元執事の独白
私がケイトゥ伯爵家に仕えるようになって五十年以上の時間が過ぎている。その間に様々なことが起き、新たな一ページが刻まれようとしていた。
一人娘であられるアシュレイ様の婚約者――近々ご成婚されるが――がケイトゥ家へと屋敷に移ってくるのだ。
本来、式の後からというのが慣例ではあるが、未来の旦那様は少し……いや大分変わった方で先に住んでいただいた方がいいということになった。
というのも彼の方を迎えるにあたり問題が二点ほどあるからだ。
「――では、オズウェル様の要望を参考にさせていただきます」
「ええ、お願いします。ただ、本当は必要ないんですけどね」
「諦めてくださいませ」
オズウェル様の一言に呆れた声が出てしまう。これも長い付き合いだからだということで許していただきたい。
彼は侯爵家から婿養子になる際、誰一人として従者もメイドも連れてこない。土地や爵位といったものを与えられないとはいえ、持参金は幾ばくかあるだろうに自分のことは自分で出来るから必要ないと断られたそうだ。
侯爵家の子息という立場を考えればありえないこと。さらに幾ら婿として入るとはいえ、世話をする者は必要。そう何度も打ち合わせした執事がご説明したが、首を縦には振っていただけなかった。
「あなた様が聞き入れてくださならいから、老人が駆り出されたんですよ?」
この家の執事として過ごし、六十を過ぎていた。本来であれば屋敷を辞するところだったが天涯孤独の身であることを心配された主人とアシュレイ様とオズウェル様に説得され、一室借りて今も共に暮らしていた。
旦那様の相談相手という立場になっているが、今回は長い付き合いである私が呼ばれたというわけだ。私でも駄目な場合はお嬢様が説得されただろうが、あの方の手を煩わせることにならず良かったと安堵している。
そして今日、面接をする際、オズウェル様が求める条件を教えていただいたところだった。
「あはは、すみません」
「私がもう少し若ければ従者として傍に従ったんですが」
「ああ、それはいいですね。僕にできることがあればなんでも言ってください」
「あなたが、世話をしてどうするのです……」
やれやれ、と首を横に振る。
しかし今でも世話を受けているようなものなのだ。アシュレイ様に会いに来る彼は必ず私の下に挨拶をしに来て、手土産やご自分が面白いと感じた本を貸してくださる。時折、感想を語らう素晴らしい話し相手だった。
目の前の青年と出会ったのは十数年前。初めてお二人が顔を合わせる場でのことだ。凡庸でこちらが心配になるほどだったが杞憂に終わった。
ずっとずっとアシュレイ様とオズウェル様の成長を見守ってきた。
僭越とは思うけれど、孫のように感じていた。
その方がこうして移り住んでくる瞬間を見ることができ、そのお手伝いができることは言葉にできぬ幸せを感じる。
「けれど、僕のために働いてくれる人はいるんでしょうか」
「募集をかけるという噂が広がり、すでに十名以上の申し出をいただいておりますよ」
その中には現在、侯爵家で働いている者がいる。あの家で過ごした幼少期の影響のせいか、自己評価がとても低いのは変わらないままだ。
(本来ではれば気心が知れた者を雇うのも手だが)
「失礼、ここにオズウェルがいると聞いたのだけど」
さて、どうしたものかと悩んでいるとアシュレイ様が応接間にやってきた。
恐らくもう一つの問題を片付けるためだろう。
「レイ!」
今にも抱きしめんばかりの勢いで立ち上がり、お嬢様の下へと向かう。この場に私を始めメイドも控えているというのに、腰に腕を回しさっと抱き寄せる動作に迷いはない。
「ちょ、ちょっと……!」
「僕に用事なんでしょう。何かな」
「その前に近すぎだと思うの。この手を離して」
「嫌だよ」
「オズ」
「駄目。それで用事って何?」
「っ」
いつものこととはいえ、お嬢様も諦めが悪い。
尻に敷かれると外では言われているが、お嬢様はオズウェル様の押しに弱い。非常に。質の悪いことにオズウェル様もきちんと理解されているため、お嬢様は男女の関係に関して勝つことはないだろう。
まあ本気で怒らせれば話は別だが。
「あ、あなたの服が届いたの。問題ないか確認してくれる?」
「もちろんだよ」
お二人が応接間から退出されていく。静かに頭を下げ見送りながらもう一つの問題点を思い浮かべた。そちらも滞りなく解消されそうで安堵しつつも、足らない物が必ず出てくる。その時の対処に頭を巡らせた。
というのもオズウェル様はご結婚の日取りを決めた際、こう告げられたのだ。
「僕は侯爵家から何一つ持ってくる物はありません」と。
使い慣れた机や服など、思い出の品をどうしまうかなど相談していた時のことだったと聞く。彼はその一つもこのケイトゥ伯爵家に持ち運ばないと言うのだ。
必要なものが出てきたら自分で買うと最後に付け足し。
それはこの屋敷に住む者なら気付くことだ。オズウェル様の優しさなのだと。
アシュレイ様は母親との思い出を守るために伯爵位を継ぐ努力をされてきた。親戚の者たちからの嫉妬や圧力、嫌味諸々をはね除け日々過ごしてこられた。
その思いに応えるため、奥様が健在だった頃の幸せだった日々が壊れないよう、我々は丁寧に屋敷を磨き上げてきた。
それを何一つ壊さず、別の家のものを持ち込もうともしない。
やりすぎ、と言えばそれまでだ。
しかし、ケイトゥ伯爵家は伯爵と奥様がゼロ作り上げた場だった。彼はそれを知り、理解し、示してくれた。そのことが何よりも嬉しい。
それを思えば衣装を作ることや従者を増やす手間など厭う者はいない。
が、有意義に生活をしてもらうためには必要なものが圧倒的に足らない。そのため、慣例とは違う形で過ごしていただき、婚礼までの時間を準備する時間にあてるのだ。
住む必要はないという訴えは黙殺されたことは記憶の彼方へと追いやる。
あと数年で私の命は天に召されるはずだ。
憂えは何もない。
そんな私の願いはお二人の子供を腕に抱きたいというものだったが、こればかりはわからないが。