ケイトゥ現伯爵視点
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娘からデビュタントを三日後に控えた夜、話があると神妙な顔をして申し出があった。
頭のネジが十本以上、抜け落ちた婿がついにやらかしたかと思いすぐさま時間を作った。
「ねえ、オズウェルとの婚約を破棄したほうがいいと思うの。あの人の努力は報われるべきではない?」
娘の相談内容は至極全うなものだった。これが普通の人間相手、ならばだが。
「彼は絶対に破棄はしないと思うよ」
「約束を気にしてのことでしょう? わたしからは言えないけど、お父様から……」
「はははははは」
冗談は止めてくれ。
秒殺されてしまう。
レイの不安をどう取り除けばいいのか分からず、私は繰り返し破棄を望む日はないだろうと告げ休ませることにした。
なぜここまで確信を持つことができるか。それは私も娘同様同じことを考えたからだ。
思い出すこと数年前。
オズウェルという青年の才が国に貢献するほど花開いたことを知り、今の娘と同じようにあの若者の将来を憂え、考えるようになっていた。
出会った当初は噂に聞いていた通り、凡庸な――それ以下とも言える――ような少年だった。
顔合わせの時の姿を見て情けなくなったものだ。
恥ずかしがるその様子は愛らしさがあるが、挨拶一つまともにできないようでは貴族の子弟としては認められない。だからこそ、アシュレイの婿に迎え入れる、と決めることができた。現侯爵が爵位を何一つ引き継がないことを条件に。
それは貴族の男にとって屈辱でしかないだろう。私も含め、自身よりも高位の者を除き、『仕えられる存在』と育てられるのだから。オズウェルも初めこそはそう育てられたはずなのだ。
爵位を持たないということは出仕することができない立場であり、領地もなく、何もないと同義で、自身で身を立てることもできない役立たずだった。
婿は身分ある女の顔色を伺い、彼女から『与えられる身分と金』で生きていく。それは男尊女卑という考えであることは分かっているが、女性が爵位を継ぐ数が極端に少ないことから、同一の認識を持ってしまっている。法が改訂されてから数十年経っているが、浸透していないのだろうし、これから変化が訪れるのかは不明だ。
ただ、どの家も男が生まれるとは限らない。
こういった時、爵位だけ女が引き継ぎ夫に領地経営を『任せる』のが一般的だ。それは『仕えている』のは女であると対外に示していた。
しかし、今回は違う。
アシュレイは領地を治めるため勉強をしている。それを自分に課した使命とすら思っている節があり、彼が『仕えられる立場』になることはないのだ。
そもそも彼を選んだのもそこにある。領地を治める才はない。
そのはずだった。
しかし、歳月を見れば彼は成長を遂げた。
だから惜しいと思うのだ。
貴族の子どもは成人するまでは親の庇護の元、貴族として証明されている。爵位を保有する男の妻になった者は公爵夫人というような肩書きが自然と付く。しかし、爵位を持っているわけではない。肩書きは身分を証明するものにはならない。
爵位を持たないオズウェルが出仕するには、娘から肩書きを借りる必要がある。オズウェルという青年が何を思うかは分からないが、気持ちがいいものではないだろう。本人は何も感じないとしても他の貴族が良い顔をしない。
爵位を保有する男からすれば、身分を自身の手で証明できない男は下位のさらに下、平民となんら変わらないのだ。
もちろん全ての貴族がそう見るわけではないが、元侯爵家の息子という身分高い者を見下すことは愉悦をもたらし、自尊心を満たすことだろう。
(私の爵位を譲ることができれば……)
だが、ケイトゥ伯爵家の爵位はケイトゥ家の血を引いていなければ譲ることはできない。それは法で定められた決まりだ。
せめて婚約誓約書に記載しなければよかった。
一切の爵位の保持を禁止、という一言を。
今から変更できるかもしれないが……。
(しかし、侯爵が持たせるとは思えないな)
何より、オズウェルが爵位を物ことを心の底から認めることができなかった。
今のままいけばアシュレイは領地経営を自らの手で行なう。その時、オズウェルは出仕し国に仕えることだろう。
王都とケイトゥ領は馬車で二日。馬を単騎で走らせれば一日で着くが、ふたりがすれ違うことは目に浮かぶ。結果、後継者が誕生しない確率が上がる。それでは意味がないのだ。
「なぜ、優秀であることを喜べないのだろう」
これはまずい……と思ったのは一度や二度ではない。誓約書に互いが好きでなければという一文があるために、いつ破棄されてもおかしくはない状況だった。
事実、彼は国に必要とされていた。多くの発見をし、国に益をもたらし、他国への脅威となった。そんな才能ある者ならさらに中枢へと進む階段を上りたくなるのは当然。
すぐにでも破棄されるのではないかと内心びくびくしながら過ごしていた。
その頃ちょうど、国王からのお召しがあり恐らく婿の話だろうと目算をつけていけば案の定だった。
「そなたから破棄をする考えがないか聞いてみてはくれないか?」
国は一度、娘の爵位継承を認め婚約者として彼を正式な書類で認めている。そのため、強く出ることができない。こうして打診してくるだけでも違反なのだ。しかし、国王の気持ちもわかる。あれを手放すのは惜しいのだろう。
「わかりました。それとなく聞いてみます」
「……申し訳ない。そなたの令嬢に見あう男がいれば私の名を使ってでも婚約させる」
「ありがたき申し出、感謝いたします」
仕方がないと何度自分に告げただろう。
しかし、最後はレイの悲しむ顔が浮かぶ。あの子は一度としてオズウェルとの婚約破棄を望んだことがない。それはそういうことなのだろう。
アシュレイに恨まれることも覚悟で私は提案した。
オズウェルは私の話を神妙な顔をして最後まで聞き、ようやっと口を開いた。
「…………お義父さんは僕の種馬としての能力に不安があるんですか?」
「……………………………は?」
空耳だろうか。
私は今彼にたしかこう言ったはずだ。「君の才能を埋もれさすのは惜しい。婚約を白紙に戻してはどうだ」と。それがどうしてあの単語が出てくるんだ? 彼はたしか国一番の天才とまで謳われている男だ。ただしく、私の言葉を理解しているはずなのに……。それにしても、いつから父呼ばわりするようになったんだろうな。あまりに後半の単語が不穏すぎて気付くのに遅れたが。
「不満があるのなら仰ってください。まだ結婚まで時間がありますから直します」
「い、いや、不満ではなくてだな。君の才能を考えると――」
「僕の才能? 僕の才能はまだ花開いていませんよ。ちゃんとレイそっくりな子どもを仕込めるか今から不安で仕方がありません。ただ、僕はどんな子どもでも愛せる自信があるので、その点は安心しているんですが。しかし、出産というものはとても女性の体に負担をかけるんですね。知れば知るほど恐ろしくなり、今から助産師の資格をとろうと思っているんです。ああ、でもその後からは僕の婿としての能力を問われる時ですよね。いくら素材がいいとはいえ、育て方を間違えれば将来レイの後継を任せられなくなってしまいます。ですが、その点はいくらか安心しているんです。孤児院で子どもの世話をしていますから、多少の我が儘には慣れています。しかし、一点だけ注意があるとすれば孤児院で育てているのは三歳ぐらいからの子どもなんです。知っていますか? 子どもというものは三歳ぐらいである程度、性格や体質が決まってしまうらしいのです。元気な子どもになって欲しいので食べ物には最新の注意を払わないといけません。ですから、伯爵邸の裏庭に菜園を作ることを許可いただきたく……――」
こいつ、何言ってんだ。
後半のほうはまったく言葉として耳に入ってこない。
慌てて濁流のような言葉を遮るため声を上げる。
「オ、オズウェルくん……君の気持ちはわかった。わかったから落ち着いてくれ」
「……すみません、つい不安が口から出てしまい。こんな僕では不安に思うのは当然です」
うん、なんか違う。
けど、もういいや。
触れたくない。
怖いよ君。
「えーと……とりあえず、破棄はしないということで。我が家の婿になってくれるんだね」
「はい、種馬としてのプライドにかけて、この家を繁栄させる子どもを育てあげてみせます」
ここはお礼を言ったほうがいいのか、馬鹿と言ったほうがいいのか分からない。曖昧に頷くのが一番だろうな。
「えーと……じゃあ、私は仕事があるから戻るとするよ」
「はい。お気を付けてお義父さん」
だからいつから父と呼ぶようにって何、見送りにきてるの。自然すぎて怖いし、ああでもこれが未来の姿なのか。しんみり思いながら屋敷を後にした。国王に知らせるために馬車に乗り、揺られること数十分。
「どうしてあの男、屋敷に居座ったんだ!? すぐに戻れー! レイの貞操の危機だ!!」
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国王との面会には遅刻したが大事な娘の危機は守れた。というよりも、オズウェルはその点の礼儀をことかくような男ではなかったのだ。いやはや、婿を信用できないとは、自らを恥じる気持ちで一杯だ。
そして事の顛末を赤裸々に伝えると国王はまったく信じてはくれなかった。むしろ私が手放したくないばかりに嘘を吐いているとすら思ったほどだ。
「では、ご自分で話を聞いてください。侯爵家の当主も恐らく許されるでしょう」
「そうか? お前が許すのであれば」
すぐさまオズウェルは登城することとなり、謁見の場に通された。
「…………は?」
おい不敬だぞ。
国王の言葉を聞いた第一声目がこれだった。
「だからな、一度婚約破棄をして国に仕えないか?」
「お断りします。私の才能はアシュレイの種に全て注ぎ、彼女との間にできた子どもに与えられるものです」
生真面目にそう語る表情を見れば、冗談など入っていない本心であることが分かる。こちら側としては少しぐらい照れてもいいだろうと思うわけだが、おかしいのだろうか。オズウェルという人間を見ていると常識というものが迷子になってしまう。
それは国王も同じようで、だらしなくも口を開けていた。
「……陛下、何かお言葉を」
気持ちは分かるが私としては居たたまれない。さっさと話し合いを終わらせ帰りたいのだ。そのため、魂が半分以上抜けた陛下に近づき耳打ちをし、失いかけたものを取り戻させた。
「だ、だが……」
「申し訳ございませんが、この後助産師の講義がありまして。手短にお願いしたいのです」
「…………。助産師?」
「ご存じありませんか? 赤ん坊を取り上げる方達のことです」
違う。
そういう意味ではない。
心の中で突っ込むことしかできない我が身が憎い。
「……なぜ、また。医者の道を進むのか……?」
「ああ、そうですね。子どもと大人では看病の仕方が違うと聞いていますので、将来的には小児医療の勉強も必要でしょう」
「オズウェルは子どもが……好きなのだな」
「ええ、アシュレイ嬢との間にできた子どもと、ケイトゥ伯爵領の子どもは特別です」
「…………この国の子ども、というわけか」
「まあ、大きな規模で言えばそういえますね」
国王、あなたは頑張っています。
しかし、泥沼の中いくら泳ぎ、あがいても意味はないのですよ。
賢君と称えられた王はいつ気付くのでしょう、底なし沼なのだと。
「その、君の才能を国のために役立ててはくれないか?」
「申し訳ございません。私は近々侯爵家を出て、伯爵家に婿入りしますので。お役に立てるような身分ではなくなるのです」
「……あー……その婚約を、だな。止めにするようなことは……」
「なぜですか?」
オズウェルの心底、意味が分からないという感情がのった一言は国王にも嫌でも伝わっただろう。
「なぜ、だろうな……」
あ、逃げ出した、と思っても仕方がないだろうな。
まあ、逃げたい気持ちも嫌というほどわかる。
「アシュレイ嬢の種馬という名馬になるべく、私は頑張っておりますので。婚約を止めるようなことは絶対にありません。他の馬が近寄ってこようものなら蹴散らしてみせますよ」
誇らしげに告げるオズウェルの姿は神々しく見えるのはなぜだ。言っていることは、下品なことこの上ないというのに。
「……あ、あの、だな。君の気持ちは、その、心にくるものがあった。しかし、私も国益を考えねばならないわけで……ひ、暇な時があれば、国のために働いてはもらえないだろうか」
陛下、さすがです。引くべき所をわきまえておられます。
「…………そうですね。最終的にアシュレイ嬢が幸せになるのであれば、力を貸しましょう。ただし、爵位はいりません。アシュレイ嬢を不安にさせる要因は一切、必要ないのです」
言外にアシュレイに許可を得ろ、と言っているようにも聞ける。
だが、こうなると話は変わってくる。
国王が自ら望み、アシュレイから肩書きを借りるのだ。城に出仕する貴族たちから白い目で見られることはまずなく、むしろ一目も二目も置かれることになるだろう。
(全て、計算なのか?)
そんなことを考えているとは露知らず、オズウェルは颯爽と広間から出ていった。少し大股で歩いているのは、時間がないからだろう。
その背中に視線だけで言葉を投げる。
助産師は雇うからね?
国王はと言えば、会見の後から娘の貞操を心配するようになり、それとなく屋敷の入り口、部屋の入り口はもちろん、窓の外など様々なところに腕の立つ騎士を配置することになったのは別の話だ。
そんなことがあって、私は一度として破棄される恐怖は抱いていない。
(全てが杞憂でしかなかったな)
数年経った今もオズウェルの態度は一貫している。
もうこちらが馬鹿馬鹿しくなるほどに、だ。
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そして――彼は私とのチェス勝負に全勝をし、見事十六歳という破格の早さでの結婚を勝ち取った。我がケイトゥ伯爵家の息子となり、その翌年にはアシュレイそっくりな男の子が誕生した……。
幸せではあるが……――早すぎないか義息子よ。
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