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後悔

 

 一連の騒ぎを起こしてしまった私は、ほとぼりが冷めるまで避難してきた部屋にずっと閉じ込められたままだった。

 誰にも会えず、どこにも行けず、外で自分がどのように言われているかも分からない。そんな毎日を過ごしていると、ただでさえ後ろ向きな思考がますます後ろを向いて暴走する。

 きっと、逸る気持ちのままにアシュロムとの婚約解消を切り出したのが間違いだった。リネイセルのいないところでゆっくり話せばよかったんだ。考えなしに切り出してしまったせいで、彼の意思など置いてきぼりに一騎打ちなんていう話までに発展してしまった。

 今日も扉のそばで静かに佇んでいるその姿をぼんやりと眺める。

 カレナリエル杯による負傷の療養という名目で通常の近衛業務を外れ、リネイセルは私の護衛として付き添ってくれていた。ここ数日の間、ずっと二人きりで過ごしている。

 リネイセルと話す時間はいくらでもあったのに、私は怖気づいてしまって一言も切り出せなかった。

 なぜこんなことを言い出したんですか。

 あなたはそれでいいんですか。

 たった一言のはずなのに、何回も尋ねようとしては勇気が出ずに思い留まり、結局言葉を飲み込んで悶々とし続けている。


「黒姫?」


 お茶を飲みに来ていた王が訝しげに顔を覗き込んでいた。それになんでもないと首を振り返す。


「ねぇ、相変わらずうじうじと悩んでいるのはなぜ?」


 はあーっとわざとらしく大きなため息をついた王は、カップをソーサーに置くと行儀悪くも頬杖を付く。


「今日はリネイセルとアシュロムの一騎打ちを正式に受諾したって伝えに来ただけなんだけど、まだ気になることでもあるの?」

「いえ。これ以上はなにも」


 素っ気なく首を振った私に、王は目を眇めてくる。

 これ以上の墓穴は掘りたくない。口を開けばますます我儘が零れ落ちそうだ。


「……分かった。特別にアシュリーを寄越すから、妹に相談してみるといい。ああ見えて君のこと、結構気にしていたから」


 お茶も冷めないうちに王は立ち上がる。私に関する一連のゴタゴタのせいで忙しいのは本当のようで、その合間を縫って会いに来てくれた王を見送るために慌てて立ち上がると、お辞儀した。


「あぁそれと、後処理も終わるから、もう前の部屋に戻れるからね。いつまでもリネイセルを独占されても困るし。彼も一騎打ちに向けて鍛錬を再開しなければならないから」


 その言葉に思わず勢いよく顔を上げた。


「え……?」

「その顔はなんだい」


 苦笑気味の王の目にからかうような色を見つける。失敗したと悟ってもあとの祭りだ。


「君には君の護衛騎士がちゃんといるだろう?」

「また巻き込んでしまったらと、少し心配になっただけです」


 苦し紛れに綺麗事で返すと、王が可笑しそうに笑った。


「そういうことにしておこう」


 不満そうな私をおもしろそうに眺めると、王は来たとき同様にさっさと立ち去ってしまった。








 扉のそばで佇んでいるリネイセルを見るともなしに見つめる。

 二人きりで過ごすこの静かな時間も、もうすぐ終わってしまう。このまま放っておいていいのか。彼の意思も確認せずに話を進めてしまってもいいのか。部屋に戻ってしまえば、もう尋ねることも出来なくなってしまう。


「騎士サンダルディア」

「黒姫様」


 ……すごいタイミングだ。今まで何日も同じ部屋にいてほとんど話さなかったのに、ここにきて同時に呼びかけるなんて。不意を突かれて言葉が途切れる。それは向こうも同じだったみたいで、暫し互いに無言で見つめ合っていた。


「御用でしょうか」

「お先にどうぞ」

「いえ、黒姫様のお話から伺います」


 暫くお互い譲り合ったあとに、埒が明かないと問いかける覚悟を決めた。


「あの、本当にいいんですか」


 向き合った翠の瞳からはなんの感情も読み取れなくて、一体彼がどうしてそこまでしてくれるのかが分からない。


「このままいくと、一騎打ちに勝ったとしても……その、私と結婚しなければならなくなりますよ」

「存じております」


 動じないその静かな面差しを見つめる。


「それでいいんですか」

「……いいとは?」


 僅かに首を捻る様子に、はぐらかされているような気になる。


「私が助けを求めたばかりにこんなことになってしまって、申し訳なくて……あなたは私のせいで結婚相手を選ぶことすら、できなくなってしまいました」

「でもそれは、あなただって同じことでしょう」


 真っ直ぐに向けられるその双眸に、貫かれたように胸が痛む。


「アシュロム様との婚約にしてもカレナリエル杯の褒賞にしても、そして今回の一騎打ちにしても、あなたのお気持ちなど考慮されたことは一度もない。助けを求める相手すら、あなたは選べなかった」

「そんなことは……」


 ないと言おうとした私を、リネイセルは遮った。


「あなたを助けたくて、でも私にはこんな形しかとれなかった。だがそれは結局相手が私に変わっただけで、あなたに意に沿わない婚姻を強要しているということには変わりない。私も所詮はイスタルシア一族、あなたに無理を強いている連中と同じです」


 そんなの、私がリネイセルに助けを求めたからだ。ほかでもないあなたが好きだから、あなたしか見ていないから、あなたに手を差し伸べてほしくて精一杯この両腕を伸ばした。


「黒姫様に心を通わせる方がいらっしゃったとしても、あなたにはその方と結ばれる(すべ)などない」


 翠の瞳が揺れる。動揺を隠すように、揺れる瞳はすぐに長い睫毛の奥に隠された。


「だからせめて、あなたに限られた自由を贈ることができれば、と……私にはここまでが精一杯でした」


 その先の言葉を聞いてはダメだと思った。なのに重たい体は動かず、静止の言葉一つ出てこない。


「私が勝利を捧げた暁には、あなたは書類上私の妻となる。ですが、ただ……それだけです。その事実さえ目を瞑っていただければ、あとは好きにしてもらって構わない」


 突きつけられた言葉に息が出来なくなった。締め付けられた胸は銃で撃ち抜かれたかのように鋭く痛み、思考は真っ白になってパラパラと砕け散っていく。


「それって……どういう……」

「私との関係は仮初めのものだと捨て置いてください。これ以上あなたになにも強いたくない。せめてあなたの心だけでも自由になれたら」


 手が震えて力が抜ける。立っていられなくなる。崩れるようにソファに座り込む私にリネイセルが寄ってこようとするが、それを手で制した。


「つまりあなたは、私が結婚後誰とどうなろうが、気にもしないってこと……?」

「……口を出す気はないということです」


 少しの間の後に返ってきた冷静な返事に、暫く言葉が出なかった。俯いて表情を隠し、震えそうになる声をどうにか絞り出す。


「だって、知ってますよね? 私はあなたの額に口づけたんですよ」

「陛下より、あなたはあの意味を知らなかったと伺いました。ご安心ください。承知していますので」


 妙なところで気を回してくれていた王に、乾いた笑いが出る。こんなことになるくらいなら、いっそあの勢いのまま誤解されていた方がよかったのかもしれない。筋違いだというのに、私は王を心の中で呪った。


「……そっか、私が助けを求めてしまったばっかりに、あなたをそこまで追い詰めてしまってたんですね」


 勝手に傷ついた心なんて意地でも悟られたくなくて、どうにか平静を装って言葉を紡ぐ。リネイセルが僅かに身動ぎする気配があった。


「それなら騎士サンダルディア、私だってあなたに強いる訳にはいかない。一騎打ちを取り消してください」


 リネイセルからの返事はない。


「私、あなたがあんまりにも優しいものだから、縋りついてその優しさにつけ込んで甘えていました。でもそのせいで、そんな覚悟を背負わせてしまっていただなんて……本当にごめんなさい」


 きっとこの世界でたった一人ぼっち、誰も味方のいない私を哀れんだだけなんだ。王の思惑に振り回される私を可哀想に思って、救いの手を差し伸べようとしてくれていたんだ。


 ――でも、そんなもの(同情)なんて、いらなかった。


 随分と贅沢になったものだと嘲笑う。その姿を見られるだけでも幸せだと思っていたのに、それじゃあ満足出来なくなってしまっていた。

 リネイセルの愛がほしい。私を見て、その透き通った瞳の中に私を映してほしい。

 当たり前に愛する人と幸せに暮らす人生がほしい。

 ――少し期待してしまったのだ。私の魔力を吸収できるのなら、もしかしたら現実になるかもしれないって。もしもリネイセルがこの一騎打ちに勝てば、彼の意思なんて関係なしに私たちは夫婦になる。そうなれば、一緒に暮らしていればそのうち愛し合う家族になれるかもしれないって。

 そう、私はリネイセルの意思を無視していると知りながら、それでも後に引くことをしなかった。

 これはその代償なのだ。リネイセルの優しさに甘えていたから。早く彼を解放してあげればよかったのに、ずっと縛りつけておくから、今更こんな気持ちを味わうことになるんだ。

 ――当然弁えていたはずなのに、本人に突きつけられて今更ショックを受けるだなんて、あまりの自分の図々しさにいっそ笑えてくる。


「黒姫様、私は……」

「私のことは気にしないで。大丈夫です。そんな相手もいませんから」


 いくら感情を抑えたって、きっとこの部屋の魔力量はすごいことになっているのだろう。この忌々しい魔力のせいで私の感情は筒抜けだ。膨らみ続ける負の感情をなんとか誤魔化したくて、私は言いかけたリネイセルを尻目に寝室へと駆け込んだ。頭からすっぽりとシーツを被って、そして声を殺して必死に心を押し殺す。

 みっともなく呻く自分が滑稽で、情けなくて惨めだった。

 人間、欲を出しすぎるとダメなんだと思い知った。なにもかもすり抜けていってしまう。

 噛み締めた奥歯からくぐもった声が漏れていく。ぐしゃぐしゃに引き寄せたシーツを顔面に押し付けて、ただ後悔することしかできなかった。








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