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指先の六畳間

 気づけば朝になっていた。とはいっても気絶していたとかではなく、そのまま周りの時間だけが経過した感覚である。ザザザと朝を告げる配管蟲の足音が耳に障った。


 青年は掴んでいた拳銃をホルスターにしまうと、鉄パイプ製のベッドに腰掛け、関節の熱をもみほぐす。


 その手が腰元にくると、挿していた短刀の柄に触れる。その時微かに髪の毛が触れたような気がして、手首を見るが、何も無かった。柄を見ると丁度正面を向いた目貫飾りのおたふくと目が合い、


〝すみません〟


 と無い眉を下げられたような錯覚に陥る。


 とにかく一日の始まりである。帰ったばかりでも、一睡もしていなくても、朝は朝。少年には仕事があり、そのための朝食じゅんびをする必要があった。


 部屋を出ると、深夜営業のまま朝を迎えたひーママが、


「あんた、死にそうな顔してるよ」


 と声をかけてくる。背中を小さく丸めたおっさんが並ぶカウンターには、歳月にさらされてカスカスに干からびた頭髪を金色に染めた老女がいた。ひーママのさらにママであるモモちゃんだ。


「早くしないと全部食われちまうよ」


 とぶっきらぼうな声をかける。片手を上げて答えると、あったかいタオルを投げつけ、


「湿気った顔してると疫病神にとりつかれるよ!」


 と怒鳴られた。言葉の荒さに反して、清涼感のある香りのタオルは優しく疲れを包む。


 昨日からの汚れを拭き取りながら、所々表面の剥がれた赤いテーブルに向かう。そこにはチャイナ服に身を包んだ寧々(ねね)と、居候の腹出はらだ大男でかおが鍋から直接何かを食べていた。


「おはよ〜」


 と明るく箸を上げる寧々と、目線だけを上げて、決して飯から口元を離さないデカ男。通りがかりに茶碗を取ると、おひつにこびりついた雑穀をかき集めた。


「ごめん、食べ過ぎちゃった」


 と謝るデカ男に、


「あやまるなら食べるな、食べたなら謝るな」


 と咀嚼物を飛ばしながら注意する寧々。その飛んできたものを美味そうに受け止めるデカ男に顔をしかめると、二人の隣に腰かける。


 鍋の具は……細かくなった魚の身と、溶けかけの野菜類、それに太い蟲が一匹、出汁を出し過ぎてパサパサの多足を浸している。干し蟲鍋か、とオタマに一杯汁をよそうと、雑穀の上に注いだ。蟲から出た脂が紫の水玉模様を作るなか、熱いうちに一口すする。


 滞留する紫が濃いところに味が収束されて、たまにある魚肉が崩れる。美味い、やはりここの食べ物は美味いなぁ。残りの汁をゾゾゾと飲み込んで、テーブルにある冷茶を飲んだ。


「私の〜」


 と取り上げようとする寧々を横目に、半分ほどのつもりが飲み干してしまう。よっぽどのどが渇いていたのか、三級茶が特級の茶葉のように甘露だった。


 殴りかかる寧々の顔を押しのけながら、急須のお茶を注ぎ入れる。


「すまんすまん」


 と急須を押し付けると、強く肩を殴られて、それを見たデカ男が下品な笑いをあげた。


 正直ほっとする。これからまた出勤しなくてはならないが、休みなどない戦場に比べれば、市街地の完徹などへでもない。と、自分に言い聞かせようとしたところで、ももちゃんが、


「御の字のやつは鳥撃ちで疲れたから、今日は昼から営業だっていってたよ」


 と、店長からの伝言を伝えてくれた。なんだ、急に眠気が襲ってきたぞ。


「ありがとうももちゃん、じゃあひと眠りするか」


 と残りの汁をかっ込んでカウンターにお椀を置く。


「なんだよ起きたばかりのくせに」


 と責める寧々の声を背中に聞き流して歩くと、


「何かあったら遠慮なく言いな」


 と眼光鋭いももちゃんが声をかけた。意表を突かれた青年は一瞬動きを止めると、相談すべきかどうか、思考してから、


「何かあったら」


 と答え、出たばかりの部屋に戻っていった。






 〝指先の六畳間〟という言葉がある。戦場で苦楽を共にした男の子が人差し指を上げながらこう言うのだ。


「人差し指の先が光ってるだろ?」


 見れば向かいの警戒灯の光が、平常時の青に反射していた。その薄月型を二人で見ていると、


「夜と光の間は何だ?」


 と男の子が言った。青く闇に溶ける光と夜の間には、目の錯覚のようなブレがある。


「輪郭?」


 と問えば、半眼の男の子が、


「歪みだ」


 と指を曲げた。歪んだ光が曲線から爪先の角になる。


「ずっと見てるとな、俺の家になるんだ」


 そう言った男の子の目には、生まれ育った生家が見えていたのだろうか? そいつは翌日の迫撃砲戦で腹を失って死亡した。


 あの時が不意に蘇る。その顔に締め切った部屋の隙間から光が射し込んだ。


 それを指に捉える。あの子には見えた指先の六畳間……だが生家を持たない青年にとって、それはただの光だった。


 光の中で指紋の溝が淡い模様を作る。その様を眺めながら、幻想をも持ち得ない我が身を少しだけ悲しんだ青年は、睡魔という救いに落ちていった。

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