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二度と繰り返さない

 空が白み始める

 夜明けはすぐそこまで



   ● ● ●



 目を覚ました時、おれは白に包まれていた。


 どういうことかよく状況が理解できずに目を泳がせる。

 だっておれは、確かに死んだはずだったのに。

 激痛が遠のき、血が流れる様子を見つめ、愛する人に口づけを遺して。そして、総てが終わったはずだったのに。

「ようやく目が覚めたかえ」

 ふと響いてきた声に、驚いて起き上がる――と普通に今まで通りの動作をしかかって、更に驚いた。

 おれにはしっかりと体が存在していた。いや、しっかりと、なのだろうか。自分に熱が通っていないのは何となく分かるが、透けてもいない。

 しかしよくよく見てみれば、地面に足はついていなかった。正しく言うなれば、地面が存在しなかった。

 地面だけではなかった。壁もなく、天井もなく、空もなく、果てもない。ただひたすらに白い世界。おれはそこに浮いていたのである。

 そしてすぐ傍に、豪奢な裳唐衣(もからぎぬ)を纏った女性が座っていた。おれと同じように、その場に浮いて。

「何を呆けておるのじゃ」

 おれが何も言葉を発せないでいると、呆れたようにその女性は持っていた檜扇で口元を覆う。

 人間、なのだろうか。いやそれにしては纏っている『気』が違うように思える。月読にも近いけれど、何と言うべきか――彼女よりも更に鋭く研ぎ澄まされ、それが幾重にも重なったような。不可思議で『畏れ』を抱くには充分すぎるほどの雰囲気。

 あまりのわけの分からなさに、流石に戸惑う。

「いえ……あの。此処、何処ですか……? おれは、死んだはずなのに」

 反射的に飛び出した声で、そもそも声を発することができるのだということを悟る。

 目の前の女性は、ふむ、と思案するように呟いた。

「この場がいずこか、と申す者はぬしだけではないが、毎度返答に困るものよの……ぬしらの言の葉で簡単に説明するのであらば、死後の世界……とでも申せば分かりよいか」

 死後の世界。何とも簡潔で分かりやすい。誰もがその言葉自体は知っているけれども、今まで一度も見たことのなくて当然である場所だ。

「では貴女は……」

「再びぬしらの言の葉で説明申せば、神仏の類ということになるのぅ。みなからは〈神〉と呼ばれておるが」

 鈴を転がすような笑い声が響く。

 それを聞きながら、おれは改めて周囲を見渡した。

 自分の中に「これが死後の世界だ」という心象があったわけではないが、こういう空間だとは思ってはいなかった。ただただ白く、何もない、だだっ広い世界。

 檜扇に隠され、女性の顔は目元しか見えない。だがじっとこちらを見つめてくるその瞳は、とても強い光を以ておれを射抜いた。

「――ぬしはわらわが神仏の類と聞いても、生き返らせろとは飛びかかってこぬのじゃな」

 少し意外そうな調子で〈神〉はまた呟いた。

 おれはむしろその言葉が意外で、目を瞬かせる。

「生き返らせることなどできるのですか?」

 死んだ者は二度と生き返らない。絶対に覆らないこの不変真理を、眼の前にいる人物は壊せるのかと。

 今度は〈神〉がおれの発言に瞼を繰り返し開閉させ、やがて吹き出した。

「くく、そうじゃな、ぬしはそういう者じゃった」

 まるでおれを昔から知っていたかのような台詞だが、彼女が〈神〉であるというのならば、それも当然のことなのだろう。彼女は総てを見渡し、総てを知っている。

「……それで、どうしておれは、〈神〉などという高貴な御方にこうして御目通りが叶っているんでしょうか」

 きちんと座りつつしばらく彼女の笑う様子を見ていたが、笑いが治まっていくのを確認して、先ほどから頭に浮かんでいた疑問を口にした。

 〈神〉はおれの言葉を聞き、ゆるりと目尻を下げる。


「ぬしの願いを叶えるために」


 驚いて、二の句がすぐには継げずに固まった。

「どう、いう……」

「ぬしだけに願いを訊いているだけではない。死した者総て……ぬしと共に死んだ三人にもすでに訊いておる」

 衝撃に次ぐ衝撃に、どう返したらいいのか分からない。

 月読、寒露、玻璃――喉元まで出かかった名前は、そこで引っかかってしまった。

「もちろん妾にも干渉できる限界がある。それに抵触しない範囲なら、来世のための願いを叶えてやろうぞ」

 耳に心地よい彼女の声は、頭の芯にまで染みていく。

 願いたいことはいくらでもあった。叶えてほしいことなんて、たくさんあって絞り切ることすらできない。

 だけど。

「――おれに願いを叶えてもらう資格なんてありません」

 それだけは分かる。

 おれが選択を間違えたせいでたくさんの人が死んだ。死なせてしまった。ひとつでも違う選択肢に目を遣れていたなら、こういう結末には陥っていなかったはず。

 一本道しかないと思い込み、その脇に広がっていた草むらには目を留めず、掻き分けてでも進もうとしなかった。自らの手で可能性を握り潰してしまった。

「……ぬしは真面目よの。じゃが、総てがぬしのせいではあるまいに。願いをすでに聞いておる三人も、誰一人おぬしを責めはしなかったぞえ」

 知っている。きっと誰もおれを責めやしないこと。皆、優しいから。風巻は、遺言でおれだけの責任じゃないと示していってくれた。月読や寒露、玻璃も同じだと〈神〉が言うのなら、間違いなくそうなのであろう。

 しかし、分かっていたとしても、自分を責める気持ちを消すことはできなくて。

「それでも……この結果を招いたのは、おれです」

 大切な人たちが皆死んでしまうぐらいなら。大切な人を誰一人守れず死なせてしまうぐらいなら。おれは、おれ一人を殺してほしかった。

 双念が最後に見せた、どこまでも純粋で、それであるがために激しい嫉妬。

 おれは月読が愛おしくて――だけど、双念もきっと、同じだった。愛していたのだ。おれとは違う形で。

 彼のやったことを擁護する気はない。でも、純粋で、それが故に傷つきやすくて壊れやすい感情を抱いていた双念を、おれはきっと無意識に傷つけ続けていた。

 愛していたからこそ最後の距離を詰められず、想いを告げることさえできなかった。できなかったくせに、離すこともできなかった。それは彼にとってどれだけ腹立たしいことだったのだろう。

 双念はそもそも己の感情にさえ気づいていなかったのかもしれない。綺麗だったはずの形を歪めさせた原因は、間違いなくおれにもある。それが結果的に凄まじい嫉妬となって周囲を巻き込んだ。

 愛しかった。愛しかった。愛おしかっただけなんだ。

 それだけのことなのに、おれたちはこんなにも――間違えてしまう。

 いや、違う。きっと愛おしく思うがこそなのだ。

 時にはみっともなく、時にはどこまでも残酷に。その感情が美しいものであることを否定などしないけれど、美しいだけでは決してない。

「今さら言ったところで、どうにもなりません。でもおれは……自分が本当はどうしたかったのかさえ、分かってなかった。大事な人が一人欠けてしまうまで」

 ただ笑い合えたならそれでよかったのに。大事な人たちと優しい時間を積み重ねていけたなら、それだけで。

 だが気づかぬまま選択を間違い続けた。分かった時には既に手遅れ。その末に行き着いてしまったのが、鮮血の河。

「『人間と妖怪の共生』を目指す、その目標が嘘だったわけじゃない。間違いなく真実だった。だった、けれど……ただ手段でしかなかったことに、気づけなかった。気づかなかったから、全部失くしました」

 生涯でたくさんの妖怪に出会い、人間と出会った。その全員と一緒に生きたかったから、おれは共生を目指したかった。単純なことだったのに。

 手段でしかなかったものを、目標だと見誤った。これが元凶なのだ。

 しばらく、沈黙が流れた。〈神〉の視線を感じながら、動くことも顔を上げることもできない。

 願えない、としか答えないおれは、つまりこの場にいる必要性はないことになる。そんな存在を目の前にして、せっかく呼び寄せてくれた彼女はどう思っているのか。それに考えるだけでも少し胸が苦しくなる。

「……ぬしが月読と出会うたのも、双念と出会うたのも。いや、ぬしの生涯で出会うた者たちと出会うこと、数々の思いを託されたこと、総ては運命さだめじゃ」

 やがて、神が小さく言う。

 目を瞬かせて顔を上げると、変わらずこちらを真っ直ぐに見ていたらしい神と視線が交わった。

「たったひとつの、それもごくごく小さく思えた選択でも、世界は大きく色を変える。故に、何かひとつでも異なる選択をしておれば、ぬしが迎えた最期よりももっとよいものがあったのかもしれぬ。しかしそれは所詮『かもしれぬ』としか申しようのないものじゃ。或いはより悪い方へと向かったかもしれぬ。何が正しくて何が間違いであったかなど、妾にも判断はつかぬ」

 全知全能と呼ばれる存在であっても、正しさと間違いの間は曖昧で、決められない。

「後悔なしに死ぬ者もおらぬわけではない。しかし稀じゃ。みな何かしらを悔やみ、来世に思いを託していく。不幸になるためではなく、自分が負えた道よりも幸せになってもらうために」

 黙り込むおれを見つつ、〈神〉は言葉を紡ぐ。

「ぬしも、幸せになりたかったのじゃろう?」

 ――幸せになりなさい、春永。

 ――オレだって幸せなんだけどな。

 翠子、そして風巻の姿が蘇り、続けて自分が最後の思考が蘇ってくる。おれは幸せだからと夢うつつの中でも義兄に言ったこと。胸を張って幸せだと言える、と笑って一生を終えたこと。

 今でもその気持ちに変わりはないけれど、しかし心残りがあるままに死んだこともまた、事実で。

「ぬしらは死んだ。じゃが、ぬしが成し得たかったこと、思い半ばで諦めねばならなかったもの、それをぬしは総てをなかったことにできると申すのかえ……?」

 静かな語り口に、ぐっと息を呑み込む。

 何よりも真っ先に蘇るのは、月読の顔。

 好きだと伝えておけばよかった。後悔してももう遅く、彼女に会えることはない。


「おれは、ただ……もう一度皆と逢って、……月読と今度こそ、一緒にいたい……」


 無意識にこぼれた言葉は、無意識であるだけ、本心だった。

「皆――か。しかしそこから双念は除外できぬ」

 呟かれた言葉にようやく自分も〈神〉を真正面から見ると、目元だけが望む彼女の顔が、微かに歪んでいる。

「そして妾にもどうにも出来ぬ障害がひとつ存在する」

「障害って、」

「ぬしらは双念に呪いをかけられておる」

 ひゅっと喉が鳴いた気がした。呼吸なんてとっくに止まっているから幻聴に決まっているのに、いやに本物っぽい感覚。

「生まれ変わろうと、何処に行こうと、これをかけた者、もしくはその生まれ変わりのところへ再び集うことになる呪い。そして記憶操作の呪」

 言いつつ、彼女はおれの胸に手をかざした。ちょうど双念の槍に貫かれた辺り。

 瞬きを繰り返していると、やがてそこにはぼんやりと光り輝く複雑な模様を描いた印が現れた。

「他の四人にも同じものがあった……ぬしの者が一番強力だがの。恐らく、もう一度ぬしらを殺めるために。故に、呪いをかけられたぬしら四人は再び会うことができる。双念の元に集う形で」

 来世にまで影響を及ぼす強力な呪い。それほどまでにおれは憎まれていたのか、もしくは強く強く月読に執着していたのか。今となっては、どちらだったのか分からない。

 月読に会いたい。会いたくてたまらない、一緒にいたくてどうしようもないのに。それはまたも双念によって阻まれるというのか。

「消すことは、できないのですか……?」

 思わず途方に暮れたような台詞が漏れた。

「出来ぬ。そもそも妾には運命や時の流れを改竄することは許されぬ。ぬしの呪いを解くことは、過去への干渉になるのじゃ。それでも願うのであれば、代償が必要。魂に刻まれた呪いであるということは、解くにはぬしの魂――つまり今は魂だけの存在となっているぬしの状態を考えれば、ぬし自身を差し出せねばならぬ。そして解けるのはぬしの呪いのみ」

 たとえおれのものが解けたとしても、あの時共に死んだ月読、寒露、玻璃のものは解くことができない。それではおれだけが運命から逃げ出したことになる。

「運命を変えていくことのできるのは、その日その時を『生きて』いる者たちだけよの。それでも呪いを解くことを願うかえ?」

 射抜く真っ直ぐな目線を受け止めたのち、おれはゆっくりと首を振った。

「再び会うことができたとしても、もう一度奪われるのなら……それはおれの望んだものではありません」

 逃げ出すことは選びたくない。しかし、何もしなければ呪いによって、おれたちは再び双念やあるいはその生まれ変わりによって殺されてしまうのだろう。それは絶対に嫌だ。

 何の対策も講じなければ、奪われてしまうというのならば。

「呪いを乗り越えるために……力を貸してはいただけませんか」

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