獣性の鏡
鎌倉滞在中、重衡は囚人であるのにも係わらず丁重な扱いを受けた。
頼朝は管弦の宴を催すなどして、彼の憂意を慰め、美女まで寄越す配慮である。
歌を詠みかける美女に、最初は気乗りしなかった彼も、女の歌才に牽かれ、戯れ言めいた歌を返した。
興が乗ったのか、琵琶を手にし、曲を奏でる。女も重衡の撥に合わせて歌う。
久しぶりにほぐれた顔を周囲に見せたが、当の重衡は夜が更けると女を帰してしまった。
「せっかくの殿のお仲人でしたのに」
身の回りの世話をする者が言った。
てっきり夜の相手をさせるかと。
「あの人の体に何かあれば、罪作りなことをしてしまうからね」
頼朝の膝元で敵将の子を身ごもりでもすれば、どんな災厄が身に降りかかるか。
重衡の弁に、その武将もすっかり感心し、
――ただの女たらしではなかったんだな。
彼の浮き名は、東国武士の間でも知られていた。
――けど、うちの殿も、囚人の独り寝にまで気を回すとはさすが好色家(褒め言葉)だよなぁ。
当然のように、貞操観念に厳しい東国人の奥方とは諍いが絶えなかった。
西国と東国ではものの考え方がまるで異なる。京育ちの頼朝は、板東武者を統率するにも人知れぬ苦労があったろう。重衡を歓待するのも、その都雅を懐かしんでのことだと周囲の人々は思った。
しかし、
――それは違う。
重衡だけは知っていた。
頼朝の真実の姿を。
彼の脳裏に、頼朝との謁見の場面が蘇った。
武家の棟梁、源頼朝。
彼を目の当たりにして、重衡は理解した。平家一門が敗北した理由を。
母方は熱田大宮司を祖父に持つ上種、都育ち、
十二歳より宮中に出仕した公達並の早成。
頼朝の滲み出る品位や洗練された物腰から、そのような言葉が思い浮かぶ。さらに、端正な顔立ち。
だが、そのようなものに惑わされてはならぬのだ。彼の瞳の奥にある光。それは紛れもなく武人のものであった。
父清盛は頼朝の本性を見落とした。己れの物差しで彼を許し、その結果、我らに悲劇を招いたのだ。
武家の出でありながら、長い公家暮らしで爪も牙も失った父にはわかるまい。
武人は手段に、自他の流血を顧みぬことを。
その獣性を。
では、なぜ重衡にそれを理解し得たか。
それは、彼もまた紛れもない武人であったからだ。
頼朝も彼の瞳の中に獣を見た。
――以前から気になっていた。
平家の公達武将の中に、常勝不敗の男がいると知って。
只人が危機に瀕したからといって、武者としての本能に目覚めるなどということはあり得ない。この男は産まれながらの軍人だったのだ。
己れの流人生活を思えばわかる。
周囲に悟られることなく、一世の有事に備えて牙と爪を磨く。危機と好機を嗅ぎ分ける鼻、聞き分ける耳を養う。この男は、それを平穏な公達生活の中で行っていたのだ。おそらく人知れず。
人が人を見るとき、己れの目を通してでしか相手を閲することはできない。
それはどんなに長く連れ添った家族や恋人でも、相手の本質を見極めることは困難であるということ。
また逆に、互いに同じ目を持つ者であれば、相手を理解し得ることがあるのだ。
この頼朝と重衡は、勝者と敗者という絶対的な立場を超えて、互いが鏡となって映し現した。
図らずも頼朝が見抜いた重衡の本性。
貴族化する一族の中にあって重衡は孤独を抱えていた。他人にない自分の異質な部分を持て余した。子どものころから人の心を読み、相手の望むとおりに振る舞える彼は、それを表に出すことはなかったが。
己れの本性を人に見せぬことを偽りというのであれば、彼は常に自分を偽った。
周囲の人々は彼の偽りを真と思い、偽りの彼を愛した。
そして彼はますます自分を偽る。
女人に関しても同様だった。偽りに偽りを重ねるから、ついに自分の本心さえもわからなくなった。いつもその場限りか、割り切った関係に終始した。
けれど、一人だけ、特別な女性がいた。
男が女に望む麗質を全て持ち合わせたような人だったが、心寄せたのはそれだけの理由ではない。
彼女も自分と同じような陰があった。
己れの異質な部分を隠そうとするところ。
家庭的に恵まれないようだったけれど、詳しくは知らない。
ただ、ひどく惹かれたのは確かだ。深い縁を感じて、
「私の子どもを産んでくれないか」
本心を本心として語る術を知らないから、虚言のように聞こえたかもしれない。彼女は真言として受け取ってはくれなかった。
言葉を弄ぶ者は、言葉に裏切られる。当然の報いだ。
しかし、今となっては・・・・・・




