大切な人を護るため
結局、西と南西の団の抗争は、互いに半数の犠牲を払った末に一時停戦という形で終わりを告げたようだった。
しかし、戦いが終わったわけではない。緊張状態も続いたまま。安心できる状況には全くなく、そして、懸念していた状況はやってきてしまった。
「――久遠サマ」
背後からかかった声は、寒露だ。分かっているが、今は振り返ることができない。
盛り土の上に載せられた石。辺りに漂う、死臭。
それは鼻がいい方であるおれだからこそ感じられたものでもあるだろうが、でも、拭いようがない。ついこの間まで元気に動き回っていたのに、今はもう指一本も動くことはなく、その姿を目にすることすら二度とない。
いつも思う。人間であろうが妖怪であろうが、死してしまった相手に対しては何と無力であろうかと。何をしても、死者は死者のままなのだから。
「何処に東の団の連中がいるか分かりません。急襲されたら、」
「分かってる。もう少しだけ」
警戒しているからか少し硬い声で呟く寒露を遮るように言葉を紡いで、しゃがんで手をそっと合わせる。
此処に眠っているのは、団員だった妖狐の少女だった。つい七日前、東の団との境になっている川で殺されているところを、帰りが遅く心配して探しに行った黒鉄が見つけてくれたのである。
その状態は酷く、腸を抉り出され、首を刎ねられていた。五尾で、人の形は取れたものの、さほど妖力が高かったわけではない彼女。その治癒能力の程度では、傷を負った瞬間に逝ってしまっていたことだろう。せめてもの幸いは、長く苦しまずに済んだということだけだ。
二月ほど前から彼の団とは緊張状態にあって、そのさなかの出来事だった。
護ると宣言して仲間へと引き入れたというのに、この体たらく。情けなくて、申し訳なくて、もしももう一度会うことを許されるのならば、顔を上げられないぐらいに何度も何度も謝るのに。
「ごめん。ごめんな……」
懺悔を吐き出したところで、彼女が帰ってくることはない。
瞼を伏せたまま、ぐっと唇を噛みしめる。
東の団とは、何とか交渉によって仲を回復させようとしていたのを完全に裏切られた形になった。
どうして何の罪もない者をあんなに惨い方法で殺せる? 運ばれてきた彼女を見た時の衝撃が、目には今も鮮明に焼き付いていた。
憎しみに支配されそうな心をぐっと抑える。
ひとつの感情に囚われて周りが見えなくなるのは、愚か者だ。
――思い上がるのもいい加減になさい。
翠子の声が耳元で鳴る。心中で頷いてから、ふと馴染んだ感覚が体を包み込んで顔を上げた。
「……風巻の妖気だ」
手を下ろし、ゆっくりと立つ。おれに釣られる形で空を仰いだ寒露も頷いた。
「ようやく帰ってくるんですね……」
ため息混じりの台詞は、なかなか姿を現さなかったことに対して不機嫌そうではあったけれど、同時に何処か心配そうな色をも湛えていて。言ってしまっては恐らく全力で否定されるだろうから口にはしないが、彼も戻らない風巻の身を案じていたのだろう。
「だから言っただろ、ちゃんと帰ってくる奴だって」
この二月の間文句を言い通しだった寒露の背中をばしんと叩いて、妖気を感じる方へと駆けていく。
「久遠サマ! お一人では行動なさらないようにって言ってるじゃないですか!!」
怒鳴り声を背後に聞きつつもおれは更に足を速めた。
こんな暗い状況でも、彼の明るい笑顔を見れば心が軽くなる気がして、早く会いたい。
「風巻いぃ!!」
間もなく見えてきた姿にぶんぶんと手を振る。
「おー、団長直々のお出迎え」
降り立った風巻はくすりと笑った。予想していた通り、ささくれ立っていた胸が穏やかに凪いでいく。
「その団長の兄さんなんだから当たり前!」
「兄の前に第一『幹部』、つまり部下なんですけどね」
笑顔で言葉を返すと、追いついたらしい寒露が後ろからぼそりと言った。どうやら置いてきぼりにする形にしたのが少し、いやかなり気に食わなかったらしい。
「第二幹部は最近ますます当たりが強いなー」
「てめえが帰ってこねぇからだろ! 東の団と抗争になってるっつうのに!」
「寒露どうどう。帰ってきてくれたじゃん万事問題ない!」
寒露の言い分も分かる。だが、風巻だって理由もなしに戻らないような人柄ではない。
「それは、うん、悪かった」
案の定、いつも通りの笑顔に隠して、風巻は一瞬苦い表情を見せた。里の方で何かあったに違いないのだ。
「……まあそんなのどうでもいい、さっさと会議すんぞ!」
寒露も寒露でしっかり見逃さなかったらしく、一瞬後悔するような色を浮かべてから、誤魔化すように言い残して足音荒く去っていく。申し訳なく思っているのだろうに、本当に素直になれない奴だと思う。
「……風巻、何かあった?」
ついていこうとする風巻の顔を覗くようにして尋ねる。どう見ても『何もない』顔ではなかったのだから、訊き方が少しおかしいような気もする。でも言葉を続けようとしなかったこともあるし、話したくないかもしれないと躊躇してしまった。
その躊躇いが、後々に消せない悔恨となって焼き付くことを、この時のおれは知らないから。
寒露はすたすたと自分だけ先に向かっていく。多分、おれが風巻と話をしやすいようにと気を遣ってくれているに違いなかった。素直じゃない彼なりに。
「何かって?」
目線を返されて言葉に詰まる。上手く表現ができずに逃げた言葉だったのだが、突っ込まれると何も言えない。
「何か……うーんと、うーん……勘だから上手く説明できないや」
頭を掻いても、結局そんな曖昧なことしか言えなかった。
「オレは見ての通り元気だし、心配すんなよ」
風巻は笑顔のまま背中を優しく叩いてくれる。
元気には、違いないだろうけれど。胸に浮かんだ思いは上手く声にならなかった。言われないことにもきっと意味があると分かっていたから。
「……ほんと? ならいいんだけど……あ、後で会わせたい人いるんだ。会ってくれる?」
双念への疑念のようなものは消えないまま。風巻は彼をどう感じるのか知りたくて、きちんと紹介して会わせたかった。
自分の目が正しいのか、それともおかしいのか。幹部を含め、団員たちには口にできていない。月読との関係の手前もあるし、自分の中でだってまとまっていない思い故、『団長』として接するべき相手には言いづらいということもある。
「会わせたい人? 何だお前浮気かー、月読はどうしたんだー」
不思議そうにしつつも、からかうように棒読み。恋人とかそういう相手ではないというのに。おれの言い方が悪かったらしい。
「違うよ! いや月読は違わな、いや何でもなくてそうじゃなくて、男! 法師だから!!」
口を滑らせそうになりながらもしっかりと伝えた。でもその瞬間、風巻の雰囲気が鋭くなった。
「法師……」
零したその声も少し強張っている。
法師にいい印象を持っていないのはどの妖怪も共通だ。おれや寒露のように家族を殺されたという者だって団には少なくない。それでもおれの「傷つけるな」という命をしっかりと守ってくれているのだから、ありがたいと思っている。
風巻も法師に対しては思うところがあるようで、巫女と比べてもあまりよい印象は持っていないらしい。それはおれも同じ。責められる謂れはない。
「そんな気ぃ張らなくても大丈夫だよ。月読の知り合いで、おれたちに興味持ってくれてるんだ。協力も前向きに考えてくれてる」
それを分かっていてもなお、双念を一人の人間たる『双念』として見てほしいというのは、おれの我儘だろうか。笑って言葉を続けながらも、不安が消えない。
「へぇ……まあ、会ってみないとそれこそ何も言えねぇか」
とりあえずは警戒の色を消してくれた彼は、そう言って肩を竦めた。
「うん。今日約束してるからさ」
今朝になって、双念が好んで使う小鳥の式神がやってきた。お話ししたいことがあるからお邪魔したい、という伝言を託されて。
考えを巡らせているような顔つきをしている風巻は気になったものの、会議に使っている部屋の前に来てしまったので話は一度打ち止めになる。
入ると、寒露が集めてくれていたらしく、すでに風巻以外の幹部たちが集合していた。おれと風巻の姿を認めた瞬間にそれぞれ頭を下げる。それに笑みを返して定位置に腰を下ろした。
「さてと。じゃあまずはこれまでの状況を整理しよっか」
風巻も座るのを待ち、寒露に視線を遣って軽く頷く。
つい先ほど帰ってきたばかりの第一幹部はまだ詳しくは状況を知らないから話す必要があるし、おれたちも一度しっかりどうしてこうなったかを考えなければならない。誰にとっても無駄にはならないから。
「……事の始まりは二月前。東の団の構成員がうちの縄張りに侵入してきた。そしてそれが繰り返されること数回」
「それだけならこちらも追い出すなりしていただけだけど、……七日前、とうとううちの団員が殺されて、一気に緊張が高まったの」
目線を受け止めて頷いた寒露がゆっくりと語り始める。雪水も加わり、何があったのかの説明が淡々となされた。
風巻が渋い表情をしている以外は特に誰も反応をすることなく――いや、反応できず、ただ二人の言葉を黙って聞いていた。
川に水を汲みに行ったというだけの、何の落ち度もない団員の殺害。それに対し、おれが抗議したこと。しかし無視され、川べりに陣が張られて中央の団の者たちが近づけなくなってしまっていること。それを受け、三日前におれが全面抗争を決意したこと。二人の話はきちんと順序立てていて分かりやすく、そうであるからこそ余計にもう二進も三進もいかなくなっていることを明確にさせた。
「……、避けられないか」
団長という立場としても一人の存在としてもおれができる限り争いを避けていることは、団員なら誰でも知っている。そうだとしても、ただ黙っているわけでは決してないことも。団の成立以前から関係のある風巻はなおさらだ。
「これ以上引っ張っても、こっちが舐められて、東以外の団からも攻撃が来る可能性があるから」
「まあ……それもそうだ」
おれの呟きに、風巻も他の幹部も同意するように頷いた。
「寒露、諜報の奴らは?」
「そろそろ戻るはずです」
偵察に向かわせた者がそろそろ戻ってくるはずの時刻だ。戦において最も重要なのは情報と言ってもいい。これがなければ動けない。
「……来たな」
間もなく聞こえた物音に顔を上げたのとほぼ同時、「失礼します!」という声と共に蛟の諜報員が入ってきた。時折質問を挟みつつ、彼が持ち帰ってきた情報にじっと聞き入る。
彼が収集してきたことによると、川の陣営に多く人員を割き、東の団の長自体もそちらにいるらしい。しかし本拠地の方にも人を残していないわけではなく、戦えるだけの実力を持つ者がしっかりとそちらを守っているとのことだった。
「戦う気まんまんって感じねぇ……」
「本拠地にも戦闘員は残ってるっつーのがまた面倒だなぁ……川だけ叩くわけにもいかねーじゃん」
労をねぎらって諜報員を下がらせた後、玻璃がひとりごちた。そしてそれに同意するように、黒鉄がため息混じりに頭の後ろで手を組む。
敵方の狙いは恐らくこちらの戦力をふたつに割くことだ。この団の戦闘力は他のものと比べ物にならないほどのもの。まともに戦り合えば東の団などあっという間に崩壊する。
「二手に割くのが向こうの作戦かもな……」
風巻も同じような考えだったらしく、黒鉄に同調するように言った。すると第四幹部たる鉄鼠は、その鋭い鉄の牙を見せて笑う。
「馬鹿だなぁ。うちは二大巨頭だっつーのに」
くすくすと笑う玻璃に釣られるように、鈴菜もまた笑って頷く。寒露や雪水は少し不満そうな顔だけれど、二人は多分素直ではないだけ。
黒鉄の台詞に近いことをおれ自身が公言しているし、寒露も雪水も内心では認めていることをよく知っている。
おれの右腕は寒露だが――背中を預けるのは、風巻だと。
「だんちょー。今日からの天気ってどうなると思う?」
それに口角を上げてから、風巻は少し唐突に言ってこちらを見た。
「んー? 何かだるい気がするから、じきに雨が降り出すと思うけど。匂いもするし」
「そーだな。……もしそれがさ、大雨になったとしても別にいーか? 視界がけぶるくらい」
辺りに漂う匂いを確認してから応じると、我が義兄は意味ありげな笑顔を向けてきた。
視界がけぶるほどの大雨。そして彼は天狗――つまり風を操ることができる。風を自由に操作できるということは、天候をも支配できるということ。加えて、浮かべられている不敵な笑み。
与えられた示唆を数回反芻すると、すぐにピンときた。
「……なるほど。いいよ。風巻のやりたいようにして」
自然と頬が緩んだ。それからちらりと幹部たちを見ると、寒露と玻璃は思い当たったのか特に表情を動かしていない。しかし他はちんぷんかんぷんなのか首を捻っている。
「じゃー、もしすっげー偶然が起こって、奇跡的に大雨になったとしてだー。本拠地にたとえ少数でも兵を置いてるってことは、そこを叩かないと長期戦になるかもしれない。はい、こういうときに取る戦法は」
風巻もそんな様子を見たようで、黒鉄に無茶振りして見せる。彼は自分でも言っているように肉体派であまり頭を使うのは得意でないというのに、酷なことをさせる。
「え!? オレかよ!? えーと、えーと……」
「水攻めだろ」
ほんの少し憐れになったところで、腕組みをした寒露が代わりに答えてしまった。
「空気読めないわねぇ……」
「あ、この辺は山の麓、つまり盆地ですって言うの忘れてた」
ため息混じりの玻璃の言葉と、寒露に対して「あーあ」という顔をした風巻の言葉がほぼ重なった。
「あ、あー!」
「黒鉄うるせえ」
納得した表情になった黒鉄を一蹴する寒露。普段よく怒鳴っている奴が何を言う、と思っていたら、「貴方が言う?」と玻璃が真顔で見ていたから世話はない。作戦には納得したらしい雪水と鈴菜が苦笑いを浮かべている。
「とくに水はけ悪いってほどでもねぇけどさ。でもそうなったら、二手に分けるとしたって最小限でいいんじゃねーのかね」
けらけらと楽しげに笑った風巻の説明に、黒鉄もまた納得したようだった。
「そういえばさっき、堰を作ってるとか言ってたよね……」
話が少し途切れたところで、鈴菜が小さく言った。
確かに、諜報員がその情報も持ち帰っていた。上流の方に堰を作って川の流れを制そうとしている、と。
「堰か……」
「上流、だったかしら?」
「完成されたらこっちに水来なくなりそうだし厄介だなぁ……」
風巻や雪水、黒鉄の会話を聞きながら、寒露は近くにあった紙と筆を引き寄せ、さらさらと簡単な地図を描いている。情報をしっかりと頭の中で整理して文章や絵として吐き出すことが、彼は幹部の中で一番得意なのだ。
「堰と川と向こうの団の位置関係、早くー」
眺めていると、風巻が冗談交じりに急かす。「うるっせえな!」と毒づきつつも、手早く完成させた寒露は中心へと地図を飛ばした。それを皆で覗き込む。
「堰が此処で……」
「団の本拠地が此処。風巻、どっち行きたい?」
地図をじっと見下ろす風巻に、それぞれを指し示しながら尋ねてみる。
「よっ、流石は第一幹部! 頼りにされてるぅ」
「団長水嫌いだし水攻め無理じゃね?」
黒鉄が口笛を吹いて茶化したり、寒露が再び嫌な顔をしたりしている中、風巻は冷静に、そして真顔で言い放つ。
「戦いになりゃ気にならないって!」
水は確かに嫌いだけれど、別の何かに集中している時には割と気にならない。
「……てか、水来なくなること心配するより、こっち側の岸に堤防作った方がいいんじゃねーの」
「一気に解放されたら厄介ねぇ」
玻璃がこくりと首を縦に振り、地図の川の線を指で繰り返しなぞる。
「うちだって周りに比べたら標高低いしな。……でももし、堰を解放される前に決壊させることができたら」
考えるようにしながら風巻は呟いている。「こっちが勝ちね」と反応する玻璃を始め、幹部もおれも全員で地図を見下ろしていた。
「山があっち……で、反対側が川。その向こうが敵だろ。多分、水をなくしてから攻めてきて、頃合いを見て堰を解放してこっちの軍勢を流そうってのがいちばん無難な策だよなぁ。てことは、川の水はなくさせないで、ついでに堰はさっさと決壊させて、さっと本拠地を奇襲して、って感じ?」
「空部隊が本拠地を奇襲した方が効率はよさそうだな……」
風巻の言葉を受け、おれは小さくひとりごちた。
彼を含め、うちには何人か天狗たちがいる。天狗らの特徴のひとつであり強みといえば、飛べること。他にも何人か鳥妖怪はいるが、まだ幼かったり妖力が小さかったりと戦闘には向かないのだ。
そして、幹部の中で自由に空を動き回れるのは、風巻しかいないのである。
「……オレかぁ」
幹部をぐるりと見渡した風巻は、いつぞやも口にしたようなことをぽろりと零した。
「何かそれ、北の団との時にも言ってたわよ?」
「風巻が指揮するなら奇襲部隊は少数精鋭で大丈夫だろ。で、こっちはこっちで叩く。で、堰も決壊させる。幹部の誰か一人連れてきたいってなら指名して」
くすくす笑う玻璃におれも笑って頷いて、先ほどの彼女のように川の線をなぞる。
「そーだっけ。いや、奇襲なら指示出す奴はむしろ少ない方がいいだろ。それより……」
途切れた声に彼を見ると、『頼りになる第一幹部』はすっとぼけたような表情をして、更に続けた。
「川の水をなくさせたくない、堰は決壊させたい、ってんなら。今、ちょっと空にお願いしてきた方がいいかもなー。雨増やしてくださいって」
何ともまあ、本当に何の冗談を言っている、というところである。
「それこそ天狗が雲呼んで、雨女が雨降らせりゃいい、痛てててて! んだよ、玻璃!」
「ほんと空気読めないわねぇ……」
おれは笑うだけだったが、生真面目な寒露には冗談が通じなかったようで、思いきり玻璃に足をつねられていた。
「お前って冗談とか言えんの?」
とても心配げな表情を作った風巻は立ち上がる。雲を集めに一度庭へと出るつもりなのだろう。
「あ? 必要ねぇよ!」
「困ったものねぇ……」
「オレと玻璃はその必要をひしひしと感じてるけどな」
おれは解散を言い渡し、初期幹部たちの遣り取りにまた笑った。
「……あっちが川。で、あっちが山……だろ」
庭に出た風巻が確認するように視線を動かしている。
「うん。あっちに雲が出てきたね」
鈴菜が雨女たちを呼びに行ってくれるのを見送ってから、縁側から風巻の隣に跳び下り、頷いた。雨の匂いはますます濃くなっている。雨女たちの助力なしでも、小雨程度なら確実に降りそうだ。
「風向きが山に向かってるからな……そーいうときは山頂近くで雨が降るし。でも、あそこで降られると困る」
天候に詳しい風巻は、頷きながら解説してくれる。にやりと口角を持ち上げ、そんな彼を見た。
「それを何とかするのが我が義兄殿だろ?」
言うと同時、「久遠さま、風巻さま」という声と共に雨女たちがやってきた。準備は万端である。
「へーへー。兄遣いの荒い弟だよ、まったく」
苦笑いしつつも、彼女たちに気づいて軽く手を挙げる。彼の様子と、張り切っている雨女たちを見、けらけらと笑った。
「……川辺りから上に風吹かせて、山に向かって吹かせて、最後こっちに雲持ってくるしかなくね?」
彼女らと数言話し合ってから、風巻はひとりごちる。
「お前ら見てるなら手伝えよ!」
声をかけられた物陰の天狗たちは見物をする気満々のようで、言葉に従う様子はなかった。おれもくつくつと喉を鳴らしつつその隣に加わったから、多分同罪である。
「もし途中で降りそうになったら頼むわー」
風巻はため息をついてから雨女たちに声をかけ、天に向かって手を伸ばす。いよいよ雲集めが始まるのである。
おれには風はよく見えないが、匂いや肌に触れる感覚で強い風が上昇していくようだということは察することができる。すぐに雲がもくもくと大きくなっていくのが目で見て取れて、それを見守っていた風巻が今度はこちらに風向きを変えたらしかった。
「手伝えってもねぇ」
「あんな遠くから風起こせないよなぁ」
「ねぇ」
一連の流れを見ていた天狗たちは口々に自由なことを言っている。そういう言葉を聞くたび、おれはものすごい妖怪に義兄として接してもらっているのだと自覚する。
「うん、雨の匂いが濃くなった」
雲の大半が川の辺りまで来ているのを見つつ、声を上げて笑った。その間に風巻から合図が行き、雨女たちが一斉に手を挙げて大粒の雨を降らし始めた。数回瞬きを繰り返したらあっという間にどしゃ降りになり、風巻は頭から水を被ったような状態になっている。
「……降り始めからこれたぁ、決壊させるまでもなく堰は駄目だな」
烏なのに濡れ鼠状態で、風巻は笑っている。おれもますます笑い転げ、中に入るように促した。ずぶ濡れの風巻の一方、雨女や河童、蛟といった水を好む者たちはお祭り騒ぎで庭を駆け回っている。
「お疲れさまー。大丈夫?」
「見てのとーり」
縁側に上がって風で着物を乾かしている様子を見つつ寄っていくと、彼は両手を広げた。これなら体を冷やしたということもないだろう。
「よかった!」
胸を撫で下ろしたところで、「久遠さまー」と言いつつ駆けてくる団員に目を遣った。
「御客人です。双念さんです」
本拠地を建設している時に、風巻に寝物語をせがんでいた妖狐の一人。少し大きくなっても愛くるしさはそのまま。おれはお礼を言いつつ頭を撫でて、風巻を振り返った。
「風巻、さっき言ってた法師だ。客間にいるみたいだし、行こう」
「へー……分かった」
頷く彼に笑って足を踏み出した。
踏み出して、しまった。
あんな結末に向けての、最後の選択だったなんて気づきもしないで。大切なものを失ってしまうきっかけだったなんて、考えようともしないで。
もしも神から許しが出て、戻ることができるのなら。おれは何をしてでも双念に風巻を会わせない。
そして、幾世が隔たろうとも、おれはきっと永久にこの刹那を後悔し続ける。




