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夜明けは永遠に来ず

 月が躊躇う。夜空に浮かぶのを迷いながらも、結局は昇っていく。

 十六夜の月。

 日は昇り、落ち、月も昇って、やはり落ちていく。たとえどんなことがあっても変わりはしない。沈まない日はないし、明けない夜もない。


 そう――生きている限りは。そして、目に映る本物の景色ならば。


 鈍色の着物が月明かりの色に照らされて、少しだけ白く染まっているように見える。だけど、見える、だけで、実際は重たい色のまま。

 おれの心には、もう二度と夜明けなんて来ない。

 自分の周りに漂う空気が重たい。それを吸い込むたびに心が軋んで、体自体もぎしぎしと軋む。

「……紅霞……!!」

 呼んでも誰も応えない。弱さに押し潰されそうになっても、「言えばいいじゃん」と真っ直ぐに優しく受け止めてくれた人は、この世界の何処を探したっていやしない。

 それを自分自身に理解させるためにも、こうして喪の色の着物を纏っているというのに。

 だって、嘘だろう? ずっと一緒にいたはずなのに、この世界の何処に行っても、もう彼と会うことができないなんて。言葉を交わすことができないなんて。

 声が枯れるほど呼びかけては、彼がいないのだと思い知る。いっそこのまま消えてしまいたい。

 でも、もう一人の自分が懸命に引き止めた。

 信じてくれた皆を置いていくことなんてできない。背負ったものを投げ出すことなんてできない。

 死んでしまいたい。生きていたい。相反する感情が同じぐらいの強さで入り乱れ、吐き気がする。

 本心はもう分かっているのに。そのどちらとも違うのだと、彼が消えてしまった瞬間に悟った。

 もう二度と叶うことのない、おれの中に唯一絶対として存在した、切なる願いを。




 早朝、風巻の妖気が掻き消えた。察した後、混乱と絶望に襲われたおれたちが立ち上がれたのは、かなり経ってからだった。

 『かなり経って』でも立ち上がることができたのは、そんなわけもないのに背中を叩かれた気がしたからだった。「しっかりしろ」と、もういないはずの風巻の大きな手で。

 半刻ぐらいは座り込んでいたような気分だったけれど、実際は多分体感よりもずっと短い時間だったのだと思う。東の空には朝焼けがまだくっきりと残っていた。

 団長である前に久遠であり、久遠である前に団長である。何度も何度も言い聞かせて、玻璃と黒鉄の肩に手を置いた。

「行こう。皆が待ってる」

 力のない二対の目がおれを見上げてくる。しっかりと頷いてみせて、二人の腕を掴んで立ち上がらせた。

 『幹部』であるということを再認識したらしい彼らが、揺らぐことなく立ったのを確認する。そののち、ついてきていた者たちの背中も叩いていった。励まし、本拠地まで戻るために。

 団員たちも、おれたち三人の姿を見て何かしらを感じてくれたのかもしれない。足がふらついていたり涙で濡れていたりしても、黙って従ってくれた。

 遺体となった子供たちを抱えて本拠地へと歩みを向ける。しばらく歩いて見えてきた本拠地は、混乱と絶望と悲しみに包まれているらしかった。残っていた者たちも風巻の死を悟っているのだ。

 遠目からでも分かる。いつも賑やかな本拠地が、しんと静まり返っていること。まるで誰もいなくなってしまったかのように。

 そんな状況の中に戻って、いなくなった子供たちを生きたまま連れ帰れなかったという事実を伝えなければならない。想像すれば、胸は更に塞いだ。

「寒露、雪水、鈴菜。久遠さまのお戻りだ!」

 本拠地の敷地内に入ると黒鉄が声を上げ、帰還を知らせる。

「久遠さま……っ」

「久遠さま!!」

 直後に飛び出してきたふたつの影。雪水と鈴菜だった。

 鈴菜は懸命に結界を維持していてくれたようだけど、おれの姿を認めた途端、まともに話せないほどに泣き伏す。

 同時に結界が弾けて解けていく気配がした。本当は保ち続けるだけの心理状態にはなかったのに、ずっと耐えてくれていたのだと思う。おれたちが戻るまでは、と。

 いつもならそんな鈴菜を支えて「しっかりしなさい」と叱咤するに違いない雪水も、おれを見、おれの腕の中にいる子を見、ただゆるゆると首を振って膝から崩れて、静かに泣いた。

 二人とも、幹部の中でもとりわけ子供たちの面倒をよく見てくれていたので、何重もの痛みを味わわされたのだと思う。

 だが、いつも一番に出迎えてくれるはずの寒露の姿が見えなかった。

 妖気が感じられるから確実に本拠地内には居るのにも拘らず、である。こんなことは今までに一度もない。じわりと不安な思いが湧いた。

 おれと同じように目で彼を探している玻璃が、視界の端に入る。

「――寒露の様子、見てきて」

 おれが行くよりも彼女に行ってもらった方がいいような気がした。耳元で囁いて、そっと押し出す。

 彼女はたたらを踏むようにして進みつつもおれを振り返った。しかし、頷いてみせたら、一礼を残して彼の自室の方へと駆け足で向かっていく。自分の気持ちに嘘は着けなかったようだった。

 残った黒鉄と一緒に、おれは鈴菜、彼は雪水を支えるようにして、とにかく一度大部屋に入った。

 もう二度と目を開けてくれることのない子供たち。彼らの着物を替えさせ、遺体を寝かせる。少し話し合った結果、今日一日はこのままで、明日になったら埋葬しようということで片が付いた。

 皆が憔悴していた。抗争に勝利した喜びに包まれてから日が経っていないというのに、このような事態に陥っているのだから無理もない。

 つい昨日まで、いつも通りだったのだ。唐突に奪われた日常。それがなおさら痛みに拍車をかけ、きっと一生癒えることのない傷となって残る。

「……今日はそれぞれ、自由にしていていい。ただ、警戒だけは怠るな」

 おれだって、それだけを吐き出してから全員の返事を聞いて立ち上がる間、崩れないようにすることで精一杯だった。体が揺れていないか、団員たちに余計な不安を与えていないか、気遣っていられない。

 何とか落ち着いた鈴菜が結界を張ってくれるのを確認してから、黒鉄に自室にいる旨を伝え置き、力が抜けそうになる体に活を入れて廊下を進んだ。

 けれどもその反動か、襖を閉めた途端に膝が笑って座り込んでしまう。

 風巻を襲った、半日近くあれほど強い妖気を放ちながら戦わなければならなかった状況が、いったい何だったのか。子供たちの捜索に力を注いでいたとはいえ、風で流れてくる音や匂いで粗方のことは察することができた。

 おびただしいほどの血の臭気。いくつもの足音や、彼が呼んでいるのであろう風が吹き込む音。


 そして――微かに感じた法力の気配。


 彼は法師たちに奪われたというのか。浮かんだ考えに、血が滲むほど唇を噛み締める。

 まるで計ったかのように時期が被った、子供たちの行方不明。あの一件のせいでおれたちは誰も援軍へと向かえず、あの子たちも結果的には法師に殺されていた。総てがあまりにも都合よく行きすぎているのではないか。

 おれたちは盤上の駒と見られ、誰かに支配されている。そんな気がして胸糞悪い。

 風巻の死も、子供たちの死も、総てが道筋の上にあった。それは考えすぎだろうか?

 双念の目に見つけた光。打ち消してしまった疑惑。信じようとしたが故の結末。

 風巻や子供たちの笑顔が脳裏をよぎっていく。もう二度と帰らない人たちの、優しい顔が。

「――……ッ!!」

 苦しくて苦しくて、でも泣けなくて、息ができない。ひゅうひゅうと抜けていく音だけが耳に届く。

 気持ち悪さに体を折り、床に手を突いたところで、大部屋から漏れているらしい声が聞こえてきた。

「何で目を離したのよ! ちゃんと見ておいてねって頼んだじゃない!」

「いつの間にかいなくなってたんだよ! そんなこと言われたって……!」

「やめなさい、落ち着くの! 今そんなこと言ってどうなるの!」

 それからばたばたと響く足音。

「だって、風巻さまも亡くなるなんてこれからどうなるんだよ……っ! 最近いろいろおかしいよ!!」

「少し前まであんなに平和だったのに!」

 ぐさりぐさりと胸に突き刺さって、更に体を丸める。

 あの叫びのひとつひとつが本当であるからこそ、矢となって襲いかかってくる。単純なことだ。

 無意識に口角が持ち上がっていたらしいことを、漏れた笑い声で悟った。

「――、全部、おれが招いた結末だ」

 呟いて、床に置いた手を握りしめる。

 ――代わりに背負ってやることだけは、できないんだよ。

 覚悟したのだから。曲げるつもりはないとはっきり告げたのだから。信念を貫く代わりに何を失っても、その結果を受け止めると誓ったのだから。一本道を進み続けたのだから。

 一本道にだって、周囲には草むらが広がっていただろう。掻き分けてでも進むことを、おれは選ばなかった。

 その結果がこれだ。

「違った、なんて、言えるわけ、ないだろ……」

 そうして貫いたくせに、傍にいた大事な人が奪われた今ごろになって、ようやく自分が本当にしたかったことに気づくなんて。それは結局、覚悟ができていなかっただけのことじゃないか。

「……っ惑うな。迷うな。逃げるな……!」

 懸命に深く呼吸をしながら、自分に言い聞かせるように繰り返す。

 此処まで来たらもう、逃げることは許されない。本心に気づいたとしても、貫くと決めたものを貫き通すしかない。

 怖い。怖くてたまらないよ。これ以上体を引き千切られるような思いをしたくない。だって、今でさえこんなにも痛いのに。

 でもそもそも、これ以上、なんてあるのだろうか。彼がもう何処にもいないのに、おれはまだ呼吸をしているということが不思議でならない。

 生きなければならないと分かっていても、ふとした瞬間に疑問が湧いてくる。


 お前がいないこの世界で、おれはどうやって歩んでいけばいい?


 彼がいることを知らないままで生きてこられたなら、こういう思いはしなくても済んだのかもしれない。けれどそうは考えたくないから、立ち上がるしかない。

 おれは久遠である前に、団長だ。何があっても生きなくてはいけない。代わりに背負ってくれる人など、誰もいない。

 ――俺が死んだら、次の『久遠』はお前だ。励めよ。

 父の懐かしい声を胸に刻んで、閉じていた目を開けた。

 未だ続いている言い争いを止めなければならない。このままでは団がばらばらになってしまう。

 上体を起こしたところで、大部屋からではなく今度は廊下からばたばたと足音が聞こえてきた。

 一緒に感じた匂いは馴染み深い人のもの。目を見開いて立ち上がろうかと腰を浮かせかけた時、勢いよく戸が開いた。

 人影が飛び込んでくる。最初に目に入ったのは、紅潮した頬と、今にも泣いてしまいそうなほどに歪められた表情だった。

「久遠さん……!」

 戸に手をかけたままでこちらを見つめてくる月読。息が大きく弾んでいる様子から察するに、よほど急いでやってきたようだった。

「月読……」

 驚きに引きずられるようにして立ち上がる。

「どうし、」

「今、大きな妖気が……風巻さんの妖気が!」

 どうしたの、と訊こうとしたら、泣きそうな顔と震えた声で彼女はおれに近づいてきた。着物を掴んできた手も、小刻みに震えている。

 『月読』たる彼女も当然、馴染み深い人物である風巻の妖気の消滅に気づいているはずだということに、今さらになって気がついた。そしてきっと、慕っていた義兄を喪ったおれを心配して、此処まで来てくれたに違いないことにも。

 動揺など普段は見せない彼女がこんなにも息を乱して、おれの義兄の死を悼んでくれている。

 世の中は優しい人ばかりでは決してない。だけど、全員が敵であるわけではない。

 月読はおれの傍で、おれと近い感情を抱いていてくれる。それだけで僅かに心が救われた気がした。

 彼女の肩に触れ、微笑みかける。

 本当によかった。久々に浮かべた優しいから感情から来る笑みが、月読に向けてのもので。

「分かってる。でも……嫌な予感、してたから。ごめん、団員たちを落ち着かせてこないと。……実はね、風巻だけじゃなくて、子供が九人、法師に殺されたんだ」

 大部屋の方を指す。瞳を揺らせていた彼女は釣られて示した先に視線を遣りつつも、はっとしたように真ん丸に見開いた。開閉された口が、「どうして」と動いた気がする。

「こう立て続けじゃ仕方ないけど……こういう時こそ、どうにかまとまらなくちゃ駄目だ。心配して来てくれたんだろうに、ごめんね」

 外から入り込む光が移り込んでいる彼女の黒い眼。それを綺麗だと思ってから、ほんの少し悲しくなった。

 紹介したい人がいる――最後に会った時、そう言われたことを思い出す。あの優しい表情からして、それはきっと添い遂げたい人だって分かった。楽しみにしていると笑ったのに。

 彼は大切なひとの傍に触れることはもう叶わないのに、おれはこうして愛おしいひとの傍にいる。

 大切な兄の死という事実にたとえどれだけ傷ついたって、悲しみに暮れていたって、生きている者は進んでいく。逝ってしまった人を置き去りにして、進んでしまう。残酷にも。

 風巻が死んだのは、間違いなくおれのせいなのに。

 その柔らかそうな頬に触れて、細い肩を抱き寄せて、縋ってしまいたかった。美しい瞳に惹き込まれたままでいたかった。

 この想いはもう二度とは遂げられない。


 罰だ。


 どうしようもない『もしも』の考えを頭から振り払う。部屋から出ようと歩き始めかけたら、「久遠さん」と声がかかった。

 振り返ったら、彼女の真剣な眼差しがおれを射抜く。

「……紅葉狩り、行きましょう」

「え」

「毎年、行かれているのでしょう? 行きましょう、今年も。私も一緒に行きたいです」

「月読?」

「以前、口約束でしたけど、『一緒に』というお話を風巻さんとしていたのです。だからきっと、あの方も喜ぶと思いますから……弔いのためにも」

 不意打ちで飛び出してきた彼の名前に、息が止まりそうになった。

「――、分かった」

 そのまま立ち去ろうとしたら、月読の足音がついてきた。少し驚いて振り返る。

「大部屋には子供たちの亡骸が、」

「私にも手を合わせさせてください。けがれぐらい、自分で祓えます」

 言いかけたことを遮るようにして、月読ははっきりと告げた。

「……うん。ありがと」

 微笑んで再び歩き始めると、追いかけてくる小さな足音が、どうしようもなく耳に心地よかった。




 昼間はよかった。そうして団員たちを宥め、月読に平静を取り戻してもらえた。悲しくても、それだけに目を向けなくて済んだ。

 しかし団が落ち着きを取り戻し、月読が帰ってしまえば、襲ってくる。強い強い絶望が。

 夕焼け空が目に痛い。否が応でも『紅霞』が視界に入るから。だったら部屋に引き籠ってしまえばいいのに、それもできなくて。ただじっと空を眺めた。

 烏が鳴いている。巣に帰るのだろうか、遠ざかっていく烏たちは山の方へと向かっていく。羽ばたく音が風巻のものと重なって苦しくなって、ぎゅっと目を閉じる。

 そうすると視覚が遮断されて、当たり前だがますます音がよく聞こえるようになってしまった。後悔して目を開けようとした時だった。

 ひとつの羽音が反対方向へと向かってくる。怪訝に思って顔を上げると、一羽のとびがこちらに向かってくるのが見えた。

 おれが目をしばたたかせているのを知る由もない鳶は、ふわりふわりと上空を漂う。風巻はよく烏を使って文を飛ばしてきたけれど――と思いかけて、瞠目した。


 その足に紙のようなものが結び付けられているのが見えたから。


 鳶はしばらく上空をくるくると回ってから、静かに降下してきた。警戒するような距離を取りながらも、近くの地面に降りて大人しくしている。

 おれは戸惑いつつも、驚かせないようにゆっくりと近づいた。

 改めてその足にあるものを確認してみると、やはり紙である。しかも、墨の跡が見えることからして、結び文。

 躊躇いつつも手を伸ばしてみると、鳶は大人しいままじっとこちらを見つめている。そっと外すと、鳶は静かに飛び上がった。そして山の方へと帰っていく。

 それを見送ってから、手の中にある文を見つめた。

 文、だということは分かる。だがいったい誰から届けられたものなのだろう。鳶はもう行ってしまったし、よしんば今も残ってくれていたとしても、おれは鳥とは意思疎通を計れない。

 使いが烏なら、恐らく烏天狗。では鳶なら?

 木の葉天狗。

 思い至って、はっとした。思い出したのだ。一人、こうして文を送ってくる可能性がある相手がいることを。

 手が小刻みに震える。それでも何とか開くと、まず初めに「覚えておいででしょうか」という書き出しの一文が目に飛び込んできた。

みさお、ちゃん……」

 風巻には従妹がいた。年が近いのもあってか、本当の兄妹のようにして育ったらしい。

 それが操ちゃんだ。

 彼女は一度、この団に遊びに来たことがある。雪水が入ってきてしばらくの頃だから、もう二十年ぐらいは前になるだろうか。

 破天荒なところは風巻と彼女でよく似ていたし、とても仲が良かった。風巻が『女の子』扱いをしていないことに少しだけ驚いた記憶もある。

『覚えておいででしょうか。風巻の従妹の操です。従兄の妖気が消えたこと、お気づきかと思います。』

 文字を目で追っていくに従って、彼がいなくなってしまったことを悟った時の絶望感が鮮やかに蘇ってくる。読むのをやめてしまいたくなるけれど、それは彼女の思いをふいにする不誠実な行為だ。

 深呼吸してから意を決して読み進めていく。

 前半は、風巻がどうして死んだのかについてが記されていた。一文字も見逃さないように、いつもの数倍もの時間をかけつつ目を皿のようにして辿っていく。

 けれども、そこには信じられない事実が次々と書かれていて、読んだはずの箇所に何度も立ち戻った。

「うそ、だろ……?」

 思わずひとりごちるぐらいには、信じられなかった。

 風巻の出身である深山の里は、元々人里と隣り合っている。彼は幼い頃から人間と交わりながら育ったと聞いていた。

 操ちゃんが語るには、今回彼が結果的に命を落とすことになった襲撃は、深山の里の傍にある人里の者と、その本国からの援軍によって為されたものだったという。


 彼らが持っているはずもなかった法力を使って。


 何度も何度も繰り返して読み直し、紙に穴が開くのではないかというぐらいに見つめたが、当然書かれている内容が変わるはずもない。呆然として真っ白になりかける頭に、彼女の記したものが入り込んでくる。

 法師でない者が、法力を以て襲ってくる? そんなことが有り得るというのか。おれの常識からはかけ離れた事実に頭がぐらぐらする。

『彼らが法力を持っているなんてことは、私たちが把握する限りでは、有り得ないはずでした。しかし、従兄の身体に法力による火傷がいくつも付いて癒えなかったことは、紛れもなく事実です。』

 彼女の言葉においても、彼らが法師などではなく普通の人間であることは証明されている。

 それならば。ただひとつ有り得ることがあるとするのならば。他の可能性を総て排除したその先にあるものは――。

『従兄は外のことについてあまり触れませんでしたから、どうしてこんなことが起こったかはわかりません。けれど、私たちの誰も、貴方たちのことを責めるつもりはないと、それだけは分かってほしいと思います。』

 違う。違う。違う。違うんだ。違うんだよ、操ちゃん。

「違、う……!」

 絞り出した声はしわがれていた。

『従兄が自分で選んだことです。悲しくは思いますが、口出しできることはありません。貴方たちといて従兄が楽しそうだったことも、私は確かに知っているつもりですから。』

 操ちゃんの文言が頭の中でぐるぐると回る。

 そんな優しい言葉を向けてもらう資格なんてない。だって、おれは。

 ――双念との付き合いは避けるべきだと思う。


 おれが従わなかったから。


 法師が何らかの策を持って近づいてきたのだとしても、そうでなくても、最初から目を閉じずに真正面から見つめる? できる限りの範囲で味方として接しながら、何を考えているか探りたい?

 そんな甘い夢物語みたいなことを言っていたから、結果的に大切な人が奪われたんじゃないのか。何の罪もない子供たちの命まで失わせることになったんじゃないのか。

 見通しが甘かったなんて今さら言ったって、もうどうにもならない。死んでしまったら取り戻せない。

 最初から目を閉じていたのは、おれの方だったんじゃないのか。信じたい、信じると言って、そう自分自身に言い聞かせて。『あの人』がそんなことをするわけがないと他の可能性を潰してしまったのではないのか。

「――――ッ!!」

 叫び出したいのをこらえるのが、やっとだった。

 駆け出す足を止められない。息が上がってもなお走り続ける。走って走って辿り着いたのは――義兄と初めて会ったあの場所。楓の群生。

 あの日のこの場所には二人だったのに、今は一人きり。もがれた半身は、もう二度と戻らない。地面いっぱいに広がる真っ赤に染まった葉が血の色に見える。彼の流した血に思える。

 落ち葉を掴み、放り投げ、ばらばらと散らす。狂ったように何度も何度も繰り返した。

『手紙を書いたもうひとつの理由は、従兄から伝言を預かったからです。』

 ――お前だけの責任じゃない。生きて約束を果たせなくてごめん。生きろ。

「あ、あああああああああぁあぁぁ、うああああぁあアァッ!!!!」

 吸い込んだ息を総て叫び声に変える。叫んで叫んで、喉が裂けるのが分かってもなお声を発し続けた。

『もうひとつ何か言いかけていたのですが、聞き取れず申し訳なく思います。』

 操ちゃんたちが聞き取れなくても、分かる。根拠もないのに思う。おれが彼だったら、立場が逆だったなら、絶対にそうするから。

 ――春永。

 呼んでくれたのだ。

「紅霞、こうか、いやだッ……」

 月が躊躇う。夜空に浮かぶのを迷いながらも、結局は昇っていく。

 十六夜の月。

 日は昇り、落ち、月も昇って、やはり落ちていく。たとえどんなことがあっても変わりはしない。沈まない日はないし、明けない夜もない。生きている限りは。そして、目に映る本物の景色ならば。

 だけどおれの心には、もう二度と夜明けなんて来ない。

 自分の周りに漂う空気が重たい。それを吸い込むたびに心が軋んで、体自体もぎしぎしと軋む。

「……紅霞……!!」

 呼んでも誰も応えない。大好きだった兄はもう何処にもいない。今さら本心が分かったって、本当に欲しかったものが分かったって、どうしようもない。


 ただ、大切な人たちと優しい時間を積み重ねていけたら、それでよかったんだ。


 その願いは二度と叶わない。欠けてしまった人は永遠に帰らない。

 嘘だろう? もう彼と会うことができないなんて。言葉を交わすことができないなんて。

『そちらにも帰りたがっていましたから、せめて髪だけでも、届いてくれればと思っています。』

 ――いや、つか、お前何?

 初めて出会ったあの日、風に揺れていた彼の髪。

「置いてか、ないで……!」

 今まで一滴もこぼれることのなかった涙が、堰を切ったかのようにぼろぼろと流れ落ちていく。

 謝らなくていい。おれを嫌いになったって、憎んだっていい。約束を忘れたっていいんだ。たとえ罵倒されたとしても構わない。それはおれをそのまなこへ映してくれているということだから。

「帰ってきて。帰ってきてくれよ……ッ!! 一人にしないで、一人にしないで!!」

 ちゃんと帰ってくると約束したのに。

 月の光に癒されてきたはずなのに。大好きだったのに。落ちた月が誰より大切だった人を連れて行ってしまった。彼を奪い去っていってしまった。

 もう声が出ない。くずおれて突いた手が掴んだのは、紅葉。兄と出会わせてくれたもの。兄と同じ猩々緋(しょうじょうひ)

「ッひっう、あ、ああぁ、あ、あああああぁ!!」

 おれの心に夜明けは来ない。朝がやってこなければ、夕暮れも訪れない。美しい紅霞を望むことは――永遠にない。

 おれの慟哭を、ただ十六夜の月だけが聞いていた。

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