恨猫の爪女
灰褐色の目抜き通りを抜けて、少し坂を上がると、化学薬品のもやの向こうに、赤抜きの看板が目に飛び込んでくる。
陰鬱な街を、派手派手しい電飾が「恨猫観光協会」と、くり抜いていた。
平装乙型建造物のデラックスな門扉を潜ると、そこにはありとあらゆる色が煌めき、どの部屋からも旨そうな海産物の匂いが、女達の甘い吐息が排気されていた。
そんな通路の裏に回りこみ、いくつかの闇道を通り抜けた地下3階。
青年は、闇に双眸がギラつく、武装甲型猫舎にたどり着く。
受付の爪女は、来訪者を見るとはなしに無言だった。
「すみません、猫又に呼ばれた……」
青年の声を遮って、
「3のイ」
無愛想に行き先をつげ、手札遊びの束を置く。爪女は青年の腰元を指して、
「そいつはここ、脇の拳銃も入れて」
と言って、足で段ボールを押しつける。
青年は言われるがままに、脇差と拳銃を置くと、爪女は眉間にシワをよせ、感染するかのように防呪シートをかけた。
代わりにボロボロで便臭い荷物札を投げつけ、再び定位置に座ると、手札遊びを続ける。
四角く並べられたそれは、出た札絵で吉凶を占う遊びのようだ。
気を取り直して札を拾い、通路沿いを進む。どうやら3とは上下左右の上を差すらしく、イは一番奥を指すらしい。
嫌な視線が注がれる。丸腰の青年は、多分それらになす術もなく命を奪われるだろう。
そうされないのは、それらが血で汚れるのを避けたのか、青年に体を動かすほどの価値も無いからか?
だが、どの世界にも、弱いものの匂いに敏感な者は居るものだ。
汗が滲む、親指の爪を人差し指の腹に埋めながら、最悪の事態を想定する。
暴力が迫る。他人のテリトリーで、先に手を出す訳にはいかない。
一発やられる覚悟を決めたところで、
「おい、こいつを呼んだのは俺だ、手ェ出すんじゃねぇ」
闇に黒ハットが浮かんだ。青年は初めて、そこに猫又が居ると気付いた。
独特な雄香がする、匂いすら隠せるのなら、その気になればいつでも青年を殺せるのだろう。
青年は臭い札を見せると、
「脅かすために呼んだわけじゃないでしょう?」
と呟いた。青年が話している間に、暴力の気配が遠ざかる。空間を巨大な影が移動したように感じた。
「ここはぶっそうだ。せいめいを失いたくないなら、早く入んな」
猫又はぞんざいに告げると、3のイ号室に消えた。
猫又は趣味が悪い。
剥製コレクションが並ぶ、広々とした部屋で、困り猿の剥製椅子に座った猫又は、無言で青年を見続けた。
猫又の背後には、岩鱗に覆われたシャチホコが鎮座している。
それら全てに深い爪痕が刻まれていた。猫又の獲物コレクションだろうか?
猫又がカチカチと爪を擦り合わせる。人差し指には肉がなく、白骨化した鍵爪が鈍く艶めく。
この爪で切り裂かれた者は、魂を削ぎ落とされていく、らしい。
半ば都市伝説と化しているが、あながち嘘とも言えない。猫又の白爪には、それだけの迫力があった。
「それで、用って何でしょうか?」
沈黙に耐えかねた青年が尋ねる。避けられていたのに、呼び出される意味が分からない。
「最近どうもおかしい」
猫又はシルクハットの角度を直し始めた。
「何がおかしいんです?」
青年の質問に、大分間を開けた猫又は、「ホウ」と息を吐いて、
「学校の気配が変わった」
と呟いた。
「がっこう? それは一体何なんです?」
青年はどこか懐かしいような、しかし耳馴染みの無い言葉に惹かれる。
「行方不明猫増加」
猫又は呟きながら青年を見る。猫又のつぶらな眼は、吸い込まれるように青かった。
「お前にこれが取り憑いてから、ここいらも物騒になった」
何のことか薄っすらと分かる。だが、猫との因果関係は全く不明だ。
猫又は脇差と拳銃を青年に返した。それを不可解に思いながらも、返してもらえるならばと身につける。
「血刀にそんな力があるのですかね?」
青年は本音を吐露する。血刀の力をもって、たまたま龍を仕留めた。だが、周囲に影響を及ぼすほどの力を持っているとも思えない。
「見てほしいものがある」
と言って、猫又は奥に消える。付いて来いという事だろう。青年の頭に、水滴が落ちる。
粘度と臭さから、さっき消えた何者かが上に居ると察知した。
無視を決め込んだ青年は、足早に猫又の後について行った。




