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恋する宮殿

 西八条の邸で、重衡は清盛の微苦笑に迎えられた。すでに供の者から話を聞いているようすだ。

「父上のせいで、恥をかいてしまいましたよ」

「そのおかげでいい思いをしたではないか」

 父に似ぬ下世話な言葉使いに、重衡は肩をすくめた。親子は互いに少し照れくさくなる。

「結局、狐ではなかったのだな」

「身元も確かめましたよ。民部卿入道殿の縁者の姫だそうです」

「そうか。他人の空似であったか」

「・・・・・・」

 閉じた扇を口元にあて、笑いをこらえる息子に、清盛は怪訝(けげん)な顔を向けた。

「何だ、父親のしくじりがうれしいのか」

「いえ、優秀な父親を持った凡庸な息子としては、逆に安心するのですよ。父上も同じ人間なのだと」

「何を言うか。お前は決して凡庸な人間ではあるまい」

 清盛は目を細めて息子を見た。容姿、学問、武勇、為人(ひととなり)、全てにおいて、兄弟中の誰より優れる自慢の息子を。

 ――しかも、自分にはない器量を持っている。

 己れは武門の出ゆえか、生来激しい気性を持つ。並の者であれば、それは覇気や上昇志向と相まって良い結果を生むこともあろう。だが、新興勢力たる武家平氏が公家社会の中でどう見られているか、清盛は若いころから承知していた。彼は自覚をもって天然の気性を押さえ、周囲への気配りや心遣いといったものを怠らなかった。

 これを重衡は生まれながらに備えていた。

 故に、誰からも愛される息子。

 清盛の目はますます細くなるのである。

「――その人とはつき合うことにしましたよ」

「狐が取り持った縁というわけだな」

 父は息子に笑いかけた。

 重衡は思う。

 狐が取り持ったのはゆかり姫との縁だけではなかった。

 敬愛する父ともさらに親密に、距離が縮まったような気がした。


「――中将さまのご家族は仲がよろしくて、羨ましゅうございますわ」

 後宮のゆかりの局に訪れていた重衡は先日の清盛とのやり取りを語った。

「そう? 他の家族と比べたことがないから、よくわからないけれど」

 くすりと笑うゆかり。

 重衡の言葉遣いはやさしくて、くすぐったくなる。吐息が頬にかからぬよう、(しとね)の中、首の向きを変えた。

 重衡は着やせする体質(たち)なのか、衣の下は思いの他逞しく、首の下にまわして枕にしてくれた二の腕は、みっしりと筋肉が付いている。

「あなたの家ではどうなの?」

 重衡の不意の問いかけに、ゆかりは顔を曇らせる。

「私の家ではあまり・・・・・・」

 言葉を濁す。こういう言い方をすれば、やさしい重衡はそれ以上追求しない。果たして、彼は話題を変えた。

 

 ゆかり子という女房はもちろん狐女である。

 三十年前、蓮台野で出会った平清盛のことを陽の気が強い男だと思ったが、

――まさか本当に人臣の位を極めるとはねぇ。

 人相見ができるといっても、日本国の権勢云々は口から出任せのお世辞だった。

 無責任にもきれいさっぱり忘れていたが、京に戻り、思い出した。


 ただ、久しぶりに会った清盛はすっかりおじいちゃんになって、狐女はたいそうがっかりした。

 もっとも、すぐ後に、申し分のない息子を得て満足したが。

 あの日、重衡を誘惑しようと、いつもの手で待ちかまえていたゆかりも、まさか御簾ごと抱き締められるとは思わなかった。顔に似合わぬ大胆さである。思わず、

――耳やら尻尾やらが飛び出しそうになったわ。

 そのあたりはもう若狐ではないので堪えたが。

 とっさに気絶までして我ながらよくやった。

――私が狐と知っても愛せるのは将門さまくらいだもの。

 人には人と思わせた方がよいのだ。それがこの数百年の間に身につけた知恵である。

 知恵といえば、もう一つ。

 一人の男に入れ込まないことだ。

 将門のことだけではない。人間と妖しとでは寿命に大きな開きがある。

――愛する男を失って、傷つくのはたくさんよ。

 ゆえに、恋人は常に複数いた。


 もっとも、それは重衡とて同じである。彼には正妻の他にも愛人が複数いるが、互いに遊びと割り切った関係で逢瀬を楽しんでいる。

「あなたには本当に驚かされましたよ。最初に会ったときは気絶なされて、どんなたおやかな方かと思ったら、意外にも・・・・・・」

 重衡は、ゆかりをからかう。

 そう言う重衡もかなり奔放で強引な公達だった。女の扱いが上手い分、女にだらしない。女のことで嘘をつく。そして、嘘つきのくせに時おり誠意を見せようとするから始末に負えない。幾度もゆかりは振り回された。

 けれど、端正な容姿のせいで、その度に許してしまうのだ。

――顔のいい男は得ね。

 いや、顔だけではない。

 重衡は上り坂の平家一門にあって屈託なく、自分の思うまま振る舞って嫌味がない。和歌や音曲にも堪能で、人を楽しませるのに労を惜しまない人間だ。

「どうしたら、あなたみたいな素敵な人が生まれるのかしら。まるで物語に出てくるような、そうね、光源氏みたいな」

「光源氏に例えるなら私の甥の権亮(ごんのすけ)(これ)(もり))さ。あの男の美貌は本物で、素顔もとてもきれいでね」

「あら、素顔を見せるなんて、とても親しいのね」

「男相手に妬くの? 別にそんな間柄(なか)じゃないけれど、一緒に狩りに出かけることもあるからね」

「狩りってどんな狩りかしら? その人が光源氏なら、さしづめ、あなたは在原業平(ありわらのなりひら)卿だもの」

「私が在中(ざいちゅう)殿?」

「あら、平中(へいちゅう)殿に例えてほしかった?」

「うーん、貞文はいやだなぁ」

 重衡は顔をしかめてみせる。

 在中平中と並び称される古えの中将は、光源氏同様色好みの代表格である。両人とも軽はずみな好色家で、(こと)に平貞文は特異な性癖を伝えられている。

 もっとも、重衡が本気で機嫌を損ねたはずもなく、二人は互いに顔を見合わせ、笑い合った。

 枕言の戯れである。

 重衡はそばにいて楽しい。

――ずっと一緒にいたい。

 狐女にとって、これまでの男になかったことだが。

――いけない。相手は人間の男。本気になってはだめ。

 深入りしそうになる自分を抑えた。

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