろには、近衛騎士の正装を纏ったリネイセルが控えている。真っ白な騎士の正装はプラチナブロンドの彼によく映えるので、私は夜会で警護しているリネイセルを見るのが大好きだった。
彼の禁欲的なまでのストイックで清廉な佇まいに、視線が離せなくなる。彼以外のなにも目に入らなくなる。
「シルは足を踏まれるのが好きなのかな?」
「陛下、ご冗談を」
イシルウェは生真面目に返した。表情一つ変えない所はさすが、長年王の相手をしてきているだけある。
「そろそろ僕も黒姫と踊ってみようと思ったんだけど、さっきのダンスを見たら迷ってしまうな」
どうする、黒姫。僕と踊ってみる?
ニッコリと笑ったその顔は、どんな絵画より美しいはずなのに、私には悪魔にしか見えなかった。
「……お断りします」
周りの貴族に聞かれないよう、精一杯の小声でそう呟くと、なぜか王とイシルウェが吹き出してしまった。誤魔化すように咳払いする彼と王を、交互に見やる。
「陛下、あんまりからかうと愛想を尽かされますよ」
「うーん、最初から愛想なんて全然ないんだよなぁ」
目を白黒させているうちに、王はイシルウェを伴って立ち去ってしまう。去り際リネイセルがまた見せた、あのすべてを見透かすような透明な翠の瞳が、いつまでも頭から離れなかった。