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重衡、捕らわる

 重衡は平家の公達武将の中にあって負け知らずであった。

 しかし、平家の末路は語るまでもなく。

 思えば、この墨俣川での大勝が(あだ)となった。

「勝った、勝った」とまるで敵の全てを討ち果たしたかの大騒ぎ。

 北陸では義仲の、関東では頼朝の、それぞれ十万とも言われる大軍が無傷で温存されていたものを。


 平家の人々は重衡の勝利にしがみつき、次の除目では戦果のなかった者まで昇進させた。華やかな催しに興じ、見たくもない現実から目をそらした。

 飢饉の年にあって、義仲も頼朝も兵を動かすことを控えただけであったのに。


 養和二年(一一八二)二月、陰陽寮から報告が届く。

「太白星(金星)が昴をおかした。四方より夷敵おこる」と。

 しかし、聞きたくもないことは聞こえぬふりをした。


 清盛の嫡男である長兄宗盛は凡庸で、次兄知盛は病弱。この兄らとは、清盛の正妻たる母を同じくしていたため、自然、一門の決断は重衡に降りてくる。しかし、早世した異母兄重盛の子らとの関係は微妙なもので、また、清盛の弟たる叔父らの存在は心強くも、年長者への遠慮があった。彼は統率者として父の代わりとなるには若過ぎたのだ。

 一門を統制する者がないという危うさ。

 けだし平家の没落は、清盛の死から始まっていたのである。


 寿永二年(一一八三)四月、北陸道の義仲の軍勢が動き出す。これを討つため平家は追討軍を出向させるが、大将は維盛。富士川で大敗を喫した彼は、またもや()()伽羅(から)峠で自軍を敗走させてしまう。光源氏と詠われた美貌の彼は、叔父重衡と違って才色兼備とはいかなかったらしい。

 その維盛をなぜ出陣させたか。

 重衡やその兄や叔父らは一門の中枢にあり過ぎたために、生死を分ける合戦に討って出られなかった。人材の温存をはかる余り、その人材を生かすことをしなかった。


 その後の篠原での無惨な敗北、義仲の入京に伴う都落ち。

 まるで坂を転がるように、平家は落ち目を迎える。


 西海へ逃げた平家が太宰府を追い払われて、(のち)

 一門が居場所を失い、真に追い詰められてようやく、重衡は総大将として討って出ることが許された。

備中(岡山県西部)水嶋、備前(岡山県東部)東川、播磨(兵庫県)室山と、彼の奮戦により平家軍は巻き返し、京都奪還を目前に福原まで軍勢を進めたものの。


 寿永三年(一一八四)二月、源義経の奇襲により、重衡は生田の森で生け捕られる。

 

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