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恋のゆくえ

 恋人の危機に、狐女のゆかりは救出に行かなかったのかと。

 そもそも彼のそばにいなかったのかと。

 それには理由があった。


 時間は少し遡る。

 義仲勢の進撃が京へ間近に迫ったころ、都大路を騎馬が駆けめぐり、鎧武者が横行した。まるでもう戦が始まったかのような喧噪(さわぎ)である。

 義仲はすでに叡山と手を結び、別働隊は吉野の衆徒を味方につけたという。一方の平家に、殿上人の中で味方となる者は誰もなかった。

 彼らは見限られた。

 追討軍どころではない。ただでさえ、京の都は防御性に乏しい。勝ち目のない平家一門は幼い帝と三種の神器を奉じ、急ぎ都を脱出した。法皇もお連れしようとしたが、どこに隠れたのか姿がなく、あきらめて出発する。敵に奪われてはならじと西八条殿や六波羅の主立った邸に火を放ちつつ。

 寿永二年(一一八三)七月二十四日の夜半から二十五日の昼までのできごとである。


 まさに台風一過。この騒ぎが平家の人々とともに去ると、都は不気味なまでに静まり返った。   

 比叡山に隠れていた法皇も、

「やれやれ、これで都も安泰だ」

 厄介者がいなくなってせいせいしたと周囲に漏らし、駆け付けた公卿らも同じ思いでうなずき合った。

 人々が落ち着きを取り戻すと、都では様々な情報が行き交った。

 平家の誰それは妻子を置いていっただの、彼それに家財が預けられただの。かまびすしい。

 ゆかりのもとへも、重衡に関する報せが届く。

 五条の正妻だけ連れて都を逃がれたと。

「私には文一つ寄越さずに」

 わっと泣き伏したのは別の女房である。

 閑院でも彼と付き合いのあった女房は、自分一人だけではないと知っていた。平家の御曹司にして容姿端麗の重衡。如才なく機知に富んだ彼を本気で愛してしまう女がいてもおかしくない。しかし、(はた)でわめかればこちらとて気が滅入る。

 一族こぞっての都落ちでは、愛人まで連れてはいけない。しかし、己れとて捨てられたのは厳然たる事実なのだ。

 ――悔しい? 悲しい?

 その思いをぶつける相手がいない今、虚しさだけが胸に残る。

 ――追いかけていって恨み言の一つを言う?

 いや、今は何をしても意味がないように思える。

 この後の情勢も知れない。 

 ――情勢・・・・・・

 重衡も平家の武将。再び合戦に赴くのは必至だ。

 けれど、その事実も、恋人に捨てられた虚無感を前に、心を動かすことはなかった。

 あんな男、死んでしまえばいい。

 そんな腹いせを思ったわけではない。

 だが、このときのゆかりに、重衡が死ぬ、という危機感は薄れていた。先の合戦のせいである。圧倒的な兵力と戦い振り、将門との違いも大きかったかもしれない。

 私がいなくても大丈夫、そう思いこんでいた。


 ゆえに、平家の都落ちから半年が経ち、『重衡捕らわる』の報は、ゆかりの不意をついた。 

 その間、義仲は没落し、都では義経の軍兵が幅を利かせ、この閑院もすでに新帝(安徳天皇の弟君)の御所となっていた。

 ――どうする? 助けに行く?

 しかし、全てが物憂く、身体が動かない。

 思い悩むうち、重衡が京に護送される。収容先は源氏方の武将が駐留する八条堀川というが、大路中を牛車の簾を上げて晒し者にされたと聞き、さすがに胸が痛んだ。

 多くの人に愛された重衡だったが、

「これも南都を焼いた報いでしょうな」

 誰もが同じことを口にした。


 春の日が暮れかかるころ、ゆかりは一人の使者の訪ないを受けた。

 重衡から文の使いと聞き、日ごろのたしなみも忘れ、思わず広縁まで走り出た。

 たかが手紙にさえ動揺する自分に驚く。

 都落ちで別れたことになっているかつての恋人。その上、遊び相手。

 それなのに。

 急いで文を開いてみれば、不義理を重ねたことの詫びや、都を落ちてからの過ぎ越し、己れの先行きについて思うところが書かれてあった。

 そして、最後に、

「あなたに会いたい」と。

 ゆかりは震える手で返事を書いた。

「私もあなたに会いたい」と。

 ――本当なら今すぐにでも飛んで行きたい。

 そんな彼女へ、使いの男は去り際、そっと言付けた。

「警固のお侍は話のわかる人です。もしかすると、お二人の望みが叶えられるかもしれません」

 ――あの人に会えると言うの?

 ゆかりはあまりのことにくたくたと座り込んだ。

 彼女をただの女と思ってか、使者は、

「勇気をお持ち下さい。主をお慰めできるのは、あなたさましかいないのですから」

 と、励まして帰っていった。


 辺りが暗闇に沈んだころ、人目を忍ぶように牛車が迎えに来た。

 ゆかりは夢のような気持ちで車に乗り込む。

 物騒な京の夜道を牛車が行く。ゆかりが他の女であれば、夜盗に襲われぬかと怯え、尻込みするところであったろう。

 ――他の女・・・・・・

 ゆかりは自問した。

 自分は重衡の数ある愛人の一人に過ぎない。

――なのになぜ、私なのだろう。

 警固の侍が話がわかるといっても、そう何度も女との逢瀬を許すはずはない。呼ばれたのは、おそらく自分一人。

――あの人はなぜ私を選んだ。

 互いに遊びと割り切っていた仲だったはず。

 彼のような男に真実などない。それを探ろうとするのは無駄なことだ。それなのに、考えることをやめられない。ここにきて、まだ男に振り回される自分に苛立つ。

 牛の歩みがとても遅く感じられたが、車はやがて堀川へ。

 牛車はゆっくりと車宿りに寄せられ、牛が外された。

 半年振りに会う重衡。いったいどんな顔をすれば、どんなことを話せば、と悩む。

 だが、それには及ばなかった。

 簾の前に人影が現れた、と思う間もなく、勢いよく簾がまくり上げられ、現れた重衡に抱き締められる。

「侍たちには暇を与えました」

 そう耳元で囁くと、ゆかりを押し倒した。

 衣を解く間も惜しむ、性急さ。まるで初めて会った日のように。

 

 乱れた衣を身繕いしようと、重衡の身体から離れかけたとき、ゆかりは血の匂いを嗅いだ。夜目のきくゆかりは男の肩に血がにじむのを見た。

 いくら人払いしたといっても、見張りの役人がそう遠くにいるとは思えない。車宿りにはいつ人や車が入ってくるかわからない。

 息をひそめ、衣擦れの音さえ気にして。

 思わず上げそうになる声を漏らすまいと男の肩に噛みついた。

 ――そんなに強く噛んだつもりはないのに。

 重衡の直垂を小袖ごと片脱ぎにさせると、男の血を舐めとって、傷を癒そうとした。

 その愛撫にも似た仕草に、重衡は微笑する。

「今宵のよすがとなりましたね」

 男の声は穏やかで、そのあまりに落ち着いたもの言いに、ゆかりは、はっとして重衡の目を見た。

 諦念――

 男の静謐な眼差しは、全てをあきらめ、覚悟を決めた者のそれであった。

「本来であれば、生田で失っていたはずの命だから惜しくはないよ。自決しようと思っても果たせず、無様に生け捕られてしまったね」

 重衡の言葉は己れへの冷笑ともとれた。

「そのようなこと、おっしゃらないで下さい。私はあなたを助けようと思えば助けることができるのですから」

「どうやって? いや、それは聞かないでおこう。命を惜しんでいるとは思われたくないから。若くして死んだ従弟や甥たちを思えば、今こうして生きていることさえ恥だと思っているよ」

 ゆかりは重衡の顔を見た。

 華やかな顔立ちに紛れて気付かなかった。この人は心の底から武人なのだと。

 重衡は恋人に微笑みかける。

「それでもまだ未練があったとみえて、あなたを呼んでしまった」

 まるで、ゆかりと会えたことで、全てを思い切れたとばかりに、彼の笑みは澄んでいた。

 自分との逢瀬が、男を死出の旅へ送る(はず)みとさせるなんて。

 ゆかりは重衡に抱きついた。自分を捨てたことはもう恨むまいと思った。

 男は女の背中に手を廻し、やさしく撫でさすった。

「すまないね。最後まで不実な恋人だったね。あなたをこの世に残しておくのは本当に忍びないけれど、これも運命だと思ってあきらめてほしい……」

 重衡の声は自若(じじゃく)に過ぎ、ゆかりは言うべき言葉を失った。

 だから言葉ではなく。

 女は我が身を男へ押しつけた。

 もう一度私を犯して、と―――


 牛車は夜明け前に、御所へとゆかりを送っていった。

 帰る道すがら、止めどなく涙があふれた。

 重衡の前では涙を必死で堪えた。彼を困らせようとは思わなかったから。

 ――ああ、そうか。だから私が呼ばれたのだ。

 ゆかりは気付く。

 泣かない女、そんな理由で。

 ――最後まで、あの人は私を振り回すのか。

 疼く胸を押さえた。

 不実(うそ)誠実(まこと)が入り交じった男。

 彼からの慣れ親しんだ甘い痛みに、むしろ陶酔を覚えて。

 

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