バナナ猫
「そりゃやばい事になったね。店長も知ってるのかい?」
日々子ママが無い眉をひそめる。
「龍の事は店長も、百子ママも知ってます」
青年が残り汁をすすると、日々子ママは軽く息を吐いた。
「は〜、お母ちゃんも関わっているのかい? そりゃあお気の毒様。命がいくつあっても足りないね」
たしかに、こんな事が続いたら命がいくつあっても足りないかもしれない。
穴の空いた服の下で、ピンク色の肉が疼く。
だが、青年が思うほど怪我はひどく無かった。それどころか、完全に折れていた鎖骨が治っている。こんな事があるのだろうか?
青年が相談すると、日々子ママは、
「何かに化かされているのかも知れないよ。折れた骨がすぐに治るなんて、聞いた事も無い……いや、裏公園ならそんな事もあるかも知れないね。あそこも異世界の一種さ。そのがっこうってのも、どこかで裏公園に繋がっているのかもね」
日々子ママが大事なことを言っているのは分かっているが、そろそろ青年は限界だった。
白酒にトロンとなった目に、日々子ママの手が伸びる。
青年がジャラ銭をママの手のひらに乗せると、
「今夜は上に泊まりな。二人がいるから静かにね」
と言ってくれた。
上の階は日々子ママの娘である寧々と腹出デカ男が住んでいる。
デカ男のイビキはうるさいが、その分ベッド代はお安くなっている。
金をしまうママに客が入った。
「早く酒ださねえと死ぬぞ」
どこかで聞いた声だったが、うわの空の青年はフラフラと奥に向かった。
狭く急な階段を上がると、壁越しに大イビキが聞こえてくる。
うるさいのだが、同時に日常に戻れた実感が湧いてきた。
扉を開けた青年は、寝床に誘われ靴のまま倒れ込んだ。
#######
「居なくなったって、バナナちゃんがかい?」
日々子ママが驚く。主人の側を片時も離れない猫だった。
「何度も言わせるな。死ぬぞ」
解体屋の元締めは、幾分弱気な声で返す。
今朝から姿を見せないバナナ猫が心配で、仕事をおいて探し回った。それでも痕跡すら見つけられず、日々子ママに知恵を借りに来たのだ。
「たしかに、ここ最近猫が居なくなってるわね。猫又も血眼になって探しているよ。恨猫観光協会からも依頼があってさ」
二階を指さす。探索屋をやっている寧々と腹出デカ男が一日中かけて探しても、何の痕跡も見つけられなかった。
「じゃあな、何か分かったら解体屋に知らせろ。報酬ははずむ。何もわからなかったら、死ぬぞ」
銭の音まで湿っぽい。解体屋のゲロさんの後ろ姿は、一回り小さく見えた。
#######
翌朝、水場に来た青年は、血液のこびりついた衣服を剥ぎ取って、体を拭った。
丁寧に血を拭い取ると、傷口は意外に小さい。瘡蓋も無く、ピンク色の肉が艶やかに盛り上がっている。
拭うたびに痒いような引き攣れがあった。
時間をかけて綺麗にすると、薄皮一枚脱いだ気になる。
予備のズボンは少しカビ臭い軍服だ。少年時代の軍装で、少し丈が足らないのを、編み上げ式の軍靴で誤魔化す。
半袖のシャツにホルスターを締めると、弾薬の無い呪弾達がカチャカチャと催促した。
「分かったよ、また店長に弾薬を詰めてもらうから、焦らないで下さい」
青年は革製のホルスターを撫でて機嫌を伺う。弾倉からはジャラリと不機嫌そうな音が鳴った。
戦場で使っていたジャケットを羽織ると、腰に脇差を履く。
完全武装の青年に、
「おや、戦争にでも行く気かい?」
日々子ママが冷やかすのを手ではらう。
青年に朝ごはん用のお椀が出された。
「それ食いながらで良いよ、ちょっと相談があるんだ」
珍しく柔らかな対応だ。こういう時は何か頼まれる事が多い。
良くない知らせに心を構えながら、茶粥をお椀にすくい、惣菜を物色する。
大きめの皿に積み上げられた、牙虫の唐揚げを粥の上に落とした。
一口齧ると、酸化した脂が舌にまとわりつく。
ギトギトになった口を茶粥で流し込んだ。
「やけに重い朝食だな」
牙虫には、強壮剤の成分が含まれている。血の巡りがはやくなった。
「何言ってんだい?お前たち労働者は虫食って、気合い入れて働きな!」
日々子ママは口調の厳しさとは裏腹に、母ちゃんのように面倒見が良い。
「で、ものは相談だ」
強かな母ちゃんは、青年にグイッと近づくと、
「バナナ猫の探索に手を貸しな」
有無を言わせぬ物言いで迫った。




