決着
二人が打ち合う度に、爆発音と共に黒煙が立ち昇っていく。すぐに二人の姿は煙の向こうに見えなくなった。連続して続く爆発音と時折見える火花が、かろうじて二人が打ち合っていることを教えてくれる。
「こんな熱風の中……騎士サンダルディアは本当に大丈夫なんですか?」
「大丈夫だよ、きっと。彼は特異体質だそうだから」
王には試合の様子は見えているのだろうか。その煌めくサファイアのような瞳を黒煙から離すことなく、静かに返してくる。
「リネイセルはね、魔力が殆どない代わりに他者の魔力に対して一定の耐性があるみたい。ま、詳しいことは僕にも教えてくれないんだけどね」
黒煙が刹那途切れ、中からリネイセルの姿が現れる。煌めく髪をひらめかせながら素早くギルノールに駆けよると、その勢いのまま果敢に斬り込んでいく。それを受けるギルノールの身を包む炎が一層大きくなり、すぐにリネイセルの姿も包み込んでまた見えなくなった。
「いずれにせよ、ここで僕たちがいくら言ったところで、できることはなにもない。これは彼らの試合であって、僕たちに口を挟む権利はないんだ」
そう言ったきり、口を噤んでしまった王から試合の様子に目を戻す。しばらく爆発音と黒煙は鳴り止まず、試合の様子は膠着しているかのように見えた。長いような短いような緊張の時間は容赦なく続き、やきもきする心ばかりが磨り減っていく。
そのうちようやく続いていた爆発音が途切れ、黒煙が薄れてきて戦う二人の姿が顕著になってきた。
重い音を響かせて一撃一撃打ち込んでいくギルノール。それを受け止めているリネイセルの表情は珍しく歪んでいる。
その左腕の様子に思わず息を呑んだ。
――ギルノールの炎が、彼を焼き尽くそうとその腕の上でうねり盛っている。
「うそっ……!」
あまりの衝撃に口元を抑えて呻く。一瞬にして血の気が引き、遠くなりかけた意識をなんとか気力で引き戻した。
「止めましょう! 腕が、腕が焼け落ちてしまう!」
駆け寄ろうとした私を王の力強い腕が引き止める。
「駄目だよ」
「だってっ……」
「お願いだから、リネイセルのことを信じて。見守ってあげて」
王の腕をなんとか引き剥がそうとするも、彫刻のような肉体はびくともしない。
「そんなっ、なんてこと……!」
「彼が色無しでありながらこのカレナリエル杯に出ると決めた、その覚悟を台無しにしないで」
王の強い言葉に全身から力が抜けていく。潤みそうになる目を見開き、口元を抑え漏れそうになる嗚咽をこらえながら、歯を食いしばってリネイセルを見つめる。
ギルノールは続けざまに何度もリネイセルへと打ち込む。それをなんとか凌いだ彼は一旦引くと、燃える左腕を無理矢理動かして両腕で剣を構えた。ギルノールもそれを受けて腰を落として構えをとる。両者の視線が交錯したあと、同時にお互いに向かって一直線に駆け出していく。渦巻く炎が剣に収束され、リネイセル目掛けてまっすぐに突き進んでいった。
私の目には捉えられないほどの刹那の瞬間だった。
交わった二つの剣は凄まじい力で激突し、反動で弾かれた切先はその瞬間――ギルノールの首元寸前に突きつけられていた。
「勝者、騎士サンダルディア!」
会場のざわめきなど気にもせず、私は一目散にリネイセルへと駆け寄った。彼は勝ったにも関わらず、ふらりとよろけて左腕を抑えながら蹲ってしまう。
その姿にただ無我夢中で駆け寄っていた。手当なんかできるはずもない、何の役にも立たない自分がいたところでどうにかなるわけでもない。それでもそんなこと吹っ飛ぶくらいには動揺していたから、民衆の眼前であることも忘れて私はリネイセルのそばに駆け込んでいた。
「腕がっ……!」
焼け爛れた左腕を目にしてしまっては、もう駄目だった。決壊した涙腺が意味もない涙を次々と生産しては零していく。
「あ、あ……そんな……」
「黒姫様、泣かないでください」
苦しい呼吸の合間に、リネイセルはそう呟いた。
「あなたに無事勝利を捧げることが出来ました。どうかご安心ください」
涙も嗚咽も止まらない。
私はなんてことをしでかしてしまったのだろう。こんなことになるくらいなら、大人しくギルノールの言うことを聞いておけばよかった。
リネイセルを危険にさらしてしまうことに比べれば、私の感情一つなどどうでもよかったのだ。なのになんで、なんであんな我儘を彼に言ってしまったのだろう。
「ごめんなさい……ごめんなさいっ!」
零れた涙がリネイセルの左腕にかかって、ジュウッと嫌な音を立てる。その痛みに彼が顔を顰めた。慌てて離れようとして、後ろから止められるように背を抑えられた。
「いや、黒姫……その涙、もっと流してくれないかな」
私の背を止めたのは、真剣な顔をした王だった。
「こんなときになにを……!」
「いいから、リネイセルを助けられるかもしれないんだから。ほら、早く」
妙な威厳を込められた眼差しに強制され、リネイセルの方に身を寄せる。すぐに頬を流れ落ちていった数滴がリネイセルの腕にかかり、ジュウジュウと嫌な音を立てて蒸発していった。
「……っ!」
言葉なく息を呑んだリネイセルに、咄嗟に体を退けるも、容赦ない王の檄が飛んでくる。
「黒姫、止めないで」
苦しんでいるリネイセルをこれ以上痛めつけろと?
冷徹な王の促しに私は混乱のままに号泣する。
こんな苦行、いつまで続けたらいいんだ。
リネイセルを助けられるかもしれないんだから。
王の放ったその一言に縋り付くために、私は勝って尚苦しむリネイセルを更に痛めつけている。
蹲って呻く彼にひたすら謝り続けるしかなかった。
すっかり目も腫れ上がって、早くこのみっともない顔をどうにか隠したかった私は、俯きながら「もういいでしょう」と王に許可を求めた。何故王が私の涙が必要だと言ったのか、途中から魔力のことなど何も分からない私でも事情が飲み込めてきた。
私の涙が焼いた痕から、筋肉組織や綺麗な皮膚が再生している。
理解した瞬間からとにかく泣いた。ジュウジュウと嫌な音が続こうとも、リネイセルが痛みに顔を顰めようとも、彼を助けたい一心で決死の形相で涙を流した。
おかげでこれ以降の人生ではもう泣けないだろうというほど涙は枯れ、顔はパンパンで声もガラガラだ。
「ほかに怪我をしているところはありませんか」
両手で顔を覆いながらそう尋ねると、「もう大丈夫みたい」と代わりに王が答えてくれる。
「泣き終わったあとに申し訳ないんだけどさ、あとはカレナリエルの乙女の口づけ、なんだけど」
「……この顔でですか?」
悪いけど、一刻も早くリネイセルの前から立ち去りたい。複雑な乙女心としてはみっともない面はできるだけ見られたくない。ましてやこの顔で口づけだなんて……恐ろしくて考えたくもない。
「まずは騎士サンダルディアの手当が最優先では」
「君の口づけがないとカレナリエル杯が終わらないから。ほら、みんなも待ってるし、さっさとしちゃってよ」
王に立つように促されて、渋々顔を隠していた手を離し、座りこんでいるリネイセルの方を見る。彼は片膝をついて跪くと見上げてきた。
今からリネイセルに口づけをする。
そう考えるだけで頬に熱が集まってくる。
「あの……」
急にもじもじと躊躇い出した私に、王が白けた視線を送る。
「どこでもいいから早くしてよ。終わらせないと先に進まないんだから」
その言葉に慌ててリネイセルの額に口づけを落とす。
「え……?」
見下ろしたリネイセルの目はまんまるに見開かれていて、こんなときなのにその透き通った翠の目が見惚れる程に美しくて、本当に自分は彼のことが好きなのだと再認識する。
「どこでもいいとは言ったけど、額にする人は初めてだなぁ」
「……?」
「きっと知らなかったんだろうけどさ、君、額への口づけは“愛の囁き”だよ」
「……!」
ぼっと頭が燃え上がる音がした。ばっと立ち上がって後退る私を、しんとした会場全体の視線が追いかけてくる。頭が真っ白になった瞬間、私は逃げ出していた。
気づいたら、自分の部屋にいた。どうやって戻ってきたのか、記憶にない。
「うわぁ……やってしまった……」
部屋には誰もいない。私の魔力がこもった部屋にはみんな長時間は居られないので、起床時や食事など用があるとき以外は私がベルで呼ばない限り、誰も部屋の中には入ってこない。それをいいことに、私は羞恥に思う存分のたうち回った。
「やってしまった……やってしまった!」
だって知らなかったのだ。
元の世界でも確かに口づけする場所に意味があるなんて、聞いたことがあった気がするけど……でもまさかこの世界でも口づけの部位にいちいち意味があるなんて、そんなの分かるわけないじゃないか。そんなこと、誰も一言も教えてくれなかった。だったら私はどこに口づければよかったのか。手か、手の甲か。それとも指か。いや衣服か。そんなこと今思いついたってもう遅い。
「よりによって、みんなの前で……」
明日からどんな顔をしてリネイセルに会えばいいのだろう。そう考えて、私は負傷したリネイセルをそのままに置いてきてしまったことに気づいた。慌ててベルを鳴らしてメイヤさんを呼ぶ。
「御用でしょうか」
すぐにやってきた優秀な侍女は、口ごもる私に顔色を変えることなくリネイセルの容態を教えてくれた。
彼の治療は既に終わり、左腕の機能は問題ない。今は自室で療養していると、そこまで話してメイヤさんは軽く咳払いした。
「ところで黒姫様、面会の申し出を受けておりますが。まずは陛下、それからアシュリー様、アシュロム様からも言伝を承っております」
「……今日はその、体調が優れないので、と……」
「ではそのようにお伝えしておきましょう」
去っていくメイヤさんの後ろ姿を尻目に、クッションで顔を覆う。
分かっている。面会を後回しにしたってなんの解決にもならないことは。明日は三者三様それぞれに言いたいことを言ってくるのだろう。それでも今だけは少し放っておいてほしい。
今は頭の中はもう、リネイセルのことでいっぱいいっぱいだ。他の人が入ってくる余地などない。
ソファに横になったまま、そっと目を閉じる。まぶたの裏にリネイセルの透き通った静謐な湖のような翠の瞳を思い浮かべた。