誰にも代えられない
「風変わりなんだよ。月読が隣国で会って、その時にうちの団の話をしたらしいんだけどさ。怒るでもなく興味持ってくれたっていうし」
隣を歩く風巻に双念のことを軽く説明しつつ、客間に向かうために廊下を進む。
「名前は?」
「双念」
軽く頷きつつも尋ねられたので答えると、風巻は少し記憶を探るような様子を見せる。
「ふーん……」
彼は人里に溶け込むことも多く、人脈が広い。それでも双念の名を耳にしたことはなかったらしい。
しかしそれにも無理はない。『月読』というあまりにも有名すぎる名とは違い、法師にはそういった名跡のようなものはないから、余程のことがなければ個人の名が目立つことは稀であるのだ。
「力は相当強いみたいだよ。月読に匹敵するだろうって」
月読自身がそう言っていたし、実際に付き合いを持つうちおれも感じている。双念の力はかなり強い。多分、月読と二人がかりで襲われたら、おれだって滅される。
「そりゃ、文字通り百人力だ」
「だろ? 心強いよなー」
そんな存在が味方として傍にいてくれる以上は、脅威は格段に減るものだ。笑って正直に心情を述べつつ、静かに襖を開けた。
「久遠殿。お久しぶりです」
途端、中で待っていた双念がいつもの人好きのする笑顔で声をかけてきた。
「双念、久しぶり。紹介するな? 前々から言ってた、義兄で第一幹部の風巻」
おれも笑い返しながら、入口に立っている風巻を手で示してみせる。すると、双念の笑みはますます深まった。
「ああ、いつもお話は伺っております。お初にお目にかかります、双念と申します」
「よろしく」
風巻も笑顔で応じるが、ほんの少し探るような目をしている。双念には分からないと思うが。やはり、『法師』ということで警戒心は抜けきらないのだろう。
義兄であり部下であるからといって、意見を統一させなければならないとは思っていない。それに対し何かを言うつもりは全くなかった。
「風巻、座らないのー?」
「そりゃ団長が先だろうが」
双念の向かいに座りつつ振り返ると、すぐにいつもの笑顔になった風巻は肩を竦めてから同じように腰を下ろす。それもそうだったと思いつつ、双念に視線を向けた。
「そういえば双念、濡れなかった? ……って、訊くまでもなく濡れてるね」
「はい、何やら唐突に降り始めまして」
墨色というそもそも濃い色のために分かりにくいが、湿っている。突然降り始めた雨にやられたのだろうと容易に分かった。
「あー……」
この天候にさせた者の一人である風巻はそれに何とも言えないような表情をしていたが、同時に不思議そうな色も見て取れる。双念ほどの法師が妖気を感じられなかったのか、と思っているのだと思う。何故分かるかって、おれも疑問だったから。
「呼んでいらっしゃるのは分かりましたが、間に合うだろうと高をくくっていたらこれです」
おれたちが共通して浮かべている様相を悟ったようで、双念は悪戯っぽく肩を竦めた。
「あはは……ごめんね」
そういうことか、と苦笑混じりに笑い声を漏らしたが、少し申し訳なくもある。作戦のためなのだが、人間たちをも巻き込むのはそもそも少し忍びなかったから。
「乾かす? まぁオレのせいだし」
「ああ、問題ありません。お気になさらず。今日はご報告に参った次第で、約束もそのためでした。すぐに寺へ戻りますので」
肩を竦めた風巻が気遣うが、双念は柔らかい表情で首を振った。本当に気にしていないようだからそれには安心したが、いったい何だろうか。
「報告?」
首を傾げると、双念の面持ちが法衣によく似合う引き締まったものへとすぐに変化した。
「東の団とは戦のさなかだと聞き及びましたが、西と南西にも再び不穏な空気があります。今度こそどちらかが滅ぶでしょう……その後、こちらへと戦いを仕掛けてくる可能性もあるかと。お気をつけください」
西と南西のそれぞれの団の戦いは、あくまで『停戦』。決して終わったわけではない。
そもそも、原因となっているのは食料などの資源確保の問題。秋口に差しかかり、これからますます厳しい季節へと世界は移ろっていく。今年の収穫の調子によっては、再び争いが起こっても何らおかしくはないのだ。
しかも、去年が日の欲しい時期に長雨だったかと思えば、今年は雨の欲しい時期に日照りが続いた。再開してもおかしくはないどころか、戦はもはや当然の成り行きだ。
「あーうん、やっぱりか……何となく感じてはいた。風巻も感じてた?」
思わず眉を顰めてしまう。
「まーそりゃな……西の方から来たんだから。此処に来るまではそっちと何かあったのかと思ってたさ」
天狗の里はこの本拠地の北西方向にある。東の団の情報は入りにくくとも、西と南西の状態はおれたちよりもすぐに耳に入る場所にいた。そう考えるのがむしろ自然だ。
「西とか南西の団からは、まだ取り立てて何もされてはいない。……けど、きな臭いのは確か」
「昨年の長雨に続いて、今年も日照りが続いたために作物が不作です……人間たちの気も立っておりますので」
双念も心配してくれているようで、声の調子が暗い。
「日照り……」
そういえば、という感じで風巻が零している。
不作が妖怪同士の争いを呼び、心を荒ませるのなら、人間たちはなおのこと。そして、そのぎすぎすした思いは、きっと人間と妖怪との関係性にも影響を及ぼす。
「悪いときに悪いことは重なるもんだな……」
ため息をつきたいところをぐっとこらえるおれの台詞に、双念は小さく頷いた。「まったくですね」と眉を顰めて。
「久遠さま。御来客時に失礼します。少しよろしいですか?」
と、その時、襖の外から雪水の声が聞こえた。何かがあったのだろうか。
「っと、ちょっと待ってて。すぐ戻る」
考えを巡らせながらも、言葉を残して一旦客間から出る。
廊下に手をついて座ってこちらを見上げている雪水と目が合った。
室内では風巻と双念が何か言葉を交わしているらしい。少しでも打ち解けてくれればいいのだけれど、と思って視線をちらりと遣ってから、彼女の方に戻す。
「どうした?」
「月読が久遠さまを訪ねて来ています。居間の方に通させていただきましたが。玻璃が共におります」
おれの問いかけに、雪水は更に姿勢を低くしてからいつものように真面目な調子で言葉を紡ぐ。簡潔明瞭で分かりやすいのだが、そこまで堅くならなくてもいいのに、とも思う。彼女の性格だから仕方ないといえば仕方ないけれども。
「月読が? 何だろ……うん、でも、報告ありがとう。ご苦労さま、下がっていいよ」
今日は式神も飛んできていなかったのにどうしたのだろう。客間の二人が気になるけれども、月読も気になる。とりあえず一度今に向かってみることにした。雪水が一度平伏してから去っていくのを音と気配で感じつつ。
と言っても、客間と居間は隣合わせだ。すぐに辿り着いて声をかける。
「月読、玻璃? 久遠だけど、入っても大丈夫?」
「問題ありませんよぉ、どうぞ」
月読の代わりか、玻璃から返事が飛んでくる。そっと襖に手をかけて開け放った瞬間、少し目を見張ってしまった。
何故なら、見慣れた巫女装束ではなく、玻璃のものと思われる着物を月読が身に纏っていたから。
「あ、あの、着物が、濡れてしまいまして……乾かす間、お貸しいただいているのです……」
おれが目を繰り返ししばたたかせているのに気づいたのだろう、彼女は少し恥ずかしそうに身を縮めている。普段着ることはない派手な色味だから、自分でも違和感があるらしい。
玻璃はくすくすと笑いながら、月読の体や彼女の元々の着物を燃えぬ炎で包み込んでいる。温め、乾かすためだろう。これなら月読も間もなく見慣れた格好に戻れるはずだ。今は今で美しいから、少し勿体ないような気もするが。
「は、玻璃さんの着物、私には似合いませんよね……」
気づかぬうちにあんまりにも見ていたからだろうか、月読は苦笑しながら更に身を縮める。おれは驚いてぶんぶんと首を振った。
「いや、見慣れないからちょっとびっくりしたけど、その姿でも綺麗だよ」
「えっ」
月読が一気に耳まで赤くなる。本当のことを言ったつもりだったのだが、どうやら照れさせてしまったらしかった。
「あ、ご、ごめん……」
首を捻りかけたけれど、彼女の様子を見るとおれの方まで慌ててしまう。
「そ、そうだ! 風巻、帰ってきてるんだ。妖気で分かってると思うけど。会うだろ?」
「風巻さんが? はい、お会いしたいです」
話題が変わったからかどうにか落ち着き始めた月読の表情が柔らかくなる。それに胸を撫で下ろし、おれも笑顔を返した。
「じゃあ声かけてくるから」
返事を背後に聞きながら、先ほど来たばかりの道のりを戻る。
客間ではまだ会話が続いているらしい。途切れさせてしまうようで忍びないが、いつまでも席を外しているのもそれはそれで迷惑だろう。静かに襖を開け放った。
「ごめんごめん、月読が来たみたいだ。この雨で濡れちゃったらしくて」
風巻と双念はおれに気づいて言葉を止め、揃ってこちらを見る。
「え、月読が? 謝っとこ……」
思わずといった感じの風巻の台詞に声をあげて笑った。
「あはは、今玻璃が着物貸して、元々の着物を乾かしてくれてるよ」
「あ、玻璃なら炎で温めてやれるし安心だなー」
風巻の言葉に首肯する。先ほどはまさにちょうどその時だったから。
「月読殿がいらしたのなら、私はお邪魔虫でしょうしお暇致します」
と、双念が唐突にとんでもないことを言うので驚いて目を剥いた。思わず動揺してしまう。
「なななな何だよお邪魔虫って!」
「冗談です。そろそろ戻らなくてはなりませんので」
おれの焦り具合に彼は愉快そうにして、静かに立ち上がった。
「そっかぁ。じゃあしょうがないな。忙しいんだろうし」
暴れ回りそうになる心の臓を宥めて、無理には引き留めないことにした。
「明日からはまた隣国へ遠征です」
「ほんとに? そりゃ大変だぁ……風巻、送ろ」
法師の中でも指折りの実力者たる双念は、きっとあちこちに引っ張り蛸なのだろう。その大変さは想像するに余りある。
「人の足じゃ遠いだろうに」
頷いて立ち上がってから漏らす風巻。双念は何でもないことのように笑った。
「ええまあ……しかし慣れましたので」
「やっぱりすごいなぁ。けど、それだけ妖怪が悪さしてるってことか」
法師や巫女の仕事が増えるのは、人を襲う妖怪が増えているから。動かしがたい事実である。
「ひと昔前よりは増えてるからな、確実に」
風巻は会話に参加しつつも雨の様子を確認している。
「乱世では増えてしまうのが常ですから、仕方がありません」
「そうだよなぁ……」
今度こそため息を吐き出してしまいながらも、釣られておれも外に視線を遣った。
雨女たちの力もあり、相変わらず大粒の雨が激しく天から降ってきては地面に叩きつけられてばらばらと音を立てている。この状態で帰るのは中々大変ではないだろうか。
「……ずぶ濡れになると思うけど」
義兄も同じことを思ったようで、呟きながらこちらを振り返る。
「結界を張って参りますので問題ありませぬ。お二方とも此処まででよろしいですよ、有難うございました」
双念は何でもないことのように笑って頭を下げた。彼がそう言うのなら問題はないのだろう。
「気をつけてな」
「悪いな、止ませるわけにもいかないし、大目に見て」
頷いたおれと、軽く手を挙げる風巻に「大丈夫ですよ」と笑った双念は、歩き出そうとした。でもすぐに何か思い出したような顔をして足を止める。
「……ああ風巻殿、」
怪訝に思い首を傾げるのとほぼ同時、彼は風巻の方に水を向けた。
「ん?」
目を軽く瞬かせた風巻の耳元に口を寄せる双念。何かを耳打ちしているようだ。
耳を澄ませれば聞こえないこともなかったけれど、それは何となく憚られて、ただその様子を見守る。
すぐに二人の距離は離れ、もう一度頭を下げた双念は足早に寺への道のりを辿っていく。後には笑顔だけが残された。
「双念、何か言った?」
聞かないことにして聞かなかったのだが、何となく気になってしまう。
「何だよ、知りたいの?」
尋ねた声に、風巻はいつも通りの楽しげな笑みを向けてくる。
「んー、風巻だけが知っておけばいいことなら、それでいいけど。気にはなる」
思ったままを素直に言った瞬間、彼はからかうようにしてにやりと笑った。
「お邪魔虫すんなよーって」
目を瞬かせる間もなく、急に落とされた言の葉。顔が若干赤くなった気がする。
「だからそのお邪魔虫って何!」
これはもう、風巻どころか双念にまでおれの想いはだだ漏れであるのだろうか。いや、信じたくない。十中八九、否、ほとんど間違いなくそうであるとしても。
「え、詳しく説明してほしい?」
「あーあー、いらないっ」
真顔は視界に入れないふりをして、耳を塞ぎつつ居間の方へと向かっていく。
「まあでも少しくらい月読と話したっていいよなー?」
「いっぱい話してよ! 久しぶりでしょ!」
ついてくる義兄がまだ少しからかう調子であることにムキになってしまう。
別に月読はおれのものでもないし、むしろ『世の中にいる総ての人のために存在する』人物だし、誰とどんな関わりを持とうがおれが何を言う資格もないのだから。そんな子供みたいな拗ねた思いがおれを支配している。
「何ムキになってんだよー?」
それが分かったのか何なのか、笑みを含んだ声で頭を撫でられる。おれは途端に笑顔になってしまう。
風巻の手は不思議だ。おれの波立った心を一瞬で和ませてしまう。本人にはそう言った意識はないかもしれないけれど。
「お前扱いやすすぎ」
笑われてしまうぐらいには単純だって、一応自覚している。反論せずににこにこ笑って、軽く声をかけてから再び居間の襖を開いた。
「久遠さん……風巻さん、お久しぶりです」
おれたちの姿を認めて顔を華やがせた月読は、すでにいつもの装束に戻っている。見慣れているために落ち着くけれど、勿体ないような気もした。口にはしないが。
「おー、久しぶり月読。相変わらずキレーで見惚れそうだわー」
一方の義兄は常の通りに口説き文句のような軽口を叩く。
「え、えぇぇ、そそ、そのようななことは……」
人を選ばないと、このようにどぎまぎさせてしまうというのに。玻璃を始めとした団員を口説くのとは違うのだから。
「風巻、毎度言うけど人を選んでよ。頼むから」
「風巻。毎回言ってるけれど、人を選びなさぁい?」
玻璃の声が重なったことからして、同じことを思っていたらしい。
「選んでる。女の子にしか言ってない」
何を真顔で堂々と、というかいけしゃあしゃあと。
「……うそうそ嘘だって。ごめんな月読、雨酷かったろ」
玻璃と顔を見合わせたところで、風巻本人が話題を変えた。多少申し訳なくなったらしい。
「あ、いえ。大丈夫です。やはり団の皆さまが降らせていらしたのですね」
どうにか落ち着いて微笑んだ月読は、気にしていないという風にかぶりを振った。
「そう。戦の話は聞いたのか?」
「ええ、玻璃さんから。きっと大きな戦になるのでしょうね……」
会話を聞きつつ腰を下ろすと、風巻が隣に座る。おれは畳んだ着物を持って下がっていく玻璃に「ご苦労さま」と声をかけた。
「大丈夫、勝つから。人間たちにも迷惑はかけない」
「すーぐ終わるさ。作戦自体が短期決戦向きだしな」
それから月読に向き直ってしっかり言うと、玻璃に手を振ってみせた風巻も頷いた。
「お二人がそうおっしゃるのなら大丈夫なのでしょうね。御武運をお祈りしております」
優しい笑顔に、おれがどれだけ励まされるだろうか。彼女は知らないだろう。
「月読にそう言われると、皆やる気出ると思うよ」
『皆』の中に、こっそり『おれ』も含ませて。はにかんだ月読が愛おしくてたまらない。
しかし、色事が好きな義兄がそういう台詞を放っておいてくれるはずはなく。
「そーだな、実際団長がめちゃくちゃやる気出てるな」
「しーまーきいぃ!!」
再びからかってくるので全力で抗議するけれども、恐らく効果なんてほとんどない。
「あーあー悪かったって。怒るなって」
証拠として、そんなふうに宥めるような台詞を吐くくせに、全く悪かったなんて思っている口調じゃなかった。だがこれ以上この話題を続けてもやぶ蛇である。
「まったく……」
軽く唇を尖らせることで話題を打ち止めにした。
「相変わらず仲がよろしいのですね」
渦中の人物たる月読本人はよく分かっていないらしく、にこにこと楽しそうにしているのがせめてもの幸い。
「まあなー」
言いつつおれの頭をうりうりとしてくる風巻は、おれがそれに自然と笑ってしまうことを分かっているのだとしたら、やっぱり策士だ。別に嫌ではないけれど。
でも、ひそひそと内緒話を交わして楽しそうに笑い合う光景には、ちょっとだけ妬ける。風巻には全くそんな気はないことをよく知っていても。
「お二人がとても仲がよろしいと思いまして、秘訣を伺っておりました」
視線に気づいたのか、くすくすと笑う月読。
「仲いいよ!」
「まあそりゃなー?」
威張るおれと、笑みを含みつつも肯定する風巻。月読は更に笑みを深め、微笑ましそうな様相で見つめてくる。
「お二人のそういうところ、とても好きです」
何の他意もないと分かっていても、過剰にその語には反応してしまうのが悲しい性だ。今以上の関係になる気なんてないくせに、図々しいことである。
「……ありがとう」
高鳴った心音は聞かなかったふりをして、満面の笑みを返した。
「おー嬉しいこと言われたー。……さて、」
おれとは違い余裕綽々に笑った風巻は、ふと立ち上がって伸びをした。どうしたのかと彼を見上げると、軽く肩を竦めてみせる。
「オレが不在の間に事実上仕事押しつけてた第二幹部に、謝罪という名の現状訊き出しをしてこないとな……」
行きたくない、という言外の思いがしっかり伝わってくる辺り、何というか我が義兄である。はっきりさっぱりしているところが彼の長所であるのだが。
常々我が団の第一と第二幹部は言い合いをしているし、創立当初から変わらない。しかし、喧嘩できるのは仲がいい証拠でもある。口には決してしなくても、互いに強い信頼の念があることはおれも知っていた。
「風巻さんと寒露さんは相変わらず仲良しですね」
「ねー」
月読も似た思考に至っていたようで、微笑みつつの呟きに同意した。
「喧嘩するほど、ってか? 寒露に言ったらキレるぞそれ」
「寒露さん、本当にお嫌いな方とは口もお利きにならない気がします」
「おれも月読と同意見ー」
珍しい苦笑いを見たところで、月読もおれも考えは変わらなかった。ね、と微笑みかけると、彼女は変わらぬあたたかい表情で同調してくれる。
「……毒気抜かれるよなぁほんと。まあ、いいや、じゃあその仲良しの第二幹部を捜してくるから、ちょっと外すわ」
風巻はそんな台詞を残して去っていったが、認めたのか諦めたのかはよくわからない。
「行ってらっしゃい」
「行ってらっしゃいませ」
それに、月読と見送りの言葉が重なったことへすぐ気を取られたから。
おれたちは思わず顔を見合わせて、どちらからともなく吹き出して笑ってしまった。一度笑い出すとどうしてか止まらなくて、二人して笑い転げる。
最後に向けての、穏やかで優しい時間。
もうこの時にはすでに半分以上崩壊が進んでいたなんて、誰が知ることができただろう?
いつだって、その時を生きる者は、その瞬間が重要なものだった何で気づくことはない。過ぎ去ってから、もう取り返しがつかなくなってから、「ああしていれば」と悔やむのだ。
おれも、同じ。
「――久遠さん」
笑いが治まって静まりきった部屋に、不意に真面目になった月読の声が凛と響いた。
「ん……?」
首を傾げ、視線が交わり合う。
「お願いが、ございます」
風巻を双念に合わせなければ。彼が双念に耳打ちされたことについてもっと強く問い質していれば。この時、月読のお願いを聞かないように耳を塞いでしまっていれば。彼女から目を、逸らしてしまっていれば。
どれかひとつの『もしも』でも現実にできていたならば、何かは変わっていたのだろうか?
いや、もしかしたら総て遅かったのかもしれない。きっと、引き返すことのできない袋小路へと、おれたちはとっくに追い詰められていたのだ。知らないうちに。




