業を断ずる少年少女
鶫の放った攻撃が、眩い光を湛えながら庸汰の法力に激突する。爆風によって家全体が軋み、ばらばらと壁材や天井材などが降り注いでくるも、寸前、透が放ってくれた炎が壁際にいた瞳子を守った。
「鶫、さん……っ」
情報の処理に戸惑ったような表情を見せたのは一瞬のことで、すぐに何が起こったのか把握したらしい。瞳子は鶫に顔を向け、全身から再会の喜びを発する。
「瞳子!」
その姿を認めた鶫は、すぐさま彼女の方に駆け寄ろうとした。
しかし、それを遮って目の前を勢いよく掠める法力の矢。反射的に足を止めると、その矢は瞳子の傍に突き刺さる。傍も傍、顔の真横に。
血の気を引かせながら飛んできた方向に目をやると、禍々しい雰囲気を纏った庸汰がゆらりゆらりと体を揺らして近づいてくるのが見えた。今までとのあまりの落差に、反射的にたじろぐような形になってしまう。
宏基も警戒したように構え、透は瞳子の防御に使った炎を消さず、自分たちの方にまで広げていく。ひな子も庸汰に気を払いながら、手に持つ月読の鏡をどうにか瞳子に渡すことは出来ないかと思案している様子だ。
鶫はただ、一歩、また一歩と近づいてくる庸汰の濁った眼を真っ直ぐに見ていた。
「――朝比奈鶫」
低い声が鼓膜を揺らし、鶫はぴくりと顔を上げた。
睨み合いのような、それとも互いに言葉を探しているような、言葉で形容しようのない間が二人の間に生まれる。呼吸音すら憚られた。
沈黙をどちらが破るのか、その場にいる仲間たちが固唾を飲んでいるのが分かる。
近づいてきた庸汰に阻まれるような形になって、瞳子に手が出せない。その状態に歯噛みした鶫が口を開くこととなった。
「……言われた通り、丑三つ時までに瞳子を見つけ出したんだ。帰せ」
もう疾うに日は暮れ落ちて夜も深まり始めているが、丑三つ時まではまだまだ遠い。
とはいえ、鶫たちを皆殺しにしようという庸汰を相手にして、約束がきちんと守れられはしないだろうことを重々分かっている。きっと力尽くでで奪い返さねばならないことも。それでも、約束を持ち出す以外に言葉が見つけ出せなかったのだ。
「帰せ……帰せ、か。そうだな、返すつもりではいるぞ?」
何が可笑しいと言うのか、目の前の男はくつくつと笑い声をあげている。鶫は訝しむが、鋭く飛んだ法力の縄が瞳子に巻き付いたのを見て、そんな思いもすぐに吹っ飛んだ。
瞳子はその縄に引きずられ、庸汰の腕の中へと閉じ込められる。不快そうにもがくが、当然男の力の方が強く、逃れられない。
「何の真似だ!」
「だから、帰すためだ。ただし、死体に変えて、だがな」
吠える鶫の感情を逆撫でするように庸汰はゆるゆると口角を持ち上げる。その手にあるのは、いつか見たような法力の槍。正確に心臓の位置へと定められたそれに、鶫の血の気が先ほど以上のスピードで引いていく。
「瞳子!!」
「姉さん!!」
駆け出す鶫とひな子。何かしらの毒を生成し放とうとする宏基、庸汰に好きな動きをさせまいと炎を作り上げた透。
「無駄だ」
全員を嘲笑いながら突き刺すべく腕を振り下ろす庸汰。
「やめろ――ッ!!」
鶫は絶叫し、肩が外れるほどの勢いで手を伸ばした。残り五センチ、三センチ、一センチ。確実に見える槍と瞳子との間の距離が、鶫を絶望へと叩き落とす。
「ようやく、意識がある状態で触れてくれましたね」
しかしその状況にはそぐわないほど落ち着いた声が凛と響き、鶫は目を見張った。
驚いたのは鶫や仲間たちばかりではない。庸汰も同様であり、振り下ろしかけていた手が止まっていた。
「……は?」
未だかつて聞いたことがないほど間抜けな声。庸汰も瞳子が何を意図せんとしているのか全く分からないのに違いない。
一旦は攻撃の意志が消えたものの、いつまた瞳子の胸を穿つべく動き出すのかは分からない。今のうちにどうにか彼女を取り戻さねばと思うも、どうしたらいいのか判断がつかなかった。槍を持つ手が動かないでいるとはいえ、庸汰は瞳子を捕まえたままなのだ。
呪いによる痣が、もがく瞳子の頬にまで浮かんでいるのが見える。全身を覆いつくせば死ぬという事実を思い出し、何度目か血の気が引いていく。
それを使えば簡単に殺せるだろうに、今まで呪いで散々と苦しめ続けた上、更に刺し貫いて殺そうとしていたその執念。彼の負の感情がどれほど膨らんでいるのかを簡潔に表しているかのようで、なおさら冷え冷えとした思いが湧いた。
「こんなチャンスが来るとは思いませんでしたが」
だが、やはりどこまでも瞳子は冷静なまま。肩を掴む庸汰の手を己の両手で捕まえることができた途端、もがくことすらやめた。
瞳子、と呼ぼうとしたけれども、束の間交わった彼女の眼から何事かの策を読み取り、すんでのところで呑み込む。
瞬間、瞳子の全身から光が迸った。
瞳子以外の全員が息を呑む。その光が瞬く間に自分へと移っていくのを見て取ると、庸汰は悲鳴かあるいは怒号のようなものをあげた。そして瞳子を突き飛ばすようにして飛びのく。けれどもその後も彼女から庸汰へと光の橋が渡る。
光が庸汰に流れ込むにつれ、一方の瞳子の痣はだんだんと薄れていった。
それを見て鶫は悟る。
これは、呪詛返しだ。
「――ッ!! が、ああぁ、つく、よみ、つくよみッ! おまえ、お前は今、何、を……ッ!!」
苦しむ庸汰の体にざわざわと全身に広がっていく痣。それは今の今まで瞳子に現れていたものと同じだった。痛みが走るようで、床へ崩れ落ちた隙に瞳子は彼の腕の中から這い出るように逃げ出す。
「貴方と私の実力はもともと互角。かけられた呪を返すには、同等以上の力が要ります。私は呪いの影響で生命力が削られ、それに伴って霊力が弱まった……しかも貴方は、私の力がある程度弱まるまで目の前に姿を現さない徹底ぶりでした」
数度の瞬きの間に輝きが立ち消え、瞳子の体からは完全に痣が消えたようだった。その代わりに庸汰の肌の露出している部分のほとんどから、赤黒い不気味な痣が覗いている。
「弱まった霊力でこの規模の呪を返そうとすれば、直接触れて返す相手に霊力を流し込まなければならない。加えて、貴方の力が私と同程度に弱まる機会を待つ必要もあった。今までは私の意識があるうちに貴方に触れられたことがありませんでしたから、返したくとも不可能でした。でも、完全に我を失って、初めて隙を見せてくれた」
肩で息をしている庸汰を見下ろしながら、言葉を続けていく瞳子。
「今回は貴方も随分と無茶な力の使い方をなさったようで、法力がかなり弱まっています。……ようやく、返せた」
仲間たちは声を発することすらできないでいるが、つまり瞳子はもう、呪いから解放されたということ。死と隣り合わせの状況を脱したということだ。
鶫は逸早く驚きから回復し、彼女の傍に駆け寄って守るように背後に回した。すると、初めてこれほど至近距離から庸汰を見下ろすことにもなった。
変貌ぶりに今まで不気味に見えていた庸汰の目を見れば、小刻みに揺れている。まるで、どうすればいいのか分からない、と本当は叫び出したくてたまらないかのように。
なぜそう思うのか。
それは、同じ目だったからだ。里を失い、母親代わりの人を失い、友を傷つけ、生き方さえ見失っていた――風巻に出会う寸前の、あの頃の久遠と。
鶫には、そういう庸汰が、まるで帰り道を見失って途方に暮れる幼子のように思えた。
あるいはその思いが眼差しにも表れていたのだろうか。突然、庸汰が殺気のようなものを纏う。
「……っお前にそのような憐みの目を向けられる謂れはない!!」
魂からの叫びのような咆哮と共に暴発する青白い光。庸汰の両手から発せられた法力が巨大な球へと変貌する。それは鶫があまりの勢いにわずかに仰け反ったのとほぼ同時で、この至近距離では反応が間に合わない。
「私はッ、お前たちの在り方も、思想も、何もかも決して認めん!! 妖怪と共生できるはずがない、していいはずがない! 妖怪は滅ぼさなければならないのだ!!」
このままでは二人とも死ぬ。いやに冷静な頭がそう訴えかけるや否や、鶫は瞳子の体を引き寄せて法力へと背を向けた。
せめて瞳子だけでも。その思いからの行動だった。
「鶫、さ……ッ!?」
愛しい人が抗おうとしたのも分かるが、抱きしめる力を強めてそれを制す。
「鶫!!」
「姉さん!!」
宏基と透、ひな子の叫びが分かっても、反応できない。
「二人纏めて地獄へ帰れ!! お前らが共に生きるなど、今世でも叶えさせはしない!!」
哄笑、轟音、光の炸裂。球の発生から覚悟を決めてきつく目を閉じるまで、わずか数秒。
だが、予測した痛みは一向にやってこなかった。
その代わりに、どこか懐かしい気配がする。
閉じていた瞼をゆっくりと持ち上げた鶫は、大きくその目を見開いた。
気がつけば構築されていた結界が法力を完全に無効化し、鶫と瞳子を守っている。
「――……ッ!?」
続いて間を置かず飛んできた鎌鼬を諸に受けたようで、驚愕の様相の庸汰から噴出した血が勢いよく舞い散った。
あの結界は。この、風は。
派手な色味の着物と、楽しげな笑みが脳裏をよぎる。
「風巻さん……」
同じことを思っていたらしい瞳子が、珍しく呆けたような声をあげた。
存在を改めて思い出しながら無意識に触れていたようで、鶫はひやりとした感覚を指に覚える。
「懐刀……」
陣に入る前にベルトへと挿し込んでいた、久遠の形見。黒漆の鞘に納められた一振りの懐刀。義兄からの贈り物だった。
――そういえばその刀な。さっき月読に渡した鏡みたいに、持ち主を守る呪がかけてある。それが発動する機会なんかそうはねぇだろうけど、誰かに一瞬でも貸したりするなよ? いざってとき発動しないからな。幹部の誰かでも、月読でも、簡単に渡しちゃ駄目だからな。
彼の言っていた『持ち主を守る呪』というのは、こういうことだったのだ。
自分に何があっても久遠を守れるように――恐らくその思いから風巻が用意したのだろう機能が、前世越しで果たされたのである。
「……ッ、あの、烏天狗……!! 風巻!! お前は死んでもなお、今世でも私の邪魔をするのか!?」
大きな傷ができている左腕から血を滴らせつつ、庸汰が三度喚き立てた。
感情のまま振り下ろされる錫杖の攻撃を、鶫は今度こそ見切って受け止める。風巻が久遠のために鍛えた、その懐刀で。
「妖怪と人間が愛を交わせるはずがない、そんなものは有り得ない! 久遠の理想など叶うはずがないのだ! 妖怪という生き物は人間と根本的に何もかもが違う! 人を殺し、食らい、苦しめる!! そのようなイキモノと融和できるなどという考えは幻想だ!! 妖怪は私たちの手で殲滅せねばならない!! 人間のために!!」
止められても、それでもなお押し込んで来ようとする庸汰。人間にしてはあまりに強すぎるその力に、鶫は片手で持っていた柄に左手を添えて耐える。
「なぜ共生などという絵空事が叶うなどと思った? 久遠、お前はただ、大多数の妖怪にも受け入れられず、人間にもやはり受け入れられなかったその憂さを、自らの願いに意固地になって晴らそうとした、違うか?」
怪我をものともしないような力を込めながら、爛々と輝く目で鶫を見下ろしてくる。
鶫はその台詞に瞠目した。久遠は風巻にさえ、触りは教えたが詳細を語って聞かせたことはなかったはず。それは誰にも知らせたくなかったのではなく、語ることで自身が思い出すことが辛かったから。何十年、それこそ百年以上が過ぎようとも、久遠の中で綺麗に消化しきれてなどいなかったからだ。
故に、久遠は双念に過去を教えたことは一度もない。それにも拘らず、庸汰は久遠の過去を知っているというのか。
「知っているぞ。長が率先して絵空事を掲げていた猫又の里が滅びたこと、そしてお前はその息子であって唯一の生き残りでもあること! お前が身を寄せ、お前の里と同じようにヒトと共生しようとしていた群れも、結局は人間と決裂し共生を断念したことも! 加えて、叔父の里は人間を殺すことを是としていたそうだな? 総て歴代の法師たちの記録に残っていた。つまるところお前はどこにも居場所を見つけられなかった」
――俺が死んだら、次の『久遠』はお前だ。励めよ。
――兄さまさえいれば、里は終わりじゃない。さようなら、春永兄さま。
――……好きにしろ。代わりに、怪我をしようと法師や巫女に追われようと、もう二度と此処には頼るな。
――言うな。たとえそうだったとしても、言って何になる? 与吉が元に戻るわけではない。それとも口にすることで自らが楽になりたいのか? そんなもの、ぬしの勝手に過ぎん。
失い、手放し、壊し壊されてきた絆は、確かにある。
「自分がどこにあるべきか分からず、ただそれを見つけたいがために『共生』を体よく用いていただけだろう!! 月読が、ただ妖怪を愛したがために共生を果たそうとしたように!!」
嘲笑うような言葉には、確かに当たっている部分もあった。
久遠は、抱いていた共生の理想について「どうして叶えようと思ったのだろう」とふと立ち止まって考えては、それを月読に零したこともあった。
彼の一生を知り、最期に何を願ったのか知った今の鶫になら、分かる。その答えはきっと単純なことだと。もう二度と誰も自分の前から自分より先にいなくなってほしくはなかったから。叶えなくてはならないものがあるという一本の芯を持っていなければ、倒れてしまいそうだったから。
いつだって、心の中では寂しいと泣いていた。自分を救いたいがための、藁にも縋る思いだったのかもしれない。
だけど。
――此処にいたら、貴方はきっと幸せを得られるでしょう。ほんの少し前までの激動とは無縁な、優しい世界で生きられるでしょう。だけど貴方の目標は何ですか。妹君と約束したことがあるのではないですか。
――お前、もっかいオレと会うまで生きてろよ。
――ついて、いかせてください……。
――……ついていかせてください、久遠さま。
――……貴方はやっぱり、妙な妖怪です。
たとえ願いが植え付けられたものだったのだとしても、どんな利己主義だったのだとしても、叶えたかったのは真実だった。それを分かってくれた人がいた。共に果たそうと笑ってくれた人だっていた。
失くした絆はたくさんあったが、確かに繋がり、今にまでずっと繋がっている絆だって、もちろんあった。あったのだ。
その証のひとつである懐刀をしっかりと握りしめ、因縁の男に対して強い語調で返す。
「大切だと思った人と何の負い目も引け目もなくずっと一緒にいたいと願うことの、どこが悪い。居場所を自分で探し出そうとすることの何が悪いんだ」
迷ってばかりだったけれど、間違ってばかりでもあったけれど。久遠は最後まで自分の道を貫いた。鶫が眩しいと感じるほど。
「お前だって同じことだろ。妖怪を殲滅しなければならないっていう思想を受け入れなきゃ、立場を確立できないところで生きてた。それ自体は仕方ないことだし、当然のことでもある。だから久遠にもぼくにも、誰にも否定できない。ただ久遠の考えとは全く噛み合わなかっただけ」
どちらも、譲れない信念だった。対極の位置にあったせいでぶつかり合ってしまう。きっと、それぞれがそれぞれの愛する者を守りたかっただけなのに。生きたかっただけなのに。
「思想に優劣なんてないんだよ、ひな子ちゃんが言ってたように。結局、感情がある生き物である限り、どんな考えだってエゴイズムから始まるんだから」
愛おしいからこそ間違える。だけど、愛おしいからこそ果たせるものもある。久遠が愛おしみ守ろうとしたものと、双念のそれが違ったということなのだ。
そして、本当は知っている。久遠の思想を決して受け入れまいとしている大きな理由のひとつは、月読が手に入らないことを認めたくないから。
どこまでも純粋で、激しい感情。
ああ、気高い法師であった双念も、力の強い法師である前に誰かから教えを乞うた一人の法師で、一人の法師である前に人間だったのだ。今さらになってそう悟る。
揺らがない鶫の瞳を見つめる庸汰の手が、ぶるぶると震えていた。力が弱まっていく。ついさっきまでの強さは何であったのだろうと疑いを持ちたくなるほど。
鶫はその隙を逃さず、切っ先で錫杖を弾き上げた。敵の手から離れたそれは、遊環の鳴る軽やかな音を立てながら吹き飛んで、床に転がってしまう。
呪符に戻ったものを透の炎が炭も残らないほど綺麗に焼き切った。幻術を使って姿を消しながら知らぬ間に傍まで移動していたらしい。予備でも持っていない限り、これで庸汰は錫杖を復活できなくなったことになる。
視界の端で炎を捉えた鶫は、顔を向けないながらも透へ微かに口角を上げて見せた。彼は小さく頷いて応えてくれる。
「ふ……っざ、けるな!! 何を開き直って偉そうに……!!」
怒鳴り声をあげられても、鶫の心は揺らがない。
「吠えるなよ。自分の考えがここでは常識じゃないからって」
ぴしゃりとした調子で発言を遮られ、庸汰は頬を引き攣らせた。
攻撃がいつ飛んできてもおかしくない空気に透が反応する。結界代わりに広がり、燃え上がった揺らめく炎を間に挟み、鶫と庸汰は互いに鋭い視線を交わし合う。
「前世で双念が示したんじゃないか。正しいか否かが問題なんじゃない。結局、どれも間違いでどれも正しい。最後まで残った方が勝ちで、前世では久遠たちが完敗した、それだけのことだろ」
だからこそ、今世ではぼくたちが勝ってそれで終いにする。継がれた言葉に、庸汰の顔が怒りのためか朱に染まった。
鶫はそれに攻撃に備えて構え、透も同じ行動を起そうとしたが、庸汰が次なる攻撃を放つことは叶わない。
なぜならば、庸汰の首に唐突に腕が回り、羽交い絞めのようにして拘束したからだ。
鶫は唖然とするが、驚きは庸汰の方が何倍も大きかったらしい。
「なっ……!」
突然自分の首に腕が回ったことでぎょっとしたように後ろを振り返った庸汰に釣られ、鶫もそちらを見る。
周りの風景に滲むようにしていた姿がじわじわと現れる。腕の主、それは、宏基だった。
「蛟、……ッ触るな! 離せ!!」
庸汰は嫌忌の表情を隠しもせずに睨みつけて抵抗する。
「うるせえな。何驚いてんだよ。自分で言ったんだろ。俺の力は不意を突いた攻撃向きだって。アドバイスどうも」
だが宏基は特に動じず難なく押さえつけつつ、珍しく微かに笑んだ。間髪入れず、すでに用意してあったらしい毒気を固めた針で庸汰の首を刺す。
「宏基兄!」
一瞬動揺を誘われて思わず名を呼ぶが、その時にはすでに庸汰は崩れ落ちていた。狼狽えながら駆け寄れば、四肢は全く動いていないだけで意識はあるらしく、恨めしげな唸り声をあげている。
どうやら生命に支障はないが、手足が動かなくなる麻痺毒だったようだ。鶫は安心し、小さく息をつく。
しかし、宏基が姿を消せたのは確実に幻術の作用だ。すぐ傍にいた透は炎を維持していただけで、幻術は使っていない。これほど近くにいたのだから分かる。
「ひな子……」
では誰がと混乱したところで、背後の恋人が発した名にまたも驚く。
「姉さん!」
ようやく駆け寄ることができるとばかりに自らの姉を抱きしめたひな子の手には、金色の美しい毛があった。それは透の持つ九つの尾の毛色と同じ。
「ひな子、今のは……」
法師が幻術を操るように巫女もまた幻術を扱えるけれども、ひな子にはあれほど正確に幻術を操れるほどの霊力は備わっていないはずだ。それを一番分かっている瞳子が、未だに呆気にとられたようにしてひな子を見ている。
「透先輩から、一度きり自由に幻術が使えるようにって貰ってたの。だから真田先輩にあたしからっ……とにかく、よかった……よかった! 無事で……っ」
幻術の才がない者でもいざというときに使えるよう、自らの一部を渡す。玻璃の頃は信頼するごくごく一部の者にしか取らなかった行動で、きっと透も変わらないだろう。
鶫が知らない間に、透はひな子への信頼を深めていたらしい。こんな状況ながら、鶫の表情は僅かに綻んだ。
「姉さん、これ」
少ししてから離れたひな子から瞳子へと、懐刀と共に出てきた月読の鏡が手渡される。
瞳子は驚いたようにしつつもすぐに状況を把握したようで、一度小さく頷いたのみで庸汰に近づいていく。
それを目で追っていた鶫も、彼女が隣に来たのを確認してから庸汰へと視線を戻した。
「……庸汰」
目線を合わせつつ呼ぶと、憤怒の色がぎらぎらと煌く目で睨みつけられる。錫杖は奪われ、手足を動かすことも叶わずため印を結ぶことさえできないのに、詠唱だけで法力の小さな球を作り上げて鶫を狙う。
「ふざけるな、このような屈辱を受けるぐらいなら殺された方がましだ! 真田宏基! お前は私を殺すことを望んでいただろう、殺せ!!」
すんでのところで躱すも、喚き散らす庸汰の目は死んでいない。怒りのままに叫ぶ彼が呼ぶのに釣られ、鶫も宏基を見遣った。
「……アホか。何でてめえに命令されなきゃならねぇんだよ」
宏基はその美しい群青の瞳を不快そうに細め、はっきりと言葉を紡ぎ出す。
「寒露に命令できたのは久遠サマだけ。誰に従うか、自分で選んだ結果だ。それと変わらない。――俺が誰の意見に従うかは、俺自身が決める」
決然と言い放たれた思い。
鶫と宏基の視線が一瞬交わった。その目を見、鶫はまた安堵する。
――今世では俺がお前を殺す。
あの台詞を吐いていたときのような苛烈な殺意は見えない。芯から何かが定まったような目の色だった。
それがたとえ鶫を未だに『久遠』と同一視しているものだとしても。それでも、前に進もうとはしてくれているということだから。
――誰一人欠けずに幸せにならなきゃ、意味がないんだ。
その意志を彼もまた守ろうとしてくれているのだと、分かったから。
けれども、当たり前だが庸汰にとってその答えは望むべくものではない。
「ッああああああぁアアァ!! ふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなァ!!」
喉が張り裂けんばかりに叫喚して、めちゃくちゃに暴れ立てる。すると、火事場の馬鹿力とでもいうべきか、彼の動かないはずの体が動いた。
「ちょ、」
「……ッ」
透が声を上げ、宏基は手を伸ばす。
その反応は数瞬の遅れで間に合わず、鶫自身が声をあげる間もないほどで、もつれこむようにして床に引き倒された。懐刀が音を立てて手から離れ、床を滑る。
「鶫さん!」
「先輩!」
姉妹からも悲鳴があがる。
首に庸汰の前腕が押し込まれて呼吸は苦しい。然れども、鶫本人は冷静だった。法力も何も使わない、それであるがために憎悪がなお鮮明に伝わってくる攻撃を受けているのにも拘らず。
「なぜ、邪魔をする……ッ! お前は、どこまでも!!」
それはきっと、庸汰の目が、声が、体が、震えていたから。
「――、今世でこそ、大切な人を、っ、……守り、抜きたいから」
防御も抵抗もしようとせず、苦しげに息を漏らしながら、ただ真っ直ぐに目を見返す。
「久遠は、きっと……たとえ、互いに認められなかったとしても……双念の、本心からの話を、聞きたかった」
そんな鶫に、首を絞めつけながら彼は何を思ったのか。表情を歪ませ、震える唇で囁くように漏らす。
「……お前と語らうなど、反吐が出る」
永遠に分かり合えることなどないのかもしれない。単に、毒が完全に回ったのかもしれない。
それでも確かに鶫は、彼の腕の力が緩んだのを感じた。
透が幻術を放ったのか、糸が切れたように眠りに就く庸汰の体を、鶫は咳き込みつつも受け止める。
――なぜ、邪魔をする……ッ! お前は、どこまでも!!
なぜか、今しがた言われたばかりのその言葉が、頭の中で反響していた。




