04
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そんなことがあってから二年という月日が経った。
平穏とは名ばかりの『ただの婚約者』という関係を築くことを諦めるには十分の時間とも言える。
わたしは学院に通うようになり、今はテラスでお茶を楽しんでいた。
「はあ……どうしてあんな変な人になっちゃったのかしら」
「また、そんな可愛げのないこと言って……ふふ、愛情の裏返しなんでしょうね」
「ング!? ケホッ、ケホッ……ちっ違うから!」
飲みかけていた紅茶を口から吹き出しそうになる。
慌てて飲み込んだまでは良かったけれど、みっともなくもむせてしまった。
「慌てていることが何よりの証拠に思えますけれど?」
「だ、だってオズウェルが……! 全部、オズウェルが悪いんだから」
「はいはい、そうですわね」
いつものこと、と友人は流してしまう。
わたしは釈然としない気持ちを押し殺すように、紅茶を口に運ぶ。それでもやっぱり納得ができなくて、心の中で呟いた。
(王子さまに変わっていって……寂しいなんて言えば……)
オズウェルは喜ぶのだろうか。
彼はわたしの気持ちをいつも聞かない。
正しくはわたしが喜ぶことはなんなのか聞くけれど、根本的なことを聞いてはくれないのだ。
――僕のこと、好き?
その質問があればわたしは素直になれるかもしれないけど、一度だって彼は気にしたことがない。興味がないのだろう。
「オズウェルにとってわたしは……種床みたいなものなのかしら」
「随分と影響を受けていますわね」
「え?」
「いいえ、わからないのなら良いのです。でしたら他の男性に目を向けてみてはどうですか? 婚約破棄は簡単にできるのでしょう?」
「他の男の人……」
突然の提案に言葉を失ってしまう。
婚約破棄に関してはここ最近の悩みでもある。しかし、それはオズウェルに問題があるわけではなく、彼の将来を考えてのことでだ。
そこにきて他の男性を見ろと言われても。
「え、誰かいる?」
「…………残念ですわね。我が学院の花はこれなのですから」
正直な感想を告げれば呆れたようなため息を吐かれてしまった。
「だ、だって……」
小さい頃からオズウェルと一緒にいて育ってきた。彼が自分を磨けばそれに追いつけるように頑張ってきたのだ。他の男性を今さらどんな目で見ればいいのかわからない。
「アシュレイはオズウェル様に不満はないのですか?」
「オズウェルの不満はあるけど……」
「他の男性に目移りするほどではない、ということですわね」
「一体、なんの話をしているのかな? 僕も混ざっていい?」
振り返るとオズウェルが貼り付けたような笑みを浮かべ、友人を見つめていた。
「あら、何かご用かしら。こちらに来ていいのですか? 取り巻きの女性たちが待っているようだけれど。けれど、愛する婚約者を目の前にして堂々と浮気するなんて偉くなったものですね」
「まさか。だけどね、愛おしい婚約者をたぶらかす魔女を前にして、彼女に愛を囁くような真似はできないよ。魔女を先に排除しないとね」
「あらやだ。人を魔女だなんて。まあ、人の言葉がなければ何も学べない子どもの精神しか持ち合わせてない男からしてみれば、世の中の女は全員魔女になってしまうわね。私たち女は社交界で生き抜くための処世術に長けているのだから」
「はははっ、人の言葉だなんて一括りにするのは止めて貰えるかな? レイの言葉だから僕を動かすことができたんだよ。君のいう処世術という腹に一物も二物もあるような穢い言葉じゃなく、彼女は僕を想って優しく怒って、自分を傷つけるんだ。そんな姿を見れば頑張らない男がいるとでも?」
「いやだわ、惚気のつもり? 自分の能なしを棚にあげて」
「魔女には聖女の言葉が響かないんだろうね」
(このふたりは仲が良いのか悪いのか、いまいち分からないのよね)
たしかいとこ関係にあったはず。
昔のオズウェルのことも知っているからこその軽口なのだろうけれど、わたしを挟んでの言い争いは止めてもらいたい。
体を少しだけ後ろに向け、見上げると舌戦は止みしまりのない笑みを浮かべた。
こんな顔をされるたびに居心地の悪さを感じ、友人の視線が気になる。
「オズウェル、わたしに何か用があったんじゃないの?」
「ああ、君の後ろ姿を見かけたから挨拶をしに来たんだよ」
「そう……。でも、珍しいわね学院にいるなんて」
オズウェルはもう学院を卒業している。ただ、優秀故に残留という処置があり、研究をしているのだ。
研究棟は一般に通う生徒とは違う場所にあるため、わざわざこちら側に来なければ会うことはない。
「うん、今日は研究の発表の準備のために立ち寄ったんだ」
「そう……そうだったわね」
栄誉ある学会だと聞いた。
国王陛下を筆頭に国の中枢を担う方達の集まりの場。
わたしの夫という立場に収まった時、彼は二度と戻れない場所。
(本当にそれでいいの……?)
わたしの婿になれば貴族としての地位を失う。そうなれば研究もできなくなり、国のため働くことも困難になる。ただの平民と何も変わらないのだから。
国がオズウェルを官吏にするため爵位を与えるかもしれないけれど、ケイトゥ伯爵家に婿入りした途端爵位を与えることはないだろう。他の貴族たちの示しもなければ、伯爵家に対しても失礼すぎる行為だ。
「この学会が終わったら次は助産師の元で学ぶ予定なんだ。君のデビュタントもそろそろだから時期的にもちょうどいいよね」
「なっ、なにを急に言ってるの?」
「子どもの扱いには慣れてきたんだけど、赤ん坊の世話はしたことがないから不安なんだよね。兄上たちの子どもの面倒を見たかったけど、乳母が近寄らせてくれなくてね」
それはそうだろう。仕えている家の息子に世話を任せることができる強者はいない。
いや、そもそもが違う。
「待って。なんのために……」
「なんのため? それはもちろん、僕とアシュレイの子どものために決まってるじゃないか。ああ、それじゃ時間がないからもう行くね」
手を振りながら立ち去るオズウェルの姿を一瞥し、友人に視線を向け不安を言葉にする。
「…………本当にいいのかな」
「何がです?」
「オズウェルの将来」
「とても幸せそうに見えますけど」
友人の視線がオズウェルが去った方に向く。つられて顔を向ければこちらを見て、嬉しそうに手を振る婚約者がいた。今のわたしには直視することができなくて、手元に視線を落とした。
「だってオズウェルは本当に頑張ったの。出会った頃は何もできない子で……」
「今では国一番とまで謳われる知性を身につけ、剣の腕も下手な騎士よりも扱いが上手いと聞きますね」
誇張だ、と言いたいけれど、実際そうなのだ。
知性は馬鹿にされたことを悲しんだわたしのために学び始めたこと。
体を鍛え始めたのは領地を歩くだけで息が上がり、襲われた時にわたしを守れないとに気付いたことからだったか。
きっかけはどうってことないけれど、今や彼の国への貢献は大きい。
可愛い弟から少年へ、そして気付けば男の人になっていた。
どこにいても彼は目立つ。
みんなが彼の姿を追いかけている気さえする。ううん、実際みんなの注目を浴びている。
「……話す必要があるよね」
でも、と呟いてしまう。
もしオズウェルが婚約を破棄することを受ける、と言ったらわたしはどうなるのだろう。昔から彼と結婚し、領地を治めることだけを考えてきた。
女性が爵位を継ぐことは認められていても実際その数は歴史を紐解いても少ない。男性側が認めないこともあるが、子どもを産むという行為があるためどうしても頼らざるを得ないのだ。体力的にも広い領地を回るのは大変だし。だから、必然と婿に爵位を渡し夫を支えるケース多かった。
でも、わたしはそれができないし、選べない。考えただけで自分という存在が瓦解していく気がする。
オズウェルがないがしろにするはずがない。分かっていても、子どもの頃から考えていた家を守ることができなくなるのだと思うと、不安がこみ上げてくるのだ。
わたしはオズウェルだから今の自分が出来たのだと今さらになって気付いた。