日露和平と米露の接近
少し時間が進んでいます。
西暦2049年、ロシアは苦境に立たされていた。経済の低迷が続いていることによる先行きの不安からロシア通貨・ルーブルの価値が下がり続けているからだ。さらに近隣諸国やアメリカをはじめとした俗に言う西側諸国との中東での領土拡大に関する対立から課せられた経済制裁が経済の低迷に拍車を掛けていた。何とかしなくては国が成り立たなくなってしまうと考えたロシア政府は、経済制裁を解除してもらう地盤がためとして西側諸国の中で一番の力を持つアメリカに接近するためにそのアメリカと最も近しい関係を持っている日本と日露和平条約を結び、北方領土を返還することを決定した。最初は戦争を仕掛けて勝利し、賠償金を得ようと言う案も出たが世界全体を敵にまわしかねない上に質・量ともに強化された日本の海上戦力と参戦してくるであろう欧州連合の地上戦力、在日米軍の戦力からの挟み撃ちはいかなロシア軍としても勝てるか分からない、戦争を仕掛けるための大義名分もない上に後から非難されるのは自分達だとして却下された。その後、この決定案をロシア政府は日本政府に通達し、日本政府は驚きながらも領土が戻ってくるならとそれを了承、何回かの協議をした上で正式に日露和平条約を締結した。ロシア政府は、これを足掛かりに日本政府の仲介でアメリカ政府に接近し、中東から手を引くことを伝えた。アメリカ政府は警戒しながらも日本政府が仲介していることもあり、一応は信用し経済制裁の解除を行うことを決定した。これにより、米露の関係は少なからず改善され第二次大戦後から続いてきた対立関係はなりを潜めていくこととなった。後の歴史学者はこの出来事がアジアを中心にして起きた戦争を早期終戦に導く要因になったと語っている。
こんなことが、現実に起こればいいんですけどね~。