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本音

 

 つかつかと淀みない足取りでアシュリーがやってきたのは、よりによって近衛騎士たちの演習場だった。


 見学に来ていた令嬢たちは、私の姿を見た瞬間にすぐに立ち上がって去って行き、見学席には誰一人いなくなる。

 今まで鍛錬に励んでいた騎士たちですら動きを止め、演習場は異様な雰囲気に包まれた。


「黒姫様、やっとお会いできた!」


 その異様な雰囲気を破ったのは、まさかのギルノール・セリオンだった。


「どうしてずっとお会いしてくださらなかったのですか? あなたに会いたくて会いたくて……私のこの胸は今にも張り裂けそうでした!」


 彼はこちらに向かって大股で歩み寄ってきた。

 その琥珀の瞳には狂気の炎が燃え盛っている。精神を蝕むほどの妄執、渇望、依存……もう手がつけられないほど悪化している。あまりの異常さに身が竦んで、恐怖に吐き気さえ催してきた。


「呼んでなくてよ」


 そのギルノールの行く手にアシュリーが立ち塞がった。彼女はギルノールの目前にピシリと閉じた扇を突きつけると、それ以上の接近は許さないとばかりに扇を振る。


「あなた、いたのね。この時間は勤務中かと思っていたのだけれど」

「アシュリー様、あなた様が今日動くということを鑑みて、ここにいれば黒姫様に会えると思ったのです。それで部下が快く代わってくれまして。いやぁ、上司思いの良い部下に恵まれました」

「……いやに有能だから、厄介なのよね。それで、どなたかしらね? 野暮なことをする者は。是非とも名を覚えておきたいわ。誰か知っていて?」


 鋭い視線を流すアシュリーに、騎士たちは微動だにできずに固まっている。


「お言葉を返すようですが、愛しい黒姫との再会を邪魔するアシュリー様こそ、野暮というものでは? いかにアシュリー様といえども、この想いを阻む権利などないはずです」

「ふぅん? 野暮ねぇ……ならば本人はどう思っているのか、聞いてみようではないの」


 アシュリーが振り返ってきて、魅せるような綺麗な微笑みを浮かべた。その奥からギルノールが身を乗り出さんばかりに、こちらを凝視している。竦む弱い心を叱咤して、私はギルノールに呼びかけた。


「いい加減、目を覚ましませんか」


 ギルノールは目を見開く。


「今まで曖昧に躱していた私の態度があなたをそうさせてしまったのなら、それは……深く謝ります。だからもうお願い、正気に戻ってください。あなたは明らかにおかしい。これ以上、もう関わってこないで。会う度に壊れていくあなたが、怖くてたまらないんです」


 ギルノールは私の独白を不可解そうに聞いていたが、やがてなだめるように両手を上げた。


「黒姫様、なにを仰っているのです? このギルノールが正気でないと? いくら黒姫様でもそれは笑えませんよ。もしそうであれば、私は今すぐこの騎士団長の責務を手放さなければならない。ですが現にこうやって、真っ当に果たしているではないですか」


 助けを求めるようにアシュリーに視線を送るが、彼女は僅かに首を振るだけだった。どうやら本当におかしいのは、私絡みのときだけらしい。


「あなた、みんなに慕われる騎士団長なんですよね。人柄もその剣の腕も、右に出る者はいないほどの得難い人なんだって……だったら、私の魔力ぐらい抗ってみせてくださいよ」


 恐ろしくて恐ろしくて、二度と目にしたくなかったその姿。目を逸らしたい衝動と闘いながら、きっと彼を睨み上げる。


「なんでこんなものに依存しちゃってるんですか。自分でこんな小娘に入れあげたりなんかして、おかしいって思わないんですか……もうしっかりしてよ、騎士団長を自負するのなら!」


 ギルノールは虚をつかれたかのように、荒々しい琥珀の目を丸くした。それから徐々にギルノールの顔貌から表情が抜け落ちていく。残ったのは、まるでお面をかぶったような奇妙な平坦さだけだ。


「私は純粋に黒姫様をお慕い申し上げているのです。どうして分かってくださらないのですか」

「分からないんですか、自分の異常さが」

「分かってくれないのはあなたのほうだ。私はこんなにもあなたのことを慕っているのに、どうして私を受け入れない?」

「そんなの、いい加減分かってよ!」


 見開いた琥珀の目に恐怖する。この言葉を言ってしまえばおしまいだと、緊迫した空気がビリビリと警告を発している。それでも、私は引かなかった。


「私の心はあなたにない。あなたに感じているのはただひたすらに、恐怖だけなんです! ……もう目を逸らすのは止めてください」


 目をカッと開いたまま、微動だにしなくなった彼の不気味さに鳥肌が止まらない。現実を突きつけられた彼がどう出るか、身を守るように警戒した私のそばに、誰かが立った。


「……私のこの気持ちを受け入れてくださらないと、そう仰るのですね、黒姫様」


 真っ直ぐ前に向けられた、透き通った瞳。

 肩を流れ落ちる、光を反射する一房の髪。

 凛と立つ、姿勢のいいその姿。


「リネイセル……」

「私の後ろに」


 片腕が伸ばされ、その背に守られる。


「ならば、あなたを縛り付けるすべてをこの手で取り除き、あなたを手に入れるまでだ!」

「そこまでよ」


 咆哮したギルノールが手を伸ばしてくると同時に、アシュリーのたおやかな腕がその巨躯を遮った。


「お兄様もたちが悪いったらないわね。こんなになるまで放っておくだなんて。あなたが変に有能だから、捨てるに捨てられなかったのね」


 アシュリーはどこか憐れむようにそう言うと、扇を広げてギルノールに向けて振った。


「悪いけど、今回の目的はあなたではないの。情けをかけてあげたつもりだったけど、余計なお世話だったかしらね。残念ながら時間切れよ」


 アシュリーは扇を振りながらなにかしらの魔力を使っているようだった。舞うように振られる扇の先からは、金粉がサラサラと風に流れてギルノールの周りを舞い散っている。ギルノールはギリギリと歯を食いしばって抵抗しているが、アシュリーの魔力を受けて動けないようだった。


「さて、本題ね」


 アシュリーはギルノールの気迫にも動じずに彼を一瞥すると、リネイセルに視線を向けた。


「アシュリー様、ご配慮ありがとうございます」


 頭を下げたリネイセルに、アシュリーはふんとそっぽを向く。


「この私を使ったのだから、ちゃんとけじめをつけないと容赦しないわよ」

「承知しております」


 リネイセルはアシュリーの鋭い視線にも顔色一つ変えずに頷くと、向き合うように体の向きをかえた。


「黒姫様」


 翠の瞳と目を合わせる自信がなくて、視線を落とす。リネイセルはしゃがみ込むと、視線を追うように顔を覗き込んできた。


「先日の私の言葉に対して、まずは謝罪をさせてください」


 そっとリネイセルが壊れ物を扱うかのように、私の指に触れてくる。


「あなたを傷つける意図は、ありませんでした」


 驚いて視線を上げると、透明な翠の瞳と目が合った。


「黒姫様」


 そっと触れてきた手は振り払われないとわかったのか、今度はしっかりと包み込まれるように握られる。その細身の姿に反して、ごつごつとした無骨な手。硬い手は決して触り心地は良くないけれど、握られると安堵感に包まれる。


「私はこの一騎打ちを辞退しません」


 驚きに目を瞠る。リネイセルは視線を逸さずに一心に見上げてくる。


「私は私の意志で、アシュロム様との一騎打ちに臨みます。そしてそれは、決してあなたが思っているような優しさや同情などが理由ではない」

「リネイセル……」

「もし……もしも、私が勝利を手にできたのなら、その時にはあなたにお伝えしたいことがある」


 そこまでリネイセルは話すと、ゆっくりと私の手を持ち上げる。彼の一つにまとめた銀に近いプラチナブロンドが、さらりと肩を流れ落ちた。


「だからどうか、待っていてくれませんか」


 それに一つこくりと頷き返すと、握られた手に僅かに力がこもった。

 静謐な湖畔を思わせる翠の瞳。

 その瞳が、今は私だけを映している。

 リネイセルはゆっくりとまつ毛を伏せると、私の手にそっと、触れたかどうか分からないほどの口づけを落とした。

 手の甲への口づけは、どんな意味があるのだろう。その意味は分からなかったが、ただ夢見心地でその口づけを受け入れる。

 嘘みたいな陶酔感。もう二度と感じることなどないと思っていた、幸福。

 そんな中ふと聞こえてきた低い声に、現実に引き戻される。


「私は絶対に諦めない」


 アシュリーに捕らわれたギルノールだった。


「どんな手を使ってでも、必ずあなたを手に入れる。覚えていてください、黒姫様。あなたには私しかいないのです!」


 アシュリーが冷たく命令して、ギルノールを連れて行く。

 振り向きざまに向けられた琥珀の瞳に、私は縋るようにリネイセルの手を握りしめた。








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― 新着の感想 ―
[気になる点] ヒロインの転生前の環境など、個性がもっと知りたいです [一言] 王→何考えてるのかわからねぇ アシュロム→自分は婚約者としての責務を尽くさないのに女には要求する甘ったれ男 ギルノール→…
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