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南都消失

 十二月二十五日、重衡を大将に四万騎の軍勢が南都へ出発する。先の以仁王討伐とは比べものにならぬ軍勢である。


 重衡は思った。

 相手は仏弟子を名乗る輩。

 逆に、自分たちはどんな大義を持つのだろうかと。

 しかし、旧勢力のしがらみを振り払うべく行われた遷都に失敗した時点で、彼らとは正面から向き合わねばならぬ宿命(さだめ)にあった。

 父の覚悟に、己れの心を沿わせねばならなかった。

 すでに南都では、老若男女七千人余りの衆徒が、武装して待ちかまえているという。


 同月二十六日、雨雪のため宇治に逗留。

 翌二十七日、当地で矢合わせとなる。

 重衡の軍勢は、徒歩(かち)の大衆を馬で追い回し攻めた。衆徒は散り散りに逃げていく。夜までに奈良坂・般若寺が落ちた。それでも未だ抵抗の構えを崩さぬ武装集団が小路のあちこちに身をひそめていた。

戦闘は翌日に持ち越される。


 南都側にも、武器を振り回し、際だった活躍を見せる悪僧がいた。しかし、系統立てた指揮を振るえる武将がいるわけではない。所詮は素人の集まりで、それでも彼らは粘り強く征討軍に抵抗した。

 日は沈み、周囲は徐々に暗さを増す。

 重衡は「火を持て」と命じた。

兵らは松明を掲げ、僧房に火を放った。放火は戦闘の常套手段である。しかも当時の僧房は遊女を引っ張り込み、肉食を楽しむ堕落の巣であった。彼は容赦しなかった。

 昨日の雨雪はすっかり収まり、かわりに風が強く吹いていた。

 風は夜半を過ぎるといっそう強さを増した。

 いくつかの火元から寺院の伽藍へ炎を吹き付けた。

 火は見る間に燃え広がっていく。


 同時、戦闘から身を隠していた衆徒は東大寺や興福寺にいた。

 東大寺では戦力にもならず、それ故討ち死にを免れた老卒や稚児、尼らの弱者ばかり、数百もの人々が大仏殿の二階の桟敷へ上がっていた。

 敵兵が近づけぬよう(きざはし)を落したのは、後に降りかかる悲劇を予測しえずして――

 寺々を焼く猛火は、大仏殿にも移った。

 二階にいた人々の足元は、火の海と化した。

 しかし、逃げ場はない。

 炎は上へ上へと這い上がる。人々は悲鳴を上げて、助けを求めた。

 彼らの叫びに、平氏勢でさえ救いの手を差し伸べようと右往左往したが、塔の何階分にもあたる桟敷の高さに手の出しようがなかった。

 報せを受けた重衡も駆け付けた。

 辺り一面燃え盛る炎。

 風に煽られ、火は広がる一方だった。

 重衡にできることはなかった。

 例え神仏でも手の施しようはなかっただろう。

 炎は天まで焦がさんと、赤い(かいな)を無数に伸ばし、雲を夕日のごとく染め上げた。

 炎の合間から見える殿宇の中、大仏は溶け出し、大音響とともに首が落ちる。

 仏の加護もここまでだったか。

 桟敷は燃え落ち、人々は火の海に投げ出された。耳を覆う断末魔の悲鳴。

 これに平家の軍勢からも叫び声が上がる。

 阿鼻叫喚、この世の地獄があった。

 誰もが目をそむける光景を、将たる重衡だけがまっすぐに顔を向けていた。

 燃える(ほむら)にその顔を照らされながら、まるで目に焼き付けようとするかのように。

 重衡が何か呟く。だが、それは誰にも聞き取られることはなかった。

 伽藍の火は朝まで燃え続けた。


 大仏殿のあった東大寺。

 盧遮那仏は溶けきって山になり、焼け落ちた頭部は大地に転がる。経文の類も一巻残らず全て塵になった。

 藤原氏代々の寺である興福寺。

 仏教伝来の際に渡ってきた釈迦の像は、瑠璃の回廊や朱丹の高楼とともに灰燼に帰した。

 その他、幾多の講堂、僧房が焼け落ちただろう。

 残ったのは人々の嘆きばかり、あちらこちらですすり泣く声が聞こえる。

 焼け死んだ衆徒、討ち死にした衆徒は千人とも二千人とも言われた。

――あのような真似をして、きっと今に仏罰が落ちる。今に見ておれ。平氏の輩ども。

 南都に怨嗟の声が満ちわたり。

 その中を、一先(ひとまず)の勝利を収めた重衡の軍勢が都へと向かっていた。

 延々と続く行進は、葬列のように静まり返っている。

 勝ったはずなのに。生き延びたはずなのに。

 喜ぶ者は誰もない。

 犯してしまった過ちを、なかったことにはできない。

 人々は、己れらの為した取り返しのつかぬ結末に傷つき、打ちひしがれ、未だ立ちこめる煙と煤の中を黙々と行く。

 凱旋将軍たる重衡は、一度行進を止め、彼らを振り返った。

「我らのしたことは間違いだったか」

 答える者はなかった。

「大仏殿の焼失は我らが望んだことか」

 皆、静まり返っていた。

「我らの勝利と盧遮那仏の焼失は別物だ。全て我らの手を離れたこと。死んだ衆徒たちは罰を受けたのだ。これは御仏(みほとけ)のお考えにある」

 兵らは顔を合わせた。

「そのような顔をするな。我らは勝者でないのか。胸を張って前を()、勝ち鬨を上げよ」

 誰もが戸惑う。

 しかし、将命である。

 彼らは気の進まぬまま声をあげる。が、それは波のざわめきのようなもので喊声にはほど遠い。

 重衡は許さず、

「声が小さいっ。もっと大声をあげよ。それっ」

 と威丈高に命じる。総大将の彼へ反発することもできぬ。代わって、兵らはやけくそのように大声を出し、腕を振り上げる。

――俺たちは悪くない。

 そう思い込もうと、皆は憑かれたように喉を振り絞る。

 人々の声は鯨波となって焼け跡に立ち上る煙を震わせた。


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