06
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デビュタントは最悪だった。
本当だったら国王陛下が現われ、成人を迎えたことの言祝ぎと貴族としての心構えの話を聞き挨拶をする。そして、ファーストダンスを踊るという流れのはずなのに……。
「オズウェルのバカ! あなたのせいでわたし……わたしっ」
八つ当たりと言われればそうなのかもしれない。
でも、初めての社交会の場で、謂われのない噂を耳にすれば仕方がないと思う。思いたい。
「レイ、少し落ち着きな――っと……」
「お父様も聞いたことがあったでしょ!?」
お父様が落ち着かせようと近づいてくる。宥めるような言葉と態度が腹正しくて、ソファーに置いてあるクッションを投げつけた。
「まあ、噂はね。だけど、噂だと知っているからこそ、放っておいたんだよ。下手に否定すれば隠している、と勘ぐられるだけだから」
「それは分かるわ! でも……」
実際、噂は広がり続け、更にオズウェルは肯定ともとれる態度をしたのだ。
「アシュレイごめん。ああ、すれば誰も君に近づけないと思ったんだ」
「何よそれ! わたしに近づいてくる人なんていないわ。むしろあなたのほうが……――」
(こんなこと言うつもりなかったのに……)
自分の失言に気付き、唇を噛む。
「僕がなに?」
「……なんでも、ないわ」
「嘘だよ。レイが目を逸らすことなんて滅多にない。その滅多があるときは嘘を吐いているときなんだよ?」
オズウェルが近づき、わたしの足元に跪く。片膝を付いて。
王子様のような所作に胸が高鳴るのは仕方がないのに、同時に苦しくて悔しくなる。
「アシュレイ?」
優しく名前を呼ぶオズウェルの瞳が悲しげで、わたしが悪者になった気分になってしまう。
だから、渋々答えた。
それが彼に嫌な顔をされる原因になるかと思うと辛いけれど。
婿養子に来てくれるだけありがたがる立場だってわかっている。それでも愛人を許容できるよど心は広くなかった。
「……オズほうが、たくさんの人がいたじゃない」
「僕? 僕に何がたくさんいるの?」
「…………本気で言ってるの?」
探るように言えばオズウェルは首を傾げ、何かを考え始める。
さらりと流れる金髪は美しく、そんな所作に令嬢たちは褒め称えるのだ。
当たり前のことのように想像できるのにオズウェルには分からないらしい。
(そう言えば昔、反応しないって相談しに来たのよね)
思い出せば失礼な話だ。
相手は身分も美貌も教養も兼ね揃えた令嬢たちなのに、何が不足なのだろう。
でも――だからこそ、オズウェルには『女』として認識されていないのかもしれない。理性ではどうにかなるかもしれないけど、体は素直だ。
「ごめん、レイ。もしかしたら、あの邪魔者たちのことを言っているのかな?」
「その言い方はどうかと思うけど……」
「だって本当のことじゃないか。今日だって僕はレイの傍にいたいのに、邪魔するように僕たちの間に入ってきて。僕からレイを奪ったんだ」
「う、奪ったのはわたしじゃなくて、あなただと思うけど……」
つまりわたしは奪われたというわけだけど、どうしてかオズウェルと話していると逆になっている。
「違うよ、僕から奪ったんだ」
訂正すればオズウェルはすぐさま訂正にはいる。
何このやり取り。
「レイに誤解を与えるなんて考えたこともなかったから放置していたけど、これからは奪われないよう僕は最善の手を打つつもりだよ。だから、君は何があっても僕の傍にいて、お願い」
真剣な瞳で言われてしまうと頷くしかなくて、さらに手の甲にキスの一つでもされてはさっきまで抱いていたもやもやした感情は消えていた。
「オズウェルは変よ、すごく変!」
「はは、君のことが好きすぎるからだよ。仕方ないね」
「わたしが悪いの?」
納得がいかないけど、これ以上オズウェルと話していると羞恥心から顔を上げられなくなりそうだった。今だって耳まで熱いのに。
「…………今日、ダンスができなかった」
代わりに別の文句を口にする。
ずっと楽しみにしていたのだ。彼と踊るのを。
「ああ、今度の夜会に一緒に行こう。今度こそ一緒にダンスをしようね。僕も君と踊るのが楽しみだよ」
「…………うん」
目を細め、さっきキスを落とした手の甲をもう片方の手で上から包む。
離さないと言われているようでそれは嬉しい。でも、わたしは胸の中で眠っていた不安が顔を上げるのを感じた。
「オズウェルは、わたしが嫉妬したって思わないの?」
彼は常に自分が嫉妬する。
相手が男であろうと女であろうと。
本当はわたしが嫉妬する場面なのに、それは嬉しい反面悲しい気持ちになる。わたしの気持ちを置き去りにされているような、そんな感覚。
「レイが、僕に? どうして?」
「どうしてって……」
「僕の気持ちを疑うの?」
「違うわ。疑ってなんてない。そうじゃなくて……わたしの気持ちを知りたくないの?」
「え……?」
両目を大きく開いて、オズウェルは驚きの声を上げる。
ああ、やっぱりとわたしは泣きたくなった。
彼は自分の気持ちにしか興味がなくて、わたしと気持ちが一つになることなんて考えたこともないんだ。
(だから、種馬なんて言葉を使うんだわ)
「だって、僕は知っているから。もちろん言ってくれたら嬉しいけど、無理矢理聞き出すような真似したくないからね」
「……え?」
悲しい感情がぴたっ、と止まった瞬間だった。
「ど、どういうこと? 知ってるって……」
「だって、アシュレイは婚約破棄を言わないから。それって僕が好きだからだと思ってたけど違うの?」
さも当然と言われれば、首を傾げてしまう。
たしかに婚約破棄はとても簡単にできる契約になっている、と聞かされたことがある。だからオズウェルはわたしが自分を好きなのだと思っていたと。
(オズウェルって……昔は一歩下がってたけど)
優秀になって一歩下がるのを止めたのだと思っていた。
でも、違ったんだ。
彼は何もできない頃と同じで、わたしの気持ちを想像し考えてくれていた。
「ああ、そうだったんだね、アシュレイ。僕が知りたがらないから、君を不安にさせていたんだ……知りたかったよ、もちろん」
見上げてくる眼差しは優しく、とても愛おしいと物語っている気がして目を逸らす。
でも、オズウェルは止まらない。
「答えて、レイ」
わたしの頬に温かなものが触れてくる。
それがオズウェルの手だってすぐにわかって、視線を泳がせながら向ければ彼の柔和な顔が間近に迫っていた。
「し、知っているのなら……いいの」
「駄目だよ。教えてくれるまで離さない」
オズウェルの吐息が髪にかかり、頬を温める。
全身が熱くて、ゆだっていて、ぼんやりとしてしまう頭で理性を保っているのは心臓が騒がしいからだった。
(自分で地雷を踏んだ気がするわ。どうしてこんなことに……)
「アシュレイ、僕は君が愛おしいよ。君は?」
「……そんな風に言われたら……」
「うん、言わないと駄目だよね」
わたしが言うための道を作ってくれたオズウェル。
この人は優しすぎる気がする。昔から。ずっと傍に居てくれて、わたしのために惜しまない努力をしてくれた人。
そんな人のことをどうしたら好きにならずにいられたのだろう。
わたしには分からない。
「好きよ、あなたのことが誰よりも好き……」
告げると同時にオズウェルの温かなものが唇に触れ、吐息が混ざりあった――。
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後日、友人にデビュタントで突然帰ったことを詫び、一連の話をし終えるとため息交じりの微笑みを向けられた。
「良かったですね、気持ちが通じ合って。それで、後何勝すればオズウェル様の希望が叶うんです?」
「一応、三勝すれば半年後に挙式を上げられるらしいけど……」
今さらながらにあの日のことを思い出すと頬が熱くなる。
まさか、初めてのキスをお父様の前ですることになるなんて。
「半年後……。アシュレイがちょうど16歳になる頃ですわね。私、新しいドレスを用意しておかなくては」
「なっ、何言ってるの!? そんなの無理よ!」
「あの男ならやり遂げそうですけどね。それに、嬉しいのでしょう?」
「……っ、そ、それは……そう、だけど」
「だったら素直になったほうがいいのでは? ふふ、楽しみですね」
「…………はい」
(あ、オズウェル……)
あの人は知らない。
わたしのほうが先にオズウェルを見つけていることに。
わたしの視線に気付いたオズウェルは満面の笑みを浮かべ、こちらに歩いてくる。
それはいいんだけど、なんだか面白くないのは事実だ。
正直、真っ先に気付いて駆け寄って抱きしめてほしい。でも、そんなことを口にしようものなら、彼はやり遂げるため最大限の努力をし成し遂げてしまう。
これ以上、何かを望むのは我が儘な気がして、変わりに微笑み返す。
「レイ、何か良いことがあったの?」
「ううん、何も……何もないわ」
あなたが傍にいてくれるから、なんて言わない。
だって、あなたはわたしの未来の旦那様なのだから。
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