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外れることを祈る勘

「国破れて山河さんが在り、しろはるにして草木そうもく深し――とはよくぞ言ったもんだなこりゃ」

 翌日、朝餉を済ませて自分の部屋に戻る途中、おれは小さく呟いた。


   国破れて山河在り 城春にして草木深し

   時に感じては花にも涙をそそぎ 別れを恨んでは鳥にも心を驚かす

   烽火ほうか三月さんげつに連なり 家書かしょ萬金ばんきんあた

   白頭掻けば更に短く べてしんえざらんと欲す


 『春望』――大陸の詩人である杜甫とほが、安禄山あんろくざんの乱によって荒廃した都・長安を見て詠んだもの。思い浮かべた最初のれんは、「戦乱によって国は荒廃しても山河は変わらずそこにあり、町には春が訪れて草木が生い茂っている」ということ。

 あれほど激しかった戦であるが、団員たちは何も変わらない。

 ――今夜は好きなだけ呑んで食って騒げ!!

 本拠地に帰還した後、おれはそう言って彼らをねぎらった。団員たちはみな今まで鬱屈していた思いを総て吐き出すようにしてはしゃぎ、騒いでいた。あの寒露ですら、どんちゃん騒ぎに少し眉を顰めるのみで静かに酒を呑んでいたほどで。

 多くの者が酔い潰れる形で宴は終わった。ざるを通り越して枠であるおれと風巻はそんな彼らを見て笑いつつ眠りに就いて、朝を迎えることとなったのである。

 おれが起きた後も前日潰れた者たちが死体のように転がっていて、笑った。

 しかし朝餉を掻き込んだ後は、「頭が痛い」だとか「記憶が飛んでいる」だとかいろいろ言いつつも、団員たちはそれぞれの仕事に勤しみ始めていた。いつもよりほんの少し気分が高揚しているように見えるけれど、勝利を収めたのだからそれで当然なのだ。


 ただ、おれの気分が皆と沿わず、何処か重たいというだけで。


 嬉しくないわけではない。後悔しているわけでもない。おれはおれのやるべきことをやったし、結果的にあの戦では中央の団の者からは誰も犠牲者が出なかったことにほっとしてもいる。

 だけど。

 ――いやあああ久遠さま何ですかその格好!!

 血塗れの惨状を見て玻璃は悲鳴を上げ、風巻と一緒におれを川へ突き落した。そのおかげで、浴びた血は流れて消えた。

 ――久遠さん。この辺り一帯、浄化してもよろしいですか?

 たまたま通りがかった月読に死体の山や血の海は綺麗に浄化され、戦場だったなどと分からないほど見事に痕跡は消え失せた。

 だが、水で汚れを落とし、戦いの爪痕が跡形もなく浄化されても、この手が肉を断ち命を消した事実は決して消えやしない。

 部屋に戻って座り、自分の手をぼんやりと眺める。

 叔父の里を飛び出した直後に出会った、瀕死の少年の澄んだ目が浮かんでくる。おれがこの手でとどめを刺した――殺した、唯一の人間。

 苦しむ彼を見ているのが忍びなくて、手を下した。あの行為は彼を救ったのか、それともおれ自身を救ったのか。当時のおれには分からなかったし、今でも分からない。

 ――貴様も妖怪じゃろう! 何故ヒトを庇う!! ヒトだとて魚を獲り! 獣を狩り、使う! 生きるために我らを殺す!! それと何が違うのじゃ!!

 ――他を、踏みにじってでも、己の考えを突き通すのは……妾らと何ら変わりないと、思うのじゃがの。

 笑い般若の顔と雨女の顔。ぐるぐると頭の中で回るのはどうしてだ。

 何の抵抗もできない人里を襲うのなら、たとえ猫又であろうと殺す。ヒトを傷つける者は、おれの意志に背く者は、絶対に許さない。その考えに揺るぎはない。

 だったら何故、あの二人の最期の顔が浮かんで消えないのか。

 その時ふと、馴染み深い匂いを感じて顔を上げる。

「久遠。入っていいか?」

 ほぼ同時に声が聞こえてきた。予想通り、風巻だ。

「うん、勿論」

 返すと、それに襖を開けて彼は入ってくる。

 昨日はきちんと結っていた髪は下ろされ、着物も派手な色。表情も柔らかい。いつも通りだ。

 いつも通り、のはずなのに。何処か張り詰めたものを同時に感じるのは気のせいだろうか。

「どうしたの? 何か話?」

 向かい合うように腰を下ろす風巻を見つつ、首を傾げる。

「まあそんなとこ」

「何?」

 彼の様子は変わらないから、おれも平生でいようとは思うのに、自然と静かな声になっていた。

「……お前、双念とはどうやって知り合ったっつったっけ」

 そんなおれを見たのち、風巻はぽつりと呟いた。

「ん? 月読の紹介。月読が、『珍しい法師殿がいらっしゃるので会ってみてください』って言ってきて」

 少し唐突にも思えた話題に目を瞬かせるも、ありのままを伝える。

「珍しい……共存って意味でか」

「うん。まず法師だと不可侵ってことすらしようとしない人が多いのに、双念はそうじゃなかったから」

 言葉を紡ぎながら、上っ面だけでするすると滑っていくような感じがしてたまらなかった。本心からのもののはずなのに、それでいて偽物であるような、正体不明の感覚。双念の瞳に見えた気がするくらい色が、繰り返して眼裏にちらつく。

「……それは、そうだな」

「で、実際に会ってみて、おれも付き合ってみたいなって思うようになってさ。それでだよ」

 相槌を打つ風巻に笑顔を向けた。

「――そうか。実際会ったとき、どんな印象受けたわけ?」

 これで話題が終わるかと思いきや、まだ続いていく。口調は相変わらず自然なままだったけれど、おれもそこまで阿呆じゃない。察していく。

 彼のしたい『話』とは、双念に関わることなのだと。

「強いなって。あとは、真面目そうだなって思ったよ。だからちょっと意外だったけど」

「意外?」

 反応した風巻に頷いてみせる。真面目そうな雰囲気に反した思想を持っていることに違和感を覚えた、それがあの時の正直な感想だったから。

「法師にとっての『真面目』なら、『殲滅すべし』って考えに従うのかな……って思ったから。だから、第一印象とは違って、柔軟な視線を持ってるんだなって」

「第一印象は、法師そのもの、だったわけか」

 確認するようにして再びおれの言葉の一部を繰り返す風巻。

 そのもの、という表現が適切かどうかはちょっと迷うところである。上手く言葉にできそうもないが。

 人柄の穏やかさとか、思慮深さとか、そういうものは感じていたつもりでいた。そして敵意が感じられなかったことも。そういう部分を総てひっくるめて考えると、やはり『そのもの』というのは違和感が生じる。

「そのもの、って言うのも何か違う気がするけど、うん……まあ、そうなっちゃうのかな」

 そもそも、法師だって十人十色。誰一人として同じ人はいないし、すると『そのもの』とはそもそも何なのだという意識にぶち当たる。そこを突き詰めたら終わらなくなってしまうけれど。

「まあ、お前には固定観念ってのがまずないからな……」

 風巻もおれが何を考えているかは分かったようで、小さく笑った。おれもそれに笑顔を返す。

 しかし、その先の言葉の方が、彼の本当に口にしたいものであったらしかった。


「――まあオレも、第一印象は、お前と違わないかもな」


 水面みなもに落とされた、たった一滴。小さな小さな雫。でも確実に空気を震わせ、じわじわと波紋を広げていく。

「……じゃあ、今の印象はおれと違うの?」

 自分の纏う空気が僅かに変質する。

「……そうだな。そうなる」

 彼の声に、迷いは、なかった。

「風巻は、どう思ってるの」

 いつかこういう日が来るのではないかと思っていた。恐れていたわけでもなく、ただ避けていた。ぶつかり合うことを。

 ――お前の考え方は理想的だけど、オレには無理だわー。

 ――おれだって憎いものも恨めしいものもあるよ?

 ――まあ、そこまで考えなしだとか言ってねーよ。だからこそオレには無理って話。

 出会ったあの頃から、おれたちの考えがそっくりそのまま同じだったことなんて、一度だってなかったのだから。

「――第一印象が覆ってはいない。端的に言うならな」

 風巻の視線は真っ直ぐで、揺らがない。その言葉に反応して少し肩が持ち上がる。

「まあ、まどろっこしいのは苦手だから、単刀直入に言うか。オレの意見としては、双念との付き合いは避けるべきだと思う」

 少々空いた間は、言葉を選んでいたのだろうか。

 彼がどうして悩むようにしたのか、分かっているつもりでいる。だってきっとそれは、おれがどう答えるのか分かっていたからだと思うから。

「……断る」

 風巻の目を同じように真っ直ぐ見返して、はっきりと告げた。

「久遠」

「……ん?」

 いつも通りに笑えているだろうか。いや、多分無理だと分かっている。だって、動揺していた。

 最初から考えは違うことは知っていても、分かっていても、そして説教をしつつも、風巻はいつでもおれを支えてくれていた。

 今だってそれが揺らいだわけではない。それも理解できている。


 だけど――何処かで傷ついているのも、事実で。


 おれを護ろうとして紡がれた言葉だって、ちゃんと感じているのに。

 また空白ができる。風巻と二人でいるときの沈黙をこれほどまでに息苦しく感じたのは初めてだった。

「月読がここに馴染むまではどれくらいかかった?」

 やがて風巻が尋ねてくる。重たい静けさを割って。

「一年近く……だな。桜の季節に戦い挑まれて、ようやく何とかなったのが、もう梅が開きそうな季節だったから」

 柔らかい声になるように意識しながらゆっくりと答える。彼は頷いた。

「そうだったな。その間に月読もオレらも、互いに少しずつ事情を知っていって、どんな考えを持ってるのか、どんなことがあって今に至ったか、少しずつ分かりあっていった」

 彼の声はどこまでも静かで、揺らがない。受け止めた強い目線を逸らしてしまいたくなる。そんなことできやしないのだけど。

「――その過程をすっ飛ばして、双念を信じようってんなら教えてくれ。信じるに足る確証はどこにある」

 信じているのではない。信じたいのだ。

 ――ただでさえ、妖怪と親しくしていることで敵視する者もいるのですから。

 双念の冷え切った目が風巻の向こう側に見える気がする。その意味は考えたくなかった。

「双念を疑うなら、おれは月読を疑わなきゃならなくなる。ついでに言うなら、月読のことだって初めから疑ってなんかなかったよ」

 信じることから始める、その姿勢は団員になった者たちだろうと、月読だろうと、双念だろうと変えたつもりはない。勿論、風巻のときだって同じだった。

「むしろ訊きたいけど、信じることから始めちゃ駄目なのか?」

 そうして手を伸ばしてきたからこそ、これだけの者たちが仲間になってくれたものだと思っている。たとえばおれが疑っていたなら、どれだけの者がついてきただろうか。それは揺らがせたくない芯として存在している。

 これだけ言えば、いつもの風巻なら「お前らしいな」と笑うなり、肩を竦めるなりしただろう。

「お前個人の信念としてなら、オレは尊重するし文句はつけない。けど、団の長としてはもう少し慎重であってほしいとも思ってる」

 だけど今日の彼はやはり常とは異なっていて、逸らすことなくこちらを射抜いてくる。

 おれは無意識に息を吐き出していた。

「おれは団長である前に久遠なんだよ。勿論、久遠である前に団長なのは分かってはいるよ。でも切り離すことなんかできないし、切り離したらそれはもうおれじゃない」

 自分が自分でなくなったら、それは存在していることになるのだろうか。答えは否だと思う。

「信じることが皆は稀有だっていうけど、おれにとってはそれが普通なんだよ」

 疑うことは知っている。その必要性も知っている。だけどそれをひっくるめた上で、信じたい。大切な人が信じた人を信じたいと思うのはいけないことなのだろうか。

「それはオレも分かってる。そんなお前だから、こんなに妖怪たちが集まったことだって事実だ。疑うのが難しいってんなら、それはオレがやる。でも、決めるのはお前なんだよ。分かるか? 信じるのがお前の本質でも。疑う側の意見を聞かなきゃならないことだってあるだろ」

 諭すような口調であるのは、彼が義兄として此処に来ているからなのか、それとも第一幹部としているからなのか。判断しかねて言葉が出てこない。

「……じゃあ訊く。たとえばおれが双念を信じないってなったとして、それで月読との縁まで切れたら、それこそ損害じゃないの?」

 おれが双念を信じないと言ったら、同志として深い信頼を置いている彼女が一体どう感じるのか。怪訝に思うに違いないし、関係がぎくしゃくするとまでは言わなくても、今までと同じようにはいられないのは確実だ。そして最悪の場合、敵対することだって有り得る。

「まあそれで切れる縁だったらそれまでだってことか……でも、念のために言うけど、もちろんその損害っていうのは『おれ個人にとって』じゃなくて、『団にとって』だからな?」

 最強の巫女と、それに匹敵するぐらいの力を持つ法師。彼らには信頼し信頼されている部下たちも数多くいる。一度に立ち向かうにしてはあまりに分が悪すぎる。

「確かに、巫女と法師をいっぺんに敵に回すことに万が一なったとしたら、それは手痛い損失だな。でも、『敵だ』って認識してる敵対関係と、『味方だ』って思ってて実は敵対心を持たれていた、ってのなら、危険なのは後者だ。オレはそれを危惧してる」

「敵対心を持ってる相手が、もしかしたら変わるかもしれなくても?」

「変わらないかもしれない。その結果が分かるときは手遅れかもしれない」

 頷きつつも意見を変えることはない風巻。そしておれも、己の考えを譲る気はない。つまり二人の立場は交わらない。何処まで行っても。

 だが、それでも何かしらを分かり合えるかもしれないとも考えているからこそ、どちらも相手から目を逸らさないでいるわけで。

「組織の中で、誰かしらは最悪の事態を危惧すべきだ。お前にできないって言うんなら、その役目はオレだろ」

 確かに、「お人好し」と呆れながら、彼はおれができない部分を補ってくれた。躊躇してしまう部分を背負ってくれた。血で手を染めながらも純粋でいたいと甘い幻想を抱くおれの願いを、黙って聞いてくれた。

 まるで黒いものを総て背負わせてしまっているようで申し訳ないけれど、彼は一度も文句を言わない。ただおれが間違えそうになると導いてくれて、それにずっと甘えてきた。幻想なんて抱かずに現実をじっと見据える瞳を、羨ましく思わない日なんてなかった。

 だけどおれは彼にはなれないから。

「風巻のそういう部分はおれも好きだよ。有難いとも思ってる。でも、おれはどっちにしてもいい機会だと思ってるから。法師が何らかの策を持って近づいてきたんだとしても、そうじゃなくても。最初から目を閉じてちゃ、何も変わらない」

 疑っている。同時に信じてもいる。そういう目で見つめることだけが、おれにできること。できる限りの範囲で味方として接しながら、双念が何を狙っているのかを把握したい。敵対心を剥き出しにして、却って敵になられることも避けたかった。

「……お前なりの考えがあってのことなんだな?」

 確認するように訊く風巻を一瞥し、どう伝えたらよいものか頭を捻る。

 先ほどのことに加え、おれの胸騒ぎをきちんと立証できるまでは月読に嫌な思いをさせたくないのだ。自分で納得がいき、説明できるようになったその末でなければ、彼女には話せない。

 中途半端な状態で口にして、巫女との関係がこじれるのは嫌だ。そういった意図だってちゃんとあった。

「ここで巫女まで心が離れたら、何にもならないからな。考え方は違うって言っても、元々あのふたつの組織の母体は一緒だ。どっちかが疑念を持ったら最後だろうし」

「――確かに、巫女も法師も敵対するのは、さっき言った通り、考えられる中では最悪な筋書きのひとつではあるさ」

 おれの答えが彼の思い描いていたものとは違ったからか、一度言葉を切るような時間が流れたのちに繰り返される。

「でも、久遠。月読を、巫女を信じるか、法師を信じるか。そのふたつが同時に起こりうることではあっても、全く同じことであるわけじゃない。同じように、月読が妖怪を信じるか、法師を信じるかもな」

 ああ――まったく、彼はどんな時でも怖いぐらいに正しい。

「分かってる。そして月読に責任転嫁してるみたいだから、何かその言い方も違った気がする。結局は、おれの目で、おれの中で、信じてみたいと思ったからだよ。月影を殺したのと同じ法師じゃないんだから」

 信じるたびに裏切られた。信じたために失くしたものもたくさんあった。でも、それでも信じたいと願うのは、裏切った人と決して同じではないから。信じたことで報われたことも、確かにあったから。

「お前のそういうとこは美点だ。でも、付け入られる隙にもなるんだよ。もし、」

 流れるように話していた彼が、珍しく迷うように言葉を止めた。首を掻いていたおれはその手を下ろし、改めて風巻を見る。


「……もし、お前が、たとえば。団員の誰かを信じるか、双念や月読を信じるか、一方しか選べなかったら、そんな時が来たらどうするつもりだ」


 落ち着いた声は、凜と響く。

 おれの中で去来する様々な出来事。たくさんの人たちの泣き顔、怒った顔、楽しげに笑う顔や声。浮かんでは消える。

 ――ですが私は違います! 私はそのような生半可な考え方はしません。法師殿に全面的に同意します。私は貴方がたを滅ぼす! 最後の一匹まで総て!!

 今にもばらばらになってしまいそうな壊れやすさを内包し、激している姿。

 ――久遠さん。

 柔らかな色を湛えて見上げてくる瞳。

 彼女を選ぶのか。それとも、守るべき仲間たちを選ぶのか。

 選べない、と口にするのは簡単だ。一番の逃げ道だ。だけど「選ばない」という道は、おれの目の前には存在しない。選ぶことをやめるということは、進むことをやめるのと同義。進まないとは、即ち死だ。

 月読の笑顔がぼやけて霞んでいく。たくさんの手がおれの体を引き寄せる。

 そしてその中でもひときわ強く掴んで引っ張る手が誰のものかなんて、決まっている。

「――相変わらず、酷な選び方させるよなあ。そりゃあ団員だよ。もっと言うなら、お前に決まってるだろ? 選ばなきゃならないなら」

 思わず苦笑が零れた。

 おれが護るべきものはこの団だ。いくら月読を好いていても、愛おしさに胸が苦しくなっても、それはおれ個人のこと。団を立ち上げた時点で、おれの命は団のものであり団員たちのものになっている。


 その上、おれの本当の名を預けた時点で、風巻のものになってもいるのだ。


「……そりゃ、兄としても幹部としても冥利に尽きるな。でも、お前はきっとぎりぎりまで、疑わなきゃいけないと決まるその時まで、信じていたいと思うだろう。オレが敵なら、その迷いを利用する」

「だろうな。祖父上も父上も利用されたし」

 少し笑みを含みつつも断然として吐かれた台詞に、切ない記憶が蘇る。

 だけど、信じることが馬鹿を見るなんて、そんな悲しいことがあっていいのだろうか。

 人は裏切るし、優しさに背く。けれども決してそれは総てではない。おれと同じように、祖父も父も信じたのだろう。だがそこに付け入られた。

 そうは言っても、敵の隙を突くのは戦法としては定石であるし、それ自体に責められる謂れはない。おれに対してだってそうだろう。

「それに――きっと、お前本人を最初に攻撃するとも限らない。だって、お前が信じているんだから。それも分かるな?」

「ああ」

 むしろそれが自然な成り行きである。かしらを狙うのもまた、戦の定石。頂点を叩けば下も揺れる。そうして脆くなったところを叩く方が、盤石な状態を叩くよりずっと容易い。

「お前は団長だ。信じるか失うか、そのぎりぎりを歩かなきゃなんねぇことだってある。それも分かってて、それでも信じることはやめないって言うんだな」

 確かめるように見つめてくる目を見、薄く笑ってみせた。

「――よしんば、また裏切られたとしても。くれてやるのはおれの首だけだ。他は渡さない。お前が、渡させない。そうだろ?」

 確かに祖父も父も同じ道を辿った。そのふたつの例を目の前にして、過ちを繰り返すような真似はしたくない。

 おれには、全幅の信頼を置ける義兄がいる。手足となってくれる幹部たちがいる。頼ってくれる仲間たちがいる。理想を実現する前に死ぬ気なんてさらさらないけれど、たとえおれに何かがあっても問題がないようにはしてきたつもりだ。

「……お前、そういうとこ、上手くなったな。まあ、それは勿論そうさ。けど、いちばん大事なとこ勘違いしてんぞ」

「ん?」

 呆れるような調子の後に続いたものに首を傾げる。


「お前の首こそ、オレは誰にも渡さねぇ。そのぐらいは分かってもらえると思ってんだけど?」


 猩々しょうじょうひが、見える。

 ――紅霞。オレの名前。

 あの時見えた色。この世で一番鮮やかな、彼に一番似合う、燃え盛るような紅色。

「風巻は変わらないな」

「お前も変わらねぇしな」

 にこりと笑えば、微笑みが返される。

 おれが変わらないでいられるのは、風巻を含め、今まで接してきてくれた皆のおかげでもあるのだが、彼はそれを知っているだろうか。

 こういうおれに対し「それでいい」と言ってくれていたからこそ、こうして生きてこられた。そのせいで今風巻と相対さねばならないことになっていたのだとしても。

 おれのこういう部分を育んだのは、間違いなく目の前にいる人でもあるのだから。

「お前が揺るがないって言うなら、オレも揺るがない。お前が自分を貫くってんなら、信じることで守るってなら――オレは疑うことでお前や団を守る。たとえそれが、」

 優しいだけで生きられたなら、よかった。

 だけどこの世界、理不尽なことだらけで。正義を振り翳すだけじゃ何も変わらない。

 ――どっちかが許されないんなら、もう片方も許される道理はねぇさ。

 そうだ、道理はない。雨女も言った通り、他を踏みにじってでも己の考えを突き通すことは、人間を踏みにじる妖怪や妖怪を踏みにじる人間と同じだ。

 だとしても。間違っていても道理はなくとも、それを総て承知の上で、何もかも呑みこんで進まなければならないときは来る。


「……この団と、延いてはお前と、信念を違えることになるんだとしても」


 それをおれよりもずっと深く分かっているから、彼は彼なのだ。

「元々お前もおれも、自分の信念を曲げるつもりもないし……そもそもそれが同じでないこと、最初から知ってただろ」

 ふっと口の端が持ち上がる。

 出会った当初からおれたちの位置はだいぶ異なっていた。それを度外視してでも一緒にいたのは、共に戦ってきたのは、二人で見たい景色があったから。

「そうだな。知ってたよ。けど――それでも、一緒に成し遂げたいことがあったのも、分かってたろ。だから互いに口は出さなかった。個人の問題の範疇としてなら。ただ、今回は個人の問題じゃない。オレはそう思ってる」

 彼の言葉にしっかりと首肯する。

 双念のことがなかったとしても、いつかきっと衝突する日が来るとは薄々気づいていた。団の創設から時間が経過し、否が応にもひずみが生まれる時期ではある。それが今表面化しただけのこと。

「……こんなふうに幹部の中でさえ抱くものが違うのに、よくもまあこういうおれについてきてくれたなって思うよ、皆」

 風巻だけではない。寒露も、玻璃も、雪水も黒鉄も鈴菜も、総ての団員たち各々が、各々の意見や信念を持っている。そうでありながら、彼らはみな、おれを「団長」と呼んで、笑ってくれる。

「それがお前の人徳ってやつなんだろ。あとは、此処でばらばらになるのだって避けたい。ひとつにまとまればそれが一番だ。ひとつの方針の中でそれぞれができる限り、自分の気持ちにも従うのが。それに、」

「ん?」

 言葉が途切れたので風巻をじっと見つめると、彼の目は日の光を映して煌めく。その目におれが映っている。

 風巻には、いったいおれはどう見えているのだろう。その写し身を見たところで理解できるはずもないのだが。


「元よりお前に預けた命だ――春永。そういう意味ではお前が扱い方を決めるべきだな。もう既にお前のものなんだよ」


 背筋が、伸びる。

 ――幸せになりなさい、春永。

 背中を叩かれた気がした。

「ただな、お前の命はオレら団員のもので、団員の象徴だ。だから、お前のためにオレらがどういうことをするのか。オレらがお前の決断を見届けるように、逆も受け入れなきゃならない時が来る。それは、分かってのことだな?」

 変わらぬその佇まいに、いったいどれほどの憧憬を抱いただろう。

「――、お前たちは皆そうだろう? 知ってるよ。何をされたところで、一度信じた人になら別に悲しくはないよ。それはきっと、おれが間違っていた、ってことだから」

 長らく空白が生まれていたことに気づき、ようやっと紡ぎ出す。しわがれていないかどうかだけが心配で、最後まで言い切れたことにはほっとする。

 ただ、吐き出したものは彼が希求した答えではない。

「お前が間違った結果をお前自身が受け入れても、オレたちは受け入れない。お前ひとりの存在でまとまってる団だからな」

「何ていうか。間違ってたってのは微妙か? 今でもおれは父上が間違っていたとは思ってないしなあ……おれの信念は信念で貫くけど。だからって、沿わない相手を無理矢理従わせたくはないし。何ていうか……」

 彼は惑わないというのに、どうしておれはこうもぐらつくのか。最後に着地する場所なんて最初から承知しているくせに、そこに辿り着くまで悪足掻きをしたくなってしまう。何処に向かっているのか、どうしなければならないのか、ちゃんと心得ているのに。

「おれは結局、ご都合主義で楽観的なんだろうけどさ。お前たちが何をしても、それはおれのためでしかないことは、よく分かってるよ」

 弁じ終わると同時、長らく思い出すことがなくなっていた父の顔が脳裏を掠めていく。

 ああ――と、胸の中で弾けるものがあった。

 遠い昔にいなくなってしまった相手だというのに、どうにかして探し出して縋りついてしまいたい気分だった。この場面で彼の顔が浮かんできた理由、まとまらない思考が示すもの。

 いつもいつも、おれの目の前には真っ直ぐな一本道しか存在しない。

「……オレの方も、お前が誰よりものを理解してる、ってのは分かってるさ。兄としては夢を追っててほしい。団員としても全部分かっててついてきたつもりだ。他の奴らもきっとな。ただ、代わりに背負ってやることだけは、できないんだよ」

 誰にも代わりなんて求めていない。求めてはいけない。

 ――俺が死んだら、次の『久遠』はお前だ。励めよ。

 この名を受け継いだ意味。決めなくてはいけない覚悟。

 立つ場所が荒れ野でも、置くのを躊躇するような針の山でも、決めたからには立ち続けることが義務だ。背負い込むことに腕が痛くてたまらなくても、息が上がって苦しくて降ろしたくなっても、巻き込んだからには背負うことが義務だ。

「おれが団を創ったのは、里で繋いできた思いを、他の妖怪たちにも繋いでほしかったから。共生はもちろんだけど、妖怪にとって住みやすい環境を創りたかったから」

 共に生きるだけではだめだ。人間も妖怪もなしに、傷つくことのない世界を創らなければ。きっと創れるはずだから。そう決意したあの頃が遠い昔のように感じる。

「その願いをお前らに呑み込んでもらっといて、おれが何も返さないってのは嘘じゃねえの? 最初から分かってるよ」

 励め、という言葉にはどれだけの含意があったのだろう。あの時のおれには分かっていなかったし、今でも怪しい。だけど上に立つなんて生半可な気持ちでやっていいことではない。

 おれ個人の葛藤や拘泥なんて必要ではなく、丸ごと全部無視してだって、進まなくちゃいけない。


「おれは長だろう? 曲げるつもりがなけりゃ、結果だって呑み込むしかないだろ。曲げたくないし、曲げられない。それを呑み込ませるんだから」


 たとえ自分の信念と引き換えに背中を預けられる人を失ったとしても、それはおれが選んだ結果。一本道の先にあったもの。

「――分かった。お前がそう誓う以上、オレたちだって同じだ。根底にあるものが違っても、オレらはお前のために在り続ける」

 手放したくないと、何処にも行かないでくれと、いくら考えていたところでそれは『個人のこと』。

「つまり、お互いさまで手打ち、ってとこ。まあ、最初から見えてた結論だけどな」

「……そうだな」

 肩を竦めた彼には薄く笑いつつも、悲しくてたまらなかった。

 何故だろうか。彼の言うことの方が正しくなるように感じる。根拠なんてなくて、ただの勘だった。

 おれの勘は外れたことはない。それに助けられても来た。だけど、外れてほしい。外れてほしかった。

「んじゃ、オレからの話はこれで終わり。お前が訊きそびれたこととかなけりゃ、刀の手入れでもしに戻るけど」

 からりと笑ってあっさり日常の雰囲気に戻るのが風巻らしいところではある。

「おれはないよ。夕餉には遅れないようになー」

 おれは立ち上がる動きを目で追い、彼と同じようにいつも通りを心がけてくすくすと笑った。

「氷漬けになるのは勘弁だし心配すんな。じゃあまた後でなー」

 笑顔を残し、自分の部屋と繋がる襖を開けて出ていく。

 見送ってから、おれは徐々に笑顔を消した。

 今さら、双念が風巻に何事かを耳打ちしていたのを思い出す。

 ――お邪魔虫すんなよーって。

 本当にあれは、その程度のものだったのだろうか。

 嫌な予感は更なる嫌な予感を呼ぶ。

「……気持ち悪」

 考えるべきことが多すぎて吐き気を催してきた。ため息をついて壁に凭れる。

 その程度で済まないのならば。そして双念が、危惧しているような人物であったら。


 その時は、風巻はどうなるのだ?


 首を振って嫌な考えを追い払う。

 こんな勘、外れてくれなくては困る。思うのに、胸がもやもやする。

「降り始めそうだぞー」

「きゃー洗濯物!」

 団員たちが慌てている物音が響いていた。空を見上げれば、確かに雲が覆い始めている。先ほどまではあんなにも晴れていたというのに。

 空まで空気を読んでいるのか。馬鹿らしいことを考えてから、黒いものを追い払うかのように大きく伸びをした。





 まさかこれが最初で最後の言い合いになるなんて、この時のおれにいったいどうして予想できただろう?

 優しい日々が、永遠に続くだなんて。どうしてそんなことを思ってしまったのだろう。

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