放心
翌日、部屋の準備が整ったとのことで護衛の騎士が迎えに来る。これでリネイセルと過ごす時間ももう終わりだ。
「護衛を引き受けてくれて、ありがとうございました」
最後までその目を見上げることが出来なかった。
……もっと、言いたいことがあった。伝えたい言葉があった。でも自分にはそれを上手く伝える技量も勇気も出なかった。
部屋を出ようとリネイセルに背を向ける。
「……黒姫様」
静かな声が私を呼び止める。歩む足が一瞬止まり、未練が首をもたげたけれど、振り切るように首を振った。
「お元気で」
そう一言言いおいて礼をしたあとに、私は部屋を後にした。
護衛の騎士は私の魔力暴走を気にしているのか、警戒した様子で近寄っては来ない。私が部屋に戻ることは事前に周知されていたようで、廊下にも人っ子一人いない。
……こんな猛獣扱いの女に心を通わせる相手がいるなんて思うのは、リネイセルくらいだ。そう思うとなんだかおかしくて、つい嘲笑ってしまう。クスリと小さく漏らした私に、先導していた騎士がぎょっとしたように振り返ってきた。
「あ、すいません……」
慌てて俯いて無表情を取り繕う。さっきからメイヤさんが物言いたそうな視線を投げかけてくるが、幸いにもなにも言ってはこなかった。
部屋に到着すると、護衛は早々に退室していった。
「メイヤさん、陛下に言伝を頼みたいんですけど、いいですか?」
「伺います」
王にリネイセルとアシュロムの一騎打ちを中止してほしい旨をしたためる。
元はといえば、私が変に希望を持ってしまって、アシュロムと結婚したくないなんて言い出してしまったのがいけなかった。
別にアシュロムと結婚したっていいじゃないか。見た目はいいし、女性の扱いには慣れている。他所に何人も愛人はいるが、それはまぁ仕方がない。あとは私のことを蔑視している節があるぐらいだが、それも我慢さえすれば……いや、ダメだ。考えれば考えるほど上手くやっていける気がしない。まだほかの道がないか考えるほうが建設的だ。
うんうんと唸っているとメイヤさんとは別の侍女が顔を見せた。
「黒姫様、面会のご希望です」
「どなたですか?」
侍女はなぜか、少し躊躇する素振りを見せた。
「……セリオン様でごさいます」
「ヒッ……!」
その名前を聞くだけで一斉に鳥肌が立った。小さく悲鳴を上げて目を見開いた私に、侍女も怯えたように身を竦める。
「お断りを……」
なんとか紡ぎ出した言葉を聞いた途端、侍女はおざなりなお辞儀だけをして慌てて引っ込んでいった。
予想外のところで聞きたくもない名前を聞いてしまった。あの様子からすると、きっとまた魔力が出てしまったのだろう。これじゃあ暫く人を呼べそうにない。
もうなにをする気力もなくなって、早々に寝室へと引っ込む。
昨日から、明らかに投げやりになっている。
暗く沈みそうになる思考を止めるために、ベッドへと突っ伏した。
元の部屋に戻されて数日。
ずっと寝室に閉じ籠もったまま、毎日ボーッとなにをするでもなく過ごしている。
性懲りもなく毎日面会を求めてくるギルノールを断固拒否しながら、王の返事について考えていた。
私の婚姻権をかけた一騎打ちを中止してほしいとの返事には、原則挑戦者からの申し入れがないと中止ができないと、にべもない返事が返ってきた。それもそうかと、自分の行動の遅さをまた悔やむ。
悶々と凹んでいると、何日かぶりにメイヤさんが寝室の扉を開け、中へと入ってきた。
「あれ……メイヤさん、入ってきても大丈夫なんですか?」
「黒姫様、毎日寝室に籠もりきりになるのは……」
その勇姿に驚いてベッドの中から身を起こすと、メイヤさんは言外に責めるような気持ちを匂わせながら、閉めっぱなしのカーテンを開けてくる。
「……なんの用ですか」
「アシュリー様がいらっしゃっています」
「え……アシュリー様!?」
ボサボサの頭を慌てて手櫛で整えると、メイヤさんは急かすようにドレッサーのイスを引いた。
麗しき王女殿下は、部屋へと一歩入ってくるなり、その形のいい眉を顰めた。
「この有様はどういうことかしら」
美しい声は柔らかに響くのに、思わず背筋を伸ばしてしまうような毅然さをひしひしと感じさせてくる。さすがはあの王の血縁者だ。
「辛気臭いったらないわ。部屋の中に花の一つもないし、それにその格好はなに? わざわざこの私が会いに来てあげたというのに……そんな地味な格好で出迎えたのって、あなたが初めてよ」
「みなさん入ってきませんので、どうにも……」
あの日から、部屋の中に入ってくる侍女はメイヤさんしかいなかった。みんな、私の不安定に増大する魔力が怖いのだろう。それもこれも最近の情緒不安定のせいなので、精一杯平穏さを心がけているのだが、そう思えば思うほど却って自分を追い詰めてしまって、尚更悪循環に陥っている。
「この部屋、とうとう魔境と化してしまったって噂になっているのはご存じ? すぐにそのたれ流しの甘ったるい魔力をどうにかすることをおすすめするわ。前はこんな纏わりつくようなたちの悪い感じじゃなかったでしょう」
「……どうにかしなきゃいけないとは、自分でも思ってるんです」
品のある身のこなしでソファに腰掛けたアシュリーは、さらりと肩にかかった髪を払う。ふわりと漂ったいい香りがなんだか懐かしくて、少し肩の力が抜けた。
「でも今は……すいません。正直、頑張れそうになくて」
「……そう。あなたがそれでいいのなら、口出しはできないわね」
アシュリーはつまらなさそうに鼻を鳴らすと、そっぽを向いた。
「あとは諦めてただ流されるがままに生きるというのなら、所詮あなたはその程度の幸せしか望んでいなかったということでしょう」
……アシュリーにまで突き放されてしまった。あまりにも素っ気ない冷たい言い方に、いい加減泣きたくなってくる。
なんなんだ、この人は。私のことを気にかけて来てくれたんじゃなかったのか。
「好きなときに好きなように休めるほど、今のあなたはお気楽な立場ではないのよ。今足掻かなきゃ、これからずっと、そのまま後悔しながら腐っていくだけの未来が待っている」
アシュリーの大きな瞳は、試すように私を見つめている。
「ねぇあなた、この部屋から出たら死ぬの?」
「いや、死にはしませんけど、みなさん怯えてますから」
「じゃあ、あなたがこの部屋から出たら、誰か死ぬの?」
「分からないですけど、もしかしたらと思うと怖くて……」
「死なないの。ただ酩酊するだけよ、みっともないほど前後不覚に陥ってね。命まではとれないわ……これは教えなかったお兄様もいけないと思うけど」
突きつけられてゆく数々の言葉に、暗い思考がめちゃくちゃに踏み躙られて、そして砕かれていく。
「私、あなたに失望しているの。せっかくカレナリエル杯では頑張ったのに、最後の最後で盛大に捻くれちゃって」
わざとらしいため息をつくと、アシュリーはおもむろに立ち上がった。
「挽回したいと思う気持ちがあるのなら、ついて来なさい」
「えっと、どこに……」
アシュリーはちらりと振り返って不敵に微笑むと、それ以上なにも言わずにカツカツと歩き出した。
扉の先の護衛の騎士たちは、中からアシュリーに続いて私が姿を見せたことに驚いたようで、すぐに身構える。アシュリーはそれを一瞥すると、彼らの前を堂々と突っ切った。
「アシュリー様?」
「ついてくるのもこないのも、あなたの自由。だけどそのままのあなたでいるなら、私は今回限りで見限るから」
突き放すようでいて、でも待っていてくれるかのような、その歩み。
見えない手で背中を押してくれているようだった。
――押すというにはなかなか痛い後押しだったけど。
震える足を叱咤して、一歩部屋から踏み出した。




