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紅葉の海、鮮血の河

 今さらだ。本当に、今さらだった。

 人間の襲撃に遭い、体に術で焼けた痕跡があったという風巻。襲ってきた者たちが法力を持ち合わせてはいなかったのだというのなら、シュで操られていたであるのに違いない。

 つまり、大元にはそのシュをかけた法師がいるということ。

 おれは彼の死に目にあえていない。だからどの法師が彼を奪っていったのかは分からないし、推測しかできない。

 だけど今は直接触れることができるから分かる。

 おれの腕の中にいる月読の傷痕からも感じられる、強い法力の気配が。持ち主がごくごく身近な人であることが。

 たとえば痕跡ひとつ残さず殺されていたのだとして、目の前にある笑みを見れば馬鹿でも分かる。

「双念――ッ、……!?」

 声をあげようとしたのと同時だった。


 くぐもった呻き声のようなものが辺りに響き渡る。


 驚いて振り返ると、後ろにいた部下たちの体が傾いで、地面に倒れ伏していく様子が目に飛び込んできた。

「ッ、寒、露……? 玻璃!!」

 反射的に立ち上がろうとして、あまりの衝撃の大きさから体ごと振り返って――背後に気を配るのを一瞬忘れた。

 その『一瞬』は、双念にとってはどれほど長い時間だったのだろう。


 最初に衝撃を感じた時、痛みはなかった。ただひたすらに熱かった。


 寒露と玻璃の背後に立つ複数の法師が、二人の体から法力の槍を引き抜くのを見た時には、もう膝が地面についていた。

 いったい自分の身に何が起こったのか。それは胸元を見下ろしたらすぐに分かることだった。

 強烈な光を発する法力の槍によって、後ろから貫かれていたのだ。

 臓物が潰れたらしく口の中に血が込み上げる。そのうち溢れてばたばたと散っていった。

 自分に襲いかかった状況を視認して間もなく、力の入らない体が今度は前に傾いていく。

 ああ、双念は、最初からこのために近づいてきたのか。驚くほど落ち着いた頭の中に浮かんでくる悟りと、どうしようもない罪悪感。

 風巻も、月読も、寒露も玻璃も、ただおれを効率的に苦しめるために奪われた。

 月読を抱えている左手に力を込めつつ、右手を支えにしてどうにか双念を振り返る。

 彼は肩を震わせて笑いながら、蔑むようにおれを見下ろしていた。

 その手にあるのは、東の団との戦いの前に風巻がおれへと贈ってくれた懐刀。そして、月読から預かっていた鏡の包みだった。

「守りのシュなど、面倒なものを遺していかれるものですね。あなたの義兄殿は」

 いつの間にかられていたらしい。返せ、と言おうとしたけれど声にはならず、情けなく息の音が漏れただけだった。

 法力の槍によって負わされた傷口が、治ろうと収縮しては焼かれを繰り返しており、激痛という言葉では足りないほどの痛みを呼び起こす。異物があるために塞がらないのだ。

 妖力が尽き果てるまで――すなわち命が尽き果てるその時まで、この苦痛と戦わなければならないらしい。

 おれはそれほどまでに憎まれていたのか。

 貫いている槍を押し込んでくる力に抗えず、唯一体を支えていた右手が落ち葉で滑るような状態で地に伏す。

「安心してください。貴方の気がかりであろう団は、私がこの手できちんと滅ぼしておいて差し上げますから」

 傍で腰を低くして告げる双念は、また楽しげに笑い転げて他の法師たちに合流していく。様子を窺うに、部下であるようだった。

 待て、と言いたいのに、言葉が発せない。追いかけなければならないのに、体が動かない。

 歩き始めた双念が振り返り、芯から冷え入る双眸がおれを射抜いた。

 何か言うのかと思えば、ただ一瞥をくれただけで彼は再び歩き出す。

 彼の一連の行為が何の感情からもたらされたものなのか、その眼からようやく察する。


 双念の中に燃え盛っていたのは、眩しくなるぐらいに鮮やかな紅。


 義兄に見えた猩々緋(しょうじょうひ)ではない。もう少し暗い色だ。

 深緋(こきあけ)

 切ないほど純粋で、悲しいほど真っ直ぐな、嫉妬だった。






 己から流れ出る血液が、まるで河のように紅葉の上を流れていく。

 死の淵に立ちながら見上げる青い空と舞い散る紅葉は、目を見張りたくなるほどに美しい。

 もうすぐ死ぬという時にも世界はこれほど輝く。ならば、何も知らず何も持たずこの世界に落とされた瞬間は、どれほど世界はきらめいて見えたのだろうか。

「月読……」

 もうぬくもりの残滓さえ感じられない、愛おしい人の体。

 せめて好きだと伝えておけばよかったのに、総てが遅い。

 細く長い指を握りたくとも、全く動かない手。振り絞りたくとも、振り絞れるだけの力が残っていなければどうにもしようがなかった。

 何とか視線だけを動かして、地面に倒れた自分の後ろを見る。

「……寒露、……玻璃……」

 いつもだったら即座に反応してくれるだろう二人は、横たわったまま一寸たりとも動かない。もはや死に絶えていることを疾うに知っているくせに、悲しみが襲いかかってきた。

 この圧倒的な死の空気の中、おれだけが生き残っている。罪深い、愚か者のおれだけが。

「紅霞……」

 ――双念との付き合いは避けるべきだと思う。

 お前ならもっと上手く護れたのかな。

 ――久遠。

 笑いかけてくる義兄が見えた気がして手を伸ばしても、当然ながらそれは幻影で。触れようとしたら掻き消えてしまった。

 双念の本性も、心の中で押し込められていたに違いない想いも見抜けずに自分の考えを突き通して。

 その結果がこれだ。

 風巻を死なせたのも、月読を奪われたのも、寒露と玻璃まで目の前で喪ったのも――おれ自身がこうして無様に地べたに転がされることになったのも、誰のせいでもありやしない。

 おれがもっと強ければ、賢かったら、皆を守れたのに。

 弱くてごめん。馬鹿でごめん。守れなくて、ごめん。

「ごめん……」

 無意味な謝罪をする前に、おれは行かなきゃならないのに。信頼してくれた人たちに報いなければならないのに。

 行かなきゃ、守らなきゃ。気持ちばかり先走って、体は一向に追い付かなかった。

 血が、止まらない。

「いかなきゃ……」

 ああもう、指先にさえ力が入らない。

 叫んで危機を知らせたいのに、ほとんど息のような声が漏れるだけ。それならば絶対に返らなければならないのにままならず、苦しさに咳き込んで、それでも這おうとして、また倒れる。

 そして、それを繰り返すことができたのも数回だけだった。

 あらゆる感覚が朧ろになってきて、痛みも遠のいていく。

「――……おわり、か」

 唇の端が持ち上がっているのかどうかは分からないが、自分を嘲り笑った。

 何ひとつ果たせず、総ての約束を反故にした。情けなくて、くだらなくて。


 だけどそれでも、幸せだった。


 笑いかけてくれる愛しい人がいて、受け止めてくれる兄がいて、何をしてもついてきてくれる仲間がいて。これほどあたたかさに満ち溢れた一生なんて、おれには勿体ない。

 正義のためという大義名分を掲げても、おれはたくさんの者たちを殺してきた。きっと地獄に堕ちるだろう。だとしても、おれは笑う。笑ってやる。

 自分は幸せに生きた。大好きな人に囲まれて、たくさんの喜びを受け取った。

 心残りはたくさんあるけれど、己の弱さに打ちひしがれてもいるけれど、きっと多くの人は不格好さを嗤うだろうけれど。先に逝ってしまった愛しい人たちに、おれは幸せだったと胸を張って言える。

 ああ、考えることすら億劫になってきた。

 死にゆくことが決定づけられてしまったおれには、信じることしかできない。遺された幹部たちが団を守り切って、遺志を継いでくれること。おれの掲げたものが後世にまで紡がれていくこと。



 もしも生まれ変わることができるのなら、ちゃんと彼女に好きだと伝えたい。今度は彼と本当の兄弟として産まれたい。大事な仲間たちと、再び仲間になりたい。


 何より持ちたいものは、騙されることのない賢さ。

 もう誰も傷つけないように。



「さきにいった、ばか……まってろ、……紅霞……」

 紅霞。

 寒露、玻璃。

 団の皆。

 今までであって来た総ての人たち。

 そして――月読。

 目の前にある愛しい人の青白い顔は、死してもなお美しい。熱を失ってやはり白く染まっている唇に、そっと己の唇を触れさせる。

 それが、最後だった。

 おれの意識は完全に闇へと沈んでいき、何もかもが終わりを告げた。




 鮮血の河に溺れながらも、紅葉の海に浮かびながら死ぬことができたのは。ただ一人愛した人に口づけを遺せたのは。神とやらが、悪戯に微笑んでいってくれたのかもしれなかった。

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