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戦いの火種

 さて、平氏の政権奪取により最も被害を蒙った人間の一人に、三条宮以仁王(もちひとおう)がいる。法皇の子であったが、母親の身分が低く、先帝(高倉)やその母の建春門院の前に存在が霞み、親王宣下も受けられなかった。その上、法皇の失脚を口実に、師の天台座主から譲られていた常興寺領も没収された。

平氏への恨みは深く、そこへ同じように異心ある者が近付いた。

「皇子たるあなたが、臣下に膝を屈してよいものですか」

 幼少時から才気活発で、帝王の子として学問に精進してきた以仁王は、このまま不遇のうちに生涯を終えることを(よし)としなかった。

 治承四年(一一八○)四月、全光明最勝王経にちなんで、自らを最勝王と名乗り、仏敵清盛を滅ぼせと平家追討の令旨を諸国へ発した。

 しかし勢いにまかせたずさんな計画は、準備が整わぬ前に平家側に漏れてしまう。

 翌五月、そのころ蔵人(くろうどの)(とう)(とうの)中将(ちゅうじょう)と呼ばれていた重衡は、大将の一人として以仁王の追討を命じられる。


 奈良へと逃げる以仁王を、重衡は手勢を引き連れて追った。

 武者姿の重衡は、いつになく精悍さを増していた。

 白地に雪花紋(せっかもん)を浮かせた直垂(ひたたれ)に、紫裾濃の鎧。馬は世に知られた鹿毛の名馬である。

 重衡のそばには、一人、彼の横顔を見つめる者がいた。

 人間(ひと)の目には見えない。

 姿を消した狐女である。

 本気になるなと自分に言い聞かせていたゆかりも、愛する者が戦場に向かうと知って、何もせずにはいられなかった。

 彼のそばに気配を消して寄り添っていたが、重衡の引き締まった顔つきに、日ごろの甘ったるさは微塵もなかった。

 戦闘というものは、かほど男を変えるのだ。

――合戦……

 己れらの意思を貫くべく用いられる最終手段にして、しかし、その正体は互いの生死を省みない狂気と暴力。

 ゆかりは今さらながら、戦さの恐怖に怯えた。

 けれど、彼女の心配は杞憂に終わる。

 検非違使庁の士卒三百騎と以仁王の手勢五十騎は宇治川で合戦となり、以仁王らは討ち取られて首級をあげられる。重衡が彼らに追い着く前に。

 ゆかりは余りのあっけなさに気が抜けた。

「合戦というものが、これほど簡単に決着がつくものなのか」

 そもそも、この以仁王の叛乱が小さな火種のうちに発覚したのだ。もみ消すのも容易であった。

 人々は安心しきって日常の生活に戻っていった。

 けれど、このささやかな叛乱の火は、本当に宇治川の流れに掻き消えてしまったのか。

 否、以仁王の令旨は密かに全国の源氏のもとへと運ばれていったのである。

 力なき反乱者の熾した種火は数年後、日本国中を戦禍に巻き込む燎原(りょうげん)の炎となるのだった。


 以仁王の叛乱の残り火は、西国でもしばらくくすぶり続けた。

 彼が落ち延びようとした南都(奈良)の衆徒たちが騒ぎ出したのである。

 新興勢力たる平氏に警戒心を持っていた彼らは、この件で一気に不信感を露わにした。

「以仁王が頼ろうとした南都を朝敵と決めつけ、奈良を攻めにくる」と噂が立った。

 騒ぎをしずめようと、清盛は臣下の者を使いとして奈良に向かわせた。

しかし、集まってきた衆徒は、

「敵の使いだ! 車から引き摺り下ろして、髻を切ってやれ」

 と騒いだので、慌てて逃げた。

 後日、別の使いを出したが、

「また来たか! 髻を切ってやる」

 今度は本気で刃物を持ち出したので、こちらも慌てて逃げた。

 悪僧たちは武器を準備し、奈良坂や般若寺に掘と(かい)(だて)を巡らした。

 奈良から吹く風は次第にきな臭いものとなる。


 五月月(つき)(ずえ)、清盛は南都征伐を上皇に奏上しながら、それと引き替えのように六月、念願の福原遷都を強行した。実際に仏弟子を相手に刃を交えるよりは、寺院勢力の影響を遷都によって断とうと。

 けれど都となった摂津(兵庫県)和田の地は、宮城とするには狭小かつ貧弱に過ぎ、整備が一行に進まなかった。また、海近く、(さわ)()つ波音に都人が馴染むことはなく。不安定な土地は人心をも不安定にさせたか。計画は頓挫し、十一月には清盛も天皇・上皇の旧都還御を決定する。何より上皇(高倉)の体調が優れなかったからだ。


 この間、南都の衆徒はますます勢いづいた。

 清盛も騒動をおさめるべく、手の者を大和国の検非違使所(けびいしどころ)長官として派遣する。

「例え衆徒が乱暴なことをしても、決して挑発には乗るないぞ。汝らは警戒されぬよう鎧をつけるでない。武器も携帯するでない」

 くれぐれも大事に至らぬよう、事細かに指示する。

 だが、南都の大衆は、彼の深慮を知らず、長官の手勢六十余人を捕まえると、彼らを殺してその首を晒したのだ。

 衆徒の挑発に、清盛も果断な態度で応じねばならなかった。

 遷都計画の挫折を期に、反対勢力が盛り返す素振りを見せ、平家政権の出方を伺う法皇の視線も感じた。

 口惜しいことに、上皇が病に倒れたため、引退に追い込んだはずの法皇に政務復帰を依頼せねばならぬ状況にあったのだ。

 関東で蜂起した頼朝の軍勢に、富士川で大敗したばかりの時期でもあった。

 清盛は、最も信頼する息子、重衡に南都征伐を命じた。


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