命を懸けて戦う少年
閃光が自分のすぐ脇で弾けては消えるのを、宏基は勢いよく駆け抜けながら見ていた。
ここは、雪代神社の建つ山を含む山地の中でも、かつての社と天狗の里の中間地点に位置する山の中だった。ハイキングコースになっているような他の山とは異なるため、好き好んで入ってくる者はいないに等しい。人に見られる心配がない分、互いに遠慮も容赦もなかった。
目を眩ます激しい光は、薄く微笑む法師――庸汰から放たれているものである。
攻撃を加えるため毒気を放ち、彼の方に駆ける。しかし宏基と同じようなスピードで相手も間合いを取っているため、その距離が縮まることはない。
宏基は舌打ちをひとつして、七割ほどだった妖力を九割まで一気に跳ね上げた。
「宏基くん、君さあ」
その様子を見ていた庸汰が何かを言おうと口を開いたのに気づき、円盤状にした毒気を鋭く投擲する。
「うるせえ。馴れ馴れしく呼ぶんじゃねぇよ」
続いて一帯の空気を瘴気へと変換させながら、嫌悪感丸出しで顔を歪めてみせた。
「おー、こわこわ。前世でも今世でも鶫くんのお友達はみんなして荒っぽいね」
くすくすと笑い声をあげる庸汰は、錫杖を振ってそれらを浄化していく。間を置かずに放った円盤の第二撃も、即座に法力の球体によって相殺された。
埒が明かない。宏基は彼に気づかれないように注意を払いながらも舌打ちを零した。
「まあ、いいや。君の力ってさ、対妖怪とか対人間――あ、この場合の『人間』は『ただの』ね――にはものすごく効力を発揮する。でも、僕ら法師や、瞳子ちゃんみたいな巫女さんたちには相性最悪でしょ」
猛スピードで襲いかかってくる、青い光を湛えた槍を躱す。そしてもう一度舌打ちした。
そんなことなど、庸汰に言われるまでもない。宏基自身が一番よく分かっていたのだから。
「不意を突いての攻撃にはベストだと思う。だって、最強の毒使いなんて暗殺にはもってこいだし。でも、」
中途半端に言葉は途切れ、庸汰の錫杖が目の奥に痛みを感じさせるほどに発光する。
「届かなければ、意味がない」
先ほどの仕返しだと言うがごとく、庸汰を中心として法力が爆散する。反射的に張った毒気の膜で自分を包み込むことによって何とか防ぎながら、どうするべきか頭を懸命に働かせた。
距離が縮められないでいるのは相手も同じ。どちらが先に根を上げるか、もしくは押し負けるか。つまり我慢比べのようなものだ。
そうなると、宏基にはあまりに分が悪い。
――宏基くん。君の体は……。
鼎の声が耳に蘇り、やはり気づかれないようにため息をつく。
庸汰に言われるまでもなく、鼎に言われるまでもなく、分かっているのだ。このままなら自分がどうなるかということぐらい。
それから大きく息を吸い込んで、周囲の水分を一気に己の方へと引き寄せる。雨の日だったのをありがたく思いながら、溶毒と麻痺毒、ふたつの種類の毒を混入させた水を蛇のような形に変化させて解き放った。
瞬く間の出来事であったが、そこは歴戦の法師の生まれ変わりたる庸汰は何とか結界を張って防ぐ。しかし毒の水はその結界さえも溶かして穴を開け、彼に勢いよく降り注いだ。
しかしこれで片がついたなどとは思わない。溶毒が焼いているせいだろう、上がった煙が雨に加えて更に視界をけぶらす中で庸汰はよろめいている。
注意深くその様子を窺っていると、哄笑が響いた。
煙が晴れ、ようやく全容が見えた。庸汰は肩で息をしている。
先の水を頭から被ることは回避したようだが、躱しきれるものではなかったらしい。しっかりと浴びたと見える右半身は明らかに爛れ、力が籠っていない。取り落とされた錫杖が派手に音を立て、法力の供給がなくなったためか呪符へと戻った。
「――やってくれるな、妖怪が」
口元はこれ以上ないぐらいに歪んで持ち上がっているのに、目には全く感情が籠っていない。口調も今までの余裕たっぷりなものからは程遠い、『庸汰』ではなく『双念』に近いものへと変化している。宏基にしてやられる形になったのが相当頭に血を昇らせたらしい。
「……本性表しやがったな」
頬をひくりとさせて呟いた瞬間、宏基に何かが覆い被さった。
「……っ!?」
息を呑むが、自分の皮膚の焼ける嫌な臭いと音が届いて納得する。
正体は、法力で編まれた網だった。
「そのまま浄化し尽くしてやる。楽に死にたかったら動くな」
能面のような無表情で言い放った庸汰が、新たな呪符で作り出した錫杖の石突を地面に叩きつける。
すると、宏基の体に絡みつく網がぎりぎりと締まって、肉を断つように食い込んだ。強さを増した雨足にも負けないほどに、宏基を痛めつける臭いと音が大きくなる。
痛みに少し顔をしかめつつも、笑いが込み上げてくるのを止められなかった。
「楽に死にたかったら、なんて、てめえにしては随分と甘っちょろいこと言うんだな?」
去来していく、寒露が今際の際に見た景色。そして鶫から聞いた久遠の最期。
――後ろから、胸を法力の槍で貫かれたままで死んだんだ。
先日の透が負傷した戦いの後、事態がとりあえずは落ち着いたのを確認して一旦帰宅の途に就いていた時、鶫は歯切れ悪く言った。
久遠の最期はどんなものだったのかを寒露は見届けることができなかったため、当然記憶にもない。鶫に尋ねるしかなく、問うてみたらそう答えたのだ。
短い説明だったが、それだけで分かった。己の前世が尊敬していた人物がどれだけ惨い方法で殺されたのか。
最上級の中の最上級と言われるほどの大きさの妖力を誇っていた久遠の治癒能力は、並の妖怪の比ではない。法力の妖力を滅する力が働いて多少遅くなったとしても、その能力は十二分に発揮され、傷口は真っ先に活性化して塞がろうとしたことだろう。
しかし、刺さったままの槍はそれを確実に阻んだ。異物があって塞がらないだけならまだしも、その『異物』は法力を纏っている。収縮した傷口が焼かれ、また開き、再び収縮し、更にもう一度開く――そのループが繰り返しされたはず。それこそ、完全に絶命するまで。
久遠にいったいどれほどの苦痛がもたらされたのかは考えたくもない。
一人になってから胃の中に入っていたものを総て吐き戻し、胃液も吐き出して、それすら出なくなるほどに吐き続けても、気持ちの悪さは消えなかった。それほどまでに残虐な殺し方だった。
「風巻を卑怯な手で封じて、月読を騙して、久遠サマを苦しませて、団も女子供だろうが容赦なしに殺して滅ぼしたんだろうが……!」
惨たらしさを一瞬で悟った時の胸糞悪さが襲いかかってくる。
「てめえだけは許さない。何度生まれ変わろうが殺しに行く。絶対に!!」
腹から怒鳴って――妖力にかけている最後のリミッターを、外した。
それと同時、網は溶け落ち、水溜まりに紛れるようにして消えてなくなる。続けて周囲に存在する自分の力で支配できる限りの水を総て掌握し、毒の霧へと変質させた。
雨男や雨女のように雨を呼んだり雨量を調節したりはできないが、水となって降り注いでいるものを支配することはできる。
妖力を制限せず、『寒露そのもの』の力を振るえば。
庸汰は咄嗟に自分を法力で包んだようだが、いくらか吸い込んだのか激しく咳き込んでいる。
その隙を見逃さずに間合いを詰め、宏基は毒気の棒で殴りかかった。けれども庸汰がぐらついた状態ながら作り上げた結界でそれを受け止め、宏基を吹き飛ばす。
何とか平衡を保って着地し、新たに負った火傷に顔をしかめた。今すぐ癒しの気で治癒を速めたいところだけれども、そこに回す妖力も惜しい。
棒を構え直して更に強力な溶毒を流し込み、結界を破ろうと試みる。一方の庸汰は張った結界を保つために力を注ぎつつも、その内の空気を浄化して体勢を立て直そうとしていた。
「……っ、ばっかじゃないの、君」
拮抗状態の続く中、どうにか呼吸を落ち着けた庸汰が吐き捨てる。
宏基は結界越しに庸汰を見た。
ゆるゆると持ち上げられていく口元が不気味で背筋が凍るのを感じつつ、様々なことを怪訝に思う。
相手の方はそんな彼を見てさも可笑しそうにし、結界をますます強化させていた。宏基が棒を弾き飛ばされそうになるほどに。
「完全に変化して、それでどうするの? どうせ数分持てばいい方だろうに」
可笑しそうにげらげらと笑い転げる様子を窺う限り、確信を持ってそう言っているように見える。
押し負けぬように渾身の力を込め、結界に棒をどうにか押し込もうとしていた宏基は、己の血の気がゆっくりとだが確実に失せていくのを感じた。
――宏基くん。君はもう一度完全変化をしたら……。
鶫と透が意識を失っている間、鼎に呼び出されて少し話した。宏基を見つめる厳しい様相が心に浮かぶ。
もう一度完全変化をしたらどうなるか。過去に向けられた警告は、宏基の心に一点の曇りをもたらす。
そしてそれが、彼自身恐れていた事態がやってくる前兆ともなった。
体がびくりと痙攣し、口の中に鉄臭さが広がったと思った時には、棒はすでに手から落下していた。反射で口元を覆っていた手の隙間からぼたぼたと赤黒い液体が垂れ、雨と混じってぬかるんだ土の上を滑る。
膝をついて崩れ落ちながらも何とか空いた手をついたが、掴めたのは虚しくも泥だけだった。
「人間の体に蛟の血が重たすぎることぐらい、僕も容易に想像がついたよ。隠してるつもりだったんだろうけど、馬鹿だねぇ」
何をやっているんだ座り込んでいる場合じゃないだろう立たなければ殺されるどころかまた守れない今度こそ護らなければいけないのに!!
頭の中でどれだけ自分を怒鳴りつけても、体は思う通りに動かない。手足が小刻みにひくひく震え、力を入れようとすればするほど却って抜けていく。
ほとんど地しか映らない視界に、ローファーを履いた足が侵入してくる。
どうにか目線を上げたら、楽しそうに表情を歪めた庸汰と目が合った。転がっている棒へと手を伸ばすも、その足が遠くへ蹴り飛ばしたので取ることは叶わなかった。
庸汰は無様に這いつくばる宏基を見下ろして、かろうじて持ち上がっていた頭を踏みつける。
抵抗しようと試みた宏基だったが、上手くいかずに土と水の混じったものが口の中へと入り込んできた。呼吸が苦しい上に、じゃりじゃりした不快な感触をもたらす。
踏みつけられたままでもどうにか睨もうとすると、かろうじて庸汰の腕が持ち上げられたのだけが網膜に焼き付いた。
このままでは殺される。訴えかけてくる本能に従い、暴れようとした体が法力の縄で縛り上げられていく。
「久遠に勝てなかった君が、僕に敵うわけないだろ」
一閃。
何が起こったのか、最初は分からなかった。
庸汰が息も苦しそうにして笑っている声だけが鮮明で、聴覚以外の感覚はしばらく役に立たない。それから徐々に、熱さを感じた。
「――――かはっ……」
息のような声のようなものが口から飛び出し、感じるものが熱さから激痛へと変わった腹を押さえる。
先ほど吐き出した時とは比べ物にならないほどの量の血が、水溜まりに混じって血だまりを作る。出血と諸共に意識を持って行かれそうになるのを、歯を食いしばることでこらえた。
「お望み通り、君の大好きな久遠と同じ死に方をさせてあげるよ」
新たな法力の気配を感じる。きっと槍が作り上げられているのだろう。それで貫かれて殺されるのか。
それならそれでいい気もする、と宏基は懸命に続けようとしていた呼吸を緩めた。
浴びせかけた毒が回れば、じきに彼は動けなくなる。倒れた姿を見られないことは心残りだが、それならほとんど自分の目的は達せられたと言ってもいい。
鶫や透、瞳子、ひな子の顔が脳裏を横切っていく。
生きるべき者は生き抜いて、死ぬべき者が死ななければならない。彼らが生き残るのなら、自分は死んだって構わない。
――貴方にも……死んでほしくなんて、ないのよ。貴方だけが手を汚すなんて、そんなこと、あっていいはずがないのよ!
前世で聞いた言葉は思い出さなかったふりをして、ゆっくりと目を閉じた。
法力の気配が近づいてくる。十五センチ、十センチ、五センチ――開けられないほどの重量を持っているような瞼を感じつつ、やけに冷静に距離を推測する。
残り三センチ。覚悟を決めようと奥歯を噛みしめたところで、
「宏基兄ッ!!」
そんな声と、駆けてくる足音が聞こえた気がした。




