ある日の伯爵たち
――春の陽気に誘われたのか、娘の婚約者であるオズウェルが我が家に作った花壇(畑により近いが伯爵家だから花壇と呼んでいる)の花々が咲き誇り、美しい蝶がひらひらと見えない風の道を泳ぐ。
美しい光景に目をほそめ、娘婿の趣味の良さに満足しながら花壇を見渡す。
しかし、和やかな空気は一瞬で凍り付く。伯爵は小さく声を漏らしながら、自然と後じさっていた。
「うっ……アレは……忘れよう、私は何も見なかった。見なかった」
彼の視線の先にあるのは、片隅に特別感を煽るように手厚く囲われ、さらにその一画だけプラントマーカーに『滋養強壮』の文字が記された薬草。青々と生い茂り風に揺られ、もちろん蝶も近づいていたけれど、伯爵はそっと視線を逸らし屋敷の中へと戻っていった。
「お父様! こちらにいらしたのね、大変なんです!!」
淑女としては失格ではあるが、屋敷に入るなり血相を変えて近づいてくる娘を両手を広げ迎え入れた。
「どうかしたのか!? ま、まさか、あの変わり者の婿に何かされたのか……!? 夜、部屋に侵入されただとか、昼間学院で休憩室に連れ込まれただとか、夕方私の目を盗んで街に連れて行かれ――」
「お父様! しっかりしてください!!」
気付けば立場が逆転していたことに気がつき、ケイトゥ伯爵は神妙な顔をして頷く。娘のアシュレイも自分の行動に思い至ったのか、恥じ入るような笑顔を浮かべ粛粛と頭を下げる。
「ごめんなさい、そもそもわたしの行動が招いたことでした。けれど、どれもこれも具体的すぎて、聞いているわたしが辛いです」
娘は父である伯爵の言葉を全て理解している。この年頃の夢見がちなところがないのは、伯爵位を譲り受けるための教育の賜物だろう。しかし、この時ばかりはよろしくなかった。
「す、すまなかった。少し……いや、大分おかしなものを見てしまい、気が動転していたんだ」
動転、と疑問を首を傾げながら声に乗せるけれど、伯爵はなんでもないと横にふるだけで話を切り上げる。
「それで何があったんだい?」
「そ、それが、大変なんです」
娘の瞳に恐怖心が浮かんでいる。
何を言われるのか固唾を飲み見守る伯爵にアシュレイはハッキリとした口調で告げた。
「……オズったら、自分が変わってるって自覚がないの!」
「な……、なん、だと……――」
この日、ケイトゥ伯爵が所持するタウンハウスに悲鳴が上がり、医者がすぐに手配された。
◇◇◇
「義父上、まだ召されるには早すぎます」
誰のせいだと思っている、と恨み節の視線を義理の息子になる予定の男に向ける。
「彼女が無事に出産を終えた後でなけえれば。それまではなんとしてでも、生きながらえてください」
「……どういう意味だ」
「冗談ですよ。僕にとって父と思えるのはあなただけ。できれば、ひ孫の顔まで見て大往生をして頂きたい」
伯爵もオズウェルの言葉の意味はきちんと理解している。
このやりとりはふたりの間のお約束のようなものだった。
何度も父ではないと言っても“父”と呼ぶことや、伯爵の死を望むような言葉も。
こんな関係になるまでに様々なことがあった。何度か拳骨を頭に振り下ろしたこともある。
「心の乱れと聞きましたが何があったんです? 僕にできることでしたら、心配ごとを無くしますが」
原因は全てお前だ、と叫びたいのをぐっとこらえ別の質問をする。
「君はとても変わっているよね?」
頼む、頷いてくれと願うような必死さを瞳に込め手いたが、目の前の男の基準は全てアシュレイに注がれている。伯爵の懇願に気付いても無意識のうちにスルーするだろう。というか、実際した。
「さあ、どうでしょう。僕自身、変わっていると感じたことがありません。他の方と同じですよ」
「…………」
ため息をなんとか飲み込み、別のことを質問する。
サイドテーブルをベッド脇に移動させ、部屋に入った時からずっとゴリゴリとすり鉢を使い擦っていた。
青々とした香り。
ほのかに香る土の匂いなど、嫌な予感しかしない。
「先ほどから、何をやっているんだ?」
「これですか? これは庭に植えた薬草を煎じたものです。義父上に飲んでいただこうかと思って」
「い、いらん! 私は大丈夫だから絶対に飲まないからな!!」
「駄目よ、お父様。オズの作る薬はとても効くのだから」
アシュレイも伯爵の部屋にいたようだ。手にもっているトレーの上には水が注がれたグラスが置かれている。
こうなってしまえば、娘を溺愛する伯爵に否定する術はない。
「お父様、ごめんなさい。わたしがあんな相談をしたから」
「い、いや、驚いただけで倒れるのは私の普段の行いが問題だい。アレについてだが、まあ、本人に自覚がないだけで……」
「迷惑はかけています」
「……否定はしないが」
「一体、なんの話をしているの?」
アシュレイは一瞬、父を見て次いでオズウェルを見やった。
彼女はきちんと話をすることにしたのだろう。
「オズ、あなたに前に訊いたと思うけど、変わっていると思うの。別にそれが悪いわけじゃないけど、認識しているのと認識していないのとでは周囲の人に及ぼす影響が違うと思って」
「そう、なの? でも、どの辺が違うのかな?」
「そうね……」
アシュレイは首を傾げながら考え始めた。
しかし、彼女の中に答えは見当たらなかったようだ。
「わたしはオズウェルが変わってると思ってるわ。でも……“普通”と“変”を区別することって、とても気持ち悪いことよね」
アシュレイは瞳を瞬きながらポツリと呟く。
伯爵も静かにその言葉に頷く。
そんな冷静なふたりに反し、オズウェルは花が咲いたような笑みが顔一面に広がる。
「あなたが予想外のことをして、ちょっと人より変な発言が多いだけだものね」
「違うよ」
オズウェルはアッサリとすり鉢から手を離し、アシュレイの手からトレーを取り上げサイドテーブルの上に置く。そしてもう片方の手は彼女の腰を抱き寄せていた。
「人よりも 君のことが好きなだけだ」
「オ、オズ!? 自分が何を言っているかわかってるのっ!?」
「もちろん。何かまずいことを言ったかな?」
「まずい、というか……やっぱりオズは変わってるわ!」
「どこが?」
「その、すぐに好きとか言ったり、わたしのことばかり見つめてきたり……」
「言葉にしないと伝わらないって知ったからね。視線は無意識だから許して? ……結婚式を挙げる日が待ち遠しいからかもしれない」
「……もう少しでしょう?」
そうだね、とオズウェルは嬉しそうに頬を緩め、アシュレイの横髪を掬う。
「きゃっ」
「髪が少しほつれていただけだよ? 何か期待したの?」
「ち、違うわよ! 少しびっくりしただけ……!」
気付けば、オズウェルが変だという話は消え、伯爵のために作られるはずの薬も中途半端なまま放置された。
何より、伯爵は思う。
――娘、それで絆されてしまうのか。
伯爵は二人の行く末が幸せでしかない気がするが、説に願うことがある。
――ここは私の寝室だ。頼むから余所でやってくれ。
二人は節度ある触れ合いだけとはいえ、聞いている側としては胃に穴が開くようなやり取りを永遠と続ける。
声を掛けるタイミングを見計らっているが、ふたりのやり取りはどこまでも清いものばかりで伯爵はキリキリと痛む胃をなだめる他なかった。
一時間空気となり、異変に気付いた執事が助けに入ったとか入らなかったとか……。