望んでいない場所
線が生まれる。青い世界を濃紺色が切り取る。
その中で青年は、スローモーションのようにしか動けない。最短距離で拳銃を抜こうとするが、折れた鎖骨の痛みが力を奪った。
線は長方形を描き、門となった。
その向こうには、鐘の音と共に、一斉に湧き出す気配がある。
ぎこちなく拳銃を抜く。左手の中のそれは、いつに無く重く、よそよそしい。指が上手く動かない。
陽炎のような建物が、門の向こうに明確化する。
線画のそれは、沢山の窓を持つ〝がっこう〟と言うものだろう。シルクハットがそれを肯定する……いつの間にか帽子と意思疎通できるようになったようだ。
攫われた猫達もそこに居るのだろうか? そこは敵の本拠地なのだろうか? この場合の敵とは何なのか? それは少なくとも、現時点での自分の敵ではないはずだが……
取り止めのない思考の中、半引きの引き金、人差し指でシリンダーの溝を測る。程よいタイミングでガチリと引き金を起こす。
バレルに向かったそれは、店主から渡された鳥弾の中でも、かなりのレア物だった。
こめられた弾薬は、並の拳銃を破壊する類のものである。
青年の持つ古くて重くて頑丈な銃でなければ、まともに弾すら飛ばないだろう。
それを利き手と逆、それも片手で構える。まともに当たるとは思っていない。
それでも〝がっこう〟に打ち込まねば、怪我をした状態での接近戦は自殺行為だ。
門の真ん中、ちょうど建物でいう三階正面の窓に向けて、照準を合わせる。
鳥弾が放たれようとして、意識を集中させる。
引き金は羽のように軽い。呼吸も凪いでいる。なけなしの集中力で、引き金に触れる。
瞬間、濃厚な気配が周囲に生まれた。自分と同年代くらいの若者達、ざわざわと会話のようなものを交わす群れの中に、青年は立っていた。
引き金がそういう形で作られた置物のように動かなくなった。
いや、指一本動かす事ができないのだ。
遠くで鐘の音が鳴る。ざわめきは一瞬で消え、青年の周りは、青の線で区切られた者達で埋め尽くされた。
急に拳銃を持っている事に、罪悪感が生まれる。
望んでもいない場所で、その者達にとっての異物を構えた青年は、銃を隠したくなる衝動に駆られた。
何故かは分からない。
既に飲み込まれたのだ。学校という異世界に飲み込まれ、その真ん中で、場違い感に苛まれている。
学校の中に居る。もはや撃つべきものは無く、一ミリも体を動かせない自分が居る。
号令の元、周囲の気配が一つに集まる。
軍隊では流れに逆らうものは処罰される。その経験則が青年に刺さった。
グウッとうめき声をあげる青年は、お腹の痛みに膝を屈する。
シルクハットが優しく示唆した。そこにある何かに座り、皆んなと同じように一点を見つめるべきだという強烈な暗示が支配する。
青年は鳥弾の凶暴な衝動を抑えるのに必死だった。
もはや撃つべきものは無い。この空間に馴染まなくては生きていけないという暗示にかかると、左手の力が急速に抜けて、拳銃を取り落としそうになる。
不機嫌な鳥弾は不甲斐ない持ち主に対して圧を放った。
訳が分からない中で、ガチガチと金属の噛み合う音が聞こえた。
まるで巨大な装置の内部に居るようだ。
「ガチン、ガチン」
金属の擦れる音が聞こえる。
「ガチン、ガチン」
音は大きくなって、青年を飲み込んだ。




