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心に芯を定めた少年

 薄暮があり月の船が漕ぎ行く夜半があるのならば

 黎明も必ず訪れるはずだから



   ● ● ●



 静かだ。

 いや正確には、火の粉の爆ぜる音であったり、傍にいる瞳子の呼吸音であったり、そういった様々なものが鶫にも聞こえてはいる。しかし、今の彼にとって、それは聞こえていても聞こえていないのと同義だった。

 耳から飛び込むものはもちろん、その他の器官から取り込んでいるあらゆる情報は滞りなく処理されている。心が麻痺してしまっただとかそういうわけではなく、不必要に波立つことがない。

 これがどうしてなのか。理由はよく分からなかったけれど、ひとつだけ思い当たるとすれば覚悟が決まったこと。

 前世を言い訳にしない。前世と今世は同一人物たり得ない。だからこそ、前世では掴むことができなかったものを掴むことができる。

 瞳子をちらりと垣間見ると、それに気づいたようで微笑まれた。

「あと五秒。四、三、二、一……」

 固く繋がっていた手を、透のカウントダウンに合わせてそっと解く。名残惜しさはあるが、絆は決してほどけないことを知っているから。

 彼女も思いは同じなのか、ただ真っ直ぐに炎の壁を見ていた。

「――消すよ」

 十秒きっかりのタイミング。一気に炎が消失していき、それまで視界を覆っていた赤い海が引く。代わりに見えた黒い影は――庸汰。

「かくれんぼは終わり?」

 遊環の音が鼓膜を揺らす。その姿に双念の姿が重なる。

 彼はいったいどのような人生を歩んできたのか。新たに生を与えられながらも『双念』に囚われ、『庸汰』として過ごすことができないまま、ただ久遠や月読への恨みを重ね続けた。

 そう望んだのは、双念。

 ――もう一度、君たちを殺せるように。

 庸汰は、業に最も縛り付けられた生まれ変わり。

「かくれんぼしてたつもりなんてないけど……そうだね。もう、終わりにしよう」

 鶫はゆっくりと深く呼吸し、変化へんげを強めていった。完全ではない、しかしほとんど近いところまで。

 言葉の調子に今までと違うものを感じ取ったらしい。庸汰は錫杖を持った手をぴくりと動かし、微かに眉を顰め、間合いを取る。

「ぼくたちが勝って、それでしまいにする」

 強く言い切って高く跳び上がり、妖力を込めた爪を彼へと思いきり叩き込んだ。

「はあ? 何言ってるの? 僕が勝って終わりに決まってるでしょ。何で君たちが勝てると思うの。前世と同じだよ、死ぬのは君たち。勝って生き残るのは、僕だ」

 錫杖でそれを受け止めた庸汰は、せせら笑う。

 今まではそれにいちいち苛立ち、腹の中が沸騰するような感覚に襲われていたところである。

 しかし、今はただただそういう庸汰が憐れで、悲しい。

 跳び退いて、自分の妖気に宏基の毒気を練り合わせて第二撃を叩き込む。今度は結界に弾かれた。

 だがすかさずひな子が一気に距離を詰めてきて、霊力の込められた拳で殴りかかる。結界が揺らめく。鶫がそこに更に技を投げつければ、結界はガラスが割れたときのような派手な音を立てて崩壊した。

「……何だよ、その目」

 結界を張り直すのではなく、自らに法力を纏うことで防御を固め始めた庸汰は、間合いを取り後ろに飛び退いた鶫とひな子を見た。続けて後衛から攻撃を放つ瞳子や宏基を見、顔を不快そうに歪ませる。

「何って、」

「何で揃いも揃ってあの男と同じ目を向けてくる! 久遠、お前もだ!! お前もあの男も、二度と鬱陶しい視線を私に寄越すな!!」

 光が庸汰を中心に暴発し、瞳子が咄嗟に張ったらしい結界が何とか相殺したものの、未だ降り注ぐ雨が煙のように蒸発した。

 『あの男』。誰なのかなど考えなくとも分かる。庸汰が、いや、双念が、自分の怒りに身を任せた上に法力を暴走させる。それほどまで憎悪する者など限られている。


 久遠と――風巻。


「ぼくは久遠じゃない。鶫だ」

 蒸気は晴れきらない。鶫はそれを目くらましにしながら、法力の気配を頼りに切りかかる。

 辛くも錫杖で受け止めた庸汰の表情が、今までで一度も見たことがないほどに歪んでいた。

「風巻ももうどこにもいない。いないんだよ」

 どれほど願っても祈っても、死んでしまった人は帰らない。限りなく近い存在になれたとしても、完全に同じになどなれやしないのだ。

「双念ももう、とっくに死んでる」

「……うるさい、黙れ……」

「五百年前に、ぼくらの前世は皆死んだ。お前は庸汰で、他の誰でもない。『双念』じゃ、ない。『双念』が亡霊のように取り憑いてるだけだ」

「黙れと言っているだろう!!」

 咆哮と共に法力の豪雨が鶫を襲おうとする。それを宏基の毒気と透の炎が傘のように上空に現れて相殺し、畳み掛けるように瞳子が霊力の槍を投じる。ひな子が気配を消して庸汰の背後へと向かっていくのを確認し、鶫は一歩踏み出した。

「なあ。認めろよ、もう」

 爪閃斬を放ち、後ろから近付くひな子が庸汰に気取られないよう、視線を誘導する。案の定、頭に血が昇っている庸汰の視線は鶫に釘付けになっていて、気づいている様子はない。

「何がだ!」

「自分が失くしてきたもの。手に入れられなかったもの。これから手に入れられるかもしれないのに、目を閉じてるもの。たくさんあるだろ?」

 ひとつのことに囚われすぎて大切にしたかったはずのものを失くしたのは、久遠も双念も同じ。

 ただ違うのは、手を差し伸べる人が果たしていたのかどうかという、たったそれだけ。

「助けてなんて言わなくていい。ぼくらを認めてほしいなんてことも、言わない。だけどただ……いろんな思いに溺れて息が出来なくて苦しいのなら、ぼくらが掴んで引っ張り上げるから。手を取ってくれれば、それでいいんだ」

 真っ直ぐに見て右手を差し出す。

 視線がその手に留まり、鶫の顔に留まり、もう一度手に戻った瞬間、庸汰の顔は一気に朱に染まった。

「お前の常識を私に押し付けるな!!」

 彼が法力の球を放とうとする。鶫が攻撃に備えて爪に妖力を込める。ひな子が庸汰の背を蹴り飛ばす。総てはほぼ一時いちどきに起きた。

「心を揺らすな。巫女の常識だけど、法師にとってももちろん常識のはずじゃないの?」

 ひな子の静かな声が辺りに響くのを聞きながら、鶫は吹っ飛んできた庸汰を反射的に受け止める。いつの間にか駆け寄ってきていた宏基が、誘眠の薬の膜で庸汰を包もうとした。

 だがその瞬間、庸汰の姿がふっと煙のように掻き消える。

「術もまともに使えない小娘に法師の常識を解かれるとはな」

 声だけが響くけれども、庸汰の姿は全く見えなかった。

「……、幻覚!」

 透が舌打ちをして幻術破りの発動に取りかかっている。

 優秀な幻術使いは五感総てを支配するという。つまり恐らく嗅覚も役に立たないだろうことを自覚しながらも、鶫は匂いで捜そうと試みた。

「瞳子、念のため結界――」

 そして声をかけようとして気づく。瞳子の姿もまた、見えなくなっていることに。

「瞳子……!?」

 頭の中に前世の嫌な記憶が蘇る。姿が見えなくなり、必死で探して、ようやく見つけ出した時にはもう事切れていた月読の姿。

「あはは、今さら気づいた?」

 声の直後、庸汰は少し離れたところに姿を現した。

 ただし、一人ではなかった。その小脇に抱えられているのは、見間違いようがない。見慣れた若草色のプリーツスカートから長く伸びる足。青白く染まった顔と、閉じられた目。

「……ッ! 瞳子!!」

 そんな彼女の姿が視界に飛び込んできた瞬間、鶫は己のまなこを疑った。

「姉さん!」

 ひな子も悲鳴のように瞳子を呼び、口元を覆っている。今すぐ駆け寄りたくとも、敵の手中にいる限りは下手な手を打つことができなかった。

 傍に立つ宏基や透からも、鶫と同じように俄かには信じられないという空気が滲み出ている。

 無理もない、瞳子はそうそう簡単に不覚を取るはずがないのだから。庸汰がいくら強いとはいえ、鶫たちに危機を知らせることもできないほどあっさりと捕まるなんて、有り得ない。

 だが鶫はひとつ失念していたのである。

「呪詛をかけたのが僕だってこと、忘れた? 一気に強めれば、意識を失わせるなんて息をするぐらい簡単だよ」

 すっかりいつもの調子を取り戻し、くすくすと楽しげな笑い声をあげていた。

 彼の腕の中にいる瞳子の首にまであの不気味な痣が表れている。呪いを強めたというのは真実らしい。

「庸汰、お前……」

 言葉がそれ以上出てこない。体もその場に縫い付けられたようになっていて、ただ心臓だけが激しく動いていた。

 瞳子が死んでしまうかもしれない。また守れずに終わってしまうのかもしれない。月読の遺体の映像と今の瞳子の姿がダブる。

「安心して、すぐに殺したりしないよ。それじゃつまんないし。今世ではね、君の死んだ姿を見せてから殺したいんだ。前世の時は真っ先に殺しちゃったし。ああ、一番初めに殺したのは烏天狗だったね。存在すっかり忘れてた忘れてた」

 淀みなく語られる言葉は、本当に自分と同じ言語が用いられているのだろうか。そう疑問に思いたくなるくらいに、鶫の頭は理解を拒んでいた。

 庸汰の笑い声だけが響く中、仲間たちから殺気が立ち昇っているのが感じられる。

 もちろん、鶫もまた怒気を抑え込むことは不可能だった。

「瞳子を、返せ」

 拳を震えるほどに握りしめ、低い声で言う。

 庸汰はそれにただただ楽しげに笑い転げており、鶫の中で苛立ちが降り積もっていった。

「返せって言われて返すなら、最初からこんなふうに攫ったりすると思う?」

 皮肉っぽく言いながら、鶫の感情を煽るように抱え直す。

 鶫ははらわたが煮えくり返りそうになるのをどうにか抑えつけ、鋭い目でねめつけた。

 庸汰はそれを見てますます楽しげに笑うのみ。膠着状態が続いたが、やがて唐突に彼の笑い声が止む。錫杖の遊環が涼やかな音を立てた。

 怪訝に思い反射的に庸汰と目を合わせた鶫。すると、相手もこちらを見ていたらしい。青紫色に染まった唇がゆっくりと開く。

「明日の丑三つ時までに僕の隠れ家を見つけられれば、瞳子ちゃんは返してあげる」

 余裕綽々に見えていた彼だが、宏基の毒を浴び、鶫とひな子の攻撃を受けている。出血は未だ治まっていない。その上、長い時間を雨に打たれ続けていて、術の連投。生身の人間としては体力の消耗は避けられないだろう。

 ひな子以外満身創痍と言ってもいい鶫たちだが、限界が近いのはどちらも同じなのではないのか。鶫は彼の唇の色を見ながら、ふとそんなことを思った。

「勝つのは僕だよ、鶫くん。君たちはまた負けて、みっともなく地べたに転がるんだ」

 大型の鳥の形をした式神を作り上げ、瞳子の体を抱え上げてその背に飛び移る。宏基が止めようとして反射的に毒霧を放ったが、ほぼ同時に庸汰が浄化し、無効化されてしまう。宏基の舌打ちが響いた。

「姉さんッ!!」

「ひな子、危ない、駄目!」

 追い縋ろうとするひな子と、飛んでくる法力の球に気づいて彼女を押さえ込んでいる透の声を聞きながら、鶫は睨むように庸汰を見上げた。

「言っただろ。ぼくたちが勝って、それで終わりにするんだ。勝つのはお前じゃない」

 負けやしない。このような卑怯な真似しかできない相手に、自分たちは負けない。

 言い聞かせて思い込ませるのではなく、確信していた。

「瞳子。必ず、迎えに行く……!!」

 聞こえているかどうかは分からなかったが、叫ばずにはいられなかった。

 ――私はあの人には殺されません。絶対に。前世をもう一度繰り返すなど、御免ですから。

 庸汰の腕の中にいる瞳子は、ぐったりと意識を失っている。青ざめた顔に不安が募るも、彼女を信じるしかない。

「そんなことを言っていられるのも今のうちだよ、鶫くん。前世よりももっと深い絶望を、君にプレゼントしてあげる」

 芝居がかった陳腐な台詞と笑い声を残し、庸汰の姿は掻き消える。透が幻術破りの力を放つが、大方の予想通りに意味を成さなかった。

 ひな子が膝から崩れ落ちる。それを支える透は言葉を探すように彼女を見ていて、宏基は常の無表情を装いながらも握りしめた拳が震えている。

 そういう周囲を眺める鶫の胸も、万力で締めつけられたかのような痛みを発していた。

 だが、ここで立ち尽くしているわけにはいかない。「すぐに殺してはつまらない」という言葉が真実だと信じるしかないが、急いで探し出さなければならないのだ。命が取られなかったところで、傷つけられないとは限らないのだから。身体も、精神も。

「……ひな子ちゃん」

 鶫も透と同じように言葉を探したが結局見つかることはなく、ただ小さく呼びかけた。

 それに反応した彼女は、瞳子とよく似た形のいい瞳で見上げてくる。

 重なる瞳子の姿のせいで胸を刺す痛みはぐっと呑み込んで、真っ直ぐに視線を返した。

「……この雨で、匂いは掻き消されてる。そもそも瞬間的に姿を消せるってことは術を使ってるから、結局それじゃ追えなかったとは思うけど……だから、巫女である君に訊きたいんだ。瞳子自身でも、庸汰でもいい。見つけ出せる手段、ない?」

 姉が攫われるという出来事に揺らめいていたひな子の芯が、そう言った瞬間にふっと定まるのが分かる。

 彼女もまた、巫女なのだ。「巫女であるから」と言って自分で頼んだくせに、ひな子のその様子を見ながら鶫はそんなことを思った。

「……そういえば昨日、じいちゃんが何かを蔵で見つけたから、今度皆が揃った時に見せたいって言ってたんです。一度うちに戻って、それが何だったのか聞いて……使えそうならそれを使った作戦を立て直して、姉さんを助け出したい。一緒に助けてください。お願いします」

 蹲ってしまったせいで泥まみれになった膝を払って、ひな子はしっかりと立つ。そして両の拳を固く握って、強い瞳で鶫たちを見た。

「当然だよ。……瞳子は、ぼくにとってもとても大切な人だ」

 しっかりと頷いてみせる。

 ――わ、私も、……好き、です。

 耳を赤くしながら応えてくれたつい先ほどの瞳子の姿が蘇り、痛みを耐えるように服の胸元を強く掴んだ。

「やっと付き合い始めたんですね! 遅いですよ!」

 鶫の纏うものも含め、その場の暗い空気を払うように明るく言うひな子は、どうやら姉の気持ちも鶫の気持ちも気づいていたようだった。いや、恐らく何も言わない透と宏基にも丸分かりだったのだろう。

「はは……ごめん」

 状況も忘れてしまいそうな耳の痛い台詞に、鶫は苦笑をこぼす。

「姉さんには手出しさせないし、姉さん自身も絶対に負けないはずです。一度神社に戻って、じいちゃんから話を聞いて……姉さんを見つけるための相談をして、絶対助け出しましょう」

 気丈にそう言って両拳を握ってみせるひな子に頷いて、宏基と透を見遣った。

「二人も、それでいい?」

「……当たり前でしょ。訊かれるまでもないよ。またあいつに好き勝手させていいわけないんだから」

 透はそう即答して、宏基も否定しない。鶫はそれに心強さを感じて笑い、改めてひな子を見る。

「急ごう。早く見つけられることに越したことはない」

 頷く三人と共に駆け出し、同じ山地に立つ神社へと鶫は急いだ。





 目を覚ました時、瞳子の視界にまず飛び込んできたのは、くすんだ白色の天井と、そこに巣を熱心に張っている最中の大きな蜘蛛だった。

 埃臭い。長い間使われていない建物なのだろうか。舞う埃のせいでひどく咳き込み、喉も胸も痛む。

 視線を巡らせると、古びた箪笥やランプシェードが見える。ベッドもあるが、そのマットレスはかなり年季が入っていると見え、表面の布は破け、中のクッション材が覗いていた。

 瞳子は数秒の間に五感で確認した情報を総合し、空き家になって久しい民家だと当たりをつける。

 そして背中に固い感触があることからして、自分は床に寝かされているのだろう。こうなった理由を考えるよりも先に、彼女は素早く起き上がろうとした。

 その瞬間、全身に激痛が走る。

……った」

 息が止まるほどのものだったが、大きく呼吸を繰り返してどうにか逃がす。

 四肢は拘束されていないのに、なかなか引かない感覚のせいで起き上がることができない。しかし、その痛みはここ最近の彼女には馴染んだもの――つまり、呪いによってもたらされるものと同じであったため、何が己の身に起こったのかは容易に察することができた。

 庸汰が幻覚を使おうとしているのを察し、あの時の瞳子は結界を張る態勢に入っていた。だが鏡を構えると同時、全身に正体不明の衝撃が走って意識が飛んだ。

 思えば、あの衝撃は痛みそのものだったのであろう。あまりに大きすぎて、そう認識できなかっただけで。最初に呪いが発覚した時もそうだった。鶫の悔しそうに歪められた表情が瞼の裏に浮かぶ。

 彼の妖気の気配がしないし、ひな子の霊力も、宏基や透の妖気も感じられない。恐らくかなり距離が隔たっているか、あるいは自分が結界内にいるらしいと瞳子は結論づけた。瞳子だけが攫われたのだろうことは、状況からしてほぼ自明だったからだ。

「何だ、起きたんだ」

 上体を起こした状態で改めて周囲を確認していると、ふと声が聞こえてくる。そちらに目をやると、明かりが届かないために姿はよく見えないが、間違いなく誰かがいる気配がする。

「貴方がシュをある程度弱めたために起きることができたのでしょうに、何をおっしゃっているのです? 庸汰さん」

 投げつけるような口調で言葉を返せば、その影がゆらゆらと楽しげに揺れた。

「瞳子ちゃんってほんと冗談通じないよね」

 瞳子の心情にはあまりにそぐわない明るい声に、密やかにため息をつく。そして睨むように声の方を見つめた。

「貴方の冗談は全く以て冗談とは解釈ができないとご存じですか? 冗談というものは相手がそうと理解できて初めて成立するものです」

「……僕、瞳子ちゃんのそういうところ嫌い」

 笑い声がぴたりと止み、低い声と共に気配が近づいてくる。

 窓から差し込む弱い光が彼を照らしていた。スポットライトとたとえるにはあまりに頼りない、淡い淡い明かり。それがなおさら彼の危うさを浮き彫りにさせているように思えて、瞳子はほんの少しだけ眉根を寄せる。

 ようやく見えた彼の顔は、表情がすっぽりと抜け落ちていた。手が伸びてきたので瞳子は反射的に退こうとするも、間に合わない。彼女は長い髪を力任せに掴まれた上、彼の方にそのまま勢いをつけて引きずられた。

「自分の今の状況、ちゃんと分かってる? 呪いで弱り切ってる上に、鏡も取り上げてる。僕の気まぐれで簡単に殺せるんだけど?」

 口角が酷薄に持ち上がっているが、目は全く笑っていない。本気で苛立っているようだ。

 脅しを口にされてもなお、瞳子の思いは揺れなかった。

「……そう簡単に殺される気はありませんし、貴方は今のところ私を害する気などないでしょう」

 頭皮が剥がれそうな感覚に顔は自然と歪むが、それだけは毅然と言い返す。

 ――久遠っていうのは、月読と同じように名跡なんだ。本当の名は、……春永。

 ――ぼくを思い通りにできるのは、瞳子だけだよ。

 春永さん、と何度も何度も呼ぶ。

 教えられた真名。それは心の中で繰り返すたび、力に変わっていた。

 たとえ距離がいくら隔たっていたところで、自分は一人ではない。瞳子はそれが分かっているから、弱くなどならない。

「ほんと……君のそういうところむかつく」

 揺るがない彼女の様子から何かを悟ったのだろうか。庸汰はすっと目を細め、不快感を前面に押し出して呟いた。彼には元よりその感情を隠すつもりがないらしい。

 掴まれていた髪から手が外れ、瞳子は地面に崩れる。

 彼のそんな一挙手一投足に、前世にはなかった自由さを感じる。今に限ったことではない。『庸汰』になった彼は、前世より自分の感情をずっと豊かに表している。それが今のところはマイナスのものしかなくとも、確かに表すことができているのに。

 瞳子は、悲しかった。双念から大きく変わっているように見えて、その実は全く変わっていない庸汰が。

 どうして、変わっているのに変わることができないのだろう。そうして行動を変えられるだけの力があったのならば、いくらでも前世と違った手段を取ることができたはずなのに。

「貴方は、変わらないのですね。鶫さんのおっしゃるように」

 ――……前世のあなたは、きっと法師の名の下に久遠さんたちを殺したんじゃない。ただ、気に食わなかっただけだよ。過激な思想なんて持たなくても、幸せに生きていられていた、絆を結べた月読と久遠さんたちが、ただただ。

 ひな子の言うように、「久遠たちが気に食わない」という思いに突き動かされるままに双念があの殺戮を引き起こしたのならば、その苛烈な感情は死してなお色濃く彼の中に居座っていたのだろう。それは理解できる。

「私は、繰り返すつもりなどありません。貴方の思い描く青写真に付き合う気もありません」

 体力を奪い取られた体が軋む。全身がだるく、頭は重い。霊力も万全とは言い難かった。状況は最悪といっても過言ではない。

 それでも、負けるつもりはない。

「――私たちが勝って、誰一人欠けずに幸せになって、それでしまいにするのですから」

 鶫の台詞をなぞった物言いに、庸汰の顔が再び酷く歪んだ。

「へえ……鏡を持ってない、味方もいない、その状態でさえ僕に勝てる気でいるんだ? それなら、やってみなよ」

 彼が身に法力を纏わせているらしく、ぼんやりと彼の辺りだけが明るくなる。降りが強くなっているのか、激しい雨音と湿っぽい空気が外から入り込んできていた。

 ここがどこなのかは分からないが、ただ助けが来るのを待つつもりはない。懸命に自分を探そうとしているだろう仲間たちに対し、そんな不実な真似は出来ない。

 現状でも使える術を頭の中で浚いながら、瞳子はそれでもただ真っ直ぐに信じた。

 鶫さん――。

 彼らは絶対にここまで辿り着くだろう、と。

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