02
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六歳になった時、お父様が国にわたしの爵位継承を認めてもらったのだ。同時にわたしに婚約者ができた。
王子様のような綺麗なだけど恥ずかしがり屋な人だった。
これから仲良くなっていけばちゃんとわたしと目を合わせて喋ってくれるかな、と期待に胸を膨らませていた。
もっと彼のことが知りたい。
その思いから噂に耳を傾けるようになっていた。この時、わたしは思っていたから。大人たちの本音はこの中に隠されている、と。
「まったく、侯爵家から婿をとるとは。これでは手が出せないではないか」
「さらに、能なしだろう? 本当に扱いやすい男を選んだものだ」
「まあ、我々の中に侯爵家の血が入るんだ。血統書付の種馬らしく励んでもらい、利権を落としてほしいものだな」
この時、彼らがわたしの婚約者を蔑んでいることだけはわかった。ただ『種馬』という言葉が耳障りで心にしこりを残したのはたしかだった。
それから四年。
十歳にもなれば『種馬』という言葉の意味ぐらい理解できる。
同時に周囲の心ない人たちも影で『種馬』と呼ばれることを知り、オズウェルのことを『種馬婚約者』と馬鹿にするようになっていた。
彼は無能なんかじゃないとわたしは知っている。
いつも優しく微笑み、勉強で疲れたわたしを安らぎをくれる人。甘いお菓子が少し苦手で、だけどチョコレートケーキは大好きっていう変わったところがあって。いつもいつも木の下でわたしの背中を押して、ブランコをゆらしてくれるんだ。
(どうして誰も彼もオズウェルのことを馬鹿にするの)
悔しくて、彼の良いところを知らない、知ろうとすらしない人たちに苛々して、木の枝に付けられたロープを強く握り締める。
「アシュレイ、ブランコにはもう飽きた?」
「え……あ、ごめんなさい。そうじゃないわ」
首を横にふり、オズウェルの心配そうな瞳に笑いかけた。
初めて会った日、壊れていたブランコは修理を終えいつも背中を押してもらっている。そう、いつもわたしが座ってオズウェルが背中を押す。
(わたしだけが座っているのって変、よね)
「ねえ、オズウェル。次はあなたが座って。わたしが後ろから押すわ」
「僕はいいよ。君の背中を押すほうが好きなんだ」
自分の立場をわかっているような言葉に不快感を覚える。もちろん、深い意味はないのかもしれないけど。
「……たまにはいいじゃない。わたしだってあなたの背中を押したい」
いつも彼はわたしを立てる。
それはどこかの貴婦人と重なり、わたしは一層悲しい。
婿養子に入る彼の立場からすれば正しいのだろう。でも、わたしはオズウェルの隣にいたかった。いて欲しかった。
(そう思うのはわたしの我が儘なのかな……)
婿養子に入る際、ふたつのケースが存在する。
爵位も持たずに婿に入るか、爵位を持ったまま婿に入るか、だ。
後者はある程度、有力な貴族であることが大前提ではあるものの、ほとんどの男性がこのケースを選択する。
爵位を持たない、ということは平民とさして変わらないことを意味しているからだ。
婿として入った家と良縁を結べればいいが最悪、離縁することになった際、貴族としての体裁を保てない。
しかし、今回婿に入る彼は由緒正しい侯爵家の息子でありながら、能なしという謂われのない肩書きだけで我が家に入ることが婚約書に記載されたらしい。それもこれもわたしを守るため。夫となる男性が愛人を持つための財力を奪うためだった。
わたしだって愛人を持ってなんてほしくない。一部の貴族の間では普通のことだって知っているけど、オズウェルが他の人と……考えるだけで胸に痛みが走る。
でも、素直には喜べなかった。
「……じゃあ、少しだけお願いしていい?」
「少しなんて言わないで! たくさん遊んでよ」
「張り切りすぎだよ」
うふふ、と笑いながら場所を譲る。
オズウェルの背中に手を添え押そうとした時――
「種馬婚約者! お前、馬のくせして生意気なんだよ! アシュレイ、こっちに来て俺たちと遊ぼうぜ」
「馬の出番はまだ先だしな!」
「やめて! オズウェルのことをそんな風に呼ばないで!」
親戚の子たちだ。
からかうような、馬鹿にするような言葉に思わず叫んでいた。
陰で言うぐらいならまだ我慢ができる。でも、オズウェル本人に聞かせたくなかった、その時の顔をみたくなんてなかった。だって、彼は……。
「アシュレイ、怒らないで。僕は平気だから」
「平気なんて言わないで! わたしは……――」
「だって僕は種馬なんだから気になんてしないよ」
彼は自分のことを種馬と呼ぶ。
みんなと同じように。
「あ、あなたも、どうして怒らないの!?」
わたしは自分の婚約者がこんな風に馬鹿にされるのが許せなくて、怒鳴ってしまう。
ただ、彼にちゃんと怒ってほしかった。嘆いてほしかった。憤ってほしかったのだ。なのに彼はただ嬉しそうに笑う。
「……僕、怒らないと駄目かな?」
このときになって初めて彼は寂しげに目を伏せた。
どうして……と思ってしまう。わたしが悪いことをしているっていうの。
「僕は君の物だって言われているようで嬉しかったんだけど……。君を悲しませる結果になっちゃったんだ」
「だって……あなたはそれしかないって言われてるみたいで……」
「そうだよ? 僕には『種』しかないんだ。でも、君を傷つけるのなら僕は変わろうかな」
ちょっとそこまで出かけてこようかな、とでも言うような気軽さだった。
だけど、これ以降だと思う。彼が天才と謳われることになったのは。
変わりに彼を『種馬婚約者』と呼ぶものはいなくなり、わたしは寂しさを覚えたのも事実だった。なんて自分勝手なのだろうと思いながら、彼が言った言葉の意味を理解する。そう、たしかにその言葉はわたしの所有物を意味していたのだと。